76話 土砂崩れ
日本から帰国後、ソラの探究心には目を瞠るものがあった。庭にある薬草や花、畑の絵を描き、モカに鑑定の協力をお願いしながら図鑑にしてしまった。日本滞在中に絵を描くコツや整理の仕方を綺羅花と朝陽華に教わっていたのだとか。これからは庭に住んでいる魔物やダンジョン、鉱物なんかも図鑑にしたいという。
賢いと思っていたソラが天才だった件だわ。
うちの庭の薬草は、薬だけでなく化粧品開発もできそうだ。本を買ってきたけど専門家ではないから人材募集案件だ。
いまや浄化のおかげで澄んだ綺麗な川があるけれど、それとは別でモカと一緒に浄化へ出かけたときは湧き水がないかを探している。聖水代わりにならないかなと思っている。万が一、私や私の自宅になにかあったときの手段は確保しておいた方が良いだろう。
「今日も浄化は順調だったね」
「サービスエリアより北側を除けば、浄化するところももうほとんどないね」
「あとは、資材はタブレットでなんとかなるから、二つの川をうまく使って、地下を掘って排水設備をきちんとしないとよね。まず排水設備を整えないと何も作れないもの」
「建てるのはタブレットで早いのにね」
すべて順調ななか、問題なのは深刻な人材不足だ。重機を用意するのは簡単だけど、扱える人材がいないから無意味だし、取水口の作り方なんて私は知らない。そのための専門家が必要だ。道具は、私が機能を付与した物を使えば元の物より断然早くなる。チートを使えば本当はすべてなんとかできるのかもしれない。でもそれだと、この国の発展はないと思う。
結局、足りないのは人材だ。貴族のなかでは信頼できそうなヴェリタス王国のルーベン辺境伯様に人材募集の案内を出してもらおうと、近々お邪魔しようと考えていた。
「お母さん、魔蝶さんが手紙だって」
庭から戻ったソラが渡してくれたのはルーベン辺境伯様の刻印がされた封書。魔蝶さんとはそのまま魔物の蝶々のこと。うちに住んでいる子が郵便の代わりをしてくれているのだ。初めてルーベン辺境伯様にそれを説明したとき、若干引かれたのは気のせいだと思いたい。
急ぎのときには赤い封蝋を押すと言われていたが、それが届いたのは初めてだった。
「なんだろう、よくないことかな」とモカも手紙をのぞき込みながら一緒に封を開けた。
それによると、ルーベン辺境領とその近辺が連日の大雨で土砂崩れを起こしたのだとか。その土砂には、虫の魔物もいて凶暴化し、被害を及ぼしているらしい。騎士団と冒険者で対応しているが数が多くて大変な状況であることから会食の日を変更してほしいこと、また、この地に近いところにある野営地に大勢の人間が滞在しているため可能であれば力になってほしいと書かれていた。
「大雨なんて降ってた?」
「ここは北側以外は基本的に晴れだから気付かなかったね」
瘴気の土地と両国間を隔てているのは険しい山岳地帯で、その山中には多くの魔物がいて近づけない。その最南端の一部と両国の辺境領が隣接し、そこからしかこの土地へは入ることはできない。結果、一攫千金を狙う人間たちはそこに集中する。今回滞在していたという者たちもそういう類だろう。ギルドからの通達を無視したんだろうな。
「困ったときはお互い様だし、行きますか」
「でもなにが必要なのかママ、わからないでしょ」
「たしかに。魔蝶さんに手紙届けてもらおう」
そうして待つこと一時間。その間、私たちはお昼ご飯を食べて準備をしていた。ソラは危ないかもしれないから家にいるように言ったんだけど、ついていくといって聞かないから、アウトドアファッションでアウトドアグッズを完全装備させた。髪も茶色に魔法で染めた。
「必要なのは、薬に寝床に食料……50人以上って結構な人数ね」
「お母さん、ここに、やんごとなきお方もいるって書いてるよ?」
「本当だ。こんな小さく書かなくてもいいのに。やんごとなきお方かぁ……面倒な」
あらやだ、本音が漏れてしまった。なんでそんな人がそんな辺境にいるのかわからないけれど、助けないと問題になるだろうな。
「薬はポーションを多めに、消毒も必要ね。それからタオルや毛布なんかも必要だし、テントセットもいるかも」
「じゃあ、ボクは庭から薬とかもらってくるね」
「僕も行く!」
「2人ともお願いね。このマジックボックスに入れておいて」
はいと出したのは、新たに付与を施しておいたコンテナボックス。我が家では大活躍のものだ。
準備がほどなくして整い、車で国境ぎりぎりまで進む。車には、モカが目くらましの魔法をかけてくれている。そこから五分ほど歩くと向かい側に騎士の姿が数人見えた。まだ人一人が通れる幅しか土砂が取り除かれていない道を進んでいく。
徐々に開けていく道を、わざと足音を立ててこちらの存在を知らせながら進み、騎士に近付くと、咄嗟の反応なのか剣を構えられてしまっていた。
「こ、これは失礼いたしました!」
即座に剣を納めてくれたけれど、心臓にはあまり良くない。どきどきする胸を押さえて、必要なものを持ってきたことを説明する。
「辺境伯様も寝ずに対応されていたのですが、さすがに疲労困憊のようでいまは野営地に戻っていただいております」
「そうでしたか。なにも気が付かずに申し訳ありません」
「いえっ。本当に来てくださると思ってもいなかったので、辺境伯様もお喜びになると思います」
「すぐ身近なところの話ですからね。ところで、騎士様。お名前をお聞きしても? ここで騎士様と呼ぶと皆さん振り向かれるので」
「そうでした、以前名乗ったつもりになっておりました。大変失礼いたしました。辺境伯騎士団隊長グレン・フォードと申します」
騎士の礼をその人がとると、背後にいた人たちも一斉に倣った。
「フォード隊長さんですね」
「どうぞグレンとお呼びください」
「いえ、そんなわけにはいきません。では、早速ですがその場へ行きましょうか」
その目に熱がこもりそうなのを察知した私は、即座に向きを変えた。ルーベン辺境伯の方々のなかには、娘さんを助けたせいか私を神格化している人たちがいる。エレンちゃんがよく懐いていたこの騎士さんもそうだ。でもすごいのは私じゃなくて、モカとその娘さんを守っていたソラだ。勘違いしないでほしいとお願いしたにもかかわらずこれだ。
「モカ、ソラ。あっちらしいんだけど……モカ、どうかした?」
モカは一点を見つめ、耳をぴくぴくとさせたまま動かなかった。
「ママっ、ソラっ! ボクに乗って!」
「え?」
「早く!」
「わ、わかった!」
大きなサイズになったモカは、珍しく私とソラを急かして一気に走り出した。騎士さんたちに謝りながら追いついてくれとお願いしておく。
こんなスピードで走られるとまるでジェットコースターのようだ。振り落とされないように必死にソラを前に抱っこしたまましがみついていたけれど、ソラは楽しいのかキャッキャ言っている。これが若さか。
キキーッと音が鳴りそうな勢いで止まったモカは、次は早く降りろと言ってくる。でも周囲はものすごくざわついているのが聞こえる。
そりゃそうだろう、突然大きな狼が出てきたのだから。
その騒々しい最中――
「…………モカ様?」
耳馴染みのある声がする方を向けば、呆然と立ち尽くすディルクの姿があった。




