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えすぷり。  作者: 佐藤三(あた)
本編
9/17

燃える炎(1)

 

 ★


 クリスティーナは、イライラと部屋を歩き回っていた。ルピナスは無表情で部屋の隅に立っている。ノックの音がして、そちらに顔を向けた。部屋に入ってきたのは、司祭だった。──なにをしにきたのよ、この無能。内心そう思いつつ、クリスティーナは困り顔で司祭に駆け寄る。


「司祭さま」

「ああ、クリスティーナ。本当にすまない。全て炎の聖霊が悪いのだ」

「ええ、私、あの聖霊が怖い……」

 クリスティーナは眉を下げた。

「私を蔑むような目で見るのです」

「安心しなさい。誰がなんと言おうと、おまえが聖女なのだから。何か理由をつけてイグニスを異界へ返し、ユーリは追い出せばいい」

「本当に私を救ってくださいますか……?」

「ああ、もちろん。おまえは教会に選ばれた聖女なのだから」


 司祭はにこやかにクリスティーナの髪を撫で、ちら、とルピナスを見た。クリスティーナは司祭の肩に顔を埋めたまま、

「ルピナス、向こうに」


 ルピナスは無表情で隣の部屋に向かった。司祭は怪訝な目でルピナスを追い、

「ずっと思っていたのだが、あの聖霊、なにやら不気味ではないか……?」

「そんなことより、私を見てくださいませ、司祭さま」


 クリスティーナはそう囁いて、司祭にしなだれかかる。

「可愛がってくださいませ」

「クリスティーナ……」


 司祭はクリスティーナの髪を撫で、そっと上衣を脱がせた。クリスティーナはよがる振りをしながら、冷めた目で天井を見た。


 ──この男はあてにならない。司祭という肩書きは名前だけ。結局イグニスに怯えている。他に、クリスティーナの力になりそうなのは……思い浮かんだのは嫌いな男の顔で、ひどく苦い気分になった。


 ★


 窓の外には、黒に溶け込みそうな闇が訪れていた。

 ユーリは寝台に座り、獣型になったイグニスの毛並みを撫でている。部屋にはランプの、橙色の灯りがともっていた。イグニスは心地よさげに耳を垂らしている。完全なるわんこだ。


「ねえ、イグニス」

「耳の裏を撫でなさい」

 ユーリは耳の裏を撫でながら、

「撫でたよ。ちょっと聞いていい?」

「なんですか」

「競い合いの二個目、なんだと思う?」

「なんであろうと、聖女の力はあなたにあるのだから、気負わずともよい」

「でも、またテストだったら……」

「知識を問う問題は、なんにしろ勝ち目が無いでしょう。付け焼き刃に勉強しても、あなたのザル頭ではするすると抜けていくに決まっている」

「ザル頭って」


 ユーリはむくれた。そんな言い方しなくていいのに。耳を引っ張ると、赤い瞳がこちらを見る。

「痛いでしょう」

「ふーんだ、意地悪言うからだよーだ、ひゃ」

 イグニスはユーリの手をがじがじ噛む。

「イタイイタイ」

「生意気ですよ、ハムスター聖女の分際で」

「痛いよ、噛まないで」


 赤い瞳がちら、とこちらを見て、噛んだ部分を優しく舐め始めた。その感触が、くすぐったくて身をよじる。

「ん、う」

「あなたは敏感だ」

「だって、くすぐったい」

「それだけですか」

「それだけ、っ?」


 イグニスは人型になり、ユーリの手に唇を這わす。赤い瞳に見つめられ、どくどく心臓が鳴り響く。イグニスはユーリの頰を撫で、

「体温が上がった。あなたはすぐに熱くなるな」

「うう、急に人型になるの、やめてよ」

「あなたの反応が愉快なのでやめません」

「愉快って」


 こっちはドキドキして仕方ないのに、イグニスは違うんだろうか?お子様、って言ってたしなあ。ユーリはイグニスの手を取った。

「ユーリ?」

「イグニスの手、綺麗」

「そうですか?」

「うん。指長くて、すごく綺麗な手」


 イグニスの指が、ユーリの指に絡まる。指の間を擦るようにして、

「あなたの手は、小さい」

「うん、指短いし、水仕事で荒れてるから、あんまり綺麗じゃないんだ」

「言ったでしょう、聖霊は、見た目で美しさを感じるわけではない」

 イグニスはユーリを見つめて囁く。

「あなたの手だから、私は触れ合いたいと願う」

「……イグニス」


 手を繋いでくっついてるだけであったかい。なんて、綺麗な赤い瞳。

「あなたはまだ子供だ。食うつもりはないが、少し味見をしても?」

「あじみ?」

「ええ、あなたのここを」

 イグニスの指先が、唇に触れた。

「食べたらだめ」

「舐めるだけです」


 舌が唇の端に触れた。ユーリはびくりと身じろぎする。

「う、ぺろぺろ、や」

「味はしないな」

「当たり前だよ」

「甘そうに見えたのですが」

「お菓子じゃないのに」

「ああ、ハムスターでしたね」


 ハムスターでもない。ユーリはイグニスを睨んで、彼の唇を押さえた。

「なんへふ」

「イグニスは意地悪だよ」

「私は炎の聖霊ですよ? あなたには十分優しくしてあげている」

「でも、ハムスターとかトリ頭とか言うじゃない」

「それは真実ですからね」


 ユーリはまた膨れた。

「頰袋がある。やはりハムスターか」

「ハムスターじゃないっ」

 頰をふにふに押され、ユーリは抗議する。

「ユーリ、聖気が欲しいですか?」

「聖気? 聖液とは、違うの?」

「ええ。聖気は交接しなくとも、唇か与えられる」

 交接、という言葉に、ユーリは顔を赤らめた。


「なにを想像しました?」

「してない」

「どうします?」

 イグニスはユーリの耳元に囁く。

「私の聖気が欲しいですか?」

「……なんか、その言い方やらしいよ」

 ユーリは顔を赤らめた。

「いるのかいらないのか、はっきりしなさい」

 頰を引っ張られ、呻く。


「ん、い、る」

 イグニスは目を緩め、ユーリの唇に自分の唇を重ねた。ユーリが身じろぎしたら、唇が、深く合わさる。あつい。

 ユーリはイグニスの腕にしがみついた。

「ふ」


 なにか、暖かいものが、伝わってきた。これが、聖気? 唇が離れていくと、イグニスの指先が、ユーリの唇を撫でる。ユーリは息を切らしながらイグニスを見つめた。赤い瞳に見つめられて、身体が熱くなる。


「いぐ、にす」

「なんです?」

「やっぱり、なんか、やらしい」

「あなたがいやらしいからそう感じる。私は聖気を送り込んだだけです」

「そ、う?」

「ええ」


 イグニスはそっとユーリの髪を撫でた。なんか優しくされると変な感じ。嬉しいけど、胸がむずむずする。

 恥ずかしくて、ユーリは目を伏せる。

「ねえ、わんこの姿になって」

「なぜです」

「ぎゅってしたいから」


 イグニスは仕方なさげに獣の姿になる。

 ユーリはぎゅ、とイグニスにしがみついた。ぱたぱたと、イグニスの尻尾が揺れる。ふわふわ、あったかい。

「おやすみ、イグニス」

 そう言って、ユーリは目を閉じた。


 ★


 クリスティーナは騎士団の宿舎にやってきていた。騎士団長の部屋は確か廊下の突き当たり。かたわらに酒を抱え、聖女は歩く。いきなり目の前のドアが開いた。

「!」

「あれ? クリスティーナさま」

 現れたのは、カイという名前の青年だ。

「……こんばんは」


 クリスティーナは笑顔が硬くならないように微笑んだ。早くどきなさいよ、あの食えない騎士団長を誘惑しに行かなきゃいけないんだから。

「どうしました?」

「バルドー様に少しお話を」

「そうですかあ」


 カイの瞳は酒に注いでいる。どかないし。なんなのよ、こいつ。クリスティーナは早く彼を回避したい一心で告げた。

「……よかったら、飲まれる?」

「えっ、いいんですか? ラッキー」

 カイはそう言って、クリスティーナを促す。


「聖女様もご一緒にどうぞ」

「いいえ、私はお酒をたしなみませんの」

 嘘だった。クリスティーナは酒に目がない。しかし酔い潰れ、下手なことを口走るのは避けたかった。


「じゃあ私はこれで」

 酒がないのは残念だが、なんとかして素面のバルドーを誘惑するしかない。クリスティーナはカイに微笑みかけ、バルドーの部屋に向かった。


 ノックをし、名前を名乗る。

「騎士団長さま、クリスティーナですが」

 しばらくして、扉が開いた。バルドーが顔を出す。いつもの食えない笑みを浮かべた。

「やあ、クリスティーナさま」

「バルドー様、少しお話したくて……よろしいかしら?」


 バルドーはええどうぞ、と言い、クリスティーナを中へうながす。バルドーはこちらに背を向け、果実酒をグラスに注いだ。多少歳はくっているが、広い背中や、筋力のありそうな腕は、男として十分魅力がある。彼はグラスを差し出し、

「どうぞ」

「ありがとう」


 クリスティーナはグラスを受け取ろうとし、手を滑らせるふりをした。

「あっ」

 グラスが傾き、ばしゃ、とドレスにかかる。

「大丈夫かね」

「ええ、ごめんなさい、手が滑ってしまって」


 クリスティーナはゆっくりドレスをたくしあげ、白い足を露わにした。ガーターベルトまでもバルドーに見せつけるように、ハンカチで足をぬぐう。さぞや目の前の男は興奮していることだろう……バルドーはこちらに近づいてきて、クリスティーナの身体を窓に押しつけた。


「あ……」

 クリスティーナは甘い声を出す。バルドーの大きな手がその豊かな胸……ではなく、窓の向こうへ向いた。

「妙に、空が赤くはないか?」

「え?」


 クリスティーナは振り向いて、目を見開いた。空がほのかに、朱に染まっている。

 あれはまさか──火か? バルドーはクリスティーナを押しのけて、

「クリスティーナさま、司祭に知らせを。私は騎士たちを収集する」


「え、え」

 素早く部屋を出ていく。ひとり残されたクリスティーナは一言。

「……ちっ、なんなの?」

 つぶやいて、司祭の元へ戻った。




 なにか、騒がしい音がしている。

「ん……」

 ユーリは身じろぎをし、目を擦りながら身を起こした。傍の黒い塊に手を伸ばし、

「あれ、イグニス?」


 一緒に寝ていたはずのわんこがいない。イグニスはわんこって言うと怒るけど……まだシーツは暖かいから、さっきまでいたはずだ。

 ユーリは起き上がり、辺りを見回した。どこへ行ったのだろう。


 上着を羽織り、部屋から出て、廊下を歩いていく。と、侍女がバタバタと走ってくるのが見えた。ユーリは彼女を呼び止め、

「ねえ、何かあったの?」

「火事よ」


 ユーリになど構っている暇はない。侍女はそんな様子で走り去る。見ると、廊下の向こう、せわしなく人々が行き交っていた。なんだか嫌な予感がしたユーリは、そちらに向かって歩き出す。廊下を抜け、隣の棟へ向かう回廊へと向かおうとしたら、誰かに襟をひかれ、引き戻された。


「!」

 体勢を崩したユーリに、茶髪の騎士が吠えた。

「なにしてるんだ、向こうの棟は立ち入り禁止だ!」

「り、リカルドさま」


 ユーリは目を瞬いてリカルドを見上げる。騎士たちの宿舎はこの棟ではないはず。なぜリカルドがいるんだろう。

 困惑するユーリの視界に、赤が映った。そちらへ目を向けて、思わず息を飲む。

「……!」

 目の前の棟が、燃えていた。

いわゆる炎上

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