第十三話 価値
ネタが切れました。ページが銀世界。
面倒なことになるとは思っていましたけれど想像以上でしたわ。
顔から表情が消えてしまうほどに、私は現状に頭を痛めていた。
私は昨夜あったことなど忘れていつも通りの日常を送ろうとしていた。
だというのに、どこに行っても義弟が私を付いて回る。
鍛練をしていれば「練習相手になりましょうか?」、勉強をしていれば「教えて差し上げましょうか?」、お茶をしていれば「ご一緒していいですか?」……いったいどこから湧いてきているのかしら?
もしかして私が知らないだけで義弟は何人もいるのではないかと疑いたくなるほどに、行く先行く先で義弟は私を待ち受ける。
母親に頼んだのか、実技以外の座学も一緒に受けることになっていますしーーもちろん義弟は中等部レベルの問題を楽々と解いていたーー気が抜けない私のストレスは溜まる一方です。
極めつけはダンスの授業。
やっと一人になれるかと思ったのに、義弟が現れてパートナーになってもいいと言い出したのだ。
しかも、それを先生はいい機会だと採用する始末!
絶対に嫌ですわ。義弟に触れられると考えただけでも鳥肌が立ちます。
なので逃げ出しました。
無理です。義弟は生理的に受け付けない人間第二号ですわ。
一号はもちろんあの第二王子です。
私は屋敷から飛び出して以前も来たガゼボに腰を落ち着けた。
やっていられませんわ。
義弟が何をしたいのか全く分からないですし、苦手な人と四六時中一緒に居るのは相当なストレスです。
最初は見下したいがための嫌がらせかもしれないと思ったけれど、私は気にしないと知っているはずですし、お茶にまで参加しようとする意図が分からない。
何かを言われても私が無視するって分かっているでしょうに、いったいどんな原動力で動いているのか理解できないわ。
そこまでして私に徹底的にストレスを与えたいのかしら?
「はあ~~…」
嫌だわ、義弟のことを考えただけで長いため息が出る。
思考を義弟に占領されるのも腹立たしいです。
そんな時はこれ、刺繍です。
なにかに集中している時は余計なことを考えずに済む。
そうして思考をクリアにして心を落ち着かせることができるこの時間が、私は好きだ。
私はさっそく布を張り、青色の糸を選んで針に通す。
チク、チク、チク。
無心で針を刺す。
そうすれば無地だったハンカチに小さな青い花が咲いていく。
あの子が私のためによく摘んできて来てくれた花。
いつか私を外に連れ出してくれた時、その花が一面に咲いてる場所を見せてくれた。
どんなに豪華な装飾よりも、どんなに高価な宝石よりも、あの光景は輝いて見えた。
『このまま、二人で遠くに行かないか』
そう言ったあの子の手を取れれば、どんなに幸せだったか。
でも取ってしまえば、それで捕まってしまえば、処刑されるのは私だけではなくなってしまう。
諦めなければ、いけなかった。
涙を流しながら首を振る私を、あの子は何も言わずにその大きな腕で抱きしめてくれた。
きっとあの子は分かっていた。私の考えも、想いも。
どうしようもない運命も。
だから約束を交したのだ。
あの薄暗い牢屋の中で、二人。
いつかまた、会うことが出来たなら。
その時はーーー
「お上手ですね」
正面から聞こえた予期せぬ義弟の声に、驚きで肩が跳ねた。
その拍子に手元が狂って針が私の指に刺さる。
「いたっ」
ちょうど集中が切れかけていたこともあって、義弟の声に現実に引き戻される。
せっかくあの子のことを考えて気分が良くなっていたというのに、いろいろと最悪ですわ。
気分が沈んでいくのを自覚しながら私は布に血がつかないように急いでそれを横にどかす。
針が刺さった箇所からプクリと血が出てきているのを見て、私は本日何度目かも分からない溜め息を吐いた。
「す、すみませ、ん。怪我をさせるつもりは…すぐに手当てをっ」
血に動揺でもしたのか、義弟はいつもより上ずった声で私の手を取ろうとする。
「結構よ」
私は義弟にそう言い放ちながら、迫る彼の手から逃れるように自身の手を胸に抱く。
それ以上近づくなという意を込めて義弟に鋭い視線を向けるれば、彼はピタリと手を伸ばすことをやめた。
なにを慌てているのだか。
貴方が振るう木刀の方がまだ殺傷力があるわよ。
内心で呆れながら私は治癒魔法で傷を塞ぐ。
傷はあっさり塞がったので水魔法で血を洗い流せば、そこには傷なんて最初からなかったかのような綺麗な指先があった。
「魔法が、使えるのですか」
「当たり前でしょう。貴方だって使えるじゃない」
なにを当たり前のことを、と思ったけれどよくよく考えてみれば人前で魔法を使うのは、今世ではこれが初めてのような。
と言っても私も貴族ですし、魔力があるんだから使えないということはないでしょう。
ただ、素早く魔法を練る時や大きい魔法を安定して使うためには魔力制御が重要だから徹底的に鍛練を積んでいるだけ。
私が欲しいのは生活に使える程度の魔法ではなく、人を守れるだけの威力がある魔法なので完璧な魔力制御なしでは駄目なのです。
基礎がしっかりしていなければ、あとで絶対に綻びが出るのは目に見えています。
魔力消費量が少なく規模も小さい魔法なら、前世の記憶があるお陰で苦もなく使えますわ。
「なぜ、出来損ないのフリをするのですか」
義弟に見つかってはここに居る意味もない、と私が帰る準備をし始めれば、義弟は私にそう問いかけた。
なにを言っているのだこの義弟は、と思いながら彼に目線を向ければ、彼は得体のしれないものを見るような困惑した顔で私を見ている。
本当に失礼ですわね、この男。
「別に、フリなんてしていませんわ。私が人より劣っているのは事実です」
「貴方には才能があるではないですか!」
ありませんわよ、そんなもの。
私は何かを説明されてもそれを理解するのすら苦労する。理解できない事さえある。
一つの技術を習得するのに人の何倍も手こずって失敗だってする。
本当に才能のある人達は一を説明されたらそれを完璧に理解して、更にそれ以上のことも理解する。
習得する速さなんて私とは比べ物にならないでしょうね。現に義弟がそうですし。
「今だって治癒魔法と水魔法を使っていたではないですか!
適性のない魔法をこの年で使えるのは才ある証拠です!」
ああ、そう言えばそうね。
自分に適性がある属性以外の魔法の使い方は学園に入ってから学ぶものね。失念していたわ。
しかし違う。私にあったのは才ではなく運よ。
どうして私だけ前世の記憶が残っているのかは未だに分からない。けれど、とても幸運なことだと思う。
前世で学んだことも、習得した技術も、消えずに残って私を支えてくれている。
でも、それを説明したところで信じてはもらえないでしょうし。
説明するのも面倒ですし。
「……悔しいとは思わないのですかッ、見返したいとは思わないのですか!」
どうしようかと考えていれば、義弟は声を荒げる。
なんで彼はそうまでして人の上に立つことに固執するのかしら。まあ、貴族ですしそれが当たり前といえば当たり前か。
私は疲れるからしませんけど。
貴族にとっては世間体や他家からの評価はとても重要だということは理解している。
でも私は貴族として生きていく気なんて微塵もありませんし。王族の妻なんて以ての外です。
チラリと脳内に横切った嫌な人の顔に私は思わず顔を顰めそうになる。
私は令嬢として長年生きてきた矜持でポーカーフェイスを保ちながら、義弟に言葉を返す。
「自分の不甲斐なさを嘆くことはあります。
ただ他人のために労力を費やす気がないだけです」
他人からの評価なんて、もう私には意味がないもの。
ああ、でも教官は別ね。
あの人のことは尊敬しているし、魔力制御を完璧に出来るようになった暁には今度こそ胸を張りたいと思う。
これも見返したい、という感情なのかしら?
「貴方は僕と同じはずだ…!才ある者は正当に評価されて然るべきだ!」
やけに食い下がりますわね、この義弟。
私と貴方が同族なんて冗談じゃないわ。
言っていいことと悪いことの区別もつかないのかしら。
欲しくもないものを手に入れるために努力するなんて考えただけでも疲れるわ。
そして、それを強制されることも煩わしいことこの上ないです。
「昨夜も言いましたけれど、私は評価を求めてないの。
貴方と私とでは価値基準が違うのよ」
突き放すようにそう言えば、義弟は口を噤んでしまった。
他人のためだけに努力するのなんて碌なことじゃないと私は知っている。
だって前世で散々やったんだもの。
結果として何も得られなかったどころか全て失いましたし、もう懲り懲りよ。
可能な限り二度とやりたくないわ。
いま私がしている努力は、他の誰でもない私のための私だけの努力。
それを邪魔されるのは不愉快だわ。
「私は私の努力を縛られるのは、まっぴらごめんです。
今も、これからも、私は自由に私だけのために努力をします」
私はそれだけ言うと義弟の返事も聞かずに荷物を持って屋敷へと向かう。
義弟は評価されることに意味を見出し、私は理想を叶えることを重視している。
欲してるものと目指してるものが違うのだから、考え方も異なるに決まっている。
分かり合えるわけないわ。
でも、明日からどうしましょう。これ以上付きまとわれるのは本当に嫌だわ。
一人にしてと言っても、結構だと断っても全く聞く耳を持たないですし。
どうして私の周りって我が強い人間ばかりなのかしら。
付きまとわれる理由も結局分からず終い。わざわざ聞くのも面倒です、というより極力自分から話しかけたくない。
どうにかできないかしら。
……利用すればいいのではないかしら?
確かに私は義弟が苦手だわ。一緒に居ると苦痛よ。
顔を合わせる度に前世の嫌な記憶を思い出すし、いちいち見下されたり馬鹿にされるのは鬱陶しくて仕方がない。
でも、彼が才能を持っているのは事実。
護身術は基礎が出来ても実戦で使えなくては意味がない。
私は未だに剣を振るう時に思考がついていかないが、こればかりは慣れだと教官は言っていた。
身体と頭を実戦形式に慣らすには数が要る。
最近では授業の次の日に筋肉痛で動けなくなる様なこともないですし、週二日では訓練が足りないと思っていた。
義弟はいい練習台になるのではないかしら?
お茶会も座学も、利用できることはあるはずだわ。
流石にダンスは身体が密着するので断固拒否ですけど。
それ以外のことなら義弟を利用するのはとても利があるのでは?
義弟から逃げ続けてもストレスが溜まるだけで百害あって一利なし。
どうせ害を与えられるなら、それに釣り合うだけの利を得なければ納得いきませんわ。
私は脳内で"義弟といるストレス"と"義弟から得られる利益"を天秤にかける。
害に傾いていた天秤は、やがて水平に止まることを決めた。
さっそく明日から義弟を利用しましょう!
私は先ほどまでの憂鬱を忘れて軽い足取りで屋敷に向かう。
ふふふ…見てなさい…誰がただでストレスを感じてやるもんですか!
利用できるものは利用しつくしてやるんだから!
私は明日に向けて闘志を燃やすように拳を握った。
そんな私が屋敷に帰ってから母にお小言を貰ったのは言うまでもない。




