燃える炎(1)
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クリスティーナは、イライラと部屋を歩き回っていた。ルピナスは無表情で部屋の隅に立っている。ノックの音がして、そちらに顔を向けた。部屋に入ってきたのは、司祭だった。──なにをしにきたのよ、この無能。内心そう思いつつ、クリスティーナは困り顔で司祭に駆け寄る。
「司祭さま」
「ああ、クリスティーナ。本当にすまない。全て炎の聖霊が悪いのだ」
「ええ、私、あの聖霊が怖い……」
クリスティーナは眉を下げた。
「私を蔑むような目で見るのです」
「安心しなさい。誰がなんと言おうと、おまえが聖女なのだから。何か理由をつけてイグニスを異界へ返し、ユーリは追い出せばいい」
「本当に私を救ってくださいますか……?」
「ああ、もちろん。おまえは教会に選ばれた聖女なのだから」
司祭はにこやかにクリスティーナの髪を撫で、ちら、とルピナスを見た。クリスティーナは司祭の肩に顔を埋めたまま、
「ルピナス、向こうに」
ルピナスは無表情で隣の部屋に向かった。司祭は怪訝な目でルピナスを追い、
「ずっと思っていたのだが、あの聖霊、なにやら不気味ではないか……?」
「そんなことより、私を見てくださいませ、司祭さま」
クリスティーナはそう囁いて、司祭にしなだれかかる。
「可愛がってくださいませ」
「クリスティーナ……」
司祭はクリスティーナの髪を撫で、そっと上衣を脱がせた。クリスティーナはよがる振りをしながら、冷めた目で天井を見た。
──この男はあてにならない。司祭という肩書きは名前だけ。結局イグニスに怯えている。他に、クリスティーナの力になりそうなのは……思い浮かんだのは嫌いな男の顔で、ひどく苦い気分になった。
★
窓の外には、黒に溶け込みそうな闇が訪れていた。
ユーリは寝台に座り、獣型になったイグニスの毛並みを撫でている。部屋にはランプの、橙色の灯りがともっていた。イグニスは心地よさげに耳を垂らしている。完全なるわんこだ。
「ねえ、イグニス」
「耳の裏を撫でなさい」
ユーリは耳の裏を撫でながら、
「撫でたよ。ちょっと聞いていい?」
「なんですか」
「競い合いの二個目、なんだと思う?」
「なんであろうと、聖女の力はあなたにあるのだから、気負わずともよい」
「でも、またテストだったら……」
「知識を問う問題は、なんにしろ勝ち目が無いでしょう。付け焼き刃に勉強しても、あなたのザル頭ではするすると抜けていくに決まっている」
「ザル頭って」
ユーリはむくれた。そんな言い方しなくていいのに。耳を引っ張ると、赤い瞳がこちらを見る。
「痛いでしょう」
「ふーんだ、意地悪言うからだよーだ、ひゃ」
イグニスはユーリの手をがじがじ噛む。
「イタイイタイ」
「生意気ですよ、ハムスター聖女の分際で」
「痛いよ、噛まないで」
赤い瞳がちら、とこちらを見て、噛んだ部分を優しく舐め始めた。その感触が、くすぐったくて身をよじる。
「ん、う」
「あなたは敏感だ」
「だって、くすぐったい」
「それだけですか」
「それだけ、っ?」
イグニスは人型になり、ユーリの手に唇を這わす。赤い瞳に見つめられ、どくどく心臓が鳴り響く。イグニスはユーリの頰を撫で、
「体温が上がった。あなたはすぐに熱くなるな」
「うう、急に人型になるの、やめてよ」
「あなたの反応が愉快なのでやめません」
「愉快って」
こっちはドキドキして仕方ないのに、イグニスは違うんだろうか?お子様、って言ってたしなあ。ユーリはイグニスの手を取った。
「ユーリ?」
「イグニスの手、綺麗」
「そうですか?」
「うん。指長くて、すごく綺麗な手」
イグニスの指が、ユーリの指に絡まる。指の間を擦るようにして、
「あなたの手は、小さい」
「うん、指短いし、水仕事で荒れてるから、あんまり綺麗じゃないんだ」
「言ったでしょう、聖霊は、見た目で美しさを感じるわけではない」
イグニスはユーリを見つめて囁く。
「あなたの手だから、私は触れ合いたいと願う」
「……イグニス」
手を繋いでくっついてるだけであったかい。なんて、綺麗な赤い瞳。
「あなたはまだ子供だ。食うつもりはないが、少し味見をしても?」
「あじみ?」
「ええ、あなたのここを」
イグニスの指先が、唇に触れた。
「食べたらだめ」
「舐めるだけです」
舌が唇の端に触れた。ユーリはびくりと身じろぎする。
「う、ぺろぺろ、や」
「味はしないな」
「当たり前だよ」
「甘そうに見えたのですが」
「お菓子じゃないのに」
「ああ、ハムスターでしたね」
ハムスターでもない。ユーリはイグニスを睨んで、彼の唇を押さえた。
「なんへふ」
「イグニスは意地悪だよ」
「私は炎の聖霊ですよ? あなたには十分優しくしてあげている」
「でも、ハムスターとかトリ頭とか言うじゃない」
「それは真実ですからね」
ユーリはまた膨れた。
「頰袋がある。やはりハムスターか」
「ハムスターじゃないっ」
頰をふにふに押され、ユーリは抗議する。
「ユーリ、聖気が欲しいですか?」
「聖気? 聖液とは、違うの?」
「ええ。聖気は交接しなくとも、唇か与えられる」
交接、という言葉に、ユーリは顔を赤らめた。
「なにを想像しました?」
「してない」
「どうします?」
イグニスはユーリの耳元に囁く。
「私の聖気が欲しいですか?」
「……なんか、その言い方やらしいよ」
ユーリは顔を赤らめた。
「いるのかいらないのか、はっきりしなさい」
頰を引っ張られ、呻く。
「ん、い、る」
イグニスは目を緩め、ユーリの唇に自分の唇を重ねた。ユーリが身じろぎしたら、唇が、深く合わさる。あつい。
ユーリはイグニスの腕にしがみついた。
「ふ」
なにか、暖かいものが、伝わってきた。これが、聖気? 唇が離れていくと、イグニスの指先が、ユーリの唇を撫でる。ユーリは息を切らしながらイグニスを見つめた。赤い瞳に見つめられて、身体が熱くなる。
「いぐ、にす」
「なんです?」
「やっぱり、なんか、やらしい」
「あなたがいやらしいからそう感じる。私は聖気を送り込んだだけです」
「そ、う?」
「ええ」
イグニスはそっとユーリの髪を撫でた。なんか優しくされると変な感じ。嬉しいけど、胸がむずむずする。
恥ずかしくて、ユーリは目を伏せる。
「ねえ、わんこの姿になって」
「なぜです」
「ぎゅってしたいから」
イグニスは仕方なさげに獣の姿になる。
ユーリはぎゅ、とイグニスにしがみついた。ぱたぱたと、イグニスの尻尾が揺れる。ふわふわ、あったかい。
「おやすみ、イグニス」
そう言って、ユーリは目を閉じた。
★
クリスティーナは騎士団の宿舎にやってきていた。騎士団長の部屋は確か廊下の突き当たり。かたわらに酒を抱え、聖女は歩く。いきなり目の前のドアが開いた。
「!」
「あれ? クリスティーナさま」
現れたのは、カイという名前の青年だ。
「……こんばんは」
クリスティーナは笑顔が硬くならないように微笑んだ。早くどきなさいよ、あの食えない騎士団長を誘惑しに行かなきゃいけないんだから。
「どうしました?」
「バルドー様に少しお話を」
「そうですかあ」
カイの瞳は酒に注いでいる。どかないし。なんなのよ、こいつ。クリスティーナは早く彼を回避したい一心で告げた。
「……よかったら、飲まれる?」
「えっ、いいんですか? ラッキー」
カイはそう言って、クリスティーナを促す。
「聖女様もご一緒にどうぞ」
「いいえ、私はお酒をたしなみませんの」
嘘だった。クリスティーナは酒に目がない。しかし酔い潰れ、下手なことを口走るのは避けたかった。
「じゃあ私はこれで」
酒がないのは残念だが、なんとかして素面のバルドーを誘惑するしかない。クリスティーナはカイに微笑みかけ、バルドーの部屋に向かった。
ノックをし、名前を名乗る。
「騎士団長さま、クリスティーナですが」
しばらくして、扉が開いた。バルドーが顔を出す。いつもの食えない笑みを浮かべた。
「やあ、クリスティーナさま」
「バルドー様、少しお話したくて……よろしいかしら?」
バルドーはええどうぞ、と言い、クリスティーナを中へうながす。バルドーはこちらに背を向け、果実酒をグラスに注いだ。多少歳はくっているが、広い背中や、筋力のありそうな腕は、男として十分魅力がある。彼はグラスを差し出し、
「どうぞ」
「ありがとう」
クリスティーナはグラスを受け取ろうとし、手を滑らせるふりをした。
「あっ」
グラスが傾き、ばしゃ、とドレスにかかる。
「大丈夫かね」
「ええ、ごめんなさい、手が滑ってしまって」
クリスティーナはゆっくりドレスをたくしあげ、白い足を露わにした。ガーターベルトまでもバルドーに見せつけるように、ハンカチで足をぬぐう。さぞや目の前の男は興奮していることだろう……バルドーはこちらに近づいてきて、クリスティーナの身体を窓に押しつけた。
「あ……」
クリスティーナは甘い声を出す。バルドーの大きな手がその豊かな胸……ではなく、窓の向こうへ向いた。
「妙に、空が赤くはないか?」
「え?」
クリスティーナは振り向いて、目を見開いた。空がほのかに、朱に染まっている。
あれはまさか──火か? バルドーはクリスティーナを押しのけて、
「クリスティーナさま、司祭に知らせを。私は騎士たちを収集する」
「え、え」
素早く部屋を出ていく。ひとり残されたクリスティーナは一言。
「……ちっ、なんなの?」
つぶやいて、司祭の元へ戻った。
☆
なにか、騒がしい音がしている。
「ん……」
ユーリは身じろぎをし、目を擦りながら身を起こした。傍の黒い塊に手を伸ばし、
「あれ、イグニス?」
一緒に寝ていたはずのわんこがいない。イグニスはわんこって言うと怒るけど……まだシーツは暖かいから、さっきまでいたはずだ。
ユーリは起き上がり、辺りを見回した。どこへ行ったのだろう。
上着を羽織り、部屋から出て、廊下を歩いていく。と、侍女がバタバタと走ってくるのが見えた。ユーリは彼女を呼び止め、
「ねえ、何かあったの?」
「火事よ」
ユーリになど構っている暇はない。侍女はそんな様子で走り去る。見ると、廊下の向こう、せわしなく人々が行き交っていた。なんだか嫌な予感がしたユーリは、そちらに向かって歩き出す。廊下を抜け、隣の棟へ向かう回廊へと向かおうとしたら、誰かに襟をひかれ、引き戻された。
「!」
体勢を崩したユーリに、茶髪の騎士が吠えた。
「なにしてるんだ、向こうの棟は立ち入り禁止だ!」
「り、リカルドさま」
ユーリは目を瞬いてリカルドを見上げる。騎士たちの宿舎はこの棟ではないはず。なぜリカルドがいるんだろう。
困惑するユーリの視界に、赤が映った。そちらへ目を向けて、思わず息を飲む。
「……!」
目の前の棟が、燃えていた。
いわゆる炎上




