第43話 あなたがわたしを選ぶまで
リヴィア襲撃の報を聞いて、王宮を飛び出してきたのはセレスティアだった。
政務を投げ出し、護衛すら連れず、ただ一頭の馬に跨って現れたこの国の「女神」の姿に、ヴァルトは呆然としたまま立ち尽くすしかなかった。
「リヴィア! 怪我はない? 怖かったでしょう? もう王宮から出ないで。これからは、わたくしとずっと一緒にいましょう。貴女に何かあれば、わたくしは――」
「大丈夫です、お姉様」
静かな声が、セレスティアの焦燥を和らげた。
「ああ、リヴィア……“お姉様”と、呼んでくれるのね……嬉しいわ……!」
涙ぐみながら抱きついてくる姉に、リヴィアは戸惑いながらも微笑みを返す。
放心したままのヴァルトも巻き込み、三人はそのまま王宮へと帰還した。
襲撃犯のドロテアは、リヴィアの護衛によってその場で拘束され、王宮の地下牢へと移送された。
王女殺害未遂――それは国家における最も重い罪のひとつ。
処刑を免れることは難しいだろう。
「陛下……お願いがございます」
その日のうちに、ヴァルトは王座の前にひざまずいた。
頭を深く垂れ、悔いも迷いもない、ただ一つの願いを捧げる。
「どうか――どうか、リヴィア王女殿下へ求婚することをお許しください」
しばらくの沈黙の後、アレクシスは呆れたように鼻を鳴らした。
「ふん……ようやくだな」
立ち上がると、ヴァルトを見下ろしながら言葉を続けた。
「男たるもの、愛する者に相応しくないと自覚するなら、相応しい地位や力くらい、自分の手で手に入れてみせろ――私はそうしてきた」
彼がセレスティアを「手に入れる」ために払ってきた犠牲と努力は、語らずとも重い。
だが、口調は次第に柔らかくなる。
「とはいえ……私は寛大だからな。義妹の幸せを第一に考えよう」
そして、ゆっくりと宣言した。
「フェルシェル侯爵、ヴァルト・ラインハルト・フォン・フェルシェル。そなたに、我が義妹リヴィア・ミレイユ・エルセリオへの求婚を許す」
高らかに告げるその声に、謁見の間が静まり返った。
「隣国になど嫁がせてたまるか。……セレスティアが後を追ってエリュサリオスまで押しかけるぞ。あの国王がどれほど孫娘を溺愛しているか、お前も知っているだろう。帰ってこなくなったら困る」
それは半ば冗談のように聞こえたが、実のところ本気でもあった。
「では……エリュサリオスの王子との縁談は?」
ヴァルトが眉をひそめて問うと、リヴィアもまた驚きに目を見張る。
まさか、縁談の相手がそんな人物だったとは思ってもみなかったのだ。
「それは――私の妹、エレオノーラへの縁談だ。リヴィアの縁談相手など、最初からお前以外に考えていない」
その一言に、ヴァルトの力がふっと抜けた。膝をついたまま、肩が小さく揺れる。
「ラインハルト将軍にはすでに話を通してある。……たまにはセレスティアにもリヴィアを会わせてやれ。妹に会いたくて国を放り出す王妃を止めるのは、私でも大変なのだからな」
最後は苦笑まじりの言葉で締めくくられた。
*
本格的な夏の訪れを前に、フェルシェルの町に一台の馬車がゆっくりと到着した。
町の人々は手を止め、道の両脇に集まり、その馬車を見つめる。
馬車の扉が開く。最初に姿を現したのは、この地の領主にして“鉄心卿”の異名を持つ男――ヴァルトだった。
彼は無言で手を差し伸べる。柔らかく、確かに、迷いのない手だった。
白いレースの手袋をした小さな手が、その手にそっと重なる。
ゆっくりと、慎ましく、けれど誇り高く――リヴィア・ミレイユ・エルセリオが馬車から降り立った。
半年ぶりに戻ってきた彼女を迎えたのは、フェルシェルの領民たちだった。
誰よりも先に、イザベラが一歩進み出て、いつもの優しい笑顔で言う。
「おかえりなさいませ、リヴィア様」
その一言に、リヴィアは目を細め、まぶしいほどの笑顔を浮かべた。
「……ただいま」
短い言葉に、たくさんの想いが込められていた。
孤独だった過去も、涙に濡れた日々も、すべてが“ここ”にたどり着くためにあったのだと――今なら、そう思える。
――こうして、王国の片隅に生まれ、忘れられていた王女と、
彼女を護るためにすべてを捧げた男の物語は、静かにその幕を下ろす。
けれどそれは、物語の“終わり”ではない。
これは、ようやく始まる――ふたりの、新たな人生の第一歩だった。
最後までお読みいただきありがとうございます。




