20.「ず」と「づ」
夏休み前、最後の土日。
長期休暇前というだけで浮足立つはずだった僕の胸には重い漬物石がのしかかっていた。
自分が「夜月」だと僕の幼馴染はそう公言した。
その時は衝撃のあまり理解が追い付かなかったけど、今はその事実を飲み込みつつある。
「その証拠見せてあげる。今週の土日に私の家においでよ」
しどろもどろになって電話を切りかけた直後、弥生は何の躊躇いもなく誘ってきた。
弥生が名乗ったからにはそれが全てなんだろう。
だけど、僕としては実際に見るまでは認めたくないし、シュレディンガーの猫と同じで、観測するまでは弥生は「夜月」じゃない。
……こんなのは言い訳になるのだろうか?
数年ぶりに訪れる幼馴染の家。僕の家とは数件離れた隣に位置していて、数十秒もかけずに弥生の家についてしまった。
いやほんとは三歩進んで一歩戻るを繰り返して、幼馴染に会うことに臆していた。
久しぶりに会うってだけで緊張物なのに、それに「夜月」かどうかの審議がかかってくればこうなるのも仕方ない。
ややあって僕はインターホンを押した。
「やっほー、久しぶり。身長伸びた?」
「ひ、久しぶり。身長は特に変わってないと思うよ」
「そうなんだ。……しばらく見なかっただけで、幼馴染の姿が随分懐かしくなってしまうものだなあ。まあ結構通話するけど」
僕を出迎えた幼馴染は妙な感慨に囚われながら、僕を家に上げる。
ネイビーブルーの髪は弥生の首元をくすぐるみたいに短めに切られている。僕と同じくらいの背丈に、ダボっと着こなしたオーバーサイズのパーカー。それに短いボトムスを合わせているせいで、生足が目立って見える。
寝ぐせがそのままだったりする所から、変わらない弥生の自堕落さを感じ取れて少し安心だ。
「ん、どうしたの?早く上がりなよ」
「ああ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「むう……まさか、この私を前にしてボサッとする余裕があるとは」
ほっぺを膨らませて、弥生は不機嫌そうに階段を上った。
「早く私の部屋においでよ。私が──よるずきの証拠を見せてあげるから」
──そうだ。今日僕は、弥生が「夜月」である決定的な証拠を見に来たのだ。
「夜月」のアカウントでも、僕の隠し撮りでも、証拠になりうるものはいくらでもある。そのうちの一つでも見た瞬間、「夜月」=弥生に一意に決まるだろう。
しかし、この普段と変わらない弥生の様子。弥生は「夜月」がやらかした事の重大さを理解しているのだろうか?
「じゃーん。どうぞ、ご無沙汰している幼馴染の部屋です!どう進化してるでしょ?」
一瞬でゲーマーだと分からせられるデスクトップPCとトリプルディスプレイ。作業机の上には缶ジュースの空き缶が整列されて置いてある。
どれが何のために使うかよく分からない音響器具の数々と、ゲーミングチェアに寝そべらされたヘッドホン。
確かに弥生の言葉通り進化している。
……ゲーマーとして高級な部類に。
弥生はヘッドホンを手に取り、ドサッとベットの上に腰掛ける。
「すごいでしょ?これ全部、私が自分で稼いで買いそろえたの」
「え?弥生、バイトでもしてたの?」
「違うよ。もう何度も言ってるでしょ?私が夜だって」
……なんだか、会話が嚙み合わない。
「ごめん。もう一度確認したいんだけど、弥生は『夜月』。だけど、それがどうしてお金に関係するの?まさか情報料とか言って、目も当てられない悪どいことを……?」
ここにきて弥生も僕の言葉に疑問を覚えるように、小首をかしげた。
猫耳デザインのヘッドホンが斜めに傾く。
「瞬は一体何を言ってるの?最近は配信とかで稼ぐのもおかしくないでしょ?」
「配信……?弥生は配信業でお金を稼いでるって言いたいのか?でも、あのSNSに配信サービスとかってあったっけ?」
「あれ?なんか会話が食い違ってるなあ」
互いに疑問符を浮上させ合う無意味な時間が生まれた。
もう言葉では解けない大いなるすれ違いがありそうなことは明白で、それは弥生が僕に投げかけたタブレットによって解決する。
「『夜好き』……?」
それは大手動画投稿サイトのとある配信者のアカウントページだった。
『夜好き』──FPSを中心に圧倒的なPSで、一線を画す女性配信者。素顔は未公開で、いわゆるVチューバーのようであった。
「そう、これが私。瞬が言ってた『夜好き』ってこれのことであってるよね?」
「……まじ、……ですかあ」
全身から力が抜けて、気を引き締めるために肺に入れていた空気が一気に抜けていく。
絨毯の毛の感触が膝を意地悪くくすぐる。
──まさかの勘違い。
「づ」と「ず」の違いとかいう文面じゃないと一生解決しない魔の聞き間違い。
こんなものに僕は惑わされてしまったのか。
「え?ちょっとどうしたの瞬。まさか驚きのあまり声が出せないとか?ま、まあ『夜好き』はFPS界隈じゃ結構有名人だしね」
「いや『夜好き』はごめんだけど知らない。どうやら僕が思っていた『夜月』とは違ったみたいで」
脱力し憔悴しきった僕に、弥生は「嘘でしょ?」と声を張り上げる。
「うそぉ……。クラスで流行ってるとか言ってたから、やれやれいつ正体を明かして惚れさせてやろうかと思ってたのに?」
「惚れるかどうかは別として……。なんか、うん。色々嚙み合いが悪かったみたいで」
ご無沙汰の幼馴染の部屋。廃課金ゲーマー部屋。妙にそわそわして、甘い香りがする気がする少女の部屋。
そんな要素を全て打ち消すような屈辱的で気まずい勘違いだった。




