【18】
メイは真剣だった。真剣な表情でジーンを見上げている。時刻は夜だ。よいこでなくてもそろそろ寝る時間である。
「だから、一緒に寝よう」
「何言ってんだお前は」
袖を引いて訴えるが、ジーンはうなずかなかった。事態は数時間前にさかのぼる。
王立軍を借りる約束をして、宮殿から下がったメイたちは、今後の対応に追われていた。アイヴィー城にいるアーノルドやトラヴィスたちに指示を送り、情報を貰う。ついでにシーウェル公爵とウィリアムにも探りを入れておく。
ギルバートと手分けしたのでさほど大変な作業ではなかったが、自分でも落ち着いているな、と他人事のように思っていた奇行が再開し始めていた。宮殿に行く前から、噴水に頭から突っ込んでメイドに悲鳴をあげさせていた。これは事故だと言い張りたいが、これまでの己の行動を振り返るに、信じてもらえないだろう。
部屋に地図が散乱しているのは可愛い方だ。紙の大きさが足りずにシーツに陣形を描いたときはさすがに怒られた。そもそも、メイには絵心がなかった。
自分で髪にナイフを入れて髪が寝室の床一面に散乱し、さらに水差しを割ったことで手首の血管を切って血だらけだった。メイドに悲鳴をあげられた。ついでに眠れもしないのでこれはいかん、と思い、現在に至る。
「前に一緒に寝てから、よく眠れたし奇行も落ち着いた」
そういうメイの髪は、自分で切ったために腰近くまであったものが、胸元にかかるほどになっている。まあ、髪なんてすぐに伸びる。
「ぐぅ……っ。あれは不慮の事故だ。さすがに問題あるだろ。未婚の男と女だぞ」
ジーンがうなって言葉を返す。まあ、あれはジーンが寝落ちしたことによる状況だったわけだが、あのときはよく眠れたし、以降、メイの意思で止められない奇行が起こることもなかった。
「それに、明日出発しろって言ったのはお前だろ!」
確かに言った。それは眠れないとまずいか。ギルバートが「添い寝だろ。一緒に寝てやれよ」とあくびをしながらジーンに言っている。メイの奇行を聞きつけて起きてきたのだ。だが眠いので、ジーンを提供することで解決しようとしている。
「わかった。じゃあ、手をつないで寝よう」
「わかってねぇだろ!」
ツッコまれた。ちゃんとわかっている。こんなことはジーンにしか言わない。そういうと、それはそれで問題なのだ、という。
「何故だ。お前が私のことを好きだからか」
「お前、そういうところ!」
かっと顔を赤くしてジーンが叫んだ。完全に見学に回っているギルバートは「言っちゃう感じなのね」と笑っている。よほど眠いらしい。
「わかってんなら身の危険を感じろよ! ……怖ぇんだろ」
ジーンが不貞腐れたように言った。ここはお前が不貞腐れる場面ではないぞ。
「お前がしないことを論じても仕方がなくないか。お前は嫌がる女に手を出すような男じゃない」
「信用してくれてるのはわかったが、それは理由にならねぇだろ」
振り切れて冷静に反論してくるジーンに、メイは言った。
「だから、手をつないでくれるだけでいいと言っている」
「気のある男に寝姿を見せんなっつってんだよ」
平行線である。再びあくびをしたギルバートが間に入った。
「もういいから、ジーン、一緒に寝てやれよ。寝たらこっそり出てくればいいだろ。お前なら一日二日寝なくても行けるだろ」
完全に面倒くさくなっている。ただ、ギルバートたちにとっては、明日以降のジーンがいなくなった後のメイの行動の方が問題なのだろう。メイは自分で分かっているが、止められない。だから困っている。
「そう言いますけどね、公爵」
「メイが取り乱したら困るから手は出すなよ」
「出しません!」
「じゃあ問題ないな」
ギルバートはにかっとわからってジーンの肩を叩き、「おやすみ」と言って自分の部屋に戻って行った。ジーンはぐっと唇を引き結ぶと。
「……行くぞ。お前が寝るまでだからな」
「ありがとう」
思わず表情が緩むと、ジーンが顔をそらした。耳が赤い。こいつ、本当にメイが好きなのだな。利用してしまってちょっと申し訳ない。
結局、彼はメイが寝入るまで手を握ってくれていた。さすがに一緒に眠ることはしてくれなかった。まあ、メイもこれが受け入れられるとは思っていなかった。
目を覚ますと、ジーンはいなかったが、少なくともメイはぐっすり眠れた。ちょっとおびえ気味のメイドが様子を見に来たが、メイが見た目普通にしているので、ほっとしたようだった。今日はドレスを着る予定がないので手伝いは断る。
朝食の席でジーンに会ったが、ちょっとやつれているように見えた。これは話しかけていいものだろうか。
「おはよう、メイ。昨夜ひと騒動あったらしいけど、よく眠れた?」
「おはよう、セアラ。私はよく眠れた」
「よかったわね」
なんとなく、いろんな意味を含んでいそうな「よかったわね」だった。彼女は何も引け目がないので、ジーンに「おはよう」と言って斜め向かいに座った。メイはセアラの隣に座る。
「そういえば、ブルーノは?」
「朝からグールの討伐に行ってる」
メイが起きなかったので、ジーンが指示を出したらしい。それはどうもありがとう。ちなみに、ギルバートはすでに仕事中らしい。真夜中に起こしてしまったのに、申し訳ない。
「メイ」
何事もなかったように会話をしながら朝食を食べ終わるころ、ジーンに名を呼ばれて彼の方を見る。視界の端に入るセアラの顔は、面白そうな表情を浮かべていた。
「これ」
「……なに?」
前にマーガレットが持ってきた秘密箱ほどの大きさの箱だった。包装もされていないが、買ってきたものらしい。
「やる」
なぜ片言。セアラが隣から「開けてみなさいよ」と興味津々に言った。メイも気になったので、箱を開けてみる。中に入っていたのは、いわゆるスノーグローブのようなものだった。小さな城の模型が入っていて、噴水まで完備しているので、中の液体が動いて見えた。
「あら、可愛いわね」
セアラがメイの代わりに感想を言った。確かに可愛らしいが。
「え、なんで?」
「……それでも見て、あんまりセアラ様たちに迷惑かけるんじゃねぇぞ」
そう言って、ジーンは席を立った。さすがにこれはメイにも分かる。照れ隠しだな。
メイは両手に乗るほどの小さなスノーグローブを目の高さまで上げて眺めた。彼はこれを、どんな顔で買ったのだろう。
「メイ、うれしそうね」
見ると、セアラがにこにこしていた。そんなに表情が出ていただろうか、と頬に触れる。ちょっと笑ってたわよ、と言われた。なるほど。
「あ、おはようございます、セアラ様、メイさん」
「お帰り、ブルーノ。グール退治はどうだった?」
「つつがなく終わりました!」
グール討伐に行っていたブルーノが食事をとりに来たようだ。だが、彼の目的はそれだけではなく。
「なんか、食堂の外でジーンさんがうなだれてましたけど、なんかありました?」
メイとセアラが顔を見合わせた。噴き出したのはセアラだ。メイは無表情を貫き、ブルーノを手招きした。
「ただヘタレているだけだから気にするな。おいで」
ブルーノがうなずいてメイの向かい側に座った。先ほどまでジーンがいた席だ。
「ブルーノにも、一つ作戦を伝えておく」
「えっと、ジーンさんが聞いたと聞きましたけど」
戸惑うようにブルーノが言った。そう、メイはもう、ジーンに作戦を伝えている。アイヴィー城にたどり着かなければならないのはジーンだからだ。
「だが、一応、万が一、ジーンに何かあったときのために」
メイはさっくり簡単な指示をブルーノに出したが、結局それが実行されることはなかった。無事に、ジーンがアイヴィー城にたどり着いたからである。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
メイの主張の方がおかしいですが、審判のギルバートがメイの精神衛生を最優先に考えているので、こうなりました。
長かった第4章もこれが最後。もう少し、『夏の夢』シリーズは続きます。