白石 紬 05
荒れた道を低速で走り、五分ほどで春吉橋前に到着。
金網のフェンスで囲まれている中洲だが、春吉橋に接した箇所だけは観音開きの巨大な門になっていた。全開にすれば大型車両も難なく通れそうだ。
「じゃあ、頼んだよ、白石くん。万が一、グールに出会したらすぐに戻ってくるんだぞ」柏樹さんは橋の手前でSUVを停車させて、ドアロックを解除した。
「え? 出会したらって」どうやらぼくひとりで降車しろとのことらしい。
文句をいいたかったが、もしもの場合に備えてどちらかは車に残り、すぐ逃げられるようにしておいたほうがいいと思うので、素直に従うことにする。
ぼくは車の免許を持っていないし。
「行ってきます」
シートベルトを外して扉を開ける。
降車するなり冷気が服の隙間から入ってきた。チクチクするけれど我慢。
周囲に注意を払いながら春吉橋を渡った。背後からバタン、と扉を閉める音が聞こえたので振り返ると、停車した広域捜査官専用車両の横に、宍戸捜査官が立っていた。
「あ……」条件反射的に硬直してしまう。
宍戸捜査官はライフルを手にしていた。
対グール用の装備とわかっているが、だからといって安心なんて気持ちには結びつかない。
宍戸捜査官はぶるりと身体を震わせ、無言で距離を縮めてきた。まさか。まさかそんなことはないと思うけど、撃たないでくださいって言葉が頭の中をぐるぐる回る。
無理矢理口角をあげて、高めのキーで話しかけた。「あの、ありがとうございます、宍戸さん。ここまで送ってくださって、ありがとうございました」
返答はない。
目もあわない。
宍戸捜査官は眉間にしわを寄せてぼくの頭より少しうえ――中洲に建つビルの上方へ目を向けていた。
屋上に設置された広告看板を見ているのだろうか。
原色を多用した品のない看板が九州封鎖から七年経ったいまでも変わらずそこにある。赤。ピンク。紫。濃いメイクの女性が頬に手を添えて、ぼくを見つめていた。
看板のそばに紺色の板が並んでいるが、あれはきっと太陽光発電の装置だ。一部の地域を除いてライフラインが停止している九州では、活動中の機関・団体が独自に諸設備を整えていると聞く。
よく注意して見てみると、どのビルの屋上にも、太陽光発電の装置らしきものが取りつけられていた。
「行け」
「え?」
「早く行け。歩け」
「あ、は……はい」顎で指示された。
ぼくが本当にNICの人たちと知りあいなのかどうか確認するまでは同行するようだ。
早足で橋を渡り、門から少し離れたフェンス脇に設置された公衆電話っぽい器械の前に立った。
黄色く丸いボタンの下に〝よびだし〟と書かれている。
ボタンを押して器械上部に設置されたカメラのレンズをまっすぐ見つめて応答を待つ。
横目で宍戸捜査官を見ると、敷地内の様子を窺う表情が異様なまでに険しかった。護衛してもらっているのにこんなことをいうのはあれだけど……息が詰まる。眉間に寄せたしわはそのままでもいいから、せめてライフルだけでも目につかないところへ移動してくれないだろうか。
「はじめてか」
「…………」え?
「NICにくるのははじめてか」
「え、えぇ。はじめてです」
「なにを撮るんだ」
「とる……って?」
「写真だよ」
「あ。あぁ」柏樹さんは写真家と自己紹介したのだから、宍戸捜査官にしてみれば中洲でなにを撮影するのか、気になって当然かも。「噴水です。中央通りに面する〝クリスタルレイク広場〟ってところに噴水があるらしいんです。噴水は世界的に有名なデザイナーがデザインしたものらしくて――」と。待て。待った。
危うく語ってしまうところだった。柏樹さんは度が過ぎる廃墟マニアであり、お気に入りのデザイナー作品の荒廃っぷりには特に目がないってことを。
撮影の目的が個人的趣味に過ぎないことが知られてしまうと『つつしめ!』と怒鳴られてしまいそうだから取り繕いの嘘をつく。
「えぇっと、あの、ちゃんとした理由があるんですよ。被写体が有名なデザイナーの作品であるからこそ、撮った写真が注目される、といいますか、いまの九州の状況を多くの人に知ってもらうには注目度の高い被写体を撮影するのが一番ですので、ですから、あの、柏樹さんはそういった建築物を選んで撮影しているわけでありまして……」いやいや。だったらメジャーな観光地を撮影するだろ、普通。
どう考えても胡散臭い言い訳にしか聞こえないだろうって思ったけど、宍戸捜査官の顔を窺うと、意外にも納得している様子だった。
真剣な表情で頷いている。
「多くの人に、か――」小声でいって顔をそむけ、宍戸捜査官は太陽光を遮るように手をかざして顎をあげた。
まただ。また見あげた。
ビルの屋上に気になるものでもあるのだろうか。
ぼくも倣って顔を向けようとしたが、音を発したフェンス脇の器械に邪魔された。『どなたでしょう』ノイズ混じりの男性の声が問う。
「あ!」慌てて器械に顔を近づけた。「はじめまして、こんにちは。白石――じゃなくて、柏樹の名前でお約束させていただいたものです」
「…………」
「…………」
間が開く。
結構開く。
変な日本語になったので意味が通じなかったかな。
ひょっとすると怪しまれているのかも。
アシスタントの白石ですって丁寧に名乗ったほうがよかっただろうか。実際はカメラのことなんてなにも知らないけど。
『――お待ちください。すぐに伺います』
通話は切られた。味気ない返答に不満は残ったが、話は通じたようだ。
半歩ほど後退。足元に目を向けると、靴に白い粉が付着していた。おそらく石灰だ。フェンスの外側にうっすらと撒かれている。疫病を怖れて撒いたのであろうが、効果があるという話を聞いたことはない。
宍戸捜査官を見ると相変わらずビルの屋上あたりを眺めていた。
建物と建物の間に飛行機のシルエットが確認できたが、音は聞こえなかった。




