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第39話『悪意とは 2』

「肉体とは、魂の器です。我々はただの肉に魂を宿すことで生命として成立しています。そして我々の本質とはその魂により決定されます。すなわち――ガワがどんなものであろうと、どうでもよいのです」



 目の前の男はそう言い醜悪な笑みを浮かべた。


 フィオナにはなにが起きたのかがまるで理解できなかった。つい先ほどまでああもかわいらしかった女の子が、今目の前で、楽しそうに笑顔を歪める男へと成り変わったのだ。それは彼女が持っている常識からは想像することさえできないほどの怪異であった。



「なにがなんだかわからない、と。そう思っていますね?」



 男はフィオナの感情を容易く読んだ。フィオナは突然迫るようにこちらを睨む男に思わず身震いする。



「ああ、申し遅れました。私の名前は……ふむ。『苦悶好き(アルゴフィリア)』と言います。まあ、フィオナさん――確か、そう。フィオナという名前だったはずですね。あなただけは前に一度、目を合わせているはずでしたが」



 フィオナはアルゴフィリアの言葉を聞き、そして、その表情に背筋を凍らせた。


 アレは――間違いない。人攫いを捕らえたときに見た、あの仮面の下の表情だ。

 人を犯し殺すような。正真正銘の悪意に満ちた、あの表情。フィオナは途端に胃から怖気が這い上がるのを感じ、そして思わぬ吐き気に身を震わせた。



「あは、あはははは! どうやら覚えていてくれたようですね……! 私もよく覚えています! あなたは、あなたはそう……壊しがいのある人でした。いかなる時も希望を信じようとするその無垢な瞳、狂信的な強い心! そして――なによりも、抜群にかわいらしい。犯して、犯して、泣き叫ぶ姿に舌鼓(したつづみ)を打ち、そうして永久に絶望の中で飼い慣らしたい……そう思わされるほどに、まさに、まさに、魅力的な女性でした。ひと目見ただけわかる! あなたは、あなたは、まさに最高の人間だ!」



 笑うアルゴフィリアに、フィオナは生理的なまでの嫌悪感を覚えた。

 なによりも嫌悪を覚えたこと。それは、あの不快な男が、つい先ほどまで自らが守ろうとしていた少女であったことだ。


 この手で私は、あの子と触れ合った。あの子はその手で、私と触れ合った。たわむれに遊び、抱きつき、抱きつき返した。


 その思い出の全てが、あの男と過ごしてしまっていたという記憶に書き変わっていく。フィオナはとうとう我慢できずに胃の中身を地面に吐き散らしてしまった。



「うふふふ、良い目だ。無垢な幼子と触れ合っていたと思ったその実、私のような変質者と戯れていたとは。その目を見るためだけに楽しくもない遊びをしていたかいがあった」



 アルゴフィリアが笑う。フィオナは声も出せず彼を睨む。と、学長がフィオナの前に出て、「あなたは何者ですか?」と尋ねた。



「何者、ですか。ふむ、これはつまり『私が何をしたのか』を聞かれていると解した方がいいですね。いやはや人とはなんともまどろっこしい。

 私が何をしたか? それは、この学園を見れば一目瞭然。――この建物中に、『悪意』をまき散らした」



 瞬間、アルゴフィリアの背後からおぞましいまでの黒い煙が立ち込め始めた。



「元はこの国に撒き散らすためのものだったのですが、まあ、こちらの方が楽しそうだと思いましてね。あえて被害を、そちらのお嬢さんの周囲に限定することにしたのです。そうして無垢な幼女はまんまとチェイン・アームズへと侵入し、無垢な瞳で人々に害を成す悪意をまき散らした。

 ところであなたはこう思ったはずだ。悪意とはなんだ、と。悪意とはすなわち、私が扱うある種の魔力です。学長様ならよくわかっているはずだ、これまでにいくつかこうした暴走現象は報告されている。その主な要因は、私がこの悪意という魔力を撒き散らしたからです。

 悪意は人を暴力的にする。ただいたずらに、子供が玩具を放り投げるかのような暴を、世の不満を身勝手にぶつけるかのような殺を人に与える。故に彼らは自らの持つ悪性により、無意味に、無根拠に、突然に人々を襲うようになる。

 とりわけ厄介なのは、悪意は人へと伝染することです。1つの悪意は更なる悪意を呼ぶ。その悪意はさらなる悪意を呼び、そしてまたそれはさらなる悪意を呼ぶ。この効用は、状況がひっ迫すればするほど強くなる。そうして病が人から人へと移るように伝染した悪意は、やがて大きな闇となり自らを蝕む。この学園の今のように――!」



 アルゴフィリアが両手を拡げ笑った。フィオナはその異常さに声が出ず、そしてキンブリーは冷静な態度を崩さないままに彼へと剣先を向けた。



「――あなたの目的は、なんですの?」


「目的? ふむ、ふむふむふむ。困ったな、今の私は邪教の教祖であるにも関わらず、ほとんど単独で動いている。組織としての目的があるのならば答えるのは容易いが、しかし今は完全に単なる趣味だ。

 そうですね。では私の趣味という領域でお答えしましょう。私がここに来たその目的とは――テストです」


「テスト?」


「ええ。なにせ楽しそうな人間を見つけたものでね。まあ彼のことです、もう何が起きたかを嗅ぎつけ既にこちらへ向かっているでしょう。その男がここへ着いたら本番です。私は彼に対し、ある困難を与えに来た。すなわち――」



 直後。男の後方に大きな闇が出現し。


 その闇の中から、1人の男が現れた。



「『悪意』というこの越えようのない絶望。彼は一体、それを前にしてどう立ち向かうのでしょうか。私はその、彼のありのままの姿を見てみたい」



 学長が現れた男を見て目を見開く、ぼそりと「イアンさん……!」と呟き動きを止めたかと思えば、直後、イアンと言う男はニヤリと笑い、そしてどこからから1枚の仮面を取り出した。


 イアンは何も言わず仮面を顔に着ける。直後にアルゴフィリアが笑い、仮面が禍々しい気を放ち始め。


 瞬間、アルゴフィリアが黒い瘴気のようになり、仮面の中へと吸い込まれていった。



「ッッッハアアアア」



 イアンが大きく息を吐く、それはさながら湯船に浸かり冷えた体を温めた時のようだった。そんな快を伴う声を出した彼は、やがてニヤリと笑い、



「ふうううう……これだよ、この瞬間だ。なんか全部吹っ切れるような、この瞬間が――たまらなくスカッとすんだよなあ」


「な、なにをしたのですか一体!?」


「わかんねーよお、この力で何ができるかも、何が起きてんのかも。けどまあ未知の力ってよお、そんなもんじゃん? だからまあ細かいことは抜きってことでよ……」



 直後、イアンの手に黒い剣が現れ、



「とりあえず、これからお前たちをぶっ殺してやるからよお!」



 イアンの足元が砕け、爆発するかのようにこちらへ駆ける。フィオナは剣を構え迎え撃とうとするが、その勢いに思わず気圧され足の力が緩んでしまう。


 だが直後、キンブリーがフィオナたちの前に割り込み、イアンの一撃をなんとか止めてみせた。



「逃げなさいっ!」



 キンブリーが叫ぶ、フィオナは「でもっ!」と答えるが、キンブリーはなお「早くっ!」と叫んだ。


 余裕のない剣幕、この学園の学長という立場の人間が見せたその姿に、フィオナは動揺してしまい。



「――に、逃げ、よう! リネア!」



 リネアの手を無理矢理掴みキンブリーに背を向けた。リネアが「フィ、フィオナ、なんで逃げるの!」と言う、しかしフィオナはそれに受け答えることができず、「早く!」と彼女を引っ張りその場を走り去ってしまった。



◇ ◇ ◇ ◇



 逃げたその間も多数の生徒に襲われた。それらからも逃げ、逃げ、逃げて、フィオナたちはかえって学園の出口とはかけ離れた場所へと来てしまっていた。



 他の生徒たちともはぐれてしまった。フィオナは現在の状況に唇を噛み、かと言って何もできずにいる自分自身に不甲斐なさを感じてしまっていた。


 今なら戦える。戦えるはずなのに。目の前に現れた厄災があまりに大きすぎて、フィオナは自らの力ではそれに抗することなどできないと、そう思ってしまっていたのだ。



「……フィオナ」



 と。リネアが、自身の手をギュッと握りしめてきた。

 かすかな震えを感じる。これほどまでのパニックの中なのだ、恐怖心が表に出てきてもおかしくはないだろう。フィオナはリネアの手を握り返すと、微かに笑いながら呟いた。



「大丈夫。――絶対に、なんとかなるから」



 あるいはそれは、自分に振り撒いた言葉なのかもしれない。莫大に膨れ上がる悪意の渦に、こんこんと沸き上がる不安の波に呑まれないために。


 ――いいや。それでいい、それでいいんだ。この恐怖を誤魔化せるのなら、それで動くことができるのなら。フィオナはゴクリと唾を飲み、



「――大丈夫、ですか」



 直後。胃から這い上がる怖気と共に、その声はやって来た。



「なるほど、なるほどなるほど。いやはや素敵な言葉だ。綺麗過ぎて、笑いが止まらない」



 フィオナとリネアは後ろを振り向く。

 そこに居たのは、あの時仮面の中へと消えていったはずのアルゴフィリアだった。



「なんっ……なんで……」


「なんで? ふふふ、理解できなくて混乱しているのですね? 当然、理解なんてできようはずもない。あなたたちが見ているのは、あなたたちにとっては未知の力なのですから」



 アルゴフィリアは笑いながら、ゆっくりとこちらへ足を踏み出した。



「――【言霊】」



 アルゴフィリアのその一言は、フィオナに脳が揺れるほどの衝撃をもたらした。



「彼はこの力のことをそう呼んでいたそうですね。いやはや、初めて見た時は驚きましたよ。なにせ文化から消し去られた技術を、現代で扱う者がいたのですから」


「――なにを」


「この力は言わば【ヒト】の象徴。予想はしていましたが、やはりどれほど消し去っても扱う者が現れた。人間の持つ人間性、すなわち獣性を消し去るなんてことは不可能――つくづく痛感しました。

 なにを言っているかわからない? ええ、当然です。それはあなたたちが(・・・・・・・・・)これから探すモノ(・・・・・・・・)なのですから」



 アルゴフィリアが、迫る。リネアが「あっ……」と声を上げる。しかし動かない、動けない。フィオナは1秒経つ事に強くなる恐怖と焦燥に体を縛られ、なにもできなくなっていた。



「ところで、悪意とはヒトの心に潜在するもの。この莫大なパニックは、私がきっかけではありますが、しかしその原因は私には無い。悪意という瘴気に当てられた人間が、自らの内側にある悪意にほだされ引き起こした事態なのです。

 わかりやすく言えば。私はマッチに火をつけただけ。その火を使い自らの爆弾に着火したのは、他でもない彼らなのです」



 次いで。リネアの首が、アルゴフィリアにがしりと掴まれた。



「ッッアアアアア……!」


「リネア!」



 アルゴフィリアがリネアを持ち上げ、その顔を舐めるように睨み笑った。



「人間とは、自らの中にある悪意、あるいは負の感情を見ないようにするもの。その綺麗な戯言を除けたその先にある真実というのは、いつだって残酷なものなのです」



 フィオナは「あ、ああ……」と声をあげるばかりで動くことができない。リネアは宙に浮いたまま足をばたつかせ、必死にアルゴフィリアに抵抗する。


 直後。アルゴフィリアが、体中から悪意を噴出させた。



「さあ、その先の真実(・・・・・・)をお見せするのです」



 途端、リネアがつんざくような悲鳴をあげ、やがてビクビクと体を震わせたかと思えば、そのままだらりと、宙に浮いたまま動かなくなった。


 アルゴフィリアがリネアを放り投げる。壁に激突した彼女はそのまま力なく倒れ、フィオナはその勢いに気圧され尻餅をついてしまった。



「そ、んな――リネア……」



 フィオナは動かなくなったリネアを、酷く遠い現実を見るような、虚な景色にたたずんでいるかのような眼差しで見つめた。


 胸を絶望が浸していく。1人の親友が、今目の前で殺された。そんな衝撃を前に、しかし意識が、それを認知してくれない。


 ――しかし。


 虚を前に何もできずにいるフィオナの視界の中で。

 リネアはゆらりと、立ち上がった。



「――! リネア……!」



 喜び名前を叫んだ直後、


 自らの頬を、風の刃がかすめた。



「……え?」



 たらりと血が流れる。何が起きたのか理解ができず、自然と、ただ呆然と刃の飛んできた方へと目を向ける。


 リネアが――木刀を構え、こちらを敵意を剥き出しにして睨んでいた。



「な……なんで……」


「――フィオナはさ……」



 混乱が地面を揺らす。天変地異でも起きたかのような捻れの中で、リネアが突然見せた、まごうことない憎悪の感情を感じていた。



ずるいよね(・・・・・)



 リネアの言葉はフィオナの混乱をさらに強めるには十分だった。


 ずるい? なにが、なにが?



「なにをやっても上手くできなくて、どんなに頑張っても人並みにさえなれなくて。だから必死に頑張って、それでも、それでも届かなくて――

 だから認められる(・・・・・・・・)なんて、ずるいよ」



 フィオナの全身に、言いようもなく重たい何かが、全身にのしかかった。 

そろそろ終わりそう

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