ルノヴァン宮殿③
「冬色の氷の貴公子」と呼ばれるランベール・ヴァレリー侯爵は、一冊にまとめた書類を持ってルノヴァン宮殿内の大理石の廊下を歩いていた。
まだ夕方であるのに宮殿全体が閑散としている。
遊興で身を持ち崩し参内する余裕のない者、盗賊の取り締まりができなかった国王に反発する者が領地から帰ってこないなど、影響がじわじわ出てきている。
最近は舞踏会や晩餐会を開く回数も減ってきた。
ローランド国王と同じ年齢のランベールはローランドと共に内乱に巻き込まれ、死地をくぐり抜けた同志だ。
今は近衛の隊長を務めており隣国に輿入れが決まっているアンジェルが社交に出る時などにパートナーを務める。
そのため今まで婚約者も作らずいる独身の美貌の貴公子は社交界の憧れの的でもある。
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ローランドが即位した後、宮殿を改修する時に警備にあたっていたランベールは、王族が住まう区域を担当していた。
交代のため近道をしようと庭を歩いていたところ、小鳥の鳴き声のようなものが聞こえた。その断末魔のような激しい鳴き声に、ランベールは訝しみながら鳴き声のする方に近寄ってみると、ローランドの妹アンジェルが立っていた。
その視線は足元にあり、ランベールも視線を落とす。するとドレスから少し出た赤いハイヒールの爪先が、小さな雛の翼を踏みつけていた。
どうやら巣から落ちたと思われる小鳥の雛は片翼をアンジェルに足で押さえ込まれ、もう片方の翼をバタバタさせながらギィギィと小鳥とは思えないような鳴き声を上げていた。
ランベールは思わず口を塞ぎ、周囲を見渡した。侍女も護衛もいない。
ローランドと同腹の王妹は、側妃腹の姫として冷遇されているのは知っていた。ローランドが即位した今、ローランドも母后となった側妃も多忙を極めておりアンジェルに目をかける余裕もないことも。
雛を見下ろすアンジェルの表情は「無」であるが、その儚げな瞳は寂しげに見えた。
雛の声が弱々しくなり、やがて聞こえなくなり、それでもしばらくそこに佇んでいたアンジェルは、何事もなかったかのように去って行った。
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宮廷が修繕され内乱を制した褒賞を聞かれた時、ランベールはローランドにアンジェルを望んだ。
しかし答えは「否」。
「うーん、確かに美しい組み合わせだとは思うけどね。ランベールとアンジェルじゃ色が合わぬな。」
ランベールは一瞬理解ができなかったが、ローランドはかまわず言葉を続けた。
「ベルジュラックの息子とならば色的に合っていたのだが、残念なことをした。」
ランベールは元から表情があまり変わらなかったが、最年少で近衛に入ってからは周囲に侮られないよう、さらに感情を表に出すことはなくなった。
ローランドからアンジェルの降嫁を許されなかったその日も、表情を変えることはなかった。
そして、あの日聞いたベルジュラックが婚約者を連れて現れた。
長身で黒い髪と力を湛えた深く青い瞳。
確かに淡く儚い雰囲気のアンジェルと彼が並べばお似合いだろう。
しかし、彼の隣にいる黄金の輝きを持った娘のその存在感はベルジュラックに負けていない。
「……ランベール、ここで待っていて。」
考えていると、ローランドとの挨拶を終えた二人にアンジェルが近づいていった。
そして知ったのだ。アンジェルの言葉、視線。アンジェルはベルジュラックを求めている、と。
その後、ローランドとアンジェルの奸計によりベルジュラックはシリル監獄に送られた。
ジョスランに会うためシリル監獄まで通うアンジェルを護衛したのはランベールだ。毎日「ジョスランのところに行きたい」の言葉に従い、地下牢の入り口でアンジェルを待った。
ある日、アンジェルは見たこともない幸せそうな顔をしており呟いた。
「明日明け方、処刑なのですって。残念だけれど、これで誰のものにもならないわね。」
(ああ、ここまで来たか。誰も救うことはしなかったのか。)
ランベールは表情を消したまま長いまつ毛を伏せた。
ローランドはアンジェルの「行動」を許した。それは「知っている」ということ。
憶測だが、ランベールがアンジェルの玩具とされないのは、ローランドの側近であるということでローランドから制限されていたのだろう。
それとも、単に興味がないということか。
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「アンジェルさま、輿入れの警備計画について説明に参りました。」
「あら、ランベール。あなたがついてきてくれるの?」
振り返ったアンジェルは窓から差し込む柔らかな光に照らされ、ふわりと美しい笑みを浮かべた。
「いえ、私がお供できるのは国境までです。そこからはアルエスタ王国の近衛隊へと引き継ぎます。」
「あら、そうなの。」
ランベールは静かに書類を机に置き、アンジェルに説明を始めた。




