1.王都へ
――異世界生活二ヶ月と十三日目。
朝食を済ませてしばらくすると、レベッカさんが教会にやってきた。
「おはようございます。カザマ、エリカ、準備は出来ているかしら?」
「おはようございます。今日も元気ですね……それから、嬉しそうですね」
レベッカさんの溌剌な口調は、いつも通りに聞える。
でも笑顔の方は、時折頬が緩み、普段より数割増しに見えた。
「そうね……ベネチアーノへは、行けなかったから……」
レベッカさんが含みのある笑みと口調で答えると、
「あーっ! それっ! 私も行きたかったわ……」
エリカも話に食いつき頬を膨らめせる。
「あ、あれは、俺の誕生日祝いの旅行と初めに聞いたけど……。実際は、ヘーベの宝石を取り戻す依頼だったんだ。……まあ、確かにレジャーも兼ねていたのも事実だが、大変な目に遭ったんだからな」
ふたりの圧力に押されつつも、決して遊びのためだけの旅行ではなかったと強調させた。
あの旅は誤解を招いて孤立するは、色々なアクシデントに遭遇して気苦労が堪えなかったのだ。
俺の言葉を聞いたヘーベは、何か勘違いをしたのか柳眉を寄せる。
「あらっ? カザマは、何か不満があったのかしら? 礼拝堂で、私に懺悔したことを忘れたのかしら……」
忘れようとしていた嘗ての出来事が脳裏を過ぎった。
俺は額に汗を流し、これ以上嘗ての話題に触れられるのを避けようと必死になる。
「そ、その件は、ちゃんと謝ったじゃないですか! もうーっ……嫌ですね……過ぎたことではなく、これからのことを考えましょうよ」
「そうですね。確かに懺悔もしたことですし、これからのことを考えなくてはいけませんね……」
ヘーベは小さく笑みを浮かべ、口端を吊り上げた。
俺はヘーベの表情に訝しさを覚えるが、旅の準備を進める。
俺とエリカは少なめの旅支度を済ませると、外に出て教会の前に立つ。
ちなみに、まだ一言も声を出していないが、コテツも俺の傍にいる。
エリカとレベッカさんはヘーベに声をかけ、静かに頭を下げた。
「「それでは、行ってきます」」
「それじゃあ、行って来ます! 何かあったら、グラッドに相談して下さい」
俺はいつも通りヘーベに挨拶する。
グラッドには前日、いつも通り酒場でヘーベのことを頼んでいた。
「分かりました。それでは我が従者、カザママサヨシとミヤモトエリカに青春を!」
ヘーベは頷いて返事をすると、定番のセリフで俺たちを見送ってくれた。
エリカにも毎回同じセリフで見送っているのかと、突っ込みたかったが我慢する。
――ヘーベは、カザマたちが厩舎の方へ歩いて行く様子を、教会の前で見つめていた。
「全く……あいつは、この俺の正体を知っても以前のままで……もう少し驚いたり、疑ったりするかと思っていたのに……肝心なところで抜けている」
「うふふふふ……グラッド。あなたが口篭る姿を初めて見ましたよ。あなたもカザマのことを気に入っている様ですね……それにカザマは、これからも成長するでしょう。もしかしたら、あなたに匹敵する程の成長を遂げるかもしれません。それから、今後も彼らの行き先には、更なる試練が待っているでしょう……」
ヘーベは後ろから話し掛けて来たグラッドに、いつもより饒舌に語る。
グラッドは小さく笑いながら頷いた……。
――厩舎。
俺はエリカの馬を気にしていたが、俺やレベッカさんと同じくらいの名馬に跨っている。
「エリカ、その馬はどうしたんだ?」
「えっ!? そんなのマー君やレベッカさんと同じで、カトレアさんに借りてるに決まってるじゃない。レベッカさんの馬が三男のラブで、私の馬が四男のホープよ」
エリカは当然のことを、何故聞いてくるんだと言わんばかりに、怪訝な表情で俺を見つめた。
(エリカが俺の後ろに乗りたがると思って、不安だっただけなのだが……)
これだけの名馬を何頭も気軽に貸すことが出来る、カトレアさんの家の力を改めて実感する。
俺たちは三頭の名馬を駆ってオルコット村に入ると、カトレアさんの屋敷の厩舎に向かった。
――オルコット家の屋敷。
厩舎でそれぞれの馬から降りると、モーゼスさんがやってきた。
「皆様、おはようございます。本日は王都に向かわれると聞いております。王都までの道のりはベネチアーノよりも長く、乗り込まれる皆様の人数も多くなるとのこと……そこで、四頭引きの馬車にさせて頂きます。カザマ殿、こちらへ……」
「えっ!? ち、ちょっと、モーゼスさん、何で俺だけ……」
モーゼスさんは俺たちへ簡単に説明すると、俺だけ事前に用意されていた四頭引きの馬車の所へ連れて行き、御者の練習をさせる。
以前と同じく指導する時のモーゼスさんは厳しかったが、二頭引きより多少違う感覚を掴むと時間は掛からなかった――。
俺が練習している間に、ジャスティスたちは四頭引きの馬車になっている。
俺は、エリカとレベッカさんが馬車へ乗るのをエスコートすると、屋敷の玄関前まで馬車で移動した。
玄関前にはカトレアさんが待っている。
「おはようございます。今日は以前よりも更に立派な馬車になりましたね」
「おはよう。そうね……今回は王都へオルコット家の者として向かうから、家の事情もあるわ。カザマたちは気にしないで頂戴」
俺が挨拶をすると、カトレアさんは返事をして馬車の説明をしてくれたが……。
(俺は、王さまに呼ばれていて主役の筈なのですが、今回も御者をさせられるのでしょうか……。馬車が立派になっても、俺は面倒になるだけではないでしょうか……)
俺は心の中で理不尽な状況を嘆いたが、自分しかいないのだと割り切ることにする。
そしてカトレアさんを乗せた後、モーガン先生の家に向かった。
――モーガン邸。
モーガン先生の家の前で馬車を停めた。
すると、玄関からアリーシャとアウラ、モーガン先生が順に現れる。
アリーシャとアウラは旅支度を整えていたので、アウラの荷物が気になり視線を移すが。
今回は、以前の様な大量の荷物ではなかった。
アリーシャが事前に荷物を見てくれていたのだろう。
ビアンカがいなかったが、前回と同じ様に屋根の上からこちらを窺っている。
「先生、おはようございます。みんなも、おはよう。準備は済んでいるようだな……」
「おはよう。カザマ、今回も頼むぞ!」
「おはよう。カザマ、王都は人が多いから緊張するけど、よろしくね……」
「おはようございます。今回もよろしくお願いしますね」
俺の挨拶の後で、モーガン先生、アウラ、アリーシャの順に返事が返ってきた。
ここで俺は、前回の旅行前を思い出す。
「アリーシャ……そういえば、今回は大丈夫なのか? 俺が聞くのも何だか、先生のお世話は……」
「はい、大丈夫です。今回もカトレアさんが、お手伝いさんを呼んでくれると言ってました」
アリーシャの返事を聞いて、エドワードさんのことが頭を過ぎったが、深く考えない事にした。
俺は、屋根の上で落ち着きなくしているビアンカに声を掛ける。
「おーい! ビアンカも準備は良いか?」
ビアンカは、以前と同じ様に巾着袋の様なものを見せた。
一通りみんなの様子を確認した俺は安堵して、コテツに顔を向ける。
「ところで、コテツ。リヴァイを呼びたいのですが……一度契約して呼び寄せた場合でも、同じ様に召還しないといけないのですか?」
「うむ、やっと私に話し掛けたと思ったら、そんな用件か……」
「えっ!? もしかして、寂しかったのですか?」
「ち、違う! 私にだけ挨拶もなしに……不敬ではないか」
俺は忙しくてコテツを構ってやれず、拗ねているのだと思った。
しかも、やっと話し掛けた内容がリヴァイに関してなので、余計癇に障ったのかもしれない。
「そんなことはありませんよ。昨日は色々と疲れていた様なので、俺なりに気を使ったつもりでしたが……」
「うむ、そうなのか……」
俺は頬を掻きながら話したが、コテツは満更でもなさそう感じに見える。
「コテツさま、騙されては駄目よ! カザマはすぐに調子の良いことを言うわ」
「コテツの兄ちゃん、カザマは嘘を付く時によく頬を掻くっすよ!」
「あらっ? ビアンカは、マー君のことを良く分かってるじゃない」
アウラが余計なことを言ったと思ったら、ビアンカは屋根から降りてきて、更に余計なことを言った。
アウラはいつものことだが、ビアンカは普段あまりこういう絡み方はしないので、コテツのためにとお節介を焼いたのであろう。
エリカは単にビアンカの言葉に感心している様だったが、空気の読めない発言は止めて欲しい。
「うむ、聞き捨てならないことを聞いたのだが……」
コテツの表情は分からないが、雰囲気から訝しげな様子が伝わってくる。
俺は必死で誤解を解こうとするが、思わず本音を口にしてしまう。
「ち、違いますよ! 今日は色々と忙しい上に、手の掛かる人が多いので……」
「あらっ? 手の掛かる人が多いと言ったけど、具体的に誰のことを言っているのかしら?」
カトレアさんは俺の言葉に敏感に反応し、突っ込んできた。
みんなも俺の顔を訝しげに見つめている。
「そ、そんなの……アウラのことに決まってるだろう! いつもいつも余計なことばかり言って……それから、さっきは少し言い間違えただけですから……」
俺はアウラに拳をチラつかせて、これ以上余計なことを言わない様に牽制すると、後は勢いで誤魔化した。
「カザマ、いくら私のことが……そ、その好きだからって、私にばかり意地悪なことを言わなくも……」
アウラがまた何か誤解したのか、飛んでもないことを言い出す。
それを聞いたカトレアさんとエリカが見事に反応する。
「な、何ですって……」
「マー君! どういうことなの?」
俺は、アウラを叱るついでに誤魔化そうとしたのが、裏目になったと後悔した。
(コテツ……分かりますか? 今の状況のことを言いたかったのですよ! 手の掛かる人たちが、目の前にいるのが分かりますか?)
俺は心の中の声、念話でコテツに真意を伝えた。
「うむ、分かった」
コテツが俺の気持ち汲んで返事をしてくれたのは良かったが、当然みんなには分からない。
『えっ!?』
みんなは一斉に驚き、声を上げる。
「コテツ……い、今のは、どういう意味かしら?」
「コテツ、私も気になるわ?」
カトレアさんとエリカが、すぐに反応してコテツを問い詰めた。
アウラとビアンカは、そわそわしてコテツに遠慮している様に見える。
アリーシャとレベッカさんは落ち着いた様子であった。
「今のは念話であろう……もういい加減、出発が遅れるから、その辺にしてやってくれ」
モーガン先生の話しを聞いて、一瞬みんな驚いた表情をしたが、すぐに落ち着いた表情に変わる。
カトレアさんとエリカは興奮していたが、流石に出発の時間を指摘されて冷静になったみたいだ。
俺はやっと落ち着いたと思い、再びコテツに尋ねる。
「それでは、リヴァイの召還について教えてもらいたいのですが……」
「うむ、一度契約しているので、先程私に話し掛けた様に、念話で呼びかけることが出来る。――だが、これだけ何をするにも混乱する様な状況では、余計に収拾がつかなくなるのではないか」
コテツの話を聞き、黙って頷き納得した。
元々、何かと相談に乗ってもらっているコテツの負担を軽くしようと思って考えたことである。
これ以上の厄介事は必要ないと判断した。
俺は出発の準備が整い、肝心な事に気づきカトレアさんに声を掛ける。
「カトレアさん、南に向かうことは分かりますが、俺は土地勘がなくて……」
「王都までは日中だけの移動で、四日間掛かるわ。一泊目は宿場街に宿泊して、二泊目は『フィレンツーノ』という大きな街があるから、そこで一晩泊まるわよ。まずは村から街に向かって、街から南へ道なりに進んで頂戴。王都までは四日目の夕方までには着くと思うわ」
「あ、ありがとうございます。それでは、そろそろ出発しますよ」
今回もカトレアさんから丁寧に説明してもらい、何となく不安を抱きつつもみんなを馬車の中へ誘導した。
六人掛けの馬車の一番奥にカトレアさんが座り、それに合わせて乗り込み始める。
カトレアさんの横にアリーシャ、向かいにエリカ、レベッカさん、アウラの席順だ。
御者台の俺の隣には、コテツとビアンカがいる。
「先生、行って来るっす!」
ビアンカは、御者台からモーガン先生に手を振った。
ちなみに、今回は遊びに行く訳ではないのでエドナは参加していない――。
今回も、途中でエドワードさんが馬に乗って現れた。
カトレアさんを見送りに来たのだろうが、馬車と並走して何かしら叫んでいる。
しかし、カトレアさんは何事もないような涼しい顔をしていた。
「エドワードさん……心配なら一緒に行きますか?」
俺はそんな様子を見て、今回も気の毒に思い声を掛けた。
「いや、すまない……大丈夫だ。昨晩、俺も心配でカトレアにそう言ったのだが、カトレアから尊敬する師匠の世話がいなくなるからと頼まれてな……」
「えっ!? やっぱり、モーガン先生のお世話をするのって……」
その先は、お互いに会話を控えた……。
(貴族の長男がシスコンであるために、本当にお気の毒に……)
俺はエドワードさんの扱われ方が、いつも理不尽な目に遭っている自分と重なり同情する。
――道中。
俺たちの馬車は村を出発してから、一時間弱でヘーベルタニアの街壁近くにいる。
荷馬車で二時間くらい掛かり、前回のカレッジとジャスティスの二頭の時も一時間半くらい掛かったことを考えると、流石は四馬力だ。
今回も後ろの五人が、どんな事を話しているか気になったが良く聞こえない。
耳を澄ませば聞こえる気がしたが、今回も深く考えなかった……。
「なあ……ビアンカは、楽しみにしてるか?」
「な、なんすか? いきなり……」
「いや、前回は色々な事があったから、今回はどうかと思って……」
「この前は、初めて海を見れたし……温泉にも入れて、面白いことがたくさんあったっす。でもアタシは、人込みは苦手っすね……」
ビアンカは遠くを見る様な眼差しをしていたが、決して感傷的になっている訳でもなさそうだ。
前回に比べて心なしか表情や尻尾の動きが少ない様な気がしたが、人込みを気にしているのだろうか。
俺は、ビアンカからコテツに話し相手を変える。
「コテツは、王都のことは知っているのですか?」
「うむ、以前から何度も言ったが……私は最近召還されたばかりだから、詳しいことは知らない。だが、気になることならある……」
「何だか気になる言い方ですね……」
「うむ、カザマは疑問を抱かないのか?」
世間話をするつもりでいたが、コテツの言葉を聞いて首を傾げた。
「何か、問題があるのですか?」
「うむ、特に問題はない……だが、ただの冒険者を一国の王が、わざわざ呼び寄せる理由が分からん」
俺は驚愕し顔を歪める。
手の掛かる仲間たちの面倒ばかりに気をとられて、気に留めなかった。
それでも、不安を払拭させようと声を出す。
「あっ!? で、でも……俺たちの活躍を評価してくれているみたいですが……」
「うむ、それなら王都から褒賞を運べば良いだけではないか? 貴様は、国を救う程の功績を上げた訳ではあるまい」
コテツの話を聞いて、今度は完全に正論であると認める。
「分かりました……ですが、引き返す訳にもいかないので、気をつけることにします」
「うむ、それで良いだろう。貴様は、すぐに調子に乗るから戒めることだ」
確かにコテツの話しは筋が通っているが、結局は最後のことを言いたかっただけの気がしてならない――。




