第37話『悪意の伝播 2』
「な、な、なにが起きたの!?」
驚嘆と悲鳴が響く。フィオナは冷や汗を流し、爆発した教室へと目を向けた。
校舎の2階の一室のようだ。もくもくと黒い煙が舞い上がり、建材の一部が燃えている。
魔術の暴発か? フィオナは真っ先にそれを疑ったが、しかし、黒煙の中から現れた人間を見てその疑いが間違いであると直感した。
黒煙の中から、服をなびかせ現れたのは――この学校で師範役を務める男であったからだ。
「し、師範の人!? な、なんか、様子がおかしい……!」
と、直後に、師範を務める男が2階から飛び降り、そして――
階下にいた、煤だらけの男子生徒をその勢いのまま押し倒した。
「ちょっ、まさかあれって――」
どうやら先程の爆発で、吹き飛ばされた生徒らしい。
そして様子を見た限り、あの生徒と師範の男は、どうやら師弟の関係にあるようだった。
「や、やばい! あれじゃあの人死んじゃう! り、リネア、止めにいかないと――」
フィオナは反射的にリネアを見た。
しかしリネアは、目を強ばらせたまま、一切動く気配を見せていなかった。
「り、リネア……?」
代わりにリネアの頬を汗が伝っている。
完全に、頭を真っ白にしてしまっていた。フィオナは彼女が動揺し切っているのを悟ると、リネアの肩を掴み体を大きく揺らした。
「どうしちゃったのよリネア! ちょっと、しっかりして!」
リネアはするとハッと我を取り戻したかのように瞬きをした。
「あっ……フィ、フィオナ……ご、ごご、ごめん、私……」
「謝るのは後! 今はあの人を助けないと――」
フィオナがそう言い、振り返った直後だった。
フィオナを襲おうと、2人の生徒が本物の剣を振り上げていた。
「なっ――!」
フィオナは呟く、直後に「『吹き飛べっ!』」と叫び、襲いかかった2人の生徒は砲弾に吹き飛ばされたかのように遠方へと飛んでいった。
「な、な、なんであいつら私に襲いかかってんのよ!? 私が一体何をしたって――」
フィオナはそうして辺りを見回し、唖然としてしまった。
学校中が、あの黒い気に包まれている。
それはさながら町を凪ぎ壊す嵐のように。空に浮かんだ禍々しさは、まさにこの一帯を夜へと変えてしまっていた。
全身を寒気が走る。恐怖が、不安が、なによりも重苦しい不快感が、フィオナに吐き気を催させ、彼女はそれを口を手で押さえ必死に喉奥へと流し込んでいた。
「――これ、は、これは……。
…………『悪意』――っ!」
そう形容するしかない。そう思わされるほどの瘴気は一瞬にして、この場にいるありとあらゆる人間を、混迷へと導いていたのだ。
「なにをこんなところに戻ってきているんだ、劣等種があっ!」
フィオナの後方でそう叫び声がした。
劣等種。この状況でそれを指すのは、間違いなく自分のみだ。フィオナは後ろを向き、そして剣を振り上げ迫る女子生徒を睨みつけた。
笑っている。今から自らを傷つけることに、罪悪も不安も、何も感じていないかのように。
パニックによる暴動でもなければ、怒りや憎悪の類と言った行動でもない。これは紛うことなく純粋な、他人を害し楽しむという悪意そのものだった。
フィオナが瞬時惑う、しかしその瞬間にリネアが襲いかかった女子生徒を木刀で叩き、そのまま地面に切り伏せた。
「フィオナ、なんかおかしいよ! なんでみんな、こんなにも人を襲おうとしているの?」
「わからない……わからないけど、何かが起きてる……」
瞬間。フィオナはハッと思い出したかのように顔を上げた。
「フィリアちゃんが危ない……!」
リネアがそれを聞き目を見開く、フィオナは慌てて走り出し、リネアがその後ろを追ってくる。
フィオナはあの生徒と師範がどうなっているかを確認した。
あの生徒はどうやら無事だったらしい――が、彼もまた剣を持ち、周りにいる生徒に襲いかかっている。
そこから波紋が広がるかのように、生徒も、その場にいた師範の人々も、皆々誰かに襲いかかっている。
もはや収束の効かない暴動だ。攻撃が攻撃を呼び、暴力が暴力を呼び、その連鎖が止まることなく辺りを薙ぎ倒す。
だが、この騒動には『発端』がない。何を起爆剤としたのかも不明なままに、知らぬ間にパニックへと陥っていた。
しかしフィオナは、この騒動の裏には、辺り一面を覆う悪意たる瘴気が必ず関わっているとどこかで確信していた。
◇ ◇ ◇ ◇
エルとラザリアは、王国の騎士達と共に森の中を進んでいた。
捕まっていた女性たちのことは、女騎士達に任せている。全員に鬱々とした空気が蔓延して、無意識のうちにか、その足取りは重くなっていた。
エルは自らに不甲斐なさを感じていた。いくら仕方がないとは言え、いざ被害を受けた人々を目のあたりにすると、どうしようもできない罪悪感が生まれ胸を締め付けてしまう。
そして、同時に手足が冷えるような恐怖もあった。
人攫いに拐われた女性は皆ああなっていた。それはつまり、人攫いに襲われていたフィオナも、一歩間違えればあの犠牲者の1人だったということだ。
それに『よかった』と感じてしまうことが、エルには大きな罪にも思えた。エルはしばらく脳を焼くような重い感情に捉われ、そしてやがて、『こんなことを考えていても仕方がない』と顔を上げ大きく息を吐いた。
ふと。エルは、王都の上空に、禍々しい黒い雲が浮かんでいるのが見えた。
ここから見ると、それほど大きくはない。だがなにか、この晴れ空の中――否、たとえ曇天の中であったとしても、異様な存在感を示すそれは、エルの中に切迫した想いを生み。
そしてエルは、空に浮かんだその雲が、これまでに何度か目にしたおぞましい気――悪意であることを悟った。
「――あっ……」
エルが呟く。その小さな声を聞いて、ラザリアがエルを見た。
「どうかしたのか、エル?」
「っ……! み、皆さん、大変ですっ!
王都に――王都に、『悪意』が入り込んでいます!」
その言葉を聞き、鬱々とした空気が張り詰めたものへと変化した。
「エル、それは本当か!?」
「あ、は、はいっ! み、見えるんです……王都の空に、あの、黒い……瘴気のようなものが……!」
ラザリアが瞬時空を見る、しかしどうやら彼女に瘴気は見えなかったようだ、眉間に皺を寄せ「どこだ、どこにそんなものが……!」と呟いていた。
「……失礼、エル・ウィグリーさん」
と、1人の騎士がエルに話しかけてきた。
「先ほどから思ってはいましたが……もしかしてですが、あなたは『悪意』を見ることができるのですか?」
「――はい」
エルは内心、この事を話してしまうのは良くないと考えたが、しかしどの道悟られていると考え受け答えた。
騎士たちが驚き声をあげる。エルは些か緊張を感じたが、しかし騎士たちはエルの危惧に反して感心した様子を見せていた。
「……とと、すみません。希少な人材を見つけた、と思ってしまいましたので。
しかし、王都に悪意……非常にまずいですね。王は既に別の騎士を手配しているでしょうが、もしもあの男がいたとしたら……」
「とにかく、一刻も早く戻らなければならないのですが……クソ、今からじゃどんなに急いでも夜になる。このままじゃ手遅れに……」
エルが頭を悩ませ言葉を漏らすと、ラザリアが「なら、バルーンを使おう」と声を出した。
「ば、バルーンで王都まで戻るのですか!?」
「ギルドの規約的には違反だが、仕方がないだろう。まあなに、違反と言っても大きな罰則はないし、そもバルーンは緊急脱出用でもある。むしろこの場で最もリスクの無い手だと思うが」
バルーンとは、通常巨大なモンスターの死骸や、指名手配された要人を安全に運ぶために用いられる魔道具だ。見た目は一枚の大きな布のようだが、その上に物を置き術を発動させると、それに合わせた大きさの檻が現れ、モンスターもしくは要人を閉じ込めてしまう。
物を閉じ込めた後、バルーンは突然檻の上に巨大な気球を生やし、そのまま空を飛んでギルドへと運ばれていく。その特性からクエストからの緊急脱出装置としても使われているが、バルーンにより人を運んだ場合、その者は自動的に『犯罪者』としてギルド内に登録されてしまう。それを解除する手続きが些か面倒であるため、ギルドからは『非常事態以外には使用しないように』と通告されている。
「急ごう、時間がない」
ラザリアが言い、そして腰につけたポーチから一枚の布を取り出した。
途端、その布が巨大に拡がり地面にぱさりと落ちた。エルが茫然とそれを見つめると、ラザリアは布の上に乗り、エルの方へと手を差し出した。
「行くぞ、エル。お前が来なければ、奴に太刀打ちすることはできない」
ラザリアの目を見てエルは有無を言わず布の上へと乗った。
――責任感でも、使命感でもない。彼女が抱いているのは、おそらく――。エルはしかし、その先を言葉に出さず彼女から目を逸らした。
「よし。騎士の何名かも、共に来てもらう。2人では流石に不足だ。ああ、だが女の騎士たちと、同行する者たち以外はこのまま徒歩で王都まで向かってくれ。流石に被害者たちと、伸びてしまったリガロをこのバルーンに乗せるわけにはいかない。乗り心地は最悪だからな」
ラザリアの指揮を聞き、他の騎士たちが動く。何名か、甲冑を纏った者が布の上へと乗った段階で、「よし」とラザリアは呟いた。
「これより王都へ戻り、かの“悪意”の調査を開始する! 揺れに備えろ、振られ吐かぬように気を張り詰めておけ!」
エルがゴクリと唾を飲み込む。ラザリアが腕を前に突き出し、「はああ!」と声を出した。
直後、布が輝き出し、独りでに動き始めた。一瞬の間に布がエル達を包み込んだかと思ったら、直後、布は彼らを捕らえた大きな檻へと変わっていた。
「――発進!」
ラザリアが叫ぶ、直後に檻が大きく揺れたかと思えば、急激な速度で空へと飛び、そのまま王都の方へと向かっていった。




