スコルピウスの館②3
翌日、リオンは話し合いのためソビシュ伯爵の館に出向いていた。
ラウリーヌはいつものようにプレイルームで遊んだ後、居住棟へと向かう回廊を一人歩いていた。
今夜は新月。
回廊の柱にはランプが取り付けられているが中庭は闇に覆われ、中央にある噴水の音だけが耳に届いてくる。
リオンのあの頑固さはなんなのか。自分ならばリオンと南部の橋渡しもできると思うのだけれど。
そんなことを考えていると、不意に前の方から足音が近づいてきた。
ラウリーヌは左腕の袖の中に仕込んである小さなナイフを右手で握った。
前からやって来たのはリオンの腹心ジャンだった。
(腹心と自分が思っているだけでしょうけどね。それにしても舐められたものだわ。気配も隠さず近づくなんて。)
「あら、ジャン。リオンと一緒に行ったのではなかったの? それとも腹心とは名ばかりなのかしら。」
ジャンは微笑むラウリーヌを無言で睨み、剣をすらりと引き抜いた。ラウリーヌに向かって構えられた剣をラウリーヌは一瞥する。
「私の要求を聞いていただきたい。ラウリーヌさま。」
ラウリーヌは右手に持つナイフを強く握りしめながら、顔は穏やかなまま首を傾げる。
「宮廷に上がる前になんの要求? 今リオンは南部貴族との話し合いの真っ最中。私になにを言っても無駄よ。」
「イーヴさまがこの国の国王として即位した後、あなたには身を引いていただきたい。」
「……理由を聞いてもいいかしら?」
「あなたはイーヴさまにとって毒なのです。あなたのおかげでイーヴさまが王位を奪還するのに前向きになったことは感謝しますが、あなたの望みはなんでも叶えようとする。……国が傾いてもです。」
「あら、私が国を傾かせるようなことを望むとでも? 私はこの国の民でもあるのよ?」
「……あなたは、この国を、イーヴさまを愛してはいないでしょう?」
ラウリーヌは返事ができなかった。ラウリーヌにとってリオンはどこまで行っても淡い初恋で終わった相手だった。それにこの国に恨みはあれど愛はない。かろうじて南部に思い入れがあるだけだ。
「残念だけど確約できないわね。明後日には宮廷に行くわ。国王のそばに行けば多少なりとも事態は動き出すわ。そこから考えてもいいでしょう。」
「いいえ、あなたはイーヴさまにふさわしくありません。」
ラウリーヌは呆れた。考えが浅すぎる。
リオンはラウリーヌのために動いている。ラウリーヌが消えればどうなるか想像もできないのだろうか。
(まあ、利用している私も私だけれど。)
「こうなれば力づくででも要求を飲んでいただきます。イーヴさまが即位なされた後、消えてください。」
「では、あなただけでリオンを支えることはできるのかしら?」
「黙れ!」
ジャンはラウリーヌに剣先を向けた。
(リオンは幸せ者ね、ここまで心酔してくれる部下がいるなんて。……重荷でもあるけど。)
リオンはジャンを伴わずソビシュ伯爵邸に行っている。それがジャンの焦りを加速させたのかもしれない。
ふっと笑いをこぼしながら視線を下げたラウリーヌに向けて、怒りの形相のジャンが向かってきた。
(ここで私を殺す気? 冷静さを欠いて何もかもぶち壊すのかしら。……でも、まともにジャンとやり合ったら敵うはずがない。しかも私の手にはナイフしかない。)
ナイフで剣を弾きながら身を翻すが、重いドレスが恨めしい。
ラウリーヌが次なるジャンの攻撃をかわそうとした時、店と居住棟を繋ぐ回廊を照らしていた柱のランプがパリンパリンと音を立てて割れていき、周囲は闇に包まれた。
(なに? ジャンの部下の仕業!?)
その考えはジャンの怒鳴り声でかき消える。
「だ、誰だ!」
気がつくと、一人の男性がラウリーヌの前に立ちジャンと対峙している。
長身で黒い髪、そして風に乗ってふわりとシダーウッドの香りが漂う。
その香りで懐かしい記憶が溢れ出してきた。
(まさか……。)
男がわずかに横を向き、微笑んだ。
「君は……、変わってないようだ。」
ラウリーヌは瞬きを忘れて目の前の背中を見つめる。
「邪魔をするなっ!」
ジャンの剣をキイィンと弾き返した男が叫んだ。
「ラウリーヌ、捕まれ!」
えっと思う間にラウリーヌは男に抱えられ、そのまま体がまっすぐ上にかなりな速さで引き上げられた。
「ひゃあっ。」
あっという間に回廊の屋根の上に引き上げられると、いく人かの男たちの小さな歓声が上がる。
「走るぞ!」
理解が追いつかない上に激しい鼓動が止まらない。背中を支えられ屋根の上を疾走する。
(え? 走ってる?)
ラウリーヌは自分の背中に手を当てて、共に走る男を見上げた。
見間違えるはずがない。その横顔は、ずっとずっと忘れることなどできなかった最愛の人だ。
(ジョスラン? 本当にジョスラン?)
「飛ぶぞ。」
「へ? ひゃああぁっ。」
夢なのか現実なのか考える前に二人は疾走の勢いのまま屋根から飛び降りた。




