07話 スイセン
私の名前はスイセン。私の育った村では苗字があるのは村長さんの家系だけだったので、只のスイセンだ。それでも家族と分かるように、似た響きにする事が多い。例えば私の3歳違いの兄、キョクセン。私の家系には○○センと付く。
私は3歳で初級の回復魔法を覚え、5歳では初歩の解毒魔法も使えるようになった。天才児だと持て囃され、正直、私自身もそれを鼻にかけた嫌味な幼児だったと思う。
そんな私に嫌味を言われつつも、兄は甲斐甲斐しく世話してくれた。両親は可愛がってはくれたが、いつも困った顔をして遠巻きに見ていた。抱きしめてくれたり、我侭を受け止めてくれたり、子供が欲しがる愛情はすべて、兄が与えてくれたものだ。
7歳の時、初等学校に通い始めた私は、嫌味な性格が災いして、友達が出来ずに困ることとなった。話しかければ返事は返してくれたが、只それだけ。課題について話し合ったり、無邪気に一緒に駆け回る友達が欲しかった。だから私は寂しさを紛らわす為、学校で兄を観察する事にした。そんな時、彼らに出会ったのだ。
デンシュは学校で一番チカラが強かった。運動神経も抜群で何でも出来た。少し伸ばした髪を後ろでくくり、顔は凛々しく、身長も高い。女子受けも良かったと思う。いつも男子の中心に居るような子だった。
ヒナタはヒョロリとして、剣術以外の運動には興味が無いようだった。無口で愛想も無く、ただ木剣を毎日振っているだけの子供だった。前髪が長めなのは今と変わらず。表情が分かり辛いと、女子受けは悪かった。
二人とも兄とは気が合ったようで、兄の考えた悪戯にデンシュは豪快に笑いながら、ヒナタは無口だが楽しそうに従い、三人揃って叱られているのを良く見かけた。3馬鹿と呼ばれながらも、誰もが彼らに好意を持っていた。
ある日私は、村では禁止されている場所に薬草を取りに出かけた。私の初級回復魔法では、まだまだ薬草を使った回復薬には敵わないので、薬学者を目指していたのだ。
子供には禁じられている事をする事は、意外と楽しい。普段見慣れない景色を眺めつつ、鼻歌を歌い、軽くスキップしていた私は、見落としてはいけない物を見落としていた。木立に潜む、鋭く私を睨む魔獣の瞳・・・。
薬草を見つけた私は、山道にしゃがみ込んだ。しゃがみ込んでしまった。敵に対して絶対的な隙を見せてしまったのだ。音も立てず、それは私の背後から突き飛ばし、仰向けに転がった私を踏みつけ、見下ろしていた。2メートル程の、大きな狼のような魔獣だった。私は恐怖のあまり失禁した。
それは恫喝するように、低いうなり声を発しながら私の匂いを嗅いだ。まだ人を食べたことは無いのだろう。私が食べ物か確認しているのだ。私は息を殺し、体の震えを止めようと努力した。狼はやがて決心したのだろう。大きな口を開け、私の首筋に噛み付いてきた。やけにゆっくりに見えたので、私もゆっくりと目を閉じた。最後の瞬間は、魔獣の姿や私の血では無く、楽しい物でも想像しようと思ったが、何故か浮かんだのは両親の顔だった。
気が付くと、唸り声は聞こえるが何時までも噛み付いてこない。ふと目を開けると、眼前には狼の口。だが咥えているのは木剣だった。切っ先を地面に突き刺し、梃子の原理で狼を受け止めていた。それでもチカラの限界なのだろう。ガタガタと震えたヒナタが立っていた。
「ヒ、ヒナタさん・・・」意識せず、私の口から震えた声が出た。
「でいやぁ!」
デンシュが狼の腹に正拳突きを一発入れた。狼が数メートルほど跳ね、私の上にあった前足の拘束は解かれた。慌てたように涙でグシャグシャになったキョクセンが覗き込んで来た。いつもすこし威張っている兄の泣き顔を見て、少し余裕が戻ってきた。
「大丈夫か!?スイセン無事か!?」
「大丈夫です。私は大丈夫に決まっているのです。でも礼は言います」
「ションベン漏らすほど怖がってたのによく言うよ。でも無事で良かった」
「さっさと立ち上がれ。本当の恐怖は此処からだ」
ヒナタが冷淡に告げる。
未だ狼は健在で、デンシュとヒナタは対峙したままである。二人とも僅かに震えているのが見て取れた。狼は先程の正拳突きのダメージは無さそうだ。対して此方の最大の攻撃力は、デンシュの正拳突きだったのだ。私は体が大きく震えてきた。全然危険な状況から脱出できて居なかったのを思い知ったのだ。
「大丈夫だ。ゆっくり下がれ。背中を向けるな。走るな。・・・ゆっくりとだ」
ヒナタが壁となり、皆を逃がそうとしているようだ。ヒョロリとしたその姿はあまりにも頼りなく見えた。恐怖のあまり、私は走り出した。泣きながら、叫びながら、みっともなくも走り出してしまった。決定的な隙をまたしても私は作り出してしまった。
そして野生動物は隙を逃さない。風のように少年達の間を駆け抜けた。野生の本能を、牙を、私の肩口を狙って突進した・・・刹那、狼の口に木剣が突っ込まれた。
ヒナタは狼が傍らを駆け抜けて行く際、左手一本で狼の肩の毛を掴んでいたのだ。そのまま片腕のチカラを振り絞って体を起こし、口の中に木剣を突き立てた。瞬時に木剣は噛み砕かれたが、バランスを崩した狼は、私とヒナタを巻き添えにして、崖下に転落した。
ふと気が付くと、私はヒナタに抱きとめられていた。どれくらい気を失っていたのだろう。
「良かった、起きたか。怪我は無いか?」私は頬が熱くなるのを感じ、慌てて腕の中から逃れる。
「落ち着け。まだあいつは其処に居る。静かに俺の後ろに隠れろ」
ヒナタの後ろに回り、背中に触れるとヌルっとした感触に指先が震えた。体中の服が破けて血が滲んでいる。肩には折れた枝が突き刺さったままだ。「大丈夫ですか!?」腕に触れるとヒナタがビクッとする。左手も折れ、腕が捩れていたのだ。
「狼を下敷きに落ちたまでは良かったけど、ちょっと高すぎた。大丈夫、見た目より痛くない」
それは重症だから脳が興奮しているだけ・・・と言おうとしたが、やめた。それはヒナタも気づいているだろう。きっと私を気遣って、痛くないと言ってくれたのだ。
もう私をほっといても良いのだ、と伝えた。十分守ってくれた。私はどこも怪我してない。なのにヒナタはこれだけボロボロなのだ。どんな感情か自分でも分からないが、後から後から涙が出て止まらなかった。
グルグルと低い唸り声を上げて、狼魔獣は距離を詰めてきた。こちらもボロボロだ。立派な毛皮のあちこちから血が流れているのが見える。それでも繰り出す攻撃は、こちらにとって致命的となるであろう。私たちは少しづつ後ずさった。その背中に巨木がぶつかった・・・刹那、狼は猛然とダッシュした。一直線にヒナタの喉に向かってだ。ヒナタは折れている筈の左手で、私を突き飛ばした。
「俺は絶対に!友達を見捨てない!」
ヒナタは肩を巨木につけ、右腕を狼に向けて一直線に伸ばした。折れた木剣を持って・・・。
「ガァァァァァアアア!!!」
折れた切っ先が狼の左目を抉った。狼の重量を受け、ヒナタの右腕も折れ、肘から骨が飛び出した。十歳の子供の骨では、狼の突進力を受け止め切れなかったのだ。
狼は突進を止めた。まだ生きているようだが動かない。ヒナタはそれを見届けたかの様に倒れ込んだ。
「ヒナタさん、ヒナタさん!!」
私の声は出ていたのだろうか。ただ泣いていただけかも知れない。ヒナタも返事を返そうとするが、吐血するばかりで声にならなかった。
私は狂ったように回復魔法をかけた。天才と言うことを鼻にかけ、努力しなかった為に初級止まりだった回復魔法だ。重症患者に効く訳がないが、無駄ではない事を信じて只ひたすら繰り返した。一日に使える回数を超え、呪文を唱える度に内臓に千切れるような痛みが走り、声に血の粒が混ざって飛ぶ。でも諦める訳には行かないのだ。
「おいスイセン、スイセン!しっかりしろ!」兄に頬を引っ叩かれて、私は我に返った。
「大丈夫!ワシが村まで運ぶ!」デンシュが担ぎ上げようとするが、ヒナタの両腕が折れている為に難航した。
「ヒナタさんが、死んじゃう。私は、何も、出来なかった。」嗚咽まじりで、上手く話せなかった。
しばらく四苦八苦し、三人ともヒナタの血で全身を染めながら、どうにかヒナタを担ぎ上げる事に成功した。まだ息はしている。ここから村まで三十分程か。命の火がそこまで消えませんように、と祈った。
”人の子らよ。人間の子らよ。聞こえて居るか”
低いが女性的な、まるで歌うような優しい声が脳裏に響いた。振り返ると狼が立ち上がっていた。目に刺さっていた木剣は眼球ごとズルリと落ちた。数回瞬きを繰り返したら、元通りの左目となった。体中の傷もいつの間にか消え去っている。どこか神々しく、力強く、厳しく、しかしながら優しく見えた。
”そなたらは人の子でありながら、命を賭け、兄弟や友人の為に、山神たる我と良く戦った”
山神・・・神様だったのか。私たちは返答も出来ず、ただ声にならない声が口から漏れるだけだった。
”山神の縄張りを侵した事、不問としよう。あまりにも天晴れであったので、一つ褒美を取らそうと思う。何が良いかの”
「ヒ、ヒナタさんを!彼を助けて下さい!!」
絶叫にも似た声が、私の口から発せられた。山神は畏ろしかったが、今は他に頼れるものが無かった。
「山神様、彼は私の為に傷つき、命を落とそうとしています。引き換えに出来る物は全て差し上げます。」
”そなたの命であってもか?”
「私の命であってもかまいません。それだけの恩を彼から頂きました」
「ワシの命も差し上げます。それで友達の命が救えるなら」
「僕の命もお使いください。妹の命を救ってもらった。僕こそ彼に大恩があります」
”ふふっ。ヒナタとやらは死んだ訳では無い。最上級の回復魔法があれば、後遺症も無く回復しよう。そなたらの義侠心、しかと見せてもらった”
私には理解出来ない言語で呪文を唱えると、ヒナタの傷が光に覆われ、消えていった。ヒナタの寝息が落ち着いていき、腰を抜かすほど安堵した。
”ふふっ。面白いな。そなた達の命など取る必要は無い。山神たる我にとって、傷を癒すなぞさしたる手間も感じぬ。しかし、せっかく差し上げると言っておる物を断る事も、また勿体無い。そこで、だ・・・”
私たちは息を呑んだ。
”自爆戦法、とでも言おうか。あれは良くない。命は例え神でも復活させる事は出来ない。いわば奇跡のような物だ。とヒナタとやらに説教しておくれ”
「今、聞かせてもらいました」ヒナタがゆっくりと体を起こす。
”ほう、もう目覚めたか。なかなかに丈夫な心と体じゃ”
「山神様、俺からも一つお願いがあります」
”申して見よ”
「俺たちが成人するまで、鍛えてくれませんか」
”なぜ我がそのような面倒を背負い込まねばならぬ”
「自爆戦法は云わば、俺の性根に染み付いた物です。それに気づいた貴方なら矯正する事も出来るでしょう」
”ふふっ。そうじゃな・・・。ならば、迂闊に死ぬことも出来ぬよう、強くしてやろう。さらにその娘には、そなたらが死なぬよう、回復魔法の奥儀を授けよう”
暫く話し込んだ後、全員で礼を言い、村へ帰してもらった。帰路でチラチラとヒナタの顔を盗み見てみた。なぜか昨日よりキラキラと輝いて見える。
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
熱くなった顔を見られぬよう、そっぽを向いて見せた。大切な命の恩人。一生かけて恩を返していこう、と心に決めた。
「しかし、山神様を師匠にしようとは、ヒナタも無茶苦茶な奴だなぁ」とデンシュが笑った。
「ほんと、生きた心地しなかったよ」キョクセンも笑った。
私達の最初の冒険は終わった。
この日から、私達は変わった。
ヒナタは木剣を辞め、真剣を振るようになった。大人用で体に合ってないが、これから身の丈に合って行くだろう。
デンシュは魔獣でも殴れるよう、両手にプロテクターを装着した。人間相手では無く、対魔獣に格闘技を昇華しようとしているようだ。
キョクセンは魔法の修行に明け暮れた。初歩的な魔法をすっ飛ばして大魔法を学んでいる当たり、対魔獣を意識しての事だろう。
私は、そんな彼等が傷つかぬよう、あらゆる回復魔法、解毒魔法を研究する事となった。
全ては友達を守る為。誰も死なないようにする為。




