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えすぷり。  作者: 佐藤三(あた)
本編
5/17

怪しい影とやらしい手(1)

 昼の鐘が、教会に鳴り響く。シスターや司教、騎士たちが、それぞれの回廊を通り、ぞろぞろと集まってきていた。ユーリと人型のイグニスが回廊をあるくと、ちらちらと視線が飛んでくる。


「なんか見られてるね」

「あなたの顔が面白いからでは?」

「面白いって何!?」

 美人とは言わないけど、別に変な顔だとは思わない。


「見ていると頰を押しつぶしたくなるというか、手ひどい言葉をかけたくなるというか、泣かせたくなるというか」

「なによう、イグニスは私の味方でしょ。意地悪言わないで」

「仕方がないのです、あなたがそういう顔をしているせいだ」

「どういう顔!?」


 ユーリとイグニスが問答しながら食堂に入ると、席についていたバルドーが手を挙げた。

「やあ、ユーリ」

「あ、騎士団長さま」

 ユーリは頭を下げるが、イグニスは素知らぬ顔をしている。


「イグニス、こらっ、頭下げて!」

「いやです」

「伏せっ!」

 そう叫ぶと、イグニスが反射的に頭を下げた。のちハッとして、ユーリの頭をわし掴む。

「ユーリ……」

「いだだだ」


 頭をギリギリと掴まれているユーリを見て、バルドーは苦笑する。

「そなたらは、どちらが主かわからぬな」

「私です」

「と、イグニスは言ってるんですが」


 情けない顔のユーリに、バルドーは食事をとってくるよう勧めた。ここの食事はバイキング形式になっていて、好きなものを好きなだけ食べられる。敬虔なシスターたちはパンとマッシュポテトだけの質素な食事、騎士たちは肉類を中心とした豪快な食事というふうに。


 ユーリは皿をとり、

「イグニス、何か食べる?」

「どうせまずいのでしょう」

「ちょっ、あ、じ、冗談ですよ、あははは」

 ユーリはこちらを睨む料理長に笑ってみせ、イグニスの口にパンを突っ込んだ。

「うぐ」

「さあて、なんにしようかな〜」


 食べるのは好きだ。美味しいものを食べると、大抵の嫌なことは忘れてしまえる。ユーリは好物のムースを見つけ、イグニスに差し出した。

「あ、これ美味しいんだよ。イグニスも食べる?」

「なんですか、それは。ゲ◯ですか?」

「違うよ! っていうかここ食堂だからそういうこと言うのやめて」


 ユーリはいくつか皿にとって、バルドーの元へ戻る。バルドーの隣にいたカイが身を乗り出し、

「結構食うんだな……」

「へへ。美味しいですよね、ここの食事」

 イグニスは視線を巡らせ、

「あの小うるさい小僧はどこに?」

「リカルドのこと? あいつなら、司教さまに会うって言ってたぞ」


 ユーリはぎくりとした。ああそうだった……

 と、食堂がざわめいた。リカルドが司教と共にやってきたのだ。彼らはこちらに歩いてきて、ぴたり

 と立ち止まる。

「ユーリ、お勤めを怠け、遊んでいたというのは誠か?」

 司教の問いに、ユーリは慌てて首を振る。

「ち、違います、私はただ」


 リカルドはこちらに厳しい顔を向け、

「聖水がどうとか言っていましたが」

 ユーリはもじもじと言う。

「そうなんです、聖女さまが聖水を作るには、小塔の間を渡れって……」

「聖水の作り方も知らないのか、これは驚きだ。無知は罪であり、言い訳に人を使うのは重罪だ」

 揶揄するような司教の言葉に、ユーリは赤くなった。


「無知な人間に過ちを教えることは罪ではないのか?」

 イグニスが口を開く。

「なんだと? 聖女がユーリをはかったというのか」

「ええ。ユーリの存在は彼女にとっては目の上のたんこぶ。排除したくてたまらないはず。実際、ユーリは排除されかけた」

 彼は優雅に盃を傾け、ユーリを横目で見る。


「なのにこのオロカモノは偽聖女を憎まず、くだらない嘘を信じる。まったく、頭のなかにおがくずが詰まっているとしか思えません」

「お、おがくず」

 ユーリは眉をさげた。そこまで言わなくたって……。


「ひとまず──ユーリには公平な指導係をつけていただきたい。聖女の仮面を被ったあばずれではなくね」

 リカルドがかっ、となった。

「貴様、クリスティーナ様を侮辱する気か!」

 襟首を掴まれたイグニスが目を光らせる。

「オロカモノは命が惜しくないらしい」


 イグニスが炎を出そうとしていると悟り、ユーリは「伏せっ!」と叫んだ。

 頭を垂れたイグニスの腕をつかみ、

「私が悪いんです! 罰は受けます!」

 イグニスはウー、と呻いている。

「ユーリ、またしても」

 司教は怒りに震えるリカルドをちら、と見て、

「では──」

「なんの騒ぎですか?」


 涼やかな声がして、クリスティーナが姿をあらわす。彼女の美しさで、食堂が一気に明るくなった気がした。騎士たちが一斉に頭を下げる。イグニスは当然のごとく頭をあげたままだった。クリスティーナはユーリに微笑み、

「ユーリ、聖水はできた?」

「あ、の」

「まあ、まだなの? 昼までにお願い、と言ったのに……」

「すいません」


 項垂れるユーリを見て、イグニスがイライラと足踏みをした。司教がクリスティーナを見て、

「クリスティーナ、ユーリが、君が嘘を教えたために聖水がつくれなかった、と言っているのだが」

「私が? なぜ、私がそんな……」

 クリスティーナは秀麗な眉をさげた。

「ひどいわ……ユーリ、私になにか恨みでもあるの?」

「え、あ、あの」


 オロオロするユーリに、非難の目が注ぐ。バルドーとカイは、非難するでも擁護するでもなく、成り行きを傍観していた。

 と、立ち上がったイグニスがクリスティーナに近づく。


 ルピナスがすかさず、クリスティーナを守るように立ちふさがった。

「どいてください、節穴聖霊」

「いいのよ、ルピナス」

 クリスティーナはルピナスを下がらせ、

「なにかしら?」


 イグニスは目を細め、クリスティーナの首筋に顔を埋めた。ユーリは赤くなってひゃ、と声をあげ、リカルドが顔をひきつらせる。クリスティーナは瞳を緩め、イグニスの髪に触れようとする。

「ん、イグニス……?」

「聖霊とまぐわいましたね」

 イグニスの言葉に、クリスティーナが顔をひきつらせた。


「……なんですって?」

「匂いがしますよ。おまえ、この女に聖液を注いだだろう」

 ルピナスは無表情でイグニスを見ている。

「まぐ……まぐ」

 リカルドはわなわな震えながら顔を赤くする。

「で、でたらめを言うな!」

「でたらめ? なんならここで足を開かせて見ればいい。まだ残滓が残っているでしょう」


 その言葉に、リカルドが剣を引き抜いた。

「この化け物が!」

 イグニスが応戦しようとし、ユーリがそれを防ごうとした時──クリスティーナの瞳から、涙が溢れ落ちた。

「ひどい……」


 はらはらと流れ落ちる涙を、クリスティーナは指の腹で抑える。その様子は楚々としていて、見るものの心を打った。ただ、バルドーとカイ、イグニスは平常どおりの眼差しを向けてたのだが。

「クリスティーナさま、行きましょう」


 リカルドはすっかり胸を打たれ、クリスティーナを守らなければならないという顔で彼女の肩に手を置く。クリスティーナはリカルドの肩にそっともたれた。二人は寄り添って歩き出し、ルピナスがそれに続く。司教はこちらを見て、

「ユーリ、話はあとで。私の部屋に来なさい」


 三人についていく。食堂はまだざわついていたが、昼休みも終わるとあって、みな各々席を立ったり皿を片付けたりしていた。イグニスは舌打ちし、

「うまく逃げましたね、アバズレ聖女」

「イグニスぅ!」

 ユーリは真っ赤になってイグニスの腕をつかむ。


「なんですか」

「なんであんなこと言ったの!」

「あんなこと? まぐわいの件ですか」

「そうだよ、そういうのは、その、秘密なんだから言ったらダメだよ」

 ユーリがむにゃむにゃ言うと、イグニスが鼻を鳴らした。

「あの女はどうせあの聖霊以外とも寝ていますよ」

「えっ?」

「鋭いなー、イグニス」

 カイが言うと、

「鼻がきくので」


 バルドーが口を開く。

「聖液がどうのと言っていたな。それはなんなんだ?」

「聖霊が人間に与える気です。ただ……」

「ただ?」

 イグニスはちら、とバルドーを見て、

「なにか面白がっていますね、たぬきおやじ」

「面白がってなどいないさ」

「嘘の匂いがぷんぷんしますね。事態が混乱するのを楽しんでいる」

「いいや? 私は平和的な解決を望んでいる。それにどちらかといえば、ユーリを応援しているんだ」

「えっ」


 ユーリが顔を輝かせた。

「本当ですか!?」

 バルドーは微笑み、

「ああ。なにかこう、回転カゴに入れてカラカラ転がしたくなる感じで面白いしな」

「ハムスターでしょ、それ」

 カイが突っ込んだ。


「ハムスター聖女とアバズレ聖女か。どちらも有り難みがない」

 イグニスはそんなことを言う。ああ、もうすぐ昼休みが終わってしまう。ユーリはハムスターのごとく、急いで食べ物を口に詰め込んだ。



 ★



 クリスティーナの自室。

 リカルドは、目尻を抑えるクリスティーナにハンカチを差し出した。

「クリスティーナさま、その、大丈夫ですか?」

「ええ……ありがとう」


 クリスティーナはハンカチを受け取る際、リカルドの手にそっと触れた。リカルドはさっ、と赤くなり、手を引く。ルピナスと司祭は別室にいる。今は二人きりだ。たまには、初心な男も悪くない。なにより彼は騎士団員だ。味方につけて損はないはず。クリスティーナは、傷ついたように目を伏せた。


「リカルドさま、先ほどのイグニスの言葉をお信じになったの?」

「まさか!」

 リカルドは首を振り、クリスティーナの手を握った。

「俺はあなたを信じています!」

「リカルドさま……」


 クリスティーナはリカルドを見つめ、そっと目を閉じた。リカルドは息を飲み、震える手で肩を掴む。かと思えば、素早く離した。

「いや、ダメです」

「は?」

「あなたは聖なる存在。俺が触れていい方ではないのです」


 何を言ってるの、この男。クリスティーナは怪訝な顔でリカルドを見た。こちらを見る瞳はまっすぐだ。彼は本当にそう思っているらしい。とんだ馬鹿がいたものである。絶対童貞でしょ、こいつ。


 クリスティーナの内心など知らないリカルドは真面目な顔で、

「では私はこれで」

「え、ええ、ありがとう」

 去っていく。クリスティーナは眉をしかめて足を組んだ。と、リカルドがいきなり振り向いたので慌てて足をそろえる。なんなのよ、さっさと行きなさいよ。


「クリスティーナさま、なにがあっても、俺があなたをお守りしますから」

「ええ、ありがとう」

 あーはいはい。ありがたいありがたい。クリスティーナは心のうちで思いながら、にこやかに手を振る。


 リカルドが出て行き、クリスティーナはため息をついた。ノックの音がしたので、今度は何よ、と思いつつ返事をする。

 入ってきたのは司教だった。クリスティーナは即座に笑顔を浮かべる。

「司教さま」

「クリスティーナ、リカルドと何を話した?」


 司教は硬い表情を浮かべている。

「まさかおまえに聖女の力がないことを話してはいまいな。リカルドはライディーン卿の息子。他の騎士とはわけが違うのだ」

 何を怯えているのかしら、この男。あんなに扱いやすい人間もいないって言うのに。


「リカルドさまは私に味方してくださるそうですわ」

 クリスティーナは歌うように言ったあと、司教を見つめた。

「司教さま、こないだのこと、怒ってらっしゃるの?」

「……私の存在など忘れていたのだろう?」

 ええ、そうなの──。


「まさかそのような……私がお慕いしているのは司教さまだけですから。ルピナスに身を委ねたのは、聖霊を手なづけるためですわ」

 クリスティーナはそう囁いて、そっと司教に寄り添う。司教は相好を崩し、クリスティーナの肩を抱いた。


 クリスティーナはあーだるい、と思いながら、内心で舌を出した。誰がこんなオヤジを好くものか。──私は若くて美しいのだ。同様に若くて美しい男を得る権利がある。


 そう、ルピナスのように。あのイグニスのように。人間ではないから若いかどうかなどわからない。しかし十分な魅力があるのは確かだ。首筋に感じた吐息を思いだし、クリスティーナは身を震わせた。あの吐息を、唇に感じたい。


 司教の胸元に手を置き、精々か

弱く見えるように見上げる。


「司教さま、聖女の力を見極める試練は、どのようなものですの?」

「ああ、三問答にしようと思っている」

「三問答……」

 クリスティーナは内心笑う。


「司教さまったらお人が悪いわ。ユーリに解けるはずがないのに」

「聖女が無知では困るだろう?」

 司教はそう言って、クリスティーナの髪をさらりと撫でた。

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