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9話『フィオナ・レインフォード 5』

 後頭部で一本にまとめられているにも関わらず肩口まで伸びた後ろ髪、滑らかに右目にかかる前髪。強い意志を帯びたツリ目は、エルの顔に視点を合わせたまま動かなくなっていた。


 ラザリア・ヴァーミリオン。エルが記憶している限りでは、クラスでも群を抜いた成績を収めていたはずだ。彼女ならば騎士の資格を得て、ともすれば、聖騎士にまで上り詰められるとさえ評価されていた。


 自分とはかけ離れた、優秀な人間。そんな彼女が、まさか、こんな森の中に来ているなんて。エルは彼女と出会ってしまった不幸を嘆いた。



「――お前、何をしている? なぜ、私の……元生徒の手を掴んでいる?」



 エルは答えられなかった。卑しいからでもなければ、なにか後ろめたいことがあるからでもない。彼女と言う存在に恐怖心を抱いていたからだ。


 萎縮した体は喉を締める。エルは冷や汗を流し、体をわずかばかり震わせていた。



「ま、師匠(マスター)、え、えっと、その、この人は私の今の師匠……というか、パーティーメンバーと言いますか……」



 フィオナが自分の代わりに受け答えた。どうやら、ラザリアはフィオナの担当教官だったらしい。エルはラザリアが後続の育成をする立場にいたことを少しばかり意外に思った。



「師匠、だと? フィオナ、コイツが何者かお前は知っているのか?」


「えっ……エルさんは、その……凄い人、と言いますか……」



 やめろ。やめろ。今すぐここから離れさせてくれ。エルはゴクリと唾を飲み込んだ。



「おい、エル。エル・ウィグリー。答えろ。貴様、こんな森の奥で、お前はフィオナと何をしようとしていたんだ?」



 ラザリアから殺気が漏れた。エルは彼女が何か、重大な勘違いをしていることに勘づき、すぐさま声を出そうとした。


 だが、出ない。いや、正確には言葉にならない。説明も難しかったのだが、それ以上に頭がパニックになって話すことができない。エルは青ざめた表情で「あ、う、あ、え、えと」と吃るだけだった。


 途端。ラザリアが、血走った目でエルに近寄り、フィオナを掴ん手を無理強引に引き剥がしたかと思えば、そのままエルの胸ぐらを掴み持ち上げた。



「ま、師匠(マスター)、突然どうしたんですか一体!」



 ざわざわと生徒たちが、リネアが、フィオナがどよめき始める。エルはなんとか声を出そうとするが、しかし鬼気迫るラザリアの様子に気圧され、声が出ない。



「最近、ギルド内で低ランクの女性冒険者を狙った誘拐が相次いでいる。――エル、貴様、まさか……」


「ちょ、師匠(マスター)! それは言いがかりです、エルさんは、エルさんはそんな人じゃありません! 私にも敬語で話してくれるような謙虚な人で、私に色々とアドバイスをくれるんです! それに、エルさんは凄い力を持った……」


「ほう、私と同じ年齢の癖にDランクの男が、か? フィオナ、言っておくが、コイツは誰かの上に立てるほどの力なんぞ持っていないぞ」


「なんであなたがそんなこと言えるんですか、あなたが一体エルさんの何を……」


「コイツは13年前に、我らがチェイン・アームズを除籍になっている。とどのつまり、落ちこぼれだ」


「――え、え?」



 フィオナが困惑した目を向ける。エルはガハッ、と大きく咳き込んだ。



「エル・ウィグリー。成績は下から数えて4番目、当時4大劣等生などと呼ばれていた底辺の人間だ。フィオナ、お前とは違いコイツには共鳴不全なんて物もなかった。己で勝ち上がる力があったにも関わらず、それをしようとしなかったんだ」


「い、いや、でも、私は見たんです! この人がすごい魔術を使うところを!」


「ほう、お前のような事情も無いのに共鳴もろくにできなかったコイツがか? 考えられん話だ」


「い、いやだから、その……新しい魔術なんですよ! この人が作り上げた、共鳴を使わない魔術なんです!」


「バカも休み休み言え、フィオナ・レインフォード! 我々人間には魔力はないっ! これは魔術を扱う者として、大前提となる基本中の基本だ! 大体、共鳴が使えず悩んでいたお前にとって、そんな都合が良い魔術がポッと現れるわけないだろう! 大方お前が見たのは、何かしら種のあるペテンだ!」



 黙れ、黙れ、黙れ。エルは胸ぐらをつかむ腕を強く握りしめ、歯を食いしばり、息を荒くした。



「堕ちたな、エル・ウィグリー。元よりお前のことなど、歯牙にもかけないちっぽけな男だと認識していたが――他人を騙すために新しい魔術を作ったなどと嘘を語るとは。あまつさえ、元とは言え、それで私の教え子をペテンにかけようとするなんてな。覚悟しろ、貴様を許しは――」


「だま、れ……」



 エルはそして、ようやく声を、絞り出した。



「お前に……お前みたいな『優秀』に、僕のなにが、わかるって言うんだ……! 何も知らないくせに、何も知ろうとしないくせに! ふざけるな、なんだって、なんだってお前みたいな奴に、僕の努力を否定されなきゃあならないんだっ!」


「貴様、何を……」



 エルが憎悪を剥き出しにする。ラザリアはそれに戸惑うような表情を見せた。


 体の中を禍々しい気が巡るのを感じる。腹を、胸を、全身の血管という血管を、熱く、ドロドロとした、黒いマグマが激しく胎動する。



「壊してやる……! 壊してやる壊してやる壊してやる……!」



 感情が、高ぶる。黒いマグマが喉奥までせり上がり、今にも噴出しそうになる。



「お前みたいなクソ野郎なんて……」



 そして、エルは。



「『ぶっ壊れちま……」



 しかしそこで、言葉を止めてしまった。代わりに浮かんだのは、かつて父親が自身に言った、ある言葉だった。



『エル。いいか、感情的になって人を殺しちまうような、そんな人間にはなるんじゃねぇ』



 その言葉は、エルの沸騰しかけた感情を、急速に冷やしていき。



『そりゃあ相手によっちゃ、殺す必要性は出てくるさ。だがよ、だからと言って安易にその選択を選んじまうのだけは絶対にやめろ。殺すとしたら、そいつが果たして、殺さなければならないような罪深い人間か――それをよく考えてから殺すんだ』



 エルは怒りの中で、どこか冷静に目の前の女の事を考えてしまっていた。



 ラザリア・ヴァーミリオン。26歳という年齢ながら、教官という立場についた優秀な騎士。

 生徒たちを見たところ、彼女は慕われている。フィオナとリネアに関しては、髪型を彼女と似せようとしているほどには、ラザリアに対して憧れの感情を抱いている。つまり彼女はそれほどに、美しいとも言える生き方をしているのだ。


 エルは一瞬周りを見回し、それを悟った瞬間に。

 どれだけ個人的に恨みがあろうと。どれだけ今、言いがかりを受けていたとしても。


 彼女は、|攻撃すべき人間ではない《・・・・・・・・・・・》。ここでそれをしてしまえば、自分は、あれほどまでに憧れた父の教えに、気高さに、泥を塗ることとなる。エルはそう思った途端、ラザリアに攻撃をする気が無くなってしまった。



「――ちっく、しょお……! 『手を、離せ』!」



 エルが言うと同時、ラザリアはエルの胸ぐらから手を離した。困惑する彼女をよそに、エルは再度「クソ!」と叫び、そのまま逃げるようにその場を後にした。


 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。何度も何度も、胸の内でそう叫びながら。



◇ ◇ ◇ ◇



 走る。つまずく、なお走り、そしてまたつまずいた。エルはそのまま地面に顔を打ち付けてしまった。



「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……!」



 叫び、何度も土を殴る。何度も拳を打ち付ける。



「ちくしょう、ちくしょうっ! なんだって、なんだって僕があんなことを言われなきゃならないんだ! わかってる、僕は所詮落ちこぼれだ! 結果なんて微塵も残せていない、だからああして努力も何もかも否定される!

 結果を出せば。アイツを、周りを、世界を見返してやれば――」



 エルはそして、ゆっくりと立ち上がった。



「絶対に。絶対に、成り上がってやる。認めさせてやる、そして屈服させてやる。アイツを、周りを、このクソッタレた世界を――」



 エルは言い、ふらふらと歩き出す。途端、エルの脳裏に父親の言葉が浮かんだ。



『名誉や栄光なんてのは、結果であり、そんでまあ道具みたいなもんだ。それ自体を目的にしちまうのは、違う』



「――そんなわけ、ないだろ」



 エルの胸に罪悪感が募る。憧れた父親の言葉に、反論してしまったからだ。



「栄光を目的にして何が悪いんだ、名誉を得るために頑張って何が悪いんだ。何が違うだ、それがなかったら周りに見下されるばかりじゃないか。唾棄されて、廃棄されて、嘲笑われるだけじゃないか。所詮この世は結果が全てだ、だったら名誉も栄光も、求めて然るべきじゃないか……!

 綺麗事を言うな。その綺麗な教えのせいで、どれだけ僕が損をしたと思ってやがる。僕は、僕は、もう見下されるのは嫌なんだっ……!」



 エルは苦々しく表情を歪め、誰に言うわけでもなく騒いだ。そうでもしなければ、感情が脳を破壊してしまいそうだったからだ。


 ――と、直後。



「エルさん!」



 フィオナが叫びながら近づいてきた。自分の後ろを追ってきたらしい、エルは彼女を一瞥すると、眉間に深いシワを作ったまま、怒気を孕んだ声で尋ねた。



「なんで、ついてきた? 君も聞いただろ、僕がどう言う人間なのか」


「――それは師匠(マスター)の言葉です。少なくとも、私が見たあなたは、あの人の言うような人間ではないと思いました。だからあの人の言葉は、関係ありません」


「はっ! 相変わらず、頭の中が幸せだな、君は。ずっと思ってたんだ、君は僕と言う人間を勘違いしている。はっきり言ってやるよ、ついてこない方がいい。僕は誰かの上に立てるような、そんな人間じゃない」


「だとしても――私には、あなたしかいないんですよ。私はいつか、立派な騎士に――聖騎士になるんです。そのためには、それがたとえ本当にペテンだったとしても、あなたに縋るしかないんですよ」


「だったら師匠としていいアドバイスをしてやる。……諦めろ。こんな胡散臭い男に縋るしか道のない夢なら、追わない方がいい。それよりも、普通の暮らしを目指した方がいい。今ならまだ、君は間に合う」


「そんな……! 諦めたくないんです、私はそれでも夢を……未来を追いたいんです! お願いします、なんでも言うことを聞きます。だから、だからあの人みたいに、私を見捨てないで――」


「しつこいぞ。いいか、『ついてくるな』。――だいたい、本当は僕だって教えたくなかったんだ。この力は、僕だけが持っている専売特許だ。それをむざむざ他人に明け渡すなんて――あまりに、非合理じゃないか」



 エルは魔術を使った一言を放つと、歯を食いしばり、痛みに耐えるようにしてフィオナに背を向けた。

 心臓の鼓動が早くなる。寒い負の感情が、全身から体温を奪う。エルは胸に染み入る罪悪感に苦しみながら、意固地になったかのようにその場をあとにした。

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