第40話 今日だけでいいから
楽しい。
いや、訂正しよう。
私は今、人生で一番のピークを迎えている。心拍数は有酸素運動並みに跳ね上がっているし、ドーパミンもドバドバ出ている自覚がある。
夢にまで見た、ハルとのお出かけ。
正真正銘のデート(仮)だ。
今までは、ハルとどこかへ行く時は必ずセットで誰かがいた。芦名家のきょうだいたちや、ケンちゃん。
賑やかで、楽しくて、私の大好きな日常。もちろん、それが残念だなんて思ったことは一度もない。全部が私の宝物だ。
でも、今は違う。
私の視界には、ハルしかいない。今日は、二人きり。
もしかしたら……これが最初で最後かもしれない。ハルと二人きりで遠出なんて、こんな確率はもう二度と引けないかもしれない。
だから。
もう、全力で楽しむしかない。一秒だって無駄にはできないんだ。
ふと隣を見ると、ハルが頭をガシガシと掻きむしり、どこか上の空で遠くを見つめていた。
あの顔は知ってる。何かに詰まってる顔だ。
うんうん。辛いよね。わかるよ。右を見ても左を見てもカップルだらけ。
このリア充だらけの空間は、私みたいなラノベ脳じゃない、硬派な理系男子のハルからしたら、ただの雑音でしかないだろう。
可哀想なハル。
私が守ってあげなきゃ。お姉さんとして、この甘ったるい空気から君を救い出さないと。
――なぁんて思っていた私が、バカだった。
あいつ。
さっき「コーンのソフトクリーム一緒に食べる」って言ったくせに。私の乙女心を理解した風な口を利いたくせに。
「スプーン貰ってくる」だと!?はぁぁぁぁ!? こっちはどんだけ緊張したと思ってんだッ!!心臓が口から飛び出るのを必死に飲み込んで、「一緒に食べる(=直でシェアする=間接キス)」というミッションに挑もうとしたのにッ!!
一緒にペロペロしたかったのにッ!!
あのアホちんがッ!!
だから、あいつの口に熱々のたこ焼きを放り込んでやったのだ。揚げたて、中身トロトロのマグマみたいなやつを。
※ただし、ハルは特殊な訓練を受けています。嘘だけど 良い子は真似しちゃダメだよ?
……なんでたこ焼きを選んだか?
それは、私がハルと初めて遊んだ日の記憶への、ささやかなリベンジだ。あの日、彼は無意識に私にたこ焼きを「あーん」してくれた。
まだ私が、この胸の痛みが「恋」だなんて気づいていなかった頃のこと。ただハルが私の口に運んでくれただけなのに。頭の中が真っ白になって、息ができなくなって。
顔が真っ赤で、それを見たハルに「熱あるんじゃないか?」って本気で心配されたっけ。
ふふ。懐かしいな。
そう。あれがいわゆる「知恵熱」ってやつ。
好きな人の「あーん」ってさ。もはや暴力だよねぇ……。
物理的なダメージはないけど、ライフポイントはゼロになるもん。
まぁ、そんなの? 恋人でもない私がやったら「なんだコイツ? 罰ゲームか?」みたいに思われるのは仕方がない。
ハル、すまないッ!でも、私の乙女心をスプーン一本で粉砕した罪は重いのだよ!
コーンを一緒に食べるって、そういう「不合理」を楽しむことでしょがッ!
……まぁ。ハルが「笑ってるからいいか」って顔したから、もう許してあげるけどッ!
それにしても。移動の電車から、このフードコートでの攻防まで。凄く、楽しかったな。
周りのカップルみたいに手を繋いだり、甘い言葉を囁き合ったりはできないけど。こうして隣で同じものを食べて、笑い合えるだけで。
恋人かぁ……いいな。ハルとお付き合いできる未来の彼女さん。羨ましいな……。
きっとその子は、毎日こんな幸せな時間を過ごせるんだろうな。
「ねむ、早く行こう? 久々だね、この景色。……なんか俺、ちょっとワクワクしてきたかも」
トレイを片付けたハルが、少年のように目を輝かせて振り返る。
その無邪気な笑顔。
(……ッ、可愛いかよ、もう)
反則だよ、その顔は。
お願い、神様。今日だけでいいから。
この時間が、永遠に続けばいいのに。ずっと、この人の隣にいれたらなぁ……。
チケット売り場へと続く列。
あと数メートルで、青い光に満ちた水槽の世界へ手が届く。
私とハルの鼓動は、期待で同じリズムを刻んでいたはずだった。
けれど。
ポケットの中で、二つのスマートフォンが同時に震えた。
それは通知音というより、いつもと同じ振動のはずだった。画面に表示されたのは、ママからのメッセージ。
『千代子さんが、亡くなった』
その一行の意味が分かった瞬間、何も考えられなくなった。
隣でハルの腕が力なく垂れ下がり、握りしめていたスマホが、重力に負けたように傾く。
私たちは無言のまま列を離れた。
ゴールデンウィークの喧騒。笑顔で溢れかえる家族連れや恋人たち。
楽しそうな人たちが、立ち尽くす私たちを避けて通り過ぎていく。笑い声が、やけに遠くに聞こえた。




