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えすぷり。  作者: 佐藤三(あた)
本編
13/17

神待ちナイト

 わんわん、わんわん。犬の鳴き声がする。

 またこの夢だ。ユーリは犬たちに囲まれ、目の前には鏡がある。まとわりついてくる犬を撫でながら、ユーリはため息をついた。

「やっぱりこの夢かあ」


 鏡、犬。どういう意味があるのだろう。ユーリはじっと鏡を見つめる。一匹の犬が、鏡にふんふん、と顔を寄せていた。犬がちょん、と鏡に触れたら、「GOD」という文字が犬の額に現れた。あれ? 逆じゃない?


「あ、そうか、鏡文字」

 鏡に映った時に、正しい綴りになるのだ。

 ためしに、ユーリも鏡に触れてみた。額に文字が浮きでる。

「IRUY」

「やっぱり逆なんだ」


 ユーリははっとした。ミーシャの額に出ていた文字を思い出したのだ。ENVY。指先を噛んで血を出し、鏡に書く。逆から読むと……YVNE。

「意味がわかんない」


 ユーリは指についた血をなめ取り、ばたりと倒れた。ぼんやり頭上を見上げていたら、何かが揺らぐ気配がした。

「ん?」

 ぴく、と肩を揺らし、ユーリは起き上がった。鏡から、何かが出てくる。

 慌てて手を伸ばし、それを掴んだ瞬間、視界が真っ白になった。


「っは!」

 覚醒した瞬間、ごちっ、と痛そうな音がした。不機嫌そうな赤い目が、ぎろ、とこちらを見下ろしてくる。どうやら顎にぶち当たったらしい。

「なにをするんです」

「イグニス、なんか出た!」

「なんか?」


 ユーリはほらっ、と言い、手のひらを差し出した。彼はす、と視線を下げ、目を見開く。手のひらには、百合の紋章をかたどった痣があった。

「これは……聖痕」

「聖痕?」

「神からのみしるしです。どうやら、神待ちに成功したようですね」

「ほんと? やった!」


 ユーリは急いで立ち上がり、

「早く行こう、ミーシャが殺されちゃう」

「処刑は夜でしょう。そう急く必要も……」

 言葉を発しかけたイグニスが、瞳を鋭くし、ユーリの腕を引いた。


「え、なに」

 カツカツと靴音がして、視界の端に銀色の髪が揺れた。バイオレットの瞳を緩め、クリスティーナがにこりと笑う。


「おはよう、ユーリ」

「クリスティーナさま、おはようございま、うぐ」

「呑気に挨拶してる場合ですか

 イグニスに口を塞がれ、ユーリは呻いた。クリスティーナは微笑んで、

「相変わらず仲がいいこと。うらやましいわ」

「あなたたちほどではない。ペットはどこですか」

「あら、ひどい言い草だこと」

「自我のない聖霊など、ペットと同じだ」


 クリスティーナは眉をあげ、唇に指先をあてた。

「そうそう、そのことについて聞きたかったの。ルピナスは「影」がないせいで自我を喪失しているって、本当なのかしら」

 ユーリはイグニスの手を引き剥がし、勢いこんで言う。

「本当です! 影に憑かれたせいで、ミーシャはあんなことを」

「お聞きになって? 司祭さま。この子、あろうことか私の聖霊を侮辱して、放火犯を庇おうとしていますのよ」


 クリスティーナの脇から、司祭が顔を出す。

「なんて娘だ。おまえたち、ユーリを捕えろ」

「え」

 本棚の影からぞろぞろ現れた兵士たちに、ユーリはギョッとした。

「えっ!?」

「まったく、そんなに燃やされたいのか」

 舌打ちし、手のひらを翳そうとしたイグニスを、ユーリは慌ててとどめる。


「だめだよイグニス、図書館だし、火気厳禁だよ!」

「本と命とどちらが大事なのです」

「両方!」

「では、仕方ない」

 イグニスは窓に向かって手をかざした。途端に、勢いよく発せられた火が窓を破る。


「歯を食いしばりなさい」

「え? ぎゃあ」

 イグニスはユーリを抱きかかえ、耳元になにかを囁く。直後、窓の外へ放り出した。

「ぎゃー!」

 ユーリは叫びながら落下し、植木の中にぼすりと埋まる。


「う、うう……」

 なんだか最近、落とされてばかりな気がする……植木から這い出したユーリは、頭上を見上げ、イグニス、とつぶやく。

 ──追いつきますから、先に行きなさい。捕まったら仕置きしますよ。

 ユーリはぎゅ、と唇を噛み、立ち上がって走り出した。


 ★


「聞いたか? あのユーリとかいう女が脱走したらしいぞ」

「ユーリ? ああ、あの侍女か。どうしてまた」

「なんでも、聖女さまの聖霊にケチをつけて、大罪人を擁護したらしい。何様なんだかな」


 騎士たちの間で囁かれる噂に、リカルドは眉をしかめる。脱走? なにをやってるんだ、あの娘は。処刑日は今日だぞ。カイがのんびりした口調で話しかけてきた。


「聞いたかリカルド、ユーリが逃げたって」

「あの娘がどうなろうが、俺には関係ありません」

 カイは肩をすくめ、

「見つけたら聖女さまのとこ連れてけってさ」


 クリスティーナのことを思い浮かべ、苦い気持ちになる。なんにせよ、ユーリにはイグニスがついているのだろう。ならやすやすと捕まるはずが──。その時、リカルドの視界に、ひょこひょこ動くなにかが映った。あれは……。


 顔を引きつらせたリカルドに、カイが首を傾げる。

「リカルド?」

「用事を思い出した」

「え、警備の割り振り始まるぜ?」

「スグモドル」

 早口で言ったリカルドは、足早に「それ」に近づいていく。茂みに隠れているつもりなのだろうが、丸わかりだ。


「おい」

「え、っ!」

 びくりと震えたユーリが、こちらを見上げて目を泳がせた。

「り、リカルドさま」

「なにをしている。番犬はどうした」

 そう尋ねたら、ユーリがしゅんとする。

「イグニスは、先に行けって」


 なにを考えているんだ、あの犬は。こんなどんくさい小娘をひとりにしておいたら、一瞬で捕まるに決まっているのに。その時、バタバタと足音が聞こえてきた。リカルドははっとして、ユーリの頭を押さえつけた。


「ふぐ」

 こちらにかけてきた兵士が、リカルドに尋ねる。

「こちらに娘が来ませんでしたか。黒髪で背が低い、聖女服を着た娘です」

「さあ、知らないが」

「そうですか……おい、あたりをくまなく探せ」


 兵士たちが踵を返そうとしたその時、茂みの中からへくし、とくしゃみの音がした。

「っ!」

 ばか! リカルドは思わずユーリをそう罵りそうになった。

「今のは?」

「さあ、虫では?」

「くしゃみをする虫などいないでしょう」

 兵士たちが剣の柄に手をかけた。

「どいていただけますか、リカルドさま」


 リカルドは歯噛みして、剣をちゃきりと鳴らす。ここで騒ぎを起こせば、ユーリの居場所が知れてしまう──。

「へくしっ」

 背後からくしゃみが聞こえてきて、兵士たちが振り向く。カイが鼻をすすっていた。


「あー、今日めっちゃ花粉飛んでるわ」

 彼はあ、そういえば、と指を立てる。

「さっき、回廊でユーリを見たって侍女が言ってたよ」

「さっき? それはいつのことですか」

「んー、よく覚えてないけど、キスしてる時」

 兵士たちは咳払いし、回廊のほうへと走っていく。


「超素直だな」

 カイは感心し、リカルドに近づいてくる。彼はにやにや笑いながら、

「関係ないんじゃなかった?」

「……何のことですか」

 リカルドは仏頂面で答え、ちら、と背後を振り返った。ユーリがこちらを見上げてくる。カイがひょい、とリカルドの脇から顔をだし、

「ヤッホーユーリ。あれ、ひとり? 狂犬は?」

「かくかくしかじかで……」

「なるほどー」


 なぜ今の説明でわかるのだ。リカルドは胡乱な目でカイを見た。ユーリは必死に訴える。

「イグニスと合流するために、赤の広場まで行きたいんです!」

「ふむ。でもさあ、教会の外に出るのは無理っぽいよ。門のとこに兵士が張り付いてた」

「え」

 リカルドは口元に手を当て、

「……それは、なんとかなるかもしれない」

 カイとユーリがこちらを向く。リカルドはこちらへ、と言って顎をしゃくった。


 カイとリカルドは、ガラガラと台車を転がし、教会の門へと向かう。そこに立っていた兵士が二人を止めた。

「待ってください。それは?」

「ああ、これ? 処刑人を磔にするための板。材料が足りないから持ってきてくれって言われたんだ」

 カイがのんびり言うと、兵士たちが顔を見合わせた。

「中身を改めさせてもらいます」

 カイはちら、とリカルドを見て、

「どうぞ?」


 バサリと音がして、台車にかけられていた布が取り払われた。台車の上には、木材が積まれているだけだ。

「失礼いたしました。どうぞ」

 促され、リカルドとカイはまた台車を転がし始める。その後ろを、背の低い小姓がちょこちょこついていった。しばらく台車を転がして行き、教会が遠くなると、カイが小姓に囁いた。

「バレなかったね」

「はい、よかったです」


 小姓が帽子の影から顔を覗かせる。

「ユーリかどうかというより、性別自体を全然疑われてなかったよな」

「色気がまるでないせいでしょう」

「リカルド、ひでえ」

 そう言いながら笑うカイのほうがひどい。ユーリは胸元に手を当てて落ち込んでいる。


「まあ、いいじゃん、そのうち大きくなるって」

 なんなら俺が大きくしようか、と言うカイを、リカルドは半目で見た。この先輩騎士はいつもふざけているが、お尋ね者をかくまっていてものんきとは恐れ入る。


「あ、リカルドは巨乳派だから」

「そ、そうなんですか」

「そんなことより」

 ひそひそ話すカイとユーリに口を挟む。

「赤の広場で何をする気なんだ。下手したら捕らえられて殺されるぞ」

 ユーリは手のひらを見せた。覗き込んだカイとリカルドが目を見開く。

「これは……なんだ」

「イグニスは聖痕だって」

「スティグマ?」


 リカルドは聖伝の一節を思い出していた。

「百合の花の聖痕を持つ乙女、炎から罪を救う」

 自分で口にするよりも早く、カイがそうつぶやく。ユーリはキョトンとしていた。

「それ、なんですか?」

「おまえは聖伝の内容も覚えてないのか」

「まあ、騎士は腐る程唱えるからね」

 カイはそう言って、

「罪ってのがよくわかんないけど」

 ユーリはじっと聖痕を見つめている。


「私、ミーシャを助けたいんです」

「そんなことしたらヤバイんじゃね?」

「なんにしても、私教会にはやっかい者扱いされてますから」

 赤の広場についたユーリは、騎士たちに頭を下げた。


「ありがとうございました。イグニスが来るまで人混みに紛れてます」

「行きましょう」

 リカルドが踵を返すと、

「リカルドさま」

 ユーリが声をかけてくる。


「イグニスのこと、嫌いにならないであげて下さい。本当はいい子なの」

「……おまえの前でだけだろう」

 さっさと歩き出したリカルドに、カイが声をかけてきた。

「なあ、賭けようか」

「なにをですか」

「ユーリが「奇跡」を起こせるかどうか」

 にや、と笑ったカイを、リカルドは無言で見た。


「俺は起こせる方に賭けよーっと」

「賭けるとはいってないんですが」

「じゃあ、負けたらユーリを後ろから抱きしめて「好きだ」って囁くってのは?」

「絶対に嫌です」


 聖痕を見ても、リカルドはまだ半信半疑だった。クリスティーナは聖女ではない。しかしユーリが聖女であるとはやはり信じがたい。奇跡が本当に起こったら、納得できるだろうか。あの小さな少女が、自分が守るべき相手なのだろうか。

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