嫉妬の炎(1)
その日、ユーリはノックの音で目を覚ました。
「む」
目をこすり、起き上がる。イグニスは獣型になり、ソファですやすや寝ていた。
こんな朝早くからだれだろう。
そう思いながら扉を開けたら、侍女たちが集っていた。ユーリは目を瞬き、
「え、えーと」
「これにお着替えください、ユーリさま」
衣を差し出し、淡々と言ったのは、同僚のミーシャだ。──あ、ミーシャ、なんか久しぶり。そう挨拶をする前に、ミーシャはさっさとユーリの服を脱がそうとしている。
「じ、自分で脱ぐから」
「なんですか、騒がしい」
獣型のイグニスが呻きつつ、ソファからのそりと起き上がる。イグニスを目にした侍女たちは、息を呑み、驚いたように動きを止めた。が、慌ててすまし顔にもどる。イグニスはぼんやりした赤い瞳を侍女たちに向け、
「なんですか、この連中は」
「侍女だよ、私の同僚……イグニス、着替えるからちょっとバスルーム行ってて」
「まったく面倒な……衝立でも作りなさい」
イグニスはぶつくさ言いながらバスルームへと向かう。
ユーリは衣を着て髪を結い、おまけに化粧までした。ユーリの給料何ヶ月分するかわからないアクセサリー、両手には高級な真珠パウダーを塗り込まれる。いったいなぜこんな格好を?
「できました」
ミーシャはユーリにしずしず頭を下げ、一切の私語なく、侍女たちを引き連れて部屋を出て行った。遺されたユーリは、ポカンとした後、鏡を見つめた。
「わ」
自分とも思えないほど、美しく着飾られている。聖女服はクリスティーナのものと色違いで、淡い水色だ。こんなに綺麗な格好をしたのは、生まれて初めてかもしれない。思わず鏡の前でくるくる回る。ユーリは頰に手を当て、
「な、なんかちょっと美人かも」
周りからはどう見えるかな。気になって、さっそくイグニスに声をかけた。
「ねえ、イグニス、もういいよ」
「まったく、着替えのたびに追いだされては……」
イグニスは不服そうにのそりと出て来て、ユーリを見るなり耳をピン、と立てた。切れ長の赤い瞳が丸くなる。ユーリは照れたように髪をなでた。
「変かな」
獣は耳をぴくぴく揺らし、
「……馬子にも衣装ですね」
「えー、それだけ? 綺麗とか、可愛いとか、ないの?」
「聖霊は見た目の美しさに惹かれるわけではない。そのものの、魂に惹かれる」
イグニスはユーリの側にやってきて、つん、と喉をそらした。
「撫でなさい」
「もう、なんなのこの尊大わんこ」
ユーリは唇を尖らせながら、イグニスの頭をなでた。獣は尻尾を振りながら、
「どんな格好をしていようが、あなたは私の頭をなでていればよろしい」
「はいはい」
イグニスに褒め言葉を期待したのが間違いだった……。獣の頭をなで回していたら、再びノックの音がする。
「はい」
ユーリが扉を開けると、シスターが立っていた。目でついてこい、と促される。司祭がユーリを快く思っていないこともあるだろうが、シスターたちに嫌われていると、ユーリは薄々感じていた。最近まで侍女だったのだ、わからなくはないが……
しばらく歩いて行き、大聖堂にたどり着く。聖堂の中には既に司祭とクリスティーナ、それにルピナスがいた。騎士たちも傍に控えている。バルドーは微笑み、カイはひらひら手を振り、リカルドはこちらを睨みつけてきた。
司祭は聖女姿のユーリを見て目を細め、
「ほう」
「お待たせしました」
そう言って歩みを進めたユーリの脇を、イグニスが歩く。リカルドが寄ってきて、イグニスを防ぐように鞘を向けた。
「え」
「教会はイグニスを認めたわけではない。聖堂内には入らないように」
「小僧……やはり死にたいようですね」
唸るイグニスに慌てて制止をかけ、ユーリは言う。
「イグニスも聖霊です。そんな意地悪を言わないでください」
「意地悪ではない。司祭がお決めになったことだ」
リカルドはそう言ってイグニスを見下ろし、
「おまえが退かないと、ユーリの立場が悪くなると思うが?」
イグニスは舌打ちし、ふんぞり返りながら大聖堂の出入り口に向かった。
ユーリはイグニスを見送り、リカルドをちら、と見る。リカルドは視線を外し、ユーリから離れて騎士たちの方へ戻った。ユーリは司祭の方へ向かい、頭を下げる。司祭は感心したように、
「見違えたではないか」
「あ、ありがとうございます」
クリスティーナが何か言いたげにちら、と司祭を見た。司祭は咳払いし、
「では、これより聖女の資質を見極める試練について説明する」
ユーリは背筋を伸ばした。クリスティーナは髪を揺らし、微笑む。
「三問答を知っているかな?」
首を振るユーリに対し、クリスティーナが穏やかに答える。
「ええ、聖伝に記された、3つの問答ですね」
「さすがだ、クリスティーナ」
司祭はそう言い、懐から取り出した聖伝を開く。
「神がひとに問いかけた。「人間の欲はなにか、3つ答えよ」「人間の罪はなにか、7つ答えよ」「人間の性はなにか、3つ答えよ」」
司祭はユーリとクリスティーナにそれぞれ紙を渡した。写経台の上に、インク壺と羽根ペンが用意されている。
「三枚紙がある。それぞれに答えを書き、こちらへ渡しなさい」
クリスティーナは悩みもせずに書き始めたが、ユーリはわからずに頭を抱える。
「人間の欲……は、食べる、寝る、と、あと、なに?」
7つの罪もわからない。人間の性が3つ、というのもよくわからなかった。男と女、ではないのだろうか……
ユーリが悩んでいる間に、クリスティーナはすでに紙を提出していた。司祭がこちらに目を向け、
「ユーリ、まだか」
ユーリは慌てて羽ペンを走らせ、司祭のところへ紙を持っていく。司祭はそれぞれの紙を伏せ、ユーリとクリスティーナを見比べた。
「では、見ていこう。「人間の欲はなにか」」
司祭は紙を同時にめくる。その顔が、余裕めいた色に染まった。
「クリスティーナの答えは、「食欲、性欲、睡眠欲。ユーリは食欲と睡眠欲しか書いていない。クリスティーナの勝ちだな」
カイがかすかに笑った気配がした。バルドーにたしなめられ、素知らぬ顔で口元を押さえている。笑われた……もしかして、一般常識だったのだろうか……ユーリは恥ずかしくて俯く。
「では第2問」
第2問の答えもわからなかったユーリは、白紙で紙を出した。司祭は苦笑し、
「ひとつくらいは知らないのかね? 仮にも教会で働いているというのに」
「う、ハイ」
「教えてあげなさい、クリスティーナ」
クリスティーナは緩く笑み、
「色欲、傲慢、強欲、憤怒、暴食、嫉妬、怠惰、ですわ」
「素晴らしい。覚えたかね? ユーリ」
「は、はい」
ユーリはぶつぶつ7つの罪について唱えた。
「さて。ここまでは誰でも知っている常識だ」
司祭はそう言って、3つ目の紙を目にする。
「人間の性とはなにか、3つ答えよ」
彼の手が紙に手が触れた。
★
クリスティーナは、内心でほくそ笑んでいた。──まさか、ユーリがここまで無知だったとは! 最初の2つの問いは、子供でも知っているような問いかけだ。最後の問いの答えは聖伝にはない。ただ、答えに近いものをクリスティーナは知っていた。
司祭が紙をめくろうとした瞬間──いきなり、紙がぼうっ、と燃えた。
「!」
みな一斉に後ろを振り向く。人型になったイグニスが、指をこちらに向けていた。燃やしたのか──彼が? 炎の聖霊は喉をそらし、
「くだらない。そんなクイズで聖性を見極められるものか」
「貴様、聖伝の三問答を燃やすとは! 神に反する行為だぞ!」
リカルドが吼えると、イグニスが耳に指を突っ込んだ。
「あーあー、やかましい。人間に言葉を与えたせいで、このように小賢しい生き物になったのだとしたら、神の大きな過ちですね」
「なにか、不満なのかしら」
クリスティーナは穏やかに口を開いた。イグニスの赤い瞳がこちらを見る。見るもの全てを魅了するような、美しい目だ。冷たい眼差しに秘められた熱さにぞくぞくする。
「ええ、気に入らない。ユーリは確かにオロカモノですが、それを逆手にとるようなやり方は実に腹立たしい。三番目の答えが、ユーリに解けるはずがない」
「あら、三番目の答えは決まっていないのよ」
イグニスは大聖堂に入ってきた。リカルドが防ごうとしたが、カイとバルドーに留められている。美しい聖霊は尊大な目でクリスティーナを見下ろし、
「建て前はね。結局、問いの意味がわからなければならないのです。三番目の問いは一見、性別のことを尋ねているように思える。しかし実際は、性別ではなく、「持っている要素」を問うているのでしょう?」
「持っている、要素?」
ユーリは迷子の子猫じみた瞳をイグニスに向けている。イグニスは鼻を鳴らし、
「聖霊が元で人は作られた。つまりは聖霊の三元素。風、火、水。最後の答えはそれだ」
司祭はポカンとしながらイグニスを見ていた。なぜそれを? 顔にそう書いてある。騎士たちはひそひそと話し合っていた。
「今のはどうなる?」
「無効じゃないかな」
バルドーとカイの会話に、リカルドが口を挟む。
「だが聖女さまは答えられたはずだ、それをあの犬が台無しに」
聞きつけたイグニスが眉をあげる。
「燃やされたいのか、小僧。紙はないのだから無効です」
リカルドとイグニスが睨み合う。と、ユーリが口を開いた。
「わ、私の負けです!」
ユーリはご丁寧にも、ハンカチを振って負けを主張している。イグニスが怪訝な顔で彼女を見た。
「ユーリ、なにを」
「だって、最初の2つもわからなかったんだもん。私の負けだよ」
「しかし」
クリスティーナは司祭に目をやった。あなたが仕切りなさいよ。なんのための肩書きなの。そう訴えると、司祭が慌てて咳払いした。
「確かに、三問答の最初2つは基本的な問いかけだ。あの程度の問題も解けないようでは、ひとの性について、ユーリが解答できたとは思えないな」
クリスティーナは心のうちで頷く。さあ、言うのよ。無知な娘に聖女たる資格はない──。
「無知な娘に聖女たる資格は──」
司祭の言葉をとぎらせるがごとく、イグニスが即座に彼の側へ移動した。司祭の髪を掴み、
「ぐだぐだと小賢しい……残り少ない髪を燃やしてあげましょうか?」
司祭がひい、と悲鳴をあげた。リカルドが剣を引き抜く。
「貴様、司祭さまを離せ!」
イグニスは司祭の耳元に囁いた。
「あの女に咥え込まれて、ただでさえ少ない脳みそを溶かすのは構わないが、ユーリを排除しようとするのは許さない」
「だめっ、イグニス! 伏せ!」
ユーリが声を飛ばした瞬間、イグニスの身体が強張る。
「っぐ」
頭を下げたくないせいか、必死に喉をそらしていた。ユーリは慌ててイグニスに駆け寄り、腕を掴む。
「すいません、司祭さま」
司祭は真っ赤になって髪を撫で付け、
「な、なんと傍若無人な……今すぐ異界に返すべきだ!」
ああ、それもいいわね。クリスティーナは内心で思う。残念だが、イグニスを元いた場所に戻せば、ユーリはなにもできない。後ろだてすらない、ただの小娘なのだから。リカルドはイグニスに剣を突きつけながら、
「しかし容易にはいかないでしょう。その前に痛めつける必要がある」
傍観していたバルドーが、いきなり口を開いた。
「ひとつよろしいかな?」
またこいつか。クリスティーナはうんざりした気分でバルドーを見た。彼はさりげなくユーリを擁護するようなことを言う。どうやらクリスティーナにあまり関心がないようなのだ。
──私の美貌が通じないなんて……女に興味がないのだろうか? バルドーは温和な口調で、
「こないだも思ったのだが、ユーリはイグニスをちゃんと制御できているようだ。犬のごとく、『伏せ』という言葉で。おそらく、あれが聖霊をあやつる『言霊』なのだろうが」
少しおかしそうに笑っている。イグニスがむっとしてバルドーをにらんだ。
「私は犬ではありません。あなたも燃やされたいか、タヌキじじい」
「イグニスぅ!」
ユーリは必死にイグニスの口を塞ごうとするが、バルドーは気にした様子もなく、
「ほら、こうして悪し様な口はきくが、実際に手は出さない。それはユーリの存在ゆえだ」
「え?」
ユーリは目を瞬く。
「イグニスはユーリのために、人を害さない。だから『言霊』が効いている。聖女に恭順を誓う聖霊の心が、身体の自由を奪っている。そうではないかな? 私の思い違いなら訂正してくれ、炎の聖霊」
ユーリは、思わずといった風にイグニスを見上げた。
「ほ、本当? イグニス……」
イグニスは眉をしかめ、ユーリの目をふさいだ。
「わあっ」
「間抜けな目で見るな。馬鹿馬鹿しい。この私が人間のために我慢する? ふざけていると焼きタヌキ定食にしますよ」
「はは、それは恐ろしい」
バルドーは全く怖がる様子もなくニコニコ笑っている。横に立つカイが、うわー、食えねえ、という顔をしていた。食えない騎士団長は指をたて、
「知識はもちろん必要だが、それだけで聖女を決めるのは早計ではないですかな?」
「ではどうしろと言うのかね」
「様子をみてはどうか、と私は思うのです。もうひとつ競い合いをしてみては?」
なにを言い出すのよ、このタヌキ親父。クリスティーナは内心歯ぎしりした。しかしバルドーと目があったので、にっこり微笑んでみせる。
「いかがかな、クリスティーナ殿」
ここで嫌だと言えば、いかにも狭量だ。クリスティーナは聖女スマイルを浮かべ、
「ええ、もちろん私は構いませんわ」
内心でバルドーを呪った。




