第1話「口寄せの女」④
帰り道、広瀬川沿いの道を二人は黙って歩いた。
川風が冷たかった。枯れ葉が足元を転がっていった。
「幸子さんに、全部話すべきだと思います」
優花は前を向いたまま言った。
「美咲さんが——お母さんに伝えてほしいって」
「……それを聞いて、幸子さんは生きていけますか」
龍仁は静かに言った。
優花は少し俯いた。
「私も、それが怖いんです」
川の音だけが流れる。
「でも……」
優花は小さく息を吸った。
「知らないまま生きていくことも、幸子さんには苦しいような気がして」
「……」
「私、どうしたらいいのか分からないんです」
龍仁は何も言わなかった。
ただ、優花の歩幅に合わせて歩いていた。
「……一人で行かないでください」
しばらくして、龍仁は静かに言った。
「幸子さんに話すときは、私も一緒に行きます」
優花は立ち止まりそうになった。
「龍さん……」
「泣かないでください」
「泣いていません」
「目が潤んでいます」
「……仙台の風が冷たいんです」
「そうですか」
龍仁はそれ以上、何も言わなかった。
ただ、歩く速度を少しだけ落とした。
優花も、小さく笑ってその隣に並んだ。
嘘をつくのが下手なのに。
二人は並んで、広瀬川沿いの道を歩いた。
冬の空は、高く、どこまでも澄んでいた。
十二
幸子を龍谷寺に呼んだのは、三日後だった。
その三日間、龍仁は動いていた。優花には何も言わなかった。
ただ、朝早く出かけて夜遅く帰ってくる日が続いた。
三日目の夜、お茶を出すと龍仁は湯呑みを両手で包んで言った。
「警察に話をしました。筋道を立てたかったので」
「大吉さんに相談しました。あの方なら信頼できますし、話も聞いてもらえました」
「……ありがとうございます、龍さん」
「礼は要りません」
「要ります」
龍仁は少しだけ困ったように笑った。
「どうしてですか」
優花はまっすぐ龍仁を見た。
「だって……」
少し照れたように笑う。
「龍さんがいてくれて、本当によかったって思ったからです」
龍仁は何も答えなかった。
ただ、ほんの少しだけ視線を逸らした。
「……そうですか」
その一言だけだった。
それでも——その耳が、じわりと赤くなっていくのを、優花はちゃんと見ていた。
十三
幸子が龍谷寺に来たのは、翌日の昼前だった。
優花は占いの間に幸子を通して、静かに向かい合った。
幸子はすでに覚悟を決めた顔をしていた。それでも、手だけが膝の上で小さく震えていた。
優花はゆっくりと、順を追って全てを話した。
瑞枝の家のこと。村上健司という名前のこと。
美咲が死んだことにして逃げていたこと。
そして——三ヶ月前に、本当に逝ってしまったこと。
幸子は黙って聞いていた。泣かなかった。ただ、手が膝の上で白くなるほど握りしめられていった。
優花が話し終えたとき、部屋に静けさが落ちた。
「……美咲は」
幸子の声が、そこで初めて割れた。
「怖かったでしょうね。一人で……どれだけ怖かったか」
その言葉が——優花の胸に、深く刺さった。
娘を責めなかった。自分を責めなかった。ただ——娘の怖さを、思った。
龍仁が静かに立ち上がった。
そして本堂の方へ、無言で歩いていった。
やがて——本堂に、読経の声が響き始めた。
「美咲さんのために、読んでくれています」
優花は幸子に静かに言った。
「副住職は無口で不器用で、あまり感情を表に出さない人なんですけど——こういう人なんです」
幸子の目から、涙が一粒落ちた。
一粒落ちたら、止まらなくなった。
声を殺して、幸子は泣いた。
優花は何も言わなかった。
ただ、幸子の隣に座って、その背中にそっと手を置いた。
本堂の読経が、龍谷寺の静けさの中に、低く、温かく、響き続けた。
秋の光が、和室の障子を白く染めていた。
十四 エピローグ 私の還る場所
幸子が帰った後、優花は一人で占いの間に座っていた。
タロットカードを一枚だけ引いた。
「星」のカード。嵐の後の、静かな希望。
目を閉じると——美咲の気配が、さっきとは違った。
重さがなかった。冷たさがなかった。ただ、薄く、明るく、そこにあった。
お母さんに、伝えてくれてありがとう。
声は聞こえなかった。でも優花には、わかった。
「よかった」
誰にも聞こえないくらい、小さな声で呟いた。
障子の向こうに、龍仁の影が見えた。
「優花ちゃん」
「はい」
「お茶が入りましたよ」
「……行きます」
障子を開けると、龍仁が廊下に立っていた。湯呑みを二つ、盆に載せて。いつもの怖い顔で。
「……美咲さん、行きましたよ。ちゃんと、行けました」
龍仁は何も言わなかった。
ただ、少しだけ目を細めた。
それが龍仁の、精一杯の表情だということを——優花はもう、知っていた。
二人は縁側に並んで座った。
境内のケヤキは葉をすっかり落として、冬の空に細い枝を広げていた。
小梅が優花の膝にすとんと丸くなった。
妙おばあちゃまが縁側の向こうでにこにこしながら、お茶を一口すすっていた。
遠くで、烏が鳴いた。
「龍さん」
「なんですか」
「次にまた誰かが助けを求めて来ても、一緒に来てくれますか 」
「行きませんよ」
「でも来てくれますよね」
「行きません、と言っています」
優花はくすりと笑った。
龍仁は空を見た。
——行きますけどね。
心の中だけで、呟いた。
しばらく、二人は黙って空を見ていた。
冬の仙台の空は、高く、青く、澄んでいた。
優花がふと、呟いた。
「……私の霊視、まだまだですね」
「何がですか」
「美咲さんの気配を、最初に生きている人のものだと思っていました。
死がまだ新しかったからかもしれないけど……読み切れませんでした」
優花は膝を抱えたまま、悔しそうに少し唇を噛んだ。
「愛さんだったら、ちゃんとわかったと思います。私、愛さんの足元にも及ばないです」
龍仁は何も言わなかった。
ただ、大きな手が優花の頭にそっと乗せられた。
優花が顔を上げると、龍仁は空を見たままだった。
「……焦らなくていいです」
「龍さん」
「まだ、始まったばかりですから」
優花はしばらく、龍仁の横顔を見ていた。
大きな手は、まだ優花の頭の上にあった。
それから——もう一度、空を見た。
龍谷寺に、冬の夕暮れが訪れた。
本堂の灯りが、静かに揺れていた。
ここが——優花の、還る場所だった。
ここが——龍仁の、還る場所だった。




