2.ゴブリンたちとの生活
――異世界生活一ヶ月と二十五日目。
エリカから逃げてゴブリーノ族の集落に匿ってもらい二日過ぎた。
俺は今、集落の子供たち十人程に物語の読み聞かせをしている。
ここでも毎日通える子は少ないようだ。
それでも、覚えの速い子は少しずつ文字を書き始めている。
(ゴブリンは、人間より賢いのでは……)
俺は何度も声に出し掛けては、息を呑んだ。
――不意に、周りが騒がしくなった気がすると。
「カザマ! 遊びに来たっすよ!」
ビアンカの声が近づいて来る。
(キラーアントを駆除した時のビアンカの報酬だったな……)
ビアンカが建物の横から姿を現したが、アウラも一緒だった。
(あの時の報酬でビアンカには同伴者が必要で、アウラの事も話したな……)
その時のことを思い出して、懐かしさに耽っているとふたりがすぐ傍まで来た。
アウラは顔を真っ赤に染めてそわそわしている。
「あの……この前は、ゴメンなさい!」
謝罪の気持ちもあるが、知らないヒトばかりで恥かしいのだろう。
そんなアウラの気持ちは伝わったが、
「もう気にしてないから良いぞ。それに、もう慣れた……」
俺の気持ちは冷めていた。
アウラは拍子抜けした様に俯きかけたが、
「……そんな、素っ気無く言わなくても……私は凄く恥かしかったけど、頑張って来たのよ! そもそも私は、また頭を叩かれたのだから……」
すぐに柳眉を吊り上げ向きになる。
そんなアウラの様子に俺は苦笑した。
「お前は謝りに来たのか、俺に喧嘩を売りに来たのかどっちなんだ……」
笑いながら返事をすると、アウラの頬の赤みが薄っすらとして小さな笑みが毀れる。
「あのー……アタシもいるっすよ」
ビアンカは蚊帳の外にされたと思ったのか、頬を膨らませた。
その様子を見て、俺とアウラは笑い出す。
俺は落ち着いたところで、ふたりに尋ねた。
「……そ、それで、最近の様子はどうだ……」
他のみんなには聞き辛いが、ビアンカとアウラは普通とは異なった世界観を持っているので、こういう時には話し易い。
「特に変わりないっすよ」
「カザマがいなわいわ」
(そう、こんな感じに、自分本意で……)
「いや、そうじゃなくて! 俺がいなくてアリーシャが心配してるとか、カトレアさんがイライラしてるとか、エリカが来なくなったとか……」
俺が身振り手振りで説明すると、
「そういえば、アリーシャが、塩がそろそろなくなると言ってたっす。それから、エリカは子供たちに算術を教えてるみたいっすよ」
「そうね、エリカの方が子供たちから人気があるみたいよ。カザマより教え方が優しいわ! カトレアさんもエリカが、カザマと同じで貴族じゃないかって大騒ぎしてたわね。それから、カザマがここで勉強を教える約束になっていたから……忘れずに行ってくれて助かったと言ってたわ」
(確かにそうかもしれないが、ヒドクねぇ!)
俺はビアンカとアウラの話しを聞くと、溜息を吐いて項垂れた。
(エリカが来たせいで、俺が左遷させられたみたいだ……)
「先生、続きを速く!」
俺たちの様子を見ていた子供たちが、俺に授業の催促をしてくる。
俺は子供たちの眩しい瞳に身体を震わせた。
「カザマ、良かったすね。人気者みたいっすよ!」
「そうね、カザマは本当に誰ともでも仲良くなれて羨ましいわ!」
俺は笑顔で子供たちを見つめていたが、顔を強張らせて二人に顔を向ける。
「ふたりとも褒めてるのか分かり辛いぞ。それより、折角だから手伝ってくれ。流石に、教科書とかなくて……独りで教えるのは、大変だと思っていたんだ」
アウラは俺の話を聞いて首を傾げた。
「それは良いけど……教科書って、何かしら?」
「ああ……俺の国では、学校があって……!? 学校とは、青空教室よりも大きくてたくさんの子供たちが勉強する施設のことだ。それで、みんなと一緒に勉強するのに、同じ本を使うのだが……それを教科書と呼んでいる。みんな同じものを使うと効率的だろう?」
アウラは碧い瞳を見開いて輝かせると、驚きの声を上げる。
「ええー!? 学校って……何? 同じ本を……全員が持っているという事かしら?」
学校と教科書に余程驚いたのか。
学校について簡単に説明したが、理解出来なかったようだ。
俺はこれ以上説明出来ないので、軽く聞き流す様に笑みを浮かべる。
「そうだ……流石にアウラは賢いな。それより、子供たちを教えるのを手伝ってくれ!」
アウラは碧い瞳をパチパチさせて俺を見つめていたが、俺はアウラの頭を撫でて適当に誤魔化した。
ビアンカは、何か言いたそうに目を細めていたが気にしないことにする――。
結局、アウラとビアンカは子供たちの期待に感化されたように、読み書きを教えるのを手伝ってくれた。
アウラは恥かしくて教えられないかと思ったが、子供に対しては人見知りしないようだった。
ビアンカも戦力にならないかと心配していたが、基礎的なことは習得済みで意外と教えるのが上手かった。
俺たちは、三にんで夕方近くまで教えた。
明日もふたりが昼過ぎから手伝いに来てくれることになり、ビアンカには帰る前に塩が入った袋を持たせた。
――異世界生活一ヶ月と二十六日目。
翌日の午後、子供たちに勉強を教えているとビアンカとアウラが現れた。
昨日ふたりが子供たちに勉強を教えていたことが広まり、今日はふたりとも歓迎されたようだ。
ビアンカは歓迎されたのが初めてだったのか、照れ臭そうにしている。
「ビアンカ先生、今日もよろしくな!」
俺は笑みを浮かべ、ビアンカに拳を肩の高さに上げて親指を立てた。
ビアンカの引き攣った笑顔が険しくなる。
「馬鹿にしてるんすか!」
怒鳴り声を上げるビアンカの横から、アウラも顔を赤く染めて声を上げた。
「カザマ、それは前にも言ったけど、見ていてイライラするから止めて! それから、私もいるのだけど……」
俺は、ふたりの怒った姿に萎れた様に俯いてしまう。
「悪かった……でも、そんなに怒らなくても……別にアウラを無視した訳じゃないぞ。それに、ビアンカがみんなに歓迎されて、照れ臭そうにしていたから……」
俺は頬を掻きながら、ふたりに謝り言い訳した。
ビアンカは頬を染めたまま顔を背けていたが、視線をこちらに向ける。
「カザマは、すぐに調子に乗るから気をつけた方がいいっすよ!」
「はい、気をつけます……」
調子に乗るという事に対しては、見に覚えがあったので素直に謝った。
しばらくして、ふたりとも二日目なのに、すっかり慣れたようだ。
アウラは兎も角、ビアンカも先生と呼ばれている。
俺は、何度もビアンカを冷やかしたくなったが我慢した。
勉強は途中で一度、息抜きを兼ねて休憩時間を作っている。
トイレなどは自由だが、学校の放課の様な時間を設けたのは、お互いを知る上でも大切だと思ったからだ。
普段、家の仕事とかで多忙な子供たちのために、コミュニケーションの時間を作ったのである。
休憩の時間になると、昨日と同じ様にふたりに尋ねた。
「……ところで、俺がいなくて変わったことはないか? 例えばアリーシャが寂しがってるとか、カトレアさんがイライラしてるとか、エドナが俺に勉強を教わりたいとか……」
ビアンカは怪訝な表情で俺を見る。
「なんすか? そんなにたくさん……昨日話したばかりっすよ」
アウラもビアンカと同じ様に口を開く。
「そうよ。みんな特に変わりないわ。エドナはエリカが教えてくれて分かり易いと言っていたわ」
俺は、ふたりの言葉に顔を引き攣らせるが、
「えっ、そうなんだ……」
興味がなさそうに答えて顔を逸らした。
だが本当は、益々自分が左遷させられた気分になり、落ち込んでしまう。
アウラはそんな俺の表情を見て、碧い瞳を見開いた。
「そんなに落ち込まないで! エリカはカザマに会いたがって……今日も一緒に付いて来ると言って、大変だったのだから」
アウラは励まそうとしたようだが、その言葉に思わず俺はアウラの肩に掴みかかる。
「はあーっ!? も、勿論、断ってくれたよな! 後から現れたりしないよな!」
アウラの両肩を揺すりながら声を荒げる俺に、アウラは頬を染めて声を上げた。
「ち、ちょっと、そんなに興奮しないで! カザマは興奮すると、その……いつも私に顔を近づけてくるわ」
俺は、アウラの両肩から手を離して頭を下げる。
「す、すまん……つい、向きになってしまった……その、エリカは色々と騒ぎになるから、出来れば連れて来ないで欲しいのだが……」
力なく声を上げる俺に、ビアンカが素っ気無く答えた。
「大丈夫っすよ。エリカは森に慣れてないのが分かって、朝はアタシと狩りで練習中っす。それに、どうせカザマのことだから、エリカは集落に入れないようにしてるんじゃないっすか?」
ビアンカがさり気なく口にした言葉に、俺は驚愕する。
「はあっ!? 誰に聞いた……ピーノか? ビアンカの知り合いは、ピーノくらいだよな……」
そして、ビアンカと仲の良さそうなヤツはと……辺りを見渡した。
俺は、思わず挙動不審な行動をしてしまったのか、子供たちが俺を見ながら笑っている。
ビアンカは疑われて機嫌を損ねたのか、口を尖らせた。
「そんなの誰かに聞かなくても分かるっすよ。それから、エリカはカザマと違って森に慣れるには、時間が掛かるっすよ。そもそも、カザマが特別っす」
俺はビアンカの返事を聞いて安心すると、今日はビアンカの頭を撫でる。
「ちょっと、急になんっすか……」
ビアンカは、言葉とは裏腹に尻尾が左右に揺れていた。
今度は、アウラが何か言いたそうに頬を膨らませ睨んでいたが、気にしないことにした――。




