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第1話「口寄せの女」②

挿絵(By みてみん)三 


 龍仁が占いの間の前を通りかかったのは、偶然ではなかった。

 今朝、優花が「今日は何かある気がします」と言っていた。

あの口調を龍仁は知っている。好奇心でも予感でもなく——見えているときの、あの静かな声。

 引き戸の前で立ち止まる。中から、優花の声と、知らない女性の声が聞こえた。

 優花が、また誰かの心の痛みに寄り添おうとしている。

胸の奥が、静かに、優しく痛んだ。 心配でたまらない。

けれど、それ以上に——どうしようもない愛おしさがあることを、

龍仁は自分でも持て余していた。

 優花は初めて会ったとき、怖がらなかった。

 龍仁の顔を見て怯える人間を、龍仁は今まで何人も見てきた。子どもは泣いた。大人は目を逸らした。それが当たり前だと思っていた。

でも優花は——まっすぐに、龍仁の目を見た。

大きな茶色い瞳でまじまじとのぞき込んだ。 そして、ニコッと微笑んだのだ。

その瞬間の、胸が締め付けられるような衝撃を、龍仁は今でも鮮明に覚えている。

自分が誰かに受け入れられる日が来るなんて、思いもしなかった。

龍仁は引き戸の前から静かに離れた。

  今は、優花に任せる。

 ただ——何かあればすぐに動けるよう、本堂の掃除をしながら、耳だけをそちらに向けていた。




「田中さん」

 優花はカードをそっと伏せた。

「娘さんのことを、今も誰かに相談していますか」

 幸子の目が、わずかに泳いだ。

 あ、いる。この人は、すでに誰かに頼っている。

「……実は。知人に紹介してもらって。イタコの方に、お願いしているんです」

「口寄せを?」

「はい。美咲の声を……聞かせてもらっています。美咲しか知らないはずのことを、たくさん話してくれるんです」

 幸子の声が、そこだけ少し明るくなった。すがるような明るさだった。

 優花はカードを見つめたまま、幸子の後ろに立っている気配をそっと確認した。

 その気配が——悲しそうだった。

「そのイタコの方は、なんというお名前ですか」

「瑞枝先生、とおっしゃって。若林区の方で、とても評判の良い方なんです」

 優花は静かに頷いた。

 でも胸の中で、小さな引っかかりが生まれていた。

 美咲さんの気配は、お母さんの後ろにいる。

 でも——その顔は、悲しそうだ。

 本当に美咲さんの声を聞かせてもらっているなら、なぜ。

「田中さん」

 優花はまっすぐに幸子を見た。

「今日来てくださって、ありがとうございました。少し、私にも調べさせてください」

 幸子は少し驚いたような顔をして、それからほっとしたように息を吐いた。

「……よろしくお願いします。娘のことを、信じてくれる人を探していたんです」

 優花は幸子を見送った後、一人で占いの間に残った。

 タロットカードをもう一度、静かに広げた。

 美咲さん。

 心の中で呼びかけた。

 気配が、ふわりと揺れた。

 あなたは今——どこにいるの。



五 


 その日の夕方。

 本堂の掃除を終えた龍仁が庫裏に戻ると、優花が卓袱台の前に座って、何かをノートに書いていた。

「優花ちゃん」

 返事がない。

「優花ちゃん」

 もう一度呼ぶと、ようやく顔を上げた。

「あ、龍さん。おかえりなさい」

「……ただいま戻りました。今日のお客様のことですか」

 優花はノートを龍仁の方に向けた。

「田中幸子さん。半年前に娘さんを亡くされています。自殺として処理されているんですけど——」

「優花ちゃん」

 龍仁は静かに、でもはっきりと言った。

「首を突っ込まないでください」

「でも龍さん、私、見えましたから」

 龍仁の眉が、ぴくりと動いた。

「……何が見えましたか?」

「美咲さんが、お母さんの後ろに立っていました。

でも——死者の気配じゃなかったんです。体温の残りみたいな、生々しい熱が混ざっていて」

 龍仁は黙った。

 わかる。それは、わかってしまう。

「カードも、隠蔽を示していました。死のカードは一枚も出なかった」

「……」

「美咲さんは、生きているかもしれません」

 庫裏に沈黙が落ちた。

 龍仁は腕を組んで、しばらく目を閉じた。それから深く息を吐いた。

「……瑞枝というイタコのことは、調べないでください」

「龍さん」

「私が調べます」

 優花の目が、ぱっと明るくなった。

「一緒に行ってくれますか?」

「行きませんよ」

「でも——」

「情報だけ集めます。優花ちゃんは関わらないでください」

 優花はしばらく龍仁を見ていた。それから、ふわりと笑った。

 龍仁にはわかった。

 この顔をするときは、もう決めている。

「……わかりました」

 素直すぎる返事が、逆に怖かった。



六 


 夜。

 優花が眠ったのを確認してから、龍仁は自分の書斎のパソコンを開いた。

「仙台 イタコ 瑞枝」と検索する。

 驚くほど評判がいい。口コミには「本物だった」「亡くなった母と話せた」という言葉が並んでいた。

 でも龍仁の目は、別のところで止まった。

 一件だけ、毛色の違う書き込みがあった。

「瑞枝先生のところに通っていた母が、おかしくなりました。

毎月何万も払って、やめられなくなっています」

 龍仁はパソコンを閉じた。

 優花ちゃんが首を突っ込みたくなる気持ちは、わかります。

 でも——怖い思いをさせたくない。

 ただ、それだけのことだった。

 龍仁は寝室に戻り、そっと自分の布団に入った。目を閉じた。

 明日、田村大吉に連絡を取ってみよう。

宮城県警捜査一課のあの人なら、何か知っているかもしれない。

 隣で優花の寝息が続いていた。

 その小さな息の音を聞きながら——龍仁は静かに、眠りに落ちた。




 翌朝、龍仁が目を覚ましたとき、隣の布団はすでに空だった。

 台所に行くと、卓袱台の上に書き置きが一枚。

「ちょっとお使いに行ってきます。学校に行く時間までには戻ります。

龍さんのお弁当、冷蔵庫に入れてあります。優花」

 龍仁は紙を持ったまま、しばらく動けなかった。

 冷蔵庫を開けると、丁寧にラップのかかった弁当箱が入っていた。卵焼きと、鮭と、きんぴらごぼう。

 朝の何時に起きたんですか。

 龍仁は弁当箱を冷蔵庫に戻して、私服に着替えた。

 幸い、今日の授業は午後からだ。

 その前に——やることがある。


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