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翌朝、日差しが顔に当たったのを感じ眩しさで目が覚めた。
陽太の思いも届かず、昨日山道を歩き辿り着いた家の中であった。
爽やかな風が窓から入ってきて気持ちよくて、もう少し寝ていたい気持ちにさせる。
「ふああぁ」
大きな欠伸をしてベッドから出ると階下に降りていく。
下では既にオルサが朝食の支度をしており、陽太をみると挨拶をしてきた。
言葉は分からなかったが陽太も挨拶をした。
朝食は昨日食べた鍋のスープと固いパンにチーズみたいな発酵食品を乗せた物が出てきた。
パンはとても固くオルサの食べている様子を見ていて、乗せたチーズで柔らかくしてから食べるか、スープに浸して食べるようだった。
チーズはとても濃厚で柔固い部分のパンと食べると食感もあってとても美味しかった。
漫画の世界で憧れたパンとチーズに陽太はご機嫌で貪り、最後にスープを流し込むと満足そうにごちそうさまをした。
陽太は食後の運動として外に出てみる事にした。
日差しが裏手の山肌に当たり家の周囲は白く輝いていた。
「眩しい」
庭の畑に色々な作物が植えられていたが、見たこともないような鮮やかな黄金色の果物の木や、長細い野菜が茎から垂れ下がって育っている。
朝の陽光を浴びながら眼下の景色にも目をやってみると、昨日来る途中ではしっかりと見ていなかった景色だったが、改めて見ると陽太が立っている場所はかなりの標高で下に降りる道は一本道の崖沿いで、山肌に沿って続いているだけで家は行き止まりの山肌の窪みに建っていた。
(こんな何もないところでどうして一人で住んでるんだろう)
一応畑があるからそれなりの食事も出来る、肉もこの眼下の森にいる動物でも狩ってるんだろう、けど何故わざわざこんな高いところに住んでるのかが分からなかった。
(理由でもあるのかな)
だがそれを聞くにも言葉が分からないことにはどうすることも出来なかった。
見渡す限りの森と海、何も建造物の見当たらない自然一色の景色で目印や認識できる道なども見付けることは出来なかった。
「でも空気はいいな、ふああぁ」
腕を伸ばして深呼吸をすると新鮮な酸素が全身を駆け巡るのが感じられる。
「さてと、どうしようかな」
陽太は自分の置かれた状況を整理しようと思考を巡らせた。
(たしか部屋でサイトの遺跡や世界の出土品の写真を見ていた筈なんだ、その後なにしてたっけ? ベッドで寝たのかな、兎に角自分の部屋からは出ていないのは確かだ、じゃあやっぱりこれは夢なんだよ)
しかし余りにも現実過ぎるのが腑に落ちなかった。
疲れもするし腹も減る、こうしてちゃんと透き通った空気も感じられるし、眠気もやってくる、夢でこれほどの現実感が味わえるのだろうか。
(逆にこれが現実で何らかの力が働いてここに飛ばされたって、常識ではあり得ないし漫画やアニメでも無い限り起こりえない、しかも魔法みたいなのをおじいさんが出すのを見た、あり得ないあり得ない、そんなに魔法アニメを見たような記憶もないんだけど、深層心理に魔法を使いたい自分が居たのかな)
いくら考えても常識が壁になって受け入れることが出来なかったが、ではこれからどうすればいいのかと言うことに突き当たる。
(まずは言葉だよな、話せないことにはここが何処なのかも分からない、おじいさん、オルサって言ってたな、どんな人か分からないけど取りあえずここでこの世界のことを教えて貰わないと、それからどうするか、その間に夢なら覚めるかも知れない、どうせ時間はいっぱいあるんだ、戻れたとしても…………)
陽太の目に家の隣の畑が視界に入った。
(ここに初めて来たときにも見たけど変わった作物ばっかりだ、果物なのか野菜なのかどっちなんだろう)
しゃがみ込んで畑を見ていると後ろからオルサの声が掛かった。
笑みを浮かべながら陽太の側にやって来て、作物に指を差して何やら説明をしていた、何を話しているかは分からないが陽太は耳を凝らして言葉を聞こうとしていた。
身振り素振りで何度も繰り返し意思の疎通を図ろうと大きく体を動かしてオルサと話をしていき、陽太はこの世界の生活の一歩を歩み始めていった。
生活を始めると陽太は十三歳になって半年、崖の上の家で暮らし色々なことをオルサから教えて貰っていた。
話す言葉は片言だったがそれなりに会話が成立出来るぐらいにはなって、オルサの行くところに付いて行っては手伝いをこなしていた。
斧の使い方や作物の育て方、何処をどう行けば海に出られる道があるか、あの先には町があるなど地理に関しても少しずつ教えて貰っていた。
狩りの仕方や動物の捌き方など元の世界では経験出来ない事も教わり、初めのうちは血や内臓を見ただけで視界が遠くなっていた陽太も今では一人で捌くことが出来るようになっていた。
陽太は狩りの時、オルサの使う魔法を何度も目の当たりにしてその力に魅了され目を輝かせて眺めていた。
現実に手の平から火の玉が浮かび上がり、獲物めがけて飛ばす姿はアニメで見るような派手できらきらしたものではなく、ボールを投げるような仕草だったが陽太には感動的だった。
(光が溢れ出て魔法陣みたいなのが浮かび上がるんじゃ無いんだ)
それは言うなれば、マッチに火を点けるようにボッと浮かび上がる感じだった。
「ねぇオルサ、僕も魔法使えるかな?」
「どうかな、陽太は魔法を使って何がしたいんじゃ?」
しわがれた声で聞き返される。
「分かんないけど、魔法が使えたら凄いじゃない」
「魔法はな、使う者によって良くも悪くも成る、その力が大きければ大きいほどにな、力に魅せられ己を見失う事もある諸刃の剣なんじゃ」
「ふうん、誰が一番強いか競い合ったり、敵対する相手と魔法合戦したり一人で何百人も相手に戦ったり出来るのかな」
「ほほほっ、そんな魔法が使えるならこの世は大混乱じゃな、さぁあの獲物を持って帰るとしようか」
仕留めた動物はネズミやモグラのように口が長く、しっぽが大きくふさふさした生き物だった。
もう慣れた様子で陽太が倒れてる動物の首筋にナイフを入れて血抜きをすると、肩に担いで戻って行く。
「今日のは大きいね」
それを持ち帰り、捌いた肉を焼くと部屋中香ばしい臭いが漂ってきて食欲がそそり、目を爛々とさせて陽太は焼けるのを待っていた。
「早く食べようよ」
久しぶりのご馳走に陽太がまだ焼けないのかじっと肉を見つめていた。
「ははは、そう急かさんでも逃げんでな、それより机の上を片付けてくれんかの」
陽太は机をきれいにして食器を並べていく、オルサが焼けた肉を大皿に乗せて机の真ん中に置くと陽太が身を乗り出して眺める。
「うわああ、美味しそう」
目を輝かせてオルサが肉を切り出していくのを喉を鳴らして待っていた。
「ほれ」
オルサが陽太の小皿に沢山の肉を乗せてくれた。
野菜のスープを横に置いて用意が出来ると、いただきますと手を合わせる。
途端、陽太が目の前の肉にかぶりつき、肉汁が口の中いっぱいに染み渡るのを感じると目を細めて喜んだ。
「美味しいぃぃ、オルサこれ最高だね、焼き加減もバッチリだ、オルサは本当に料理がうまいね」
「そうかそうか、ゆっくり食べなさい、ほほほっ」
陽太の食べる姿はいつ見ても楽しそうだと感心しながらオルサも自分の食事をする。
陽太は口元を油でべたべたにしながらも無我夢中で肉を一欠片も残さずに綺麗に食べ尽くしていく。
カランカランと皿に骨が積み上げられていった。
最後にスープを一気に飲み干すと、満足気にごちそうさまをして裏庭に顔を洗いに行った。
戻ってきて自分の食器を下げているときに、オルサが陽太に聞いてきた。
「陽太やお前、魔法を覚えないか?」
「ん? どうしたの、さっきは身を滅ぼすかも知れないって言ってたのに」
「ううむ、お前を見ててな、こうして会話も出来るようになったしのぅ、いつまでもここに居るわけにもいかんじゃろうて、儂も歳じゃしいずれ死ぬ、その後お前がここに居る理由もなくなったらどうするんじゃ?」
「えええ、オルサどこか悪いの?」
持っていた食器を落として、オルサに近寄った。
笑みを浮かべてオルサは陽太をなだめる。
「いやいや、儂はまだ元気じゃよ、そうではなくてな、陽太は自分の国に帰りたいんじゃろ、それが何処にあるかは儂には分からぬがいずれここを出て旅に出るなら魔法を覚えとった方がいいのではないかと思ってな」
「でも僕に魔法なんか使えるかな、使えたらいいけど……」
「じゃからそれを使えるかどうか修行をするんじゃて」
オルサが肉を口に運んでうまそうに食べる。
「うん、僕使いたい、覚えるよ」
「儂も人に教えるのは初めてじゃて、基本的な事だけしか教えられんがな、そんじゃあ明日から修行じゃよ」
陽太は喜んで飛び跳ねた。
「おいおい、儂はまだ飯を食ってるんじゃ、埃が立つではないか、まったく」
そう言いながらも顔は笑っていた。
次の日から陽太の魔法使いへの修行が始まった。
瞑想と魔法の勉強、精神の集中と魔法の成り立ちを覚えるために半年の修行を過ごす。
自然との対話、世界の中に立つちっぽけな自分の存在を認め、魔法の力を借りるという謙虚さを培う修行を行ってきた。
「ではこの机の上の物に手をかざして精神を集中させるんじゃ」
魔法を使うには個人の性質によって何が使えるか調べる必要があった。
それは個人の生きてきた環境、性格、奥底に眠る願望の表れによって個人の性質が分かれる、そのどれに反応が起きるかの試験をすることによって自身が使える魔法を知るために行うのであった。
中には反応が起きない者や相性の悪い反応が起きる者は、魔法使いの道を断念せざるを得ない。
机には水の入ったコップにランタン、枯れ葉に土、そして花が置かれていた。
陽太はまずランタンからやってみた、手のひらをかざし火が燃え上がるイメージを思いながら集中させる、が、何も変化がなく数分が過ぎる。
「では、次」
オルサが言うと、陽太は少しがっかりしたように隣のコップに手をかざした。
水が回るイメージで集中してみる、すると水の表面に波が立ち始め次第に速く回りは始めた。
渦を作ったコップをみてオルサが驚いた。
「おお、水か……、これは貴重」
オルサの興奮を横目に陽太が続いて枯れ葉を試すが何も起きなかった。
少し疲れたのか、陽太は一度深呼吸をして体をほぐし、続けて花瓶に入った花に挑戦してみる。
少し萎えた花は花弁を下に向けている、そこに集中した手のひらが近づくと淡い光が花に照らされる。
みるみるうちに萎えかけていた花の頭が持ち上がっていく。
「ふむ、水と光か……、陽太よもうよいぞ、お前の性質はもう分かったでな」
それでも陽太は闇の性質を確かめるため、元気になった花に集中する。
しかし、反応はなかった、土も同様に変化が出ず全ての試験を終えると、オルサが陽太に向かって言った。
「陽太、お前は魔道士になれる素質がある、よかったな」
「ふぅ」
額に汗を浮かべ、ニコリと笑った。
「特に水が使えるのは素晴らしいことじゃな、水を扱える者は少ないでな、この先お前に幸運を呼ぶことになるやもしれんな」
「でも僕もオルサと同じ火が使いたかったな」
ごしごしと布で汗を拭いながら言った。
「それは仕方ないこと、なりたい物、なりたくない物それを決めるのはその者の性質次第じゃ、魔法がつかえないという最悪は免れただけでも善哉と思わんとな」
「うん……そうだね、少なくともこれでオルサの力になれるね」
「はははっ何を言っとる、これで直ぐに使えるわけ無かろう、これからが本当の修行じゃよ、明日からは水と光の魔法を使えるように厳しくゆくぞ」
「うん」
さんさんと照りつける太陽の下、海岸でオルサと水と光の修行を始めてから更に半年、十四歳になった陽太は少しずつ確実に魔法を自分のものにしていた。
海水を巻き上げ大きな水柱が頭上高くそびえ立った。
陽太は水柱を海岸沿いの木に向けて投げつけると、木は大きくしなり反発するも虚しく太い幹が折れて倒れた。
「なかなかの威力じゃな」
倒れた木の断面を見てうなずいて見せた。
「でもこれ、すごく秘薬使うね、空っぽになっちゃった」
「儂も専門外じゃて、ちゃんと教えられんですまぬのぅ、うまくすれば秘薬の量も抑えられるはずじゃが、どうしたものかのぅ」
「そんなことないよオルサ、僕が魔法を使ってるなんて信じられないもん」
「たった半年足らずでここまで出来るとはなかなか筋がよい、では今日はここまでにして帰るとするかの」
家に帰る間、オルサは何か考え事をしていたのか、いつもより無口で黙々と帰路を歩いていた。
家に着き食事をし終え、お茶を飲んでいるとオルサが陽太に尋ねてきた。
「のう陽太や、ちゃんと魔法を覚える気はあるかえ? 儂ではなくちゃんとした学校に行って覚えたいと思うかえ」
「学校? そんなのがあるの」
「うむう、儂のような者より学校に行って覚えた方がよかろうと思ってな」
「でもオルサに教えてもらってるのに……」
「儂では教えるのに限界があるでな、折角の才能をこのまま腐らせるには惜しいからの、エスタルの魔道学校に行けばお前の才能も開花するじゃろうて」
「エスタルの魔道学校……?」
初めて聞く名前だった、そもそも陽太がここで暮らし始めて言葉を覚えるのに必死で周辺の地理ぐらいしか知っていなかった。
新たに出てきた地名にそれがいったいどこにあるのか、皆目分からなかったのである。
「そこは何処にあるの、ここから通えるの?」
「それは無理じゃな、なんせここよりずっと北にある国でな、儂も行ったことはないがエスタル王国は世界の魔道の発祥と言われておる、そこでは魔道が生活の一部として成り立っているほど多くの魔道士がいるという、魔道を目指す者はエスタルへと言われるほど魔道に関しては進んでおる場所じゃ」
「そんな国があるんだ、ねぇオルサ、この住んでる場所はどの辺りになるの?」
「ふむ、ちょっと待っとれ」
オルサが隣の自室に行くと何やら大きな革を持ってきた。
それを机の上で広げるとなめした面には広い地図が書いてあり、右側がへこんだ三日月の形をした大陸がそこには載っていた。
それは正直上手いとは言い難い地図だったが、陽太には何か思い当たる形をしていると感じられた。
「儂らがいるのはこの辺りじゃ」
オルサが指差した場所は三日月の下の方の尖った場所だった。
「で、こっちがエスタル王国になる」
と、指を滑らせ大陸の中央より北にある、三日月でいえば横幅の広い場所の上の方を指し示した。
そこには小さくエスタルと文字が書かれていた。
よく見るとそこかしこに国の名前が書かれている、陽太の思っていた世界より国は多く大きな大陸だった。
「あっ!」
突然、陽太がその地図を見た途端、声を出して叫んでしまった。