9:ユニコーンの乙女
おはようございます。
アーサは、泣きながら走っていた。
声こそ上げていないが、目からはとめどなく涙があふれてくる。
情けなくて、どうしても涙が止められない。
昨日、国王から勇者の下で働くように言われた時は、どうしようもないくらいに心が躍ったというのに、今はその心も暗く落ち込んでいる。
先ほどの話を思い出す。
勇者は、自分のことを自分勝手だ、と言っていた。
本人が言うからには、そうなのだろう。自分で勝手に魔王を倒して、世界を救ってくれたのだろう。
でも、身勝手でもなんでも、自分が行ったことを喜ばないのはなぜだろうか。
勇者は魔族に襲われていた人間の国を救ってくれた。魔王を倒して、平和を取り戻してくれた。
そのことに感謝する人間は、少なくない。アーサだって、ずっと感謝している。
勇者はどうして、人々の感謝を拒絶しようとするのだろう。感謝をまるで他人事のように語るのだろう。
行商人を助けた話もしたけれど、勇者は喜ばなかった。
アーサは、直接行商人と話す機会があった。謁見の連絡をする直前、勇者が一時休んでいたホテルの前でだ。
家宝だと言っていたか。アーサでも見たことのない美しい剣を、勇者のために持ってきたと言っていた。
ホテルの従業員に追い返されようとしていた所を、アーサは見た。なので、引き留め、話を聞いた。
行商人は、勇者に命を助けられて、感謝していた。また家族に会うことができたと、涙ながらに。
そんな感謝を寄せられても、勇者は自分を認めないのだろうか。
悲しそうに、目をそらして黙ったままなのだろうか。
正直に言えば、アーサは勝手な勇者感を抱いていた。
強くて、格好良くて、礼儀正しくて、公明正大な人格者。
もちろん、そんなものが幻想だというのはアーサにも分かっていた。
実際会った勇者はどこか気弱そうで、臆病そうで。
王城までの馬車の中、礼儀作法を教えてくれ、なんて言われるとは思ってもみなかった。勇者ならもっと堂々としているものだと思っていたが。
だが、それが逆に嬉しくもあった。英雄然とした態度はなく、親しみやすさを感じさせてくれた。
だから、今日はきっと楽しい会話ができると思っていた。
武勇伝を聞けるかもしれないとワクワクした。自分の着任を祝ってくれるのではないかとドキドキした。失礼なことをしないかとハラハラもした。
そんなイメージを、アーサは自分で壊してしまった。
勇者が悲しそうな顔をした時、余計なことを言わなければよかった。そうすれば、仕事上だけでも付き合いが途切れはしなかっただろう。
今日のことで、勇者はきっと、アーサに幻滅している。ただのお節介女だと思われたかもしれない。
アーサの家は、それなりに地位のある家系だった。だから、女だてらにユニコーン騎士団の団長を任せられている。
もちろん、レベルだって上げて来た。団長の名に恥じないだけの修練は積んできた。
それでも、勇者はもうユニコーン騎士団を頼らないだろう。国王に行って、配属の変更を求めるかもしれない。
仲間たちになんと言ったらいいだろう。自分のうかつな行動のせいで、喜んでいた仲間たちを逆に悲しませることになる。
がむしゃらに走っていたせいで、いつもよりも息が切れた。次第に足が動かなくなり、立ち止まってしまう。
行き交う人々が、アーサの顔を見て驚いている。いい年をした女が泣いていれば当然か。
しかも今は、略式とはいえ正装を着ている。騎士が往来で泣くなど情けない。
それでも涙は止まらなかった。
後ろから、声をかけられるまでは。
「待ってくれ! アーサさん」
聞き覚えのある声に、思わず振り向く。
そこには、申し訳なさそうに立つ青年がいた。
「勇者様……」
先ほど飛び出してきた家の、主でもある。
追いかけられている気配はなかった。それに、一応アーサも鍛えている。脚にはそれなりに自信があった。
だが、それも勇者の前では敵わないということか。
アーサは慌てて涙をぬぐう。手のひらで雑に。今はハンカチを取り出す余裕がない。
「あ、あの、先ほどは失礼いたしました。今も、取り乱して……」
とにかく、これ以上の失態は重ねないよう努力する。幻滅されるにしても、騎士として最大限努力しなくては。
謝ると、勇者は困ったように頭を掻いて、
「ごめん」
「えっ?」
アーサと同じように、頭を下げた。
「ゆ、勇者様、お顔を上げてください」
焦りつつも、大声を出さぬよう気を付ける。
勇者が謝る場面など、民に見せるものではない。
だが、勇者はすぐには顔を上げてくれなかった。
「いや、本当にごめん。さっきのは、あんまりにも酷すぎた。俺が悪かった」
「勇者様、あの、謝るのは私の方です。無神経なことを言ったのは私の方です」
「アーサさんが言ったことは、何も間違いじゃなかった。間違ってたのは、俺の方だった」
「そんなことは……」
「とにかく、謝らせて欲しい。ごめん」
通行人たちが、ちらちらと視線をよこしてくる。
アーサはとりあえず、勇者が人目につかぬよう、道の端へと連れていった。
勇者はまだ頭を上げようとしない。心底から、アーサに謝りたい様子で、
「勇者ってジョブを、俺は軽く考えすぎてた。勇者ってのは、ただ強いだけじゃダメなんだよな」
「それは……」
どうなのだろうか。勇者だって人間だ。民がみんな考えるような完璧な人間ではないかもしれない。アーサも、勝手な理想を抱いていたにすぎない。
悩みも持つだろう、心に葛藤だってあるだろう。人間の矢面に立って戦うのは、アーサの想像を絶するような苦しみがあるだろう。
今、目の前で頭を下げてくれる青年は、勇者ではなく、ただのアシュレイとして謝ってくれているのだろう。
そう思うと、アーサの胸は熱くなった。
勇者は、アシュレイは皆を守ってくれた。助けてくれた。
しかし、勇者を助けられる者は少ない。守れる者は、もっと少ない。
レベルをいくら上げたって、勇者と肩を並べて戦うのは難しい。しかし、勇者の支えとしては力不足かもしれないが、アーサは目の前の青年の役に立ちたい。
「あ、あのっ!」
役に立ちたいと決めたなら、言わねばならない。
「勇者様が戦うなと仰るなら、戦いません。ですが、きっと私でもできることがあると思うんです」
「え? それはもちろん。今の俺は、みんなの力を借りないといけないから」
「なら、私の力を、私たちの力をお使いください。いくらでもお貸しします。全身全霊をもって、ご期待にそえるよう頑張ります」
だから、
「どうか、私たちにも、勇者様のお手伝いをさせてください」
アーサもまた、頭を下げる。
返事を待つ。断られるかもしれないけれど、アーサは伝えたいことを全て伝えた。
「……うん。よろしく」
そう言われて、アーサはゆっくりと顔を上げた。
勇者は困ったように笑っていた。でもそこに影はなく、
「あはは、女性にまでそんなこと言わせるなんて、俺もダメな奴だなあ」
どこか明るい、人懐っこい笑みだった。
顔が熱くなるのを感じる。先ほどとは別の意味で、勇者の顔を見るのが恥ずかしくなる。
「あのっ、勇者様」
「うん?」
「どうか、私のことは、アーサとお呼びください」
「えっ、でも……」
「お願いします。でないと、私は、その……」
とっさに言ったから、その、の先に続ける言葉が思いつかない。
なので、次に言葉を作ったのは勇者で、
「じゃあ、アーサ。俺のことも、アシュレイって、そのまま呼んでくれない?」
「は、はい! アシュレイ様」
「いや、様はいらないんだけど……。せめて、さん付けくらいで」
「そ、それは無理です。勇者……、いえ、アシュレイ様は、アシュレイ様とお呼びしたいのです!」
「そ、そうなの? じゃあ、無理にとは言わないけど……」
やはり困ったように、勇者・アシュレイは笑った。
「それじゃあ、後で王城に行っていい? これからのこと、打ち合わせしよう」
「私たちで、よろしいのですか……?」
「もちろん。こんな情けない勇者だけど、助けてもらえると嬉しいな」
「それは、もちろんです。あ、いえ、勇者様が情けないというわけではなくて……」
「アシュレイだよ、アーサ」
「し、失礼しました、アシュレイ様」
優しい声音を聞いていると、顔から火が出そうになる。
アシュレイが、右手を差し出してきた。
「これからよろしく、アーサ」
「はいっ」
なるべく、赤くなっているだろう顔を見せぬようにうつむいて、アーサは勇者・アシュレイに両手で握手を重ねた。
一人称視点と三人称視点が混在すると、読者に混乱を招くでしょうか?
使い分けが難しくて、とても悩みます。




