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えすぷり。  作者: 佐藤三(あた)
本編
4/17

騙されるアホの子

 ユーリ、朝ですよ。

 誰かが呼ぶ声。あ、もふもふがある……。ユーリはぎゅ、とそれを抱きしめた。すると、もふもふが別のものに変わる。あれ、もふもふは? ユーリはうとうとしながら目を開けた。なんか、くるしい。


「ん、!?」

 鼻を摘まれてる。目前にいるのは人型のイグニスだ。彼はさらりと黒髪を揺らし、

「朝だと言ってるでしょう、さっさと脳細胞を働かせなさい」

 ユーリはイグニスの手を退け、枕を抱きしめて後ずさった。


「な、なんで一緒に寝てるのよ!」

「寒かったので」

「毛皮あるのに!? 布団だってあげたじゃない」

「あなたはベッドなのに私がソファなのが解せません」

 イグニスはしれっと言う。昨日はソファを気に入っていた様子なのに……わけわかんないな、この犬は。


「なら昨日言えばいいじゃない」

 ユーリはため息をつきつつ、ベッドサイドの着替えに手を伸ばした。イグニスはじーっとこちらを見ている。

「ちょ、向こう向いてよ」

「なぜですか。私は気にしませんが」

「私は気にしますう! 乙女ですからあ!」

 イグニスは舌打ちして浴室に向かった。犬の姿でいてくれたら気にならないのに。侍女服に着替えたユーリはエプロンをつけながら、

「もういいよ、イグニス」


 イグニスは浴室のカーテンから顔を覗かせ、

「どこへ行くのです?」

「侍女の仕事だよ。昨日サボっちゃったし、一人抜けるとみんなが困っちゃうから」

「聖女なのに侍女の仕事を?」

そう言われても、聖女の実感などないし、侍女の格好の方が、ユーリにとって自然なのだ。


「あっ、もうこんな時間だ! イグニス、おとなしく待っててね!」

 ユーリはそう告げ、慌てて部屋を出た。途端に、まがり角からぞろぞろ現れた人々に通路を塞がれる。こちらに冷めた目を向けているのは、修道女服を着たシスターたちだ。黒い集団にわらわらと囲まれ、後退したユーリは思わず戸に背をつける。


「な、なん、でしょうか」

「ユーリ、あなたには今日から聖女さまと同じ生活をしていただきます」

「えっ? わあ」

 シスターたちに素早く拘束され、ユーリはもがく。

「そんなこと言われても困ります! 私、仕事に行かなきゃならないのに!」

「侍女の仕事はしなくていい。元々あなたの仕事などたかが知れているでしょう」

 そう言われ、ユーリは地味に傷ついた。そんな言い方しなくてもいいじゃないか。そりゃあ、侍女はたくさんいるし、ユーリひとりがいなくなったところで、さほど困らないだろうけど。


「ユーリ?」

声をかけられ、ユーリは視線をあげた。ミーシャが驚いた表情でこちらを見ている。

「ミーシャ」

「さあ、行きますよ、ユーリ」

 腕を掴まれたユーリは慌てて振り向きながら、

「ごめん、ミーシャ。先に行ってて」

「ユーリ!?」

 ユーリは半ば連行されるように、シスターたちと歩いていった。


 シスターたちは回廊を抜け、大聖堂へと入っていく。ひやりとした聖堂内は恐ろしく静かで、ユーリは足音を立てないように気をつけながら歩みを進めた。天井はモザイクタイルで覆われ、磨き抜かれた床は大理石で出来ている。


 ──すごいなあ。侍女になってしばらく経つけど、大聖堂には初めて入った。聖女さまのお世話は、身の回りのことに限られていたわけだし。

 祭壇の前に、銀髪の女性がうずくまっていた。祈りをささげる後ろ姿すら美しい。彼女はすっくと立ち上がり、ユーリを振り返った。まるで宝石のような、憂いを帯びた、アメジストの瞳。


 ──クリスティーナさま、やっぱりきれい。こちらを見て一瞬冷たくなった瞳が、周りを意識してか、ふ、と緩んだ。

「あら、ユーリ。おはよう」

ユーリは慌てて頭をさげる。

「おはようございます」

「今日からあなたも聖女のお勤めを果たすそうね」

「は、はい」


 聖女のお勤めってなんなんだろう。ユーリはクリスティーナの背後にいるルピナスに目をやった。端正な顔立ちをしているのだが、まるで人形のような覇気のない瞳をしている。その瞳がこちらに向いて、ユーリはびくりとした。なんか──この聖霊、こわい。


「私、あなたの指導をするように仰せつかったのよ」

「そ、そうなのですか。よろしくお願いします」

ユーリが頭を下げると、クリスティーナが微笑んだ。シスターたちに向かい、

「下がっていいわ。あとは私が」


 シスターたちが去っていくと、クリスティーナがふう、と息を吐いた。髪をかきあげ、

「なんだか喉が乾いたわね」

「え?」

「飲み物を持ってきてくれるかしら」

「は、はい」


 侍女の特性として命令に慣れているユーリは、反論もせずに大聖堂を出る。井戸で水を汲み、戻ると、クリスティーナはいなかった。


「あれ?」

どこに行ったのだろう。キョロキョロしていると、大聖堂に並べられている長椅子から、くすくす笑う声がした。

「だめよルピナス、ユーリが戻ってくるわ」


 ルピナスの金髪が視界にうつり、同時にしどけない格好をした聖女が身を起こした。少し開いた唇や、乱れた髪が妙になまめかしい。ルピナスの右手は、クリスティーナの足の間に潜り込んでいるように見えた。ユーリはぽかんとしながら二人を見た。

 ──えっ?


クリスティーナは口元を緩め、

「飲み物、持ってきてくれたかしら」

「は、い」


 ユーリは目を逸らしながら、水を差し出す。なんだか見てはいけないものを見てしまった気がする。クリスティーナは盃を手にし、

「これを聖水に変える方法を教えてあげる。聖女のお勤めのひとつよ」

「は、はい!」


クリスティーナはにっこり笑い、

「あなた、高いところは平気?」

「はい?」




 教会の鐘が半刻を告げている。大聖堂から少し行ったところにある訓練場。リカルドは不機嫌な顔で剣を磨いていた。カイが軽い口調で話しかけてくる。

「坊ちゃん、なにむくれてんの?」

「坊ちゃんとよばないでください」

「貴族なんだから坊ちゃんだろ」


 騎士たちの訓練を見ていたバルドーが、口を挟む。

「リカルド、もしかしてユーリが聖女のお勤めをすることが不満なのかな?」

「だって、おかしいではないですか。あの娘はただの侍女でしょう。それが聖女と立場を同じくするなんて、何か裏があるとしか思えない」

「それを言うなら私はクリスティーナが連れてこられた時も思ったがな、何か裏があるとしか思えないと」

「裏っつーか、確実に司教とヤッてはいますよね」

「な、なんということを!」

 リカルドが真っ赤になると、カイが肩をすくめる。


「別に批判しちゃいない。聖女の力が本物なら、美人だろうが貧乳だろうがビッチだろうが俺は気にしないし」

 その言葉に、リカルドがキレる。

「カイさん!」

「もー坊ちゃんはすぐ怒るんだから〜」


 カイは激昂しやすいリカルドを怒らせて楽しんでいるふしがある。リカルドは他の騎士たちとは生まれが違う。馴染んでいるならそれにこしたことはない──という顔で部下たちの言い争いを放置していたバルドーが、ふ、と顔をあげた。

「ん?」


 バルドーの視線につられて、リカルドも顔をあげる。小さな塔の合間をつなぐように塀があるのだが、そこを「何か」が通っていた。カイは額に手を当て、目を細めている。

「おりょ?」

「あれは……」


 どうやら、ひとのようだ。塔と塔の間をつなぐ塀の、わずかな足場を、盃を手にしておっかなびっくり歩いている。よく見たら、侍女服を着ている。見覚えがある、薄茶色の髪──ユーリだ。リカルドは眉をしかめ、

「何をやってるんだ、あの娘」

「さあ。一発芸の練習?」


 カイはそんなことを言いつつ、スカートの下を覗こうとしている。リカルドは先輩騎士に冷たい目を向け、

「お勤めもせずに遊んでいるとは……ちょっと注意してきます」

「いや遊んでるわけじゃなくね?」

 カイの言葉を無視し、リカルドはそちらへと歩き出した。


 ユーリは下を見ないように気をつけつつ、盃を掲げながらあるく。足場がせまいため、水がこぼれないよう気をつけながら進むのが困難だった。


 ──聖水の作り方を教えてあげるわ。訓練所の近くに、塔と塔をつなぐ塀があるでしょう? 盃を手に、あの上を渡るの。ただしこぼしたり落としたりしたら駄目よ。クリスティーナの言葉を思い出す。それを鵜呑みにしたユーリは、現在実行中なわけである。


「う、うう、怖いよ〜」

 高いところから落とされたのがトラウマになってるため、余計に恐怖心がわき起こる。引きかえしたいが、半分くらいまできたし、もう向こうへ渡ってしまったほうが早い気がした。足元を見ないように、ソーッとソーッと……。


「おい!」

 下から聞こえてきた声に視線を向けたら、リカルドがこちらを見上げていた。案の定怒っている。

「り、リカルドさま」

「何をしているんだ、お勤めはどうした!」

「いま聖水を作ってるんです〜」

「ふざけたことをいうな、そこは遊び場じゃない、早く降りろ!」

 遊んでるわけじゃないのに。


「お、降りろって、どうやって」

「受け止めてやるから飛び降りろ、そう大した高さじゃない」


 いや、大した高さですよ! なにせ、小塔の間をつなぐ塀なのだ。少なくとも、落ちたらタダでは済まないのは確かである。その時、突風が吹いた。

「うわっ!」


 手から盃がすべり落ちる。ユーリはそれを取ろうと手を伸ばし、足場からずるりと落下しかけた。

「!」

 リカルドが慌てた様子で腕を伸ばす。ユーリはぎゅっと目を閉じ、

 ──イグニス!

 思わず心のなかで聖霊の名前を呼ぶ。


 もふっ。

 落下し、背中から激突──するかと思いきや、ユーリの背中は何かもふもふしたもので守られた。真下にいたのは、黒い犬。ユーリは慌てて起き上がる。


「い、イグニスぅ!」

「呼びましたか、聖女さま」

「呼んだ! 怖かったよ〜」

 ユーリがしがみつくと、イグニスが尻尾を振る。

「感謝し跪きなさい」

 尻尾をふりつつ偉そうな口調の獣に、ユーリはプライド無く跪く。


「はいっ、ありがとうございます、イグニスさま!」

「素直でよろしい、特別に撫でてもいいですよ」

「よーしよしよし」


 ユーリがイグニスを撫でまわしていたら、リカルドが口を挟んだ。

「おい」

 びくりとして顔をあげると、リカルドは眉をしかめていた。

「おまえいま、どうやってそいつを呼んだんだ……?」

 ユーリはおどおどと、

「え、心の中で……」

「心の、なか? 聖句を唱えずに、聖霊を呼べるものなのか……?」

 リカルドは何やらぶつぶつ呟いている。


「あのー」

 ユーリが声をかけると、彼はハッとして咳払いし、

「とにかく、おまえが勤めを果たさずに遊んでいたことは司祭にご報告する!」

「えっ、そんな!」


 歩き出したリカルドに、必死に追いすがる。

「待ってください、リカルドさま! 私はクリスティーナさまに言われた通りにしただけです、ああすれば聖水ができるって……」

「クリスティーナさまのせいにするな、あの方がそんなこと、おっしゃるはずがないだろう」

「ちょ、リカルドさまー!」


 リカルドは滅法足が速く、ユーリは置いてけぼりにされてしまった。

「ううっ……」

「人の話を聞かないオロカモノですね」

 イグニスはそう言い、ちら、とユーリを見あげた。


「それで? 何があったんですか?」

「馬鹿にしない?」

「話によりますが」

 ユーリは聖女に教えられた聖水の作り方について話した。イグニスは半目になって聞いていたが、

「あなたは馬鹿か」

「やっぱり馬鹿にしたあ!」

「いや、馬鹿だろうと思ってはいたが、ここまでとは。愚かとはあなたのためにある言葉ですね。いっそ愚蒙(ぐもう)という名前に改名したらどうですか」


 ユーリはうう、と呻き、イグニスの毛並みをなでた。

「口が悪いよ、私聖女なんでしょ?」

「嫌なら考える力をつけなさい」

「どうやったらつくの、それ」

「まずは、常に相手を疑い、言葉を鵜呑みにしないこと。やられたら百万倍にして返すこと。馬鹿にしてくる相手は完膚なきまでにねじ伏せること」

 イグニスは長い指を折りながら、ユーリに流し目をくれた。


「あなたにはもはや、その力があるのですよ。見る目のない連中を見返す力があるのです。馬鹿にされて黙っている必要はない」

「そんなの、嫌だよ」

 ユーリは呟いた。

「疲れるし、楽しくないよ」

「楽しめる性質なら良かったですね、あの偽聖女のように」


 クリスティーナはユーリを痛めつけて楽しんでいるのだろうか。

「そんなこと、ないよ」

 ユーリは首を振り、

「人をひどい目に合わせて、楽しいわけない」


 イグニスがかぷ、と手を噛んできた。

「いたっ」

「聖女ぶった発言はやめなさい。人間が他者をいたぶることで快感を得る動物だというのは、歴史が証明している」

「歴史?」


「騎士はなんのために生まれたか。異教徒を迫害するためです。自分たちが優位に立つため、他者を蹴落とす。人間はそういう生き物だ」

「そんなことないもん。イグニスのひねくれわんこ」

 ユーリが膨れると、手を噛む力が強くなった。

「うあ、痛い痛い痛い!」

「イラつきますね、あなたは。すでに見捨てたくなってきました」

「見捨てないで、お願い」

 ユーリはぎゅ、とイグニスを抱きしめた。


「私、イグニスしか味方いないもん」

「……ふん」

 イグニスは尻尾を振って、

「仕方がない。今回は許容しますが、また馬鹿をやったら噛みちぎりますよ」

「なにを!?」

 ユーリは鼻や耳をばっ、と抑えた。

「ここを」

「!」


 イグニスがいきなり人型に変わり、赤い瞳をこちらに向けた。長い指先が、唇に触れた。ゆっくりなぞられ、ユーリはびくりとすると、す、と目が細くなった。


「噛みちぎって、二度と話せないようにする」

「む、無体すぎるよ……」

「嫌なら考えなさい、どうすべきか」

 ユーリは考えたすえ、イグニスに視線を向ける。

「とりあえず」

「ええ」

「お腹減った、むぐ」

イグニスは無言でユーリの頰を押しつぶした。






 イグニスとユーリが戯れているのを、ルピナスは小塔の上からじっと見下ろしていた。

「あの子、落ちた?」

 クリスティーナが尋ねると、首を振る。クリスティーナはそう、とつぶやき、小塔の壁にもたれた。聖女服の端をめくりあげ、来なさい、と囁く。ルピナスは二人から視線を外し、クリスティーナの身体を抱き寄せた。


「……ん」

 クリスティーナはルピナスの首筋を撫でながら、

「いい子ね、ルピナス。従順で素敵だわ……」

 あの獣──イグニスは確かに美しいが、言うことを聞かなさそうだ。下手をしたら殺される。

「けど、ユーリにやるには、惜しいわね……」

 あの美しい容姿、長い手足。気性の荒さ。従えることができたら、どんなに愉しいだろうか。


 クリスティーナは胸に埋まったルピナスの頭を撫でながら、快感に吐息を漏らした。

前回イグニスをエリアスと書いてしまいました。すいません。どっちも自キャラなんだけど、名前似てるから……(言い訳)

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