前編
令和三〇年(二〇四八年)、初秋
今年も寒くのなるのが早かった。すっかり寂れた山村——というよりも住人は一人だけだ——の、粗末な一軒の家の玄関から、中年過ぎの男が外のようすをうかがっていた。
遠くから、かすかにディーゼルエンジンの響く音が聞こえていた。
「こりゃ、でかいトラックかもな……」
男はつぶやき、やや憮然とした表情になった。そのとき、家の裏手で物音がしたような気がした。男は一度、家の中へ戻ったが、またすぐに玄関先まで戻ってきた。
そのトラックの姿が現れた。かなりの大型である。荷台は幌で隠され、上部にはツタが絡まったような偽装ネットが張られ、暗緑色で、汚れているのか迷彩なのか分からない感じの見た目だった。それに、フロントガラスには傷やヒビが入っていた。
令和二十七年——つまり、西暦でいうと二〇四五年、人類は三度目の世界大戦へと足を踏み入れた。 奇しくも、第二次世界大戦の終結から百年周年という節目の年であった。
そして、開戦から三年が経ったが、状況の見通しは立っていなかった。
今に思えば、二〇二十年代の新型コロナパンデミックは人類に対して、とてつもないくらい控えめな方だったと言えよう。それからちょうど二十年後、今度は新型サーズによるパンデミックが起きた。
あきれたことに、人類は同じ過ちを繰り返した。しかも高い感染力に加えて、致死率もコロナパンデミックとは比較にならないほど大きかった。当然、世界は計り知れない打撃を受けた。
それと並行して、さも当然のことのように、世界各地で情勢不安が起きた。とりわけアジア地域では台中紛争と中国内乱、中印国境紛争や中東動乱、太平洋の向こうではアメリカ大暴動、ヨーロッパ方面ではロシア東欧騒乱などというものも起きた。そして、紛争の戦火はあっというまに燃え広がり、世界大戦へ発展したというわけであった。
やって来たトラックはタイヤをきしませながら、男の家の前で停車した。幌があるから、荷台に何が積まれているかまでは分からなった。
すると荷台の後部から、二人組が飛び出した。彼らは、まだ二十歳にもとどかないような顔つきの隊員だった。
くたびれた迷彩服に黒色のブーツ、腰には弾帯をきっちりと締めていたが、肝心の弾薬ポーチを付けていなかった。銃剣の付いた灰色の小銃をスリングで肩にかけていたが、その小銃に付いている弾倉の中に、満足に弾薬が入っているかどうかは怪しかった。
もっとも、資源に乏しい島国で、今も海上交通が危機にされている状況では、不足しているのは弾薬だけではないであろう。
つづいて運転台の助手席側からも、一人の隊員が降りてきた。そちらは、いくらか年長という感じだった。黒縁の、キズだらけアイウェアをかけて、事務的な表情をしていた。小銃ではなく拳銃を腰に下げていて、なにか書類を挟んでいるバインダーを手にしていた。
都市部や工業地帯は当然のごとく、攻撃を受けた。首都圏も例外ではなかった。それには核兵器も使われたが、多くの人知っているような、歴史の勉強とか世紀末映画なんかで見たものとは違っていた。
使われたのは、いわゆる戦術核兵器と呼ばれるもので、その出力は非常に限られていた。ピンポイントの攻撃で、工業地帯や各種インフラ、経済拠点の多くが破壊された。広範囲の放射能汚染もなければ、核の冬をもたらすものでもなかった。そうは言っても、受けたダメージが小さいわけではなかったが……。
意外だったのは、原発を含む発電所や鉄道、造船所など、一部の重要拠点が狙われなかったことだ。これも後から思えば、初めから占領するつもりだったのなら、重要インフラの一部を標的から外すのは当然の成り行きだったのだろう。
つまり、攻撃は非常に巧妙なやり口だった、ということであった。
統計的な数字だけで見るのならば、開戦当初の被害はさほどでもなかったと思われた。だが、産業基盤とライフラインの多くが破壊された以上、被害拡大を防ぐことは不可能に近かった。発電所はともかく、送電網にも多大な被害を受けたために、各地で電気が使えなくなった。
海上封鎖はもちろんのこと、国内に潜んでいた工作員による破壊活動も相まって、都市部では食料を含め、ありとあらゆる物資が不足し、枯渇し、多くの死者が出た。
よく分からない病気も流行した。もしかしたら、生物兵器でも使われたのかもしれなかったが、真相は不明だった。
たんなる天地災害であれば、国防隊による災害派遣ができたことだろうが、そうはいかなった。中共人民軍が大挙して沖縄地方へ、それに九州西部および南部へ、同時に押し寄せたのだ。国防隊は国土防衛が最優先された。市民は自分たち自身で、身の回りのことをなんとかするしかなかった。
これには、日米安保の大幅な改定のタイミングを、狙い撃ちしたのは明らかだった。いくら大国アメリカとはいえ、アジア地域の紛争に介入している余裕などなくなっていた。
それから、アメリカに限った話ではなかったが、各国のナショナリズムが急激に強まるなかで、国家間の関係性も急激に変わりつつあった。かつての国家間の相互協力や巨大経済圏などという考えは、まるで幻だったかのように思えた。
世界は、一国一強による国家自立、という考えが主流となりはじめていた。端的に言えば、自分の面倒は自分だけでみろ、ということであった。今の世界には、お互いに助け合う暇も余裕も無かった。
開戦時は、アメリカを含む他国からの支援が、ないわけでもなかった。だが、大がかりな支援をとりつけることは難しかった。そもそもこうした危機は、極東の海域だけではなかった。
全国列島各地での食料生産は、急ピッチで行われることになった。被害を免れた地方都市などでは、軍需用品を含む生活必需品の生産が最優先とされた。ガソリンといった燃料は、国防隊の部隊、公共交通機関や物資輸送、発電のためにそのほとんどが徴用された。各地の廃鉱山や北海道や東北の油田も、採算度外視で再開発が進められることになった。もちろん、個人がマイカーに乗るなんてことは、もってのほかだった。
宣戦布告を受けたときは誰しもが、まさか、ここまで大事になると予想もしていなかっただろう。当時の政府は、毎度おなじみの〈遺憾の意〉を表明するだけで、具体的な策を出そうともしなかった。
より正確には”どうすればよいのか、よく分からない”というのが、本当のところかとも思われた。
そうしているうちに、大規模攻撃の第一波が来襲し、沖縄が占領されたわけだった。攻撃の第一波以降は、本土の国民が詳細を知ることは無理だった。都市部への攻撃によって、主要メディアの施設も攻撃されたからだ。サーバーの拠点も壊滅、海底ケーブルまでやられてしまっては、インターネットは無用の長物だった。
政府は、残った地方のわずかなメディアを、国営として強制的に統合した。放送は断続的で、とうてい安定したものではなかったが……。一番マシなのは、再開されたAMのラジオ放送くらいなものだった。
軟弱な対外的姿勢のわりには、政府による国民統制の動きは早かった。二度のパンデミックを通して、憲法改正や公権力による私権制限を可能とした法案を可決していたために、極限的といえる混乱状況でも、国内は比較的スムーズに戦時体制へ移行できた。
無論、それらに対する抗議は出来るはずもなかった。どのみち、このような情勢とあっては、個人が好き勝手自由に行動できる状態ではなかった。今日を生きるか死ぬか、という状況なのだ。国土防衛戦争と称され、ありとあらゆる、さまざまことが制限され、強制される事柄も同じくらい多くあった。
銃口は下に向いていたが、小銃を手に構えた二人の隊員は周囲を警戒する素振りで、事務顔の隊員は、真っすぐと男の目の前まで近づいてきた。
「何事だい?」男の方から先に問いを発した。
「臨時徴用と、予備調査です」
事務顔の隊員は愛想笑いを浮かべていたが、アイウェアのレンズ越しに覗く目は、まったく笑っていなかった。
「へぇ。徴用と言っても、何を持っていくんだ?」男はわざとらしく呆れた顔を見せた。「大したものはないよ。それと私は畑仕事をしてる。農具は触らないでほしいね」
「ご指摘にはおよびません 我々は国防隊です。必要と判断したものを徴用します」
「んで、なにを?」
「まずは、建物内を拝見させていただきます」
「家に入るのか?」
「当然です。その権限も持っていますので。依然として、戦時下であることはご存知ですよね?」
「そりゃ、そうだが……」銃を持った隊員を前にして、男は引き下がるしかなかった。「ああ、わかったよ。勝手に見ていくがいいさ」
平屋の家は、どことなく昭和時代を思わせた。玄関を入ると土間があって、奥に台所が、部屋は和室で、一段登って入るようになっていた。
小銃を構える二人は素早い動作でに屋内へ入り、一人は土間を抜けて勝手口へ向かった。事務顔の隊員のほうは、入るなり顔をしかめた。
「なんですか、この匂いは?」
「ハーブティー」男は淡々と答えた。
「はい?」事務顔の隊員は怪訝そうに聞き返した。「そのようなものは、どこで手に入れたものです? 配給には無いはずです」
「庭に、雑草に混じって自生しているんだ」男はそっけなく答えた。「それで、自分でお茶をつくったのさ。上等なもんじゃないが……ほんとは、コーヒーが欲しいけどねぇ。おたくらは飲まないの?」
「失礼ながら」事務顔の隊員は咳払いをして続けた。「もとより、市民が必要とする生活物資は、政府による統制が義務化されています」
「別に、自分のとこで採れたものくらいよかろうに」
「ですが、この手製の茶葉は回収させていただきますよ」
「はいはい。んじゃあ、ご自由にどうぞ」
突然、「——長!」と隊員の一人が、家の裏手から声を上げた。
それが名前を言ったのか、階級で呼んだのか、男には聞き取れなかった。
勝手口から、薄汚れた服装の少女が現れ、その後ろに小銃を構えた隊員が続いて現れた。
「怪しい女が納屋に隠れてました!」
「やめろてよ!」銃剣を突き付けられて、少女はわめいた。「隠れてない! 私は何も悪いことしない!」
事務顔の隊員は、なにかメモを取りながら男に訊いた。
「あなたの娘さんですか? 少なくとも……夫婦とは思えませんね」
「妻でもないし、娘でもない」その言葉に、隊員も少女もぽかんとなったが、男は続けた。「親戚の子だ。納屋の片づけを手伝ってもらってた。とにかく放してやれ」
男は平然と答えていたが、その言葉はとっさの出まかせだった。
「まあ、よろしいでしょう。では、この娘さんご両親などは?」
男はその問いに、黙って首を振った。「生きてれば、ここに来る必要はなかったはずだ」
「どういう意味です?」
「そのくらい想像できるだろうが。いったい、どんだけの人が死んでると思ってんだよ」男はため息をついた。「とにかく、放してやれ」
事務顔はやや憮然としていたが、黙ってうなずき、身振りで指示を出した。 彼女は解放されると、土間の隅のほうにいって、むっつりとした顔で彼らを睨んでいた。
事務顔の隊員は、慣れたことだというような淡々としたようすで、書類に何か書き込んで続けた。
「ところで、こちらでは米の生産はいかがです?」
「うちは畑だけ。野菜ばっかりだよ」
「それはどうしてです?」
「そんなこと言われてもね……他所で作ってるだろ?」
「内陸の一次産業従事者は米、および小麦の生産が優先されています」
「でも、米だけじゃ栄養が足りんだろ」
事務顔の隊員は、手元のバインダーに視線を落とし、わずかに舌打ちをしたのが分かった。
男のほうも、自分が反抗的に屁理屈こねまわしていることは承知だった。
「だいたい、農協が把握してるんじゃないのか? とにかく、うちは野菜作りだけだよ。田んぼは他所でやってるだろうから。俺には米も小麦も、ノウハウがない」
「分かりました。では、野菜の増産に努めてください」
「へい、そうさせていただやす」
それから男は、土間の台所を隅々まで観察する事務顔の隊員に言った。「国防隊も仕事はご苦労なことだろうね」
「それは、どういう意味です?」隊員は不審げな表情を浮かべた。
「なあに、深い意味はないさ。大変だろうね、って話だよ。まあ、今は誰も苦労ばかりだが。俺も、もう少し若ければ、志願していたかもしれん。どうだい、休憩がてら、お茶でも飲んでいくかい?」
「いえ、ご心配は無用です」
そうして、仕事を終えた隊員たちは、足早にトラックに乗り込むと、排ガスをくすぶらせながら行ってしまった。結局、男の作っていた僅かな量のハーブの茶葉以外には、なにも取っていかなかった。




