怪しい影とやらしい手(1)
昼の鐘が、教会に鳴り響く。シスターや司教、騎士たちが、それぞれの回廊を通り、ぞろぞろと集まってきていた。ユーリと人型のイグニスが回廊をあるくと、ちらちらと視線が飛んでくる。
「なんか見られてるね」
「あなたの顔が面白いからでは?」
「面白いって何!?」
美人とは言わないけど、別に変な顔だとは思わない。
「見ていると頰を押しつぶしたくなるというか、手ひどい言葉をかけたくなるというか、泣かせたくなるというか」
「なによう、イグニスは私の味方でしょ。意地悪言わないで」
「仕方がないのです、あなたがそういう顔をしているせいだ」
「どういう顔!?」
ユーリとイグニスが問答しながら食堂に入ると、席についていたバルドーが手を挙げた。
「やあ、ユーリ」
「あ、騎士団長さま」
ユーリは頭を下げるが、イグニスは素知らぬ顔をしている。
「イグニス、こらっ、頭下げて!」
「いやです」
「伏せっ!」
そう叫ぶと、イグニスが反射的に頭を下げた。のちハッとして、ユーリの頭をわし掴む。
「ユーリ……」
「いだだだ」
頭をギリギリと掴まれているユーリを見て、バルドーは苦笑する。
「そなたらは、どちらが主かわからぬな」
「私です」
「と、イグニスは言ってるんですが」
情けない顔のユーリに、バルドーは食事をとってくるよう勧めた。ここの食事はバイキング形式になっていて、好きなものを好きなだけ食べられる。敬虔なシスターたちはパンとマッシュポテトだけの質素な食事、騎士たちは肉類を中心とした豪快な食事というふうに。
ユーリは皿をとり、
「イグニス、何か食べる?」
「どうせまずいのでしょう」
「ちょっ、あ、じ、冗談ですよ、あははは」
ユーリはこちらを睨む料理長に笑ってみせ、イグニスの口にパンを突っ込んだ。
「うぐ」
「さあて、なんにしようかな〜」
食べるのは好きだ。美味しいものを食べると、大抵の嫌なことは忘れてしまえる。ユーリは好物のムースを見つけ、イグニスに差し出した。
「あ、これ美味しいんだよ。イグニスも食べる?」
「なんですか、それは。ゲ◯ですか?」
「違うよ! っていうかここ食堂だからそういうこと言うのやめて」
ユーリはいくつか皿にとって、バルドーの元へ戻る。バルドーの隣にいたカイが身を乗り出し、
「結構食うんだな……」
「へへ。美味しいですよね、ここの食事」
イグニスは視線を巡らせ、
「あの小うるさい小僧はどこに?」
「リカルドのこと? あいつなら、司教さまに会うって言ってたぞ」
ユーリはぎくりとした。ああそうだった……
と、食堂がざわめいた。リカルドが司教と共にやってきたのだ。彼らはこちらに歩いてきて、ぴたり
と立ち止まる。
「ユーリ、お勤めを怠け、遊んでいたというのは誠か?」
司教の問いに、ユーリは慌てて首を振る。
「ち、違います、私はただ」
リカルドはこちらに厳しい顔を向け、
「聖水がどうとか言っていましたが」
ユーリはもじもじと言う。
「そうなんです、聖女さまが聖水を作るには、小塔の間を渡れって……」
「聖水の作り方も知らないのか、これは驚きだ。無知は罪であり、言い訳に人を使うのは重罪だ」
揶揄するような司教の言葉に、ユーリは赤くなった。
「無知な人間に過ちを教えることは罪ではないのか?」
イグニスが口を開く。
「なんだと? 聖女がユーリをはかったというのか」
「ええ。ユーリの存在は彼女にとっては目の上のたんこぶ。排除したくてたまらないはず。実際、ユーリは排除されかけた」
彼は優雅に盃を傾け、ユーリを横目で見る。
「なのにこのオロカモノは偽聖女を憎まず、くだらない嘘を信じる。まったく、頭のなかにおがくずが詰まっているとしか思えません」
「お、おがくず」
ユーリは眉をさげた。そこまで言わなくたって……。
「ひとまず──ユーリには公平な指導係をつけていただきたい。聖女の仮面を被ったあばずれではなくね」
リカルドがかっ、となった。
「貴様、クリスティーナ様を侮辱する気か!」
襟首を掴まれたイグニスが目を光らせる。
「オロカモノは命が惜しくないらしい」
イグニスが炎を出そうとしていると悟り、ユーリは「伏せっ!」と叫んだ。
頭を垂れたイグニスの腕をつかみ、
「私が悪いんです! 罰は受けます!」
イグニスはウー、と呻いている。
「ユーリ、またしても」
司教は怒りに震えるリカルドをちら、と見て、
「では──」
「なんの騒ぎですか?」
涼やかな声がして、クリスティーナが姿をあらわす。彼女の美しさで、食堂が一気に明るくなった気がした。騎士たちが一斉に頭を下げる。イグニスは当然のごとく頭をあげたままだった。クリスティーナはユーリに微笑み、
「ユーリ、聖水はできた?」
「あ、の」
「まあ、まだなの? 昼までにお願い、と言ったのに……」
「すいません」
項垂れるユーリを見て、イグニスがイライラと足踏みをした。司教がクリスティーナを見て、
「クリスティーナ、ユーリが、君が嘘を教えたために聖水がつくれなかった、と言っているのだが」
「私が? なぜ、私がそんな……」
クリスティーナは秀麗な眉をさげた。
「ひどいわ……ユーリ、私になにか恨みでもあるの?」
「え、あ、あの」
オロオロするユーリに、非難の目が注ぐ。バルドーとカイは、非難するでも擁護するでもなく、成り行きを傍観していた。
と、立ち上がったイグニスがクリスティーナに近づく。
ルピナスがすかさず、クリスティーナを守るように立ちふさがった。
「どいてください、節穴聖霊」
「いいのよ、ルピナス」
クリスティーナはルピナスを下がらせ、
「なにかしら?」
イグニスは目を細め、クリスティーナの首筋に顔を埋めた。ユーリは赤くなってひゃ、と声をあげ、リカルドが顔をひきつらせる。クリスティーナは瞳を緩め、イグニスの髪に触れようとする。
「ん、イグニス……?」
「聖霊とまぐわいましたね」
イグニスの言葉に、クリスティーナが顔をひきつらせた。
「……なんですって?」
「匂いがしますよ。おまえ、この女に聖液を注いだだろう」
ルピナスは無表情でイグニスを見ている。
「まぐ……まぐ」
リカルドはわなわな震えながら顔を赤くする。
「で、でたらめを言うな!」
「でたらめ? なんならここで足を開かせて見ればいい。まだ残滓が残っているでしょう」
その言葉に、リカルドが剣を引き抜いた。
「この化け物が!」
イグニスが応戦しようとし、ユーリがそれを防ごうとした時──クリスティーナの瞳から、涙が溢れ落ちた。
「ひどい……」
はらはらと流れ落ちる涙を、クリスティーナは指の腹で抑える。その様子は楚々としていて、見るものの心を打った。ただ、バルドーとカイ、イグニスは平常どおりの眼差しを向けてたのだが。
「クリスティーナさま、行きましょう」
リカルドはすっかり胸を打たれ、クリスティーナを守らなければならないという顔で彼女の肩に手を置く。クリスティーナはリカルドの肩にそっともたれた。二人は寄り添って歩き出し、ルピナスがそれに続く。司教はこちらを見て、
「ユーリ、話はあとで。私の部屋に来なさい」
三人についていく。食堂はまだざわついていたが、昼休みも終わるとあって、みな各々席を立ったり皿を片付けたりしていた。イグニスは舌打ちし、
「うまく逃げましたね、アバズレ聖女」
「イグニスぅ!」
ユーリは真っ赤になってイグニスの腕をつかむ。
「なんですか」
「なんであんなこと言ったの!」
「あんなこと? まぐわいの件ですか」
「そうだよ、そういうのは、その、秘密なんだから言ったらダメだよ」
ユーリがむにゃむにゃ言うと、イグニスが鼻を鳴らした。
「あの女はどうせあの聖霊以外とも寝ていますよ」
「えっ?」
「鋭いなー、イグニス」
カイが言うと、
「鼻がきくので」
バルドーが口を開く。
「聖液がどうのと言っていたな。それはなんなんだ?」
「聖霊が人間に与える気です。ただ……」
「ただ?」
イグニスはちら、とバルドーを見て、
「なにか面白がっていますね、たぬきおやじ」
「面白がってなどいないさ」
「嘘の匂いがぷんぷんしますね。事態が混乱するのを楽しんでいる」
「いいや? 私は平和的な解決を望んでいる。それにどちらかといえば、ユーリを応援しているんだ」
「えっ」
ユーリが顔を輝かせた。
「本当ですか!?」
バルドーは微笑み、
「ああ。なにかこう、回転カゴに入れてカラカラ転がしたくなる感じで面白いしな」
「ハムスターでしょ、それ」
カイが突っ込んだ。
「ハムスター聖女とアバズレ聖女か。どちらも有り難みがない」
イグニスはそんなことを言う。ああ、もうすぐ昼休みが終わってしまう。ユーリはハムスターのごとく、急いで食べ物を口に詰め込んだ。
★
クリスティーナの自室。
リカルドは、目尻を抑えるクリスティーナにハンカチを差し出した。
「クリスティーナさま、その、大丈夫ですか?」
「ええ……ありがとう」
クリスティーナはハンカチを受け取る際、リカルドの手にそっと触れた。リカルドはさっ、と赤くなり、手を引く。ルピナスと司祭は別室にいる。今は二人きりだ。たまには、初心な男も悪くない。なにより彼は騎士団員だ。味方につけて損はないはず。クリスティーナは、傷ついたように目を伏せた。
「リカルドさま、先ほどのイグニスの言葉をお信じになったの?」
「まさか!」
リカルドは首を振り、クリスティーナの手を握った。
「俺はあなたを信じています!」
「リカルドさま……」
クリスティーナはリカルドを見つめ、そっと目を閉じた。リカルドは息を飲み、震える手で肩を掴む。かと思えば、素早く離した。
「いや、ダメです」
「は?」
「あなたは聖なる存在。俺が触れていい方ではないのです」
何を言ってるの、この男。クリスティーナは怪訝な顔でリカルドを見た。こちらを見る瞳はまっすぐだ。彼は本当にそう思っているらしい。とんだ馬鹿がいたものである。絶対童貞でしょ、こいつ。
クリスティーナの内心など知らないリカルドは真面目な顔で、
「では私はこれで」
「え、ええ、ありがとう」
去っていく。クリスティーナは眉をしかめて足を組んだ。と、リカルドがいきなり振り向いたので慌てて足をそろえる。なんなのよ、さっさと行きなさいよ。
「クリスティーナさま、なにがあっても、俺があなたをお守りしますから」
「ええ、ありがとう」
あーはいはい。ありがたいありがたい。クリスティーナは心のうちで思いながら、にこやかに手を振る。
リカルドが出て行き、クリスティーナはため息をついた。ノックの音がしたので、今度は何よ、と思いつつ返事をする。
入ってきたのは司教だった。クリスティーナは即座に笑顔を浮かべる。
「司教さま」
「クリスティーナ、リカルドと何を話した?」
司教は硬い表情を浮かべている。
「まさかおまえに聖女の力がないことを話してはいまいな。リカルドはライディーン卿の息子。他の騎士とはわけが違うのだ」
何を怯えているのかしら、この男。あんなに扱いやすい人間もいないって言うのに。
「リカルドさまは私に味方してくださるそうですわ」
クリスティーナは歌うように言ったあと、司教を見つめた。
「司教さま、こないだのこと、怒ってらっしゃるの?」
「……私の存在など忘れていたのだろう?」
ええ、そうなの──。
「まさかそのような……私がお慕いしているのは司教さまだけですから。ルピナスに身を委ねたのは、聖霊を手なづけるためですわ」
クリスティーナはそう囁いて、そっと司教に寄り添う。司教は相好を崩し、クリスティーナの肩を抱いた。
クリスティーナはあーだるい、と思いながら、内心で舌を出した。誰がこんなオヤジを好くものか。──私は若くて美しいのだ。同様に若くて美しい男を得る権利がある。
そう、ルピナスのように。あのイグニスのように。人間ではないから若いかどうかなどわからない。しかし十分な魅力があるのは確かだ。首筋に感じた吐息を思いだし、クリスティーナは身を震わせた。あの吐息を、唇に感じたい。
司教の胸元に手を置き、精々か
弱く見えるように見上げる。
「司教さま、聖女の力を見極める試練は、どのようなものですの?」
「ああ、三問答にしようと思っている」
「三問答……」
クリスティーナは内心笑う。
「司教さまったらお人が悪いわ。ユーリに解けるはずがないのに」
「聖女が無知では困るだろう?」
司教はそう言って、クリスティーナの髪をさらりと撫でた。




