十一話 “声の居場所”
「なんだあの不審者」
ボソッと呟くサムの視線を追うと、街路樹の陰から上半身だけを覗かせた男が居た。
帽子にサングラス、フードのついた黒い外套。隠れているつもりらしいが、丸見えだった。
『あっついのう』
もう入学式から三ヶ月以上が経った。じめじめとした暑さの中、僕はサム、ジークと街へ出かけていた。
噴水の前に見知った顔があった。
クリスティーヌ・パルティトゥーラ、同級生だ。
彼女はギターを抱え、立てたマイクスタンドの前に腰掛けていた。
路上ライブでもやるのだろうか。
くせのある茶の長髪をたゆませて、彼女は息を吸い込んだ。
次の瞬間、街の喧騒を縫うように歌声が通った。
露店の呼び込みが途切れ、行き交っていた人々が足を止めた。
最初の一節を落としただけだというのに、あっというまに広場の空気が丸ごと持っていかれた。
「ちょっとちょっと!!」
曲の最中、張り上げた声が捻じ込まれた。
声の主は傍の菓子屋の店主だった。顔を真っ赤にして、エプロンを身に着けたまま飛び出してきた。
「客が通れねぇんだよ! 店の前がこれじゃ商売にならん!」
自分たちは許可を出していないぞ、と激昂していた。
いつの間にか人垣は菓子屋の店先まで膨らみ、出入り口の前を塞いでいた。
店主の怒鳴り声に、クリスティーヌは音を止めた。
きょとんと目を瞬かせ、自分の足元の機材と店先のあたりを見比べた。
「ご、ごめんなさい。もう少しで終わるので」
クリスティーヌはギターを持ちなおし、歌を再開しようとしていた。
「おい まだ続ける気か!」
店主がクリスティーヌの前まで出張り、マイクスタンドをどかそうとした。
「――騒がしいぞ」
ぬっと二人の間に黒い影が割って入った。さっき街路樹の陰に居た不審者だ。
フードの陰からぎらついた眼光が店主を射抜いていた。
「黙って聞いていればいいんだ、この美しい歌声を」
「そうもいかない。こっちは生活がかかってんだ」
不審者は鋭く店主を睨みつけた。
「次邪魔をすれば容赦しないぞ」
冷たい声でそう言い放った。
店主はおびえた様子で半歩引き下がったが、諦めはしなかった。
「あのおっちゃん、変なこと言ってるか?」
広場を見回しながら、僕らにだけ聞こえる声で話しかけてきたのはサムだった。
近隣の許可を得ていない路上ライブの取り締まりは年々強化されている。
正直、僕も店主側に非があるようには見えなかった。
「お前もか?」
真横の僕ですら聞き取りづらいほどの声量だったにもかかわらず、不審者はサムの声を正確に聞き取り、眼光をサムへと向けてきた。
情けない声でもあげるかと思ったが、サムは意外にも堂々としていた。
睨み返すわけでもなく、ただまっすぐと不審者を見つめていた。
それからすぐ、周囲からぽつぽつと私語が目立ち始めた。
「許可取ってないのかよ」
「歌はうまいけど、こりゃさすがに迷惑だな」
だんだんと、クリスティーヌや不審者を非難する強い言葉さえも聞こえ始めた。
それを受け、クリスティーヌは不安げに胸の前で手を握り、眉を寄せた。
「――これ以上無粋を重ねるな」
不審者はマイクスタンドを奪い返し、元の位置へ戻した。
その拍子にフードが少しずれると、一瞬だけ見えた金髪がなにかと結びついたのか、ジークが声を上げた。
「アドリアン……?」
そう言われて、僕も思わず目を凝らした。
雰囲気だけじゃない。あの魔力は見間違えようがない。
僕たちの先輩で、学園最強と呼ばれる男。その名を知らない生徒は居ない。
まさかこんな場所にいるとは。
「この歌声が雑踏に埋もれてしまっても良いというのか?」
「そりゃ、上手いとは思うけどよ。話がちげぇだろ」
店主は負けじと睨み返した。
周囲もそれに同意する声がより大きくなった。
「批判したいならこの子にふさわしい舞台を用意しろ」
暴論だった。
アドリアンは店主に詰め寄った。
店主の剣幕に、何を責められているのかようやく理解したのだろう、クリスティーヌの顔が曇っていた。
「じゃあさ」
そこでサムが口を開いた。
「学園祭の有志発表で歌えばよくね?」
場が静まり返った。
クリスティーヌは、何を言われたのかわかりかねたようだった。
「……学園祭?」
小さく繰り返し、サムの方へ視線を向けた。
サムの言葉の意味を探るように、その顔を見つめていた。
その表情は、ほんの少しだけ明るくなったように見えた。
確かにそれなら誰にも迷惑はかからない。むしろ聞きたい人でごった返すかもしれない。
一方アドリアンは鼻を鳴らして言った。
「提案したからには責任はお前にある。半端な舞台にするな」
暴論と呼ぶことすらおこがましいほどの暴論。
サムを睨みつけて言葉を続けた。
「もし舞台が失敗すれば――」
そこで言葉を切り、サムを見下ろしたまま威圧した。
びっくりしたサムが半歩退くと、興味を失ったように背を向け、消え去った。
「まじか」
そう言うサムは青ざめながらもおびえた様子はない。
そのころ、クリスティーヌは申し訳なさそうな表情で店主に頭を下げていた。
「あの……ごめんなさい。私、そんなつもりじゃ」
「分かってくれたならいいんだ」
店主はげんなりと肩を落とし、店へ戻っていった。
「――来てたんだ」
店主を見送ったクリスティーヌは僕たちの許まで歩み寄って、そう話しかけてきた。
彼女は口元だけで笑っていた。
さっきまでのできごとが、まだうまく飲み込めていないようだ。
少し置いてから、恥じらいを隠しながら続けた。
「良ければ、舞台のセットアップに付き合ってくれない?」
◇◆◇
路上ライブの騒ぎから数日、方針だけはおおかた決まっていた。
クリスの名前だけではいくら音が良かろうが集客効果が薄い。だから仲間を集めようという話になった。
ベースにドラム。バンドの形にしようってことだ。
さっそく学園内で募集をかけてみたものの、貼り紙の前で立ち止まる人すらいなかった。
「このままじゃ無理だな」
放課後の教室に僕の声が響いた。
クリスティーヌは机に頬杖をついたままため息を吐いた。
「そもそも貼り紙で人が集まるわけないだろ」
サムもジークも苦い顔をした。
そのとき、後ろの扉が開いた。
入ってきたのは赤髪の男子生徒だった。同級生のアーサーといったか。
鞄を机に放り、すぐ中をまさぐり始めた。
「なに探してんの?」
クリスが訊くと、アーサーはしゃがんで机を覗き込んだまま答えた。
「お守り」
淡々とした声だった。
しばらく机の中を漁った後、アーサーは顔を上げた。
「お前らは?」
「有志発表の準備」
ジークが答えると、アーサーはこちらへ歩いてきて、貼り紙を一枚奪うように手に取った。
「ベース、ドラム募集……」
少しだけ黙り込んで、頭を掻きながら考え込むように紙を眺めた。
「ベースならできるけど」
「えっ?」
クリスが反応した。
サムとジークも興味を奪われた。
「ほんとに?」
「出ても良いけど、条件がある」
アーサーはそう言って指を一本だけ立てた。
「お守りを見つけてくれ。俺の記憶が正しければ、この教室にある」
「お守りって……どんなの?」
今度はゆっくりと脚を動かしながら床を観察していた。
「札みたいなやつ。鞄につけてたんだけど……」
「そんなに大事なの?」
「持ち歩いてない日はろくなことが起きない」
口ぶりは冷たく、冗談のようには聞こえなかった。
――待てよ。札のお守り……?
僕は自分の座っていた席、その机の中を確認した。
やっぱり。
札を咥えていたコンブが居た。
唾液まみれだが、目立った外傷はない。
コンブごと札をつまみ上げて、アーサーの前に差し出した。
『なにをするんじゃ!』
コンブは暴れるが、僕が腹のあたりを指で押さえて固定していたため、その場から逃げることはできなかった。
アーサーは最悪だとでも言うように露骨に顔をしかめ、びちゃびちゃの札を指先でつまみあげた。
「契約成立ね!」
「いや、これは……」
「言い出しっぺはあなたよ」
アーサーは否定しようとしたが、クリスに上から言い包められていた。
しぶしぶ了承してすぐ、思い出したように口を開いた。
「本番中、トラブルが起きたら入らないからな」
欠員も、機材トラブルも、オーディエンスの不足も許さないとアーサーは言った。
もちろんクリスは反発したが、アーサーが譲ることはなかった。
アーサーは既にかなりの譲歩をしてくれているし、仕方ないだろう。
「てか、なんで舞台なんかやることになったんだ」
その問いに対して答えたのはクリスだった。
クリスは、自分の路上ライブで迷惑をかけてしまったことを詳しく説明した。
「路上ライブをしてたのは、家族が原因か?」
アーサーの一言で、クリスの顔つきが変わった。
「なんでそうなるの」
「パルティトゥーラ家って、悪魔崇拝がどうのこうのって噂流れてるからな」
アーサーはさらに平然と踏み込んだ。
「――え?」
対するクリスはあっけにとられた様子。
けれどアーサーは止まらなかった。
「白冠教では、“歌”は禁忌だろ?」
妙に重みのあるアーサーの言葉に、クリスは沈黙した。
見つめてくるアーサーに戸惑ったのか、クリスは目を背けた。
白冠教とは、世界中に信徒を持つ悪魔崇拝の宗教で、歌を忌んでいる。
もしクリスの親が教徒なら、辻褄が合う。
アーサーはクリスからティッシュを受け取り、札を拭いて鞄に結びなおした。
「ドラムの枠に心当たりは無い。悪いな」
吐き捨てるように言って、アーサーは踵を返した。
開けっ放しの扉から出て、少し乱暴に扉を閉めた。
「……もう一人、探すか」
サムの言葉で、硬直していたクリスが我に返った。
けれどすぐには立ち上がらず、俯いたまま机の上で指先を組んでいた。




