知れば知る程増えるいちご君の謎
夜七時頃、仕事を終えた私といちご君は、彼のオススメの店へ向かって歩いていた。
「えっと、たしかここを曲がって……」
「! いちご君、前!」
止めるのが遅かった。曲がり角から現れたカップルと、いちご君がぶつかってしまった。
「すみません!」
「いえ。……亜紀?」
「雄二、さん」
しかも、運が悪いことにぶつかった相手が、元彼だった。
黒髪短髪に銀縁の眼鏡。某ブランドのスーツと革靴に身を包んだ、いかにも仕事ができそうな男性。会うのは久しぶりだったが、すぐに彼だとわかった。それは彼も同じだったらしい。私を視界に捉えた途端、視線を泳がせている。その原因は、彼の腕に抱き着いている女性にあるのだろう。
私はその女性を見て、驚いて目を瞬かせた。
――すごい女子力高めだ。
アイロンかパーマかはわからないが、ふわふわしたミルクティーカラーの髪。黒目が大きめのカラコンに、はかなげ……だが、見る人が見ればわかるしっかりメイク。ネイルもきちんとサロンでやってもらったのだろう。背は小さくても、出るべきどころは出ている。なんというか……「男子受けする要素を集めました!」という感じの女性だ。
正直、意外だった。元彼はどちらかというとこの手の女性を苦手としているイメージがあったから。どうやら、会わない間に好みが変わってしまったらしい。――へえ。あ、しまった。ジロジロ見すぎたか。
彼女が私を睨みつけてくる。が、身長差で上目遣いになっているせいか全く怖くはない。
「ねえねえ、雄君。もしかしてこの人が例の人?」
「あ、ああ」
「へえ~」
私の足元から頭まで見て、最後に顔を見て、嘲笑を浮かべた。なんてわかりやすい。
「……いちご君」
別に平気なのに、いちご君が私を庇うように前に立つ。女性はその時初めていちご君に気づいたようで、彼の顔を見て一瞬目を見開いた。が、次の瞬間には甘えるように元彼の腕を引く。われに返った元彼も彼女を庇うように前に出てきた。そして、いちご君を見上げ、不機嫌さを顔に滲ませる。次いで、後ろにいる私を睨みつけてきた。
「彼女を睨むな。彼女はおまえと違ってか弱いんだ。だいたい、俺たちは納得して別れたはずだろう。それとも、今になって惜しくなったのか?」
「は? いきなりなに見当違いなことを言っているの? ただ、私は彼女を見て『へえ~好み変わったのね~』って驚いただけよ」
「な、なにをっ」
焦ったように彼女を見る元彼。彼女は『雄君を信じてるから!』という顔で元彼を見つめ返す。元彼が気を取りしたように私を見てきた。
「そんな揺さぶりをかけても無駄だぞ。彼女と出会って俺は知ったんだ。俺の運命の相手はおまえじゃなく、彼女だった、とな!」
「あ、そう」
それしか言葉は出てこない。まさか、元彼の口から『運命』なんて言葉が出てくるとは思わなかった。元彼はどちらかというとリアリストだと思っていたが、どうやら真逆のロマンチストだったらしい。
私の知る元彼像がガラガラと音を立てて崩れていく。――うん。もうこの人は私の知らない人だ。
微かに残っていた恋心もあっさりと消えた。
となれば、はやくこの場から去りたい。周りの視線も気になる。というのに、元彼は私の反応では物足りなかったのか、まだ話を続けようとしている。
「ああ、そうだ! 彼女はおまえと違って愛嬌がある。いつだって俺を癒やしてくれる存在だ!」
「へえ~そうなんだ~それはよかったですね~」
すでに興味を失った私はてきとーに流そうとした。その返しが癪に触ったらしい。
「な、なんだその態度は」
睨みつけられる。
「別に……で、もう行ってもいい?」
元彼の顔がまたもや赤く染まる。
「お、おまえはいつもそうだ。…の、か」
「はい?」
小さな声過ぎてなんて言ったのか聞こえなかった。が、もう一度は言ってくれないらしい。まあ、いいか。
「では、さようなら。さ、いちご君、行きましょ」
「あ、はい!」
いちご君の腕をとり、さっさと横を通り過ぎようとしたら、元彼から腕を引かれた。
「っ?!」
「亜紀さん?! 大丈夫ですか?!」
「う、うん」
いちご君のおかげで倒れずにすんだ。支えてもらったまま、元彼を睨みつける。
「ちょっと、なんのつもり」
「そいつが次の男か?」
「は?」
「おまえ、浮気してたんだろう?!」
「な、なに言ってるの? 浮気してたのはそっちでしょ」
呆れて言い返せば、元彼は口を閉ざした。代わりに、彼女が前に出てくる。
「ちょっとおばさん! いちゃもんつけないでくれる?!」
「おば、いちゃもん?!」
ツッコミどころが多すぎてびっくりだ。
「雄君が浮気したのは、そもそもおばさんに魅力がなかったからでしょ? それなのに彼を責めるなんておかしいでしょ! しかも、あてつけみたいに男の人つれて」
「はあ?」
頭が痛くなってきた。でも、今のでわかった。この子……私が苦手なタイプだ。思い込みが激しくて、まともに会話が成り立たないタイプ。真面目に話そうとするだけ無駄だ。
「そ、そうだ! おまえが悪い! しかも、俺の次にこんな男を選ぶなんて」
元彼は苦々しい顔でいちご君を見上げる。その顔を見て「ああ」となった。
「そういえば雄二さんの嫌いなタイプって……(ONの)いちご君みたいな人だったわね。自分より背が高くて、愛嬌があって、万人にモテるタイプ」
テレビにイケメン俳優や芸能人が映るたびに、悪口を言っていたのを思い出した。元彼のコンプレックスの裏返しだとは知っていたけど、今までは彼に気を遣って言わないでいた。でも、もういいだろう。元彼は顔を真っ赤にして震えている。
「え? あ、亜紀さん俺のことそんな風に思ってくれていたんですか?」
「え、あ、や……あー一般的な話よ一般的な」
OFFのいちご君を知るまでの話。微かに頬が赤いいちご君から視線を逸らす。と、ちょうど彼女と目が合ってしまった。彼女はムッとした顔で睨みつけてくる。
「そ、そんなお子ちゃまよりも雄君のがかっこいいもん! 大人だし、課長だし」
「優愛っ」
感動した様子の元彼。どうやら、彼女のおかげで自尊心を取り戻したらしい。
「あーはいはい。そうねー」
「実際、元彼の方がいちご君よりも六歳も上なんだから、当たり前でしょう。それに『課長』っていう肩書を持っているからといって、かっこいいってことにはならないでしょ」という言葉は呑み込んだ。
それよりも、さっさとこの茶番を切り上げたい。そんな私の気持ちが伝わったのか――
「亜紀さん」
「え? わっ」
いちご君が不意に私の肩を抱き寄せた。頬にいちご君の胸板が当たる。ドキッとした。慌てて見上げる。
「い、いちご君?」
「そろそろ限界」
「え?」
「いつまでこの茶番続きます? はやく二人きりになりたいんだけど」
――ここでOFFのいちご君?!
いちご君からさっきまでの好青年だった雰囲気は消えている。表情も変わり、声のトーンも一気に下がり、色気が垂れ流しになっている。
「あ、ご、ごめっ」
「え、好みかも……」
焦って謝ろうとしたら、幻聴のような言葉が聞こえてきた。――元彼の彼女から。
驚いてそちらを見やれば、元彼も信じられないという顔で彼女を見ていた。
「あ、な、な~んちゃって~」
「おまっ、今!」
「雄君。うそだって。今のは冗談」
(冗談にしてはガチトーンだったけど)
「じょ、冗談?! 冗談でおまえはそんなことを他の男にっ」
「……いちご君、今のうちに行きましょ」
いちご君の腕を引いて、歩き出す。いちご君は黙ってついてきてくれた。
「ここらへんまで来ればいいかな……ごめんね、いちご君。変なことに巻き込んじゃって」
「いえ……」
すっかりOFFモードのいちご君は、私の手を腕から離すと、そのまま手を握ってきた。そして、なにもなかったかのように歩き出す。あまりにも自然にやるものだから、抵抗する間もなかった。
無言で歩いて数分。
いちご君が予約しておいてくれた店はレストランだった。ただのビルのような建物の三階にその店はあった。どうやら隠れ家的なのがコンセプトらしい。
――な、なんだか高そうなんだけど……。
「ここ、知り合いの店」
「え、そうなの?」
「ん」
(だから当日予約ができたのか……)
席についてメニュー表に目を通す。
「あ、あの……やっぱりいちご君、今日は私も」
「よかった」
「え?」
「亜紀さんが一人の時にあの人たちと会わなくて」
「え」
「なに、頼みます?」
「あ、えっとじゃあAディナーで」
「すみません」
いちご君が店員に注文してくれた。その間、私は頭の中がぐるぐるしていた。先程のいちご君の台詞のせいで。そうしている間に、注文した料理がやってきた。
「わ! 美味しそう。いただきます」
「いただきます」
「美味しい!」
「本当?」
「ええ」
「よかった」
「う、うん」
いちご君が私の顔を見てフッとほほ笑む。慌てて視線を逸らす。頬が熱い。
「ね、ねえ」
「?」
「メニューに値段書いてなかったんだけど……いくらかわかる?」
小声で問いかけると、いちご君が小首をかしげた。
「俺のおごりなんで気にしなくても」
「そ、そのことなんだけど、やっぱり割り勘」
「今日は俺の番、ですよね?」
「そ、うなんだけど……」
「気になるなら、次は亜紀さんが奢ってください」
「……わかった」
にっこり笑顔のいちご君。その笑顔を見ていると、もしかしたら、最初からそのつもりだったんじゃないかと疑いたくなる。
――また、次の約束しちゃった。意外と策士? ……いちご君って、知れば知る程謎だわ。
こういう洒落た店を知っているのも意外だった。ONのイメージでは、がっつり食べられる定食屋か皆でわいわいできる居酒屋。OFFのイメージは、自宅飲みかバー。
――もしかして……私が想像しているよりも、女性慣れしてる?
いつもこういう店に女の子を連れて行っては、その後あの家に連れ込んでいるのかもしれない。ふと、いちご君の唇や大きな手に目がいった。
「亜紀さん」
「はひっ?!」
「なにか?」
「い、いえ。なにも」
笑ってごまかす。
か、顔が熱い。(私は後輩をなんて目でっ!)
元彼と別れる前からそういうのはご無沙汰だった。だから、欲求不満なのかもしれない。
早く帰ろう。いちご君のためにも。そう思った時、不意にテーブルの上に置いてある私の手の上に、いちご君の手が覆いかぶさった。
「今は俺の事だけ考えて」
「っ」
言われなくても、いちご君のことしか考えていない。でも、いちご君にはそう映らなかったらしい。多分、まだ私があの二人……元彼のことを考えているとでも思っているのだろう。
私の中の元彼への未練は完全になくなったというのに。でも、それを口にはできない。「なら、なにを考えていたんですか?」と聞かれたら答えられないから。
「わ、わかりました」
私の返答に、いちご君が満足げにほほ笑む。
――だ、だからそんな笑い方しないでよ~!
ああ。心臓がうるさい。落ち着け心臓。なに反応しているんだ。まるで思春期の小娘みたいに。
ドキドキうるさい心臓を落ち着かせるため、私は水をぐいっと一気飲みした。




