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絆の王女フィアは、幸せな未来を諦めない!  作者: daysイラストレーターs


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平和を裂く婚約状

本作は『魔王の娘になった勇者と勇者になった魔王の娘』の続編です。


かつて勇者と魔王の娘が選び取った、愛と平和の未来。


その想いは、次の世代へと受け継がれていきます。


今度の主人公は、十八歳になった王女フィア。


大切な家族、かけがえのない絆、そして自分自身の幸せ。


彼女がどんな未来を選び取るのか、どうぞ温かく見守ってください。

六歳のフィアが《平和の祭典》で、人間と魔族の前に立ってから、十二年。


魔王城の朝の回廊には、庭園から柔らかな花の香りが流れ込んでいた。


「あなた、ちょっと待って」


謁見の間へ向かおうとしたリリアを、アレンが呼び止める。


銀紫色の長い髪を肩へ払うと、アレンはリリアの正面に立ち、その上着の襟を丁寧に整え始めた。


「わたしだって、自分の身支度くらいできるぞ」


「知っているわ。でも、あなたはいつも襟元だけ少し曲がっているの」


「戦場では気にしたこともなかったな」


「ここは戦場じゃないもの。それに、わたしがこうしてあげたいのよ」


言い返す言葉を失って、リリアが小さく笑う。


その笑顔を見て、アレンも嬉しそうに目を細めた。


「フィアは今日も城下町へ出かけたのか?」


「ええ。ミアは朝食が終わるなり書庫へ飛んでいったわ」


「二人とも、あんなに小さかったのにな」


「本当ね。わたしたちも、いつの間にか二人の娘の親なんだもの」


アレンが襟から手を離すと、リリアはその手をそっと握った。


「……どうしたの?」


「いや。君がこうして隣にいる朝は、何度迎えてもいいものだと思ってな」


「もう……。そんなこと、急に言うのね」


アレンの頬がほんのり赤くなる。


「本当のことだ。わたしは今でも、君が笑っていると嬉しい」


「……わたしだって、同じよ」


アレンは握られた手を引き寄せ、リリアの胸元へそっと額を寄せた。


リリアもその背に腕を回し、静かに抱きしめる。


しばらくして顔を上げたアレンの額へ、リリアは優しく口づけた。


「誰かに見られちゃうわ」


「わたしたちは夫婦だ。今さらだろう?」


「ふふっ。そうね」


離れる前に、アレンはもう一度だけリリアの手をきゅっと握った。


「今日の用事が終わったら、一緒にお茶を飲みましょう。城下町の菓子屋で、新しい焼き菓子を見つけたの」


「いいな。君の選ぶ菓子なら、きっと美味いだろう」


「それは食べてからのお楽しみよ」


二人は笑い合い、並んで謁見の間へと歩きだした。


こんな何気ない朝を重ねていけることが、どれほど幸せなのか。


長い年月をともに歩んできた二人は、よく知っていた。


*


かつて小さな黒い角を持ち、震える声で平和を願った少女は――十八歳になっていた。


フィア。


勇者と魔王の娘、二人の数奇な運命から生まれた少女は、今では二つの国を結ぶプリンセスとして歩んでいる。


魔王城の城下町には、今日も朝から人間と魔族の声が入り交じっていた。


人間の商人が運んできた果物を、角の生えた魔族の女性が品定めしている。その隣では、人間の子供と魔族の子供が、どちらが先に菓子屋へ着くか競争していた。


十二年前には、まだ珍しかった光景が、今では当たり前のように広がっていた。


けれど――すべての壁がなくなったわけではない。


「だから、人間の商人なんて信用できないと言っているんだ!」


広場の一角から怒鳴り声が上がった。


魔族の男が、壊れた木箱を指さしている。


向かいでは、人間の商人が負けじと言い返していた。


「こちらだって騙すつもりなんてない! 運んでいる途中で壊れたんだ!」


周囲に人が集まり始める。


互いの種族を罵る言葉が飛び出す――その前に。


「では、まず箱を見せてください」


穏やかな声が、二人の間へ入った。


腰まで伸びた、父譲りの金色の髪。


母の血を示す、優美な弧を描く二本の黒い角。


十八歳になったフィアだった。


「フィ、フィア姫……!」


二人が慌てて頭を下げる。


「頭を下げなくて大丈夫です。それより、何があったのかを教えてください」


フィアは壊れた木箱の前へしゃがみ込んだ。


底板が割れている。


だが、木材そのものも古く傷んでいた。


「これなら、誰かが壊したというより、荷物の重さに耐えられなかった可能性があります」


「しかし……」


「商人さんがわざと壊したとは限りません。あなたも商品を失って困っている。それなら、どちらかを悪者にするより、二人が納得できる方法を探したほうがいいと思います」


魔族の男と人間の商人が顔を見合わせる。


やがて商人が頭を掻いた。


「……半額なら、新しい品を用意できる」


「なら、俺も半分は払う。箱を確認しなかった俺にも落ち度はあった」


「それなら決まりですね」


フィアが微笑む。


挿絵(By みてみん)


十二年前。


六歳だった彼女は、大勢の人間と魔族を前に、震える声で言った。


――意見が違うときは、剣ではなく、言葉でお話しします。


あの日の小さなプリンセスは、もういない。


けれど、あの日に抱いた願いだけは、十八歳になった今も変わっていなかった。


「お姉さま」


背後から声をかけられ、フィアが振り返る。


そこには、大きな本を三冊、両腕いっぱいに抱えた少女が立っていた。


銀に淡い金を溶かしたような髪。


まだ小さな黒い角。


十二歳になった妹、ミアだった。


「ミア。また書庫にいたの?」


「はい。古代魔法について面白い記述を見つけたんです」


「朝食のあとからずっと?」


「……時間というものは、興味深い本を読んでいると通常より速く進むようです」


「それは魔法じゃなくて、夢中になっていただけでしょう?」


フィアが笑う。


ミアは少し頬を膨らませた。


姉のフィアが人と人の間を結ぶことを好むのに対して、ミアは幼いころから魔法書や古い文献を好んだ。


暇さえあれば魔王城の書庫へ潜り込み、誰も読まなくなった本まで引っ張り出してくる。


「それより、お姉さま。また喧嘩の仲裁ですか?」


「言い争いにはなったけれど、最後はちゃんと話し合えたわ」


「お祖父さまなら、最初に怒鳴って終わらせます」


「それは話し合いとは言わないわ」


姉妹は顔を見合わせて笑った。


その後、姉妹は城下町の学び舎を訪れた。


そこでは、人間と魔族の子供たちが同じ机を囲み、思い思いの本を広げている。フィアは先生たちと、子供たちが互いの国のことを学べるように、読み物を届ける約束をしていた。


「今日はこちらをお持ちしましたわ」


挿絵(By みてみん)


ミアが三冊のうち一冊を机に置くと、小さな魔族の女の子が目を輝かせた。


「それ、見たことがない文字!」


「人族の古い物語です。でも、難しい言葉には説明を書き添えておきました」


「ねえ、魔族のお話も読んでみたい!」


今度は人間の男の子が身を乗り出す。


「もちろんですわ。こちらには、魔族の言葉と人族の言葉を並べて書いてあります。同じ意味でも呼び方が違うことがあるんですの」


ミアが頁を開くと、子供たちは自然に肩を寄せ合った。


「これ、ぼくたちの言葉ではこう言うよ」


「へえ、面白い!」


楽しそうな声を聞きながら、フィアは妹の横顔を見た。


「すごいわ、ミア。みんな夢中になっている」


「お姉さまみたいに人前でお話しするのは、まだ少し苦手です。でも、本のことなら、わたしにもお手伝いできますもの」


「十分立派な平和活動よ。知らないことを、一緒に知ろうとするのも大切だものね」


ミアは少し照れてから、うれしそうにうなずいた。


あの《平和の祭典》から十二年。


小さな衝突も、偏見も、完全になくなったわけではない。


それでも大きな争いは、一度も起きていなかった。


人間の商人が魔王城を訪れ、魔族の子供が人間の本を読み、人間と魔族が同じ祭りで笑う。


両親と祖父、そして両国の人々が命懸けで守ってきた平和を、フィアたちの世代が少しずつ日常へ変えてきた。


フィアは、それがずっと続くものだと信じていた。


*


その夜。


魔王城の食堂には、焼きたてのパンの香ばしい香りと、温かなスープの優しい香り、おいしそうな肉料理の匂いが満ちあふれていた。


大きな食卓を囲むのは、アレンとリリア、フィアとミア、そして魔王ヴァルガス。昼間はそれぞれの務めに追われる一家も、夕食にはこうして顔をそろえることが多かった。


午後には朝の約束通り、ティータイムを楽しんでいた2人だが、今は娘たちの話を聞きながら、ゆったり食卓を囲んでいる。


挿絵(By みてみん)


「今日は学び舎で、人間と魔族の子供たちが一緒に本を読んだのよ」


フィアが話すと、アレンが目を細めた。


「まあ、素敵ね。ミアも一緒だったの?」


「はい。少しだけ、本の説明をしてきましたわ」


「少しだけ、なんて。ミアのおかげでみんな楽しそうだったわ」


「お姉さまったら……」


ミアは照れたように笑った。


「お母さま、このお料理、とてもおいしいですわ」


「あら、ほんとかしら、わたしも少しアレンジを手伝ったのよ、ミアがそう言ってくれるなら、わたしも嬉しいし、料理長も喜ぶわ」


ミアが頬を緩める隣で、リリアは皿に残していた最後の蜜漬けの果実を、アレンの皿へそっと移した。


「あら、あなた。それはあなたの分でしょう?」


「君の好きなものだろう。わたしはもう十分食べたからな」


「でも、あなたも好きじゃない」


「君がおいしそうに食べるのを見る方が、わたしは好きだ」


あまりにも自然に言われて、アレンの頬がふわりと染まった。


「……もう。子供たちの前で、そんなことを」


そう言いながらも、アレンは嬉しそうに微笑み、果実を半分に分けてリリアの皿へ返した。


「だったら、半分こにしましょう。二人で食べた方がおいしいもの」


「そうだな」


二人は目を合わせ、くすりと笑った。


「……もう。お父さまとお母さまったら、すぐにこうなんだから」


向かいの席で、フィアが小さく息をつく。


呆れているような言葉とは裏腹に、その目は優しかった。


「ふふっ。いつものことですわね」


ミアも慣れた様子で微笑み、仲睦まじい両親を見つめた。


「でも、何度見ても素敵ですわ。お二人は今でも、物語の恋人たちみたいに仲がよろしいんですもの」


「ミアは、こういうのに憧れるの?」


「はい。いつか、わたしも誰かとこんなふうに笑い合えたら、幸せでしょうね」


「ふふっ。ミアにも、そんな日が来るかもしれないわね」


姉妹が微笑み合う、その隣で。


「……むう」


ヴァルガスが腕を組み、何とも言えない顔をしていた。


「お祖父さま? お料理、お口に合いませんでした?」


「料理は美味い。そうではない」


視線の先では、アレンがリリアの口元についた果汁をそっと拭っている。


「あなた、ここについているわ」


「おっと。ありがとう、アレン」


「……あの二人だ」


ヴァルガスは額に手を当てた。


「仲睦まじいのは結構。二人が幸せなのは、我も嬉しい。嬉しいのだが……」


「ですが?」


「父親としては、何とも複雑なのだ。あの二人は、どちらも我にとって大切な娘のようなものだからな……」


言葉尻が、いつになく小さくなる。


「だったら、お喜びになればいいではありませんか」


ミアが不思議そうに首を傾げた。


「だから喜んでおる! ……喜んでおるのだがな!」


フィアはついに堪えきれず、声を上げて笑った。


その声につられて、アレンとリリアも顔を見合わせる。


「父上、何かあったのか?」


「何でもない! お前たちは食事を続けよ!」


「ふふっ。お父様ったら」


アレンが笑うと、ヴァルガスはますます困った顔になった。


けれど、二人が再び肩を寄せて笑い合うのを見ているうちに、その口元もわずかに緩んだ。


フィアはそんな家族の顔を、順番に見渡した。


騒がしくて、少し恥ずかしくて、けれど温かな夕食。


これもまた、父と母が守ってきた平和の形なのだと思った。


けれど、その平和を守りたいと願うのは、魔王国の人々だけではなかった。


*


翌朝、遠く離れた人族の王都では、一人の少年が王城の窓から遠ざかっていく馬車を見つめていた。


十五歳のユリウス王子だった。


馬車が向かう先は、魔王国。


積まれているのは、父アルベルト王の名で送られる一通の親書だった。


「……本当に、これでよかったのでしょうか」


ユリウスが呟く。


「何がだ?」


背後から声をかけたのは、父アルベルトだった。


「婚姻のことです」


ユリウスは窓から離れ、父を見る。


「私は、フィア姫とは十二年前の式典で一度お会いしただけです」


「そうだったな」


「あのときは私も三歳でしたし、フィア姫も六歳でした。ほとんど言葉を交わした記憶もありません。それなのに、いきなり婚約者になってほしいと言われても、向こうも困るのではありませんか?」


アルベルトは少し考えてから、息子の隣へ立った。


「私も、いささか話を急ぎすぎているとは思っている」


「では、なぜ?」


「大聖教会からの強い進言だ。人と魔、二つの国の和平を確かなものにするためには、王家同士が血縁を結ぶことが最も良い、と」


ユリウスは黙った。


理屈は分かる。


けれど、それだけで誰かの人生を決めてよいのだろうか。


「……フィア姫が嫌だと言ったら?」


「無理強いするつもりはない」


父の答えに、ユリウスは少し安心した。


そして再び、窓の外を見る。


彼は、今のフィアをほとんど知らない。


けれど――幼いころ、一度だけ彼女と同じ場所に立ったことがあった。


十二年前の《平和の祭典》。


当時三歳だったユリウスの記憶は、もうおぼろげだ。


だから後になって、記録水晶に残された式典の映像を何度も見た。


そこには、小さな角を持った六歳の少女が、大勢の人間と魔族を前に震えながら立っていた。


それでも逃げずに、自分の言葉で語った。


――人間だからとか。


――魔族だからとか。


――それより、その人がどんな人なのかを見ることの方が、大切だと思います。


映像を繰り返し見るうちに、その言葉はユリウスの心に深く残っていった。


「会ってみたいとは思います」


「ほう?」


「婚約者としてではありません」


ユリウスは少し照れたように視線を逸らした。


「……あの言葉を話した人が、今はどんな人になっているのか。それは、知りたいです」


アルベルトは微笑んだ。


「ならば、良い機会になるかもしれんな」


「そうでしょうか」


「婚約するかどうかは、そのあと考えればよい」


「父上まで、婚約させる気にならないでください」


「王族の父親というのは、そういうことも考えねばならんのだ」


ユリウスは困ったように笑った。


そのときだった。


王城の廊下を、白い法衣をまとった聖職者が静かに通り過ぎていった。


その手には、大聖教会の印章が押された書類が抱えられている。


ユリウスは、ほんの一瞬だけその背中を見つめた。


「……父上」


「どうした?」


「親書は、教会が整えたのですよね?」


「ああ。法王グレゴリオ自ら、神の祝福にふさわしい文面へ整えると言っていた」


「……そうですか」


なぜだろう。


胸の奥に、小さな引っかかりが残った。


けれど十五歳のユリウスには、それが何なのかまだ分からなかった。


そして彼は知らない。


魔王国へ向かう親書に――


自分も父も望んでいない言葉が、書き加えられていたことを。


*挿絵(By みてみん)


数日後。


王都を出た使節の馬車は、街道と国境を越え、魔王城へとたどり着いた。


人族の国王アルベルトの名で、一通の親書が届けられた。


「フィアと、ユリウス王子を婚約させたいだと?」


魔王ヴァルガスの低い声が、謁見の間を震わせた。


人族の使者が、目に見えて身体を硬くする。


フィアは祖父の隣で、小さく息を吐いた。


嫌な予感しかしない。


親書は、人族の国王アルベルトの名で届けられていた。


嫡男ユリウス王子は十五歳。


人間と魔族の和平をさらに強固なものとするため、二つの種族の血を引くフィアと王子の婚姻を結びたい――。


そう記されている。


「断る!」


やっぱり。


「お祖父さま」


「断る! 絶対に断る!」


「まだ一回しか言っていません」


「何度でも言う! 十五の若造に、我が大切な孫娘を任せられるか!」


「わたしは今すぐ結婚するとは言っていません」


「今すぐでなくともならん!」


「お祖父さま……。以前の縁談も、全部お断りになりましたよね?」


「当然だ! どれも我が孫娘にふさわしくなかった!」


「お相手に会う前に、そう決めてしまうでしょう?」


「会わずとも分かる!」


「分かりません!」


フィアは額を押さえた。


十五歳を過ぎたころから、近隣の王族や有力貴族から幾度か縁談が届いていた。だが、そのたびにヴァルガスは、使者が用件を言い終えるより早く断ってしまう。


フィア自身、今すぐ誰かと婚約したいわけではない。それでも、自分の将来を祖父の一存だけで決められるのは違うと思っていた。


かつて世界を征服しかけた魔王の威圧に、人族の使者たちはすっかり青ざめていた。


少し離れた場所では、アレンが額へ手を当てている。


その隣に立つリリアは、勇者の身体のまま苦笑していた。


ミアも姉の傍らで、抱えていた本をそっと閉じる。姉の婚約話と聞いて、書庫から駆けつけたのだった。


「お父様。せめてフィア本人の話を聞いてやってくれ」


「リリア、お前まで何を言う!」


「婚約を認めろとは言っていない」


「では何だ!」


「フィア自身の人生なのよ!」


その一言に、ヴァルガスが言葉を詰まらせた。


フィアは小さく笑ってから、人族の使者へ向き直った。


「今のところ、わたしはこの婚約をお受けするつもりはありません」


使者たちの顔に緊張が走る。


「ですが――」


フィアは続けた。


「ユリウス王子が人間だからという理由で、ろくにお話もせずに拒絶したくもありません」


ヴァルガスが何か言いかけたが、今度はリリアが腕を掴んで止めた。


「十二年前に一度お会いしただけで、わたしは今のユリウス王子がどんな方なのか知りません。王子も、きっと今のわたしのことをほとんど知らないでしょう」


十五歳の少年と十八歳の自分。


幼いころに一度顔を合わせただけで、互いのことをほとんど知らない二人だ。


それを国と国との都合だけで婚約者と呼ぶことに、フィアは違和感を覚えていた。


けれど同時に、相手を知りもしないまま拒絶することも、自分が十二年前から大切にしてきたものとは違う気がした。


「ですから、婚約について正式なお返事をする前に、一度ユリウス王子本人とお話しさせてください」


六歳のころから変わらない。


人間だから。


魔族だから。


王子だから。


姫だから。


そうした名前の前に、まず目の前の相手を見る。


それが、フィアのやり方だった。


「……お祖父さま。わたしも一言、よろしいですか?」


ミアが、控えめに手を上げた。


「ミアまで何だ?」


「人族のユリウス王子は、なかなか誠実な方だと聞いていますわ」


「ほう?」


「王都を訪れた使節の報告に、身分にかかわらず相手の話を最後まで聞く王子だと書かれていました。書庫で読んだんです」


ミアは閉じた本を胸に抱き直した。


「ただ、わたし自身はお会いしたことがありません。報告書に書かれたことが、すべて正しいとも限りませんもの」


「ならば、結局は分からぬではないか」


「はい。だからこそ、お姉さまがおっしゃるように、まずお話をして確かめるべきだと思います」


フィアは思わず妹を見つめた。


「ありがとう、ミア」


「お姉さまがいつも教えてくださることですわ」


姉妹が微笑み合う横で、ヴァルガスは大きくため息をついた。


「……二人とも、いつの間にこんなに口が達者になったのだ」


「……フィアがそう言うなら」


ヴァルガスが渋々腕を組む。


「ただし我も同席する」


「お祖父さまがいたら、王子が何も話せないでしょう」


「では扉の外にいる」


「聞き耳を立てますよね?」


「当然だ!」


「お祖父さま!」


謁見の間に、わずかな笑いが生まれた。


張り詰めていた人族の使者たちの表情も、ほんの少しだけ緩む。


この程度で済む話だったはずなのだ。


婚約するか、しないか。


会って話して、それぞれの意思を確認する。


ただ、それだけのはずだった。


その間に、ヴァルガスから親書を預かったアレンは、最後の一行まで目を走らせていた。


「……待って」


親書を読んでいたアレンの声が、空気を変えた。


「ここ……」


フィアたちが振り返る。


アレンの指が、一つの文章を示していた。


そこには、こう記されていた。


――魔族の姫を人族の王家へ迎え、人の教えのもと正しく導くものとする。


静まり返った。


先ほどまでの笑いが消える。


フィアは、もう一度その文章を読んだ。


読み間違いではない。


「……正しく、導く?」


ヴァルガスの声が低くなる。


フィアにも、その言葉の意味は分かった。


人間が正しい。


魔族は間違っている。


だから、人間が魔族を導く。


十二年間、両国が少しずつ乗り越えようとしてきたものを、たった一文で否定する言葉だった。


「これを、アルベルト王が書いたのか?」


勇者の身体で生きるリリアが尋ねた。


使者は明らかに動揺した。


「わ、我々にも詳しい経緯は……。ただ、親書を整えたのは王家ではなく、大聖教会です」


「大聖教会?」


「法王グレゴリオ猊下が……二国の婚姻には、神の祝福を加えるべきだと……」


アレンが親書を差し出すと、ヴァルガスはそれを受け取った。


その手の中で、親書が音を立てて潰れた。


「これが祝福だと?」


誰も答えられなかった。


フィアも、今度は祖父を止めなかった。


「……お姉さま」


ミアが、そっとフィアの袖をつまんだ。


「本に書かれているからといって、何もかも正しいわけではありません。誰が、何のために書いたのかを確かめなければ」


「ええ。そうね」


フィアは妹の手に、自分の手を重ねた。


親書に記された条件での婚約の申し出は、魔王国として受け入れられなかった。


それでもフィアは、ユリウス本人と会って話したいという意向を取り下げなかった。返書では、王子自身を非難しないこと、そして問題の文言について人族側へ正式な説明を求めることが決まった。


それでも。


まだ、戦争になるような話ではなかった。


もし人族の王が関与していないのなら、話し合えばいい。


誤解があるのなら、解けばいい。


フィアは、そう信じていた。


挿絵(By みてみん)


三日後。


国境にある魔族の村が、人族の兵士を名乗る一団に襲撃された。


家屋が焼かれ、負傷者が出た。


さらに翌日。


人族の交易隊が、今度は魔族の武器を持った一団に襲われた。


人族の国は、最初の襲撃への関与を否定した。


魔王国もまた、交易隊への攻撃を命じていないと声明を出した。


どちらの王も、戦いなど望んでいなかった。


それでも。


「人間が先に襲った」


「魔族が報復した」


そんな言葉が、国境を駆け巡った。


一本の矢が放たれた。


相手も一本、矢を返した。


そしてまた一本。


十二年かけて、人間と魔族が少しずつ積み上げてきたもの。


その平和の根元で、小さな火種がくすぶり始めていた。


しかし、まだ誰もその火種を理解しては、いなかったのだった

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


勇者アレンと魔王の娘リリアが築いた幸せな未来。


その中で愛情いっぱいに育ったフィアも、十八歳の王女へと成長しました。


けれど、平和だった日々に少しずつ不穏な影が忍び寄ります。


大切な家族、守りたい平和、そして自分自身の幸せ。


フィアはこれから、どんな未来を選んでいくのでしょうか。


彼女の新しい物語を、どうぞ温かく見守っていただけたら嬉しいです。


作品を楽しんでいただけましたら、感想や評価をいただけると励みになります。


次回もよろしくお願いいたします!

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