22、地下神殿
敵二人との間合いは、あっという間につまった。一歩先をゆくジョン・カーターは駆ける速度をゆるめようともしないで、剣を力にまかせて二旋した。相手二人の長剣をはねとばしただけではなく、その勢いで首が飛んでいた。
「これから先は私とカイにまかせて、ここで待つんだ!」
後方の者にそう叫ぶや、私たち二人は新たな餌食を求めて先へ走っていった。通路の右には扉がいくつも並んでいる。このまま進めば、その中から新たな手合いがでてきて、全員が挟み撃ちになる可能性があったのだ。ジョン・カーターと肩を並べて剣を振るう!
火星シリーズを読んでファンになった男なら、この喜びがどれほどのことか、おわかりいただけると思う。彼の顔にはいつものように不適な笑いが浮かび、私自身も戦いの火がつき、極度に興奮していた。その興奮した顔にもきっと笑みが浮かんでいたことだろう。剣を握りしめる右拳は痛いぐらいに力が入っていて、これまで何度か経験してきた戦闘のように、目の前の光景が色をなくし白黒に変わっていた。最高に神経がとぎすまされて証拠だ。それと同時に敵の動きが、スローモーションのように遅くなるのが感じられた。
きっと、ジョン・カーターの身にも似たような現象が起こっているに違いない。地球人が火星の環境の下で、超人的な強さを見せるのは、火星人と比べて神経の伝達速度が遙かに速く、それに追従する筋力の強さも動きも、火星人の比ではなかったからだ。まるで、でっかいおもちゃをもらった子供が喜ぶように、私は戦闘を楽しんでいた。
敵の剣をはらい、隙だらけとなった胸を突き、あるいはラング・ランドに伝授してもらった剣術を応用しながら相手をうち負かしていった。敵も天晴れであった。我々二人の前に、すでに20名近くが血の海に沈んでいたが、一人として逃げる気配も見せない。仲間の死体を乗り越えて、次々に向かってくるのだった。身体も床も血で染まり、足下がぬるぬるしだした。一歩前にでようとした私の足が死体の上ですべり、バランスを崩し、うつぶせに死体の上に倒れ込んでしまった!
私めがけて敵の戦士の剣が振り下ろされようとした瞬間、ジョン・カーターが身体ごと敵に体当たりし、間一髪救ってくれた。
「カイ、今は休んでる暇はないぞ!」
私はぱっと立ち上がると、再び敵に対峙しながら答えた。
「時と場所を考えないのが、私の悪い癖でね!」
再び、剣と剣を交えての戦いが続く。おそらく、私一人ではこのときの阿修羅のような戦いは出来なかっただろう。あこがれのヒーロー、ジョン・カーターとともに肩を並べているという状況が、私の中に今まで隠れていた野蛮な血を呼び覚ましたのだろう。目の前にいる敵を切り倒す! 私の今の頭の中には、それしかない。滑る床に注意しながら、左右のステップで敵の最初の一撃をかわし、身体を低く構えた状態から一気に必殺の突きを入れる。次の戦士の突きを、上体をエビのように反らして紙一重でかわして、上段から剣を振り下ろす。
ジョン・カーターは、もっと熟練した可憐な技と無駄のない動きで敵を葬り去っていく。そんな戦いがどのくらい続いたのだろうか? 次の相手を待ちかまえる私の前に、誰も現れないことに気がついたのは、最後の敵を倒してから数分が過ぎてからだった。
さすがにこれだけの相手に剣を交えると、地球人ご自慢の体力でもさすがに息が切れる。剣先を下げ、左手に柄を持ち替えようとしたが、固く握った右手は容易なことでは開けなかった。それでも、何とか左手で指を一本一本開いて持ち替えることが出来た。右の指は半分握った状態のまま固まっていた。大元帥も同じように苦労しているのを見て、互いにおかしさを覚えるのだった。
後ろに残してきた仲間の方を振り返ると、驚いたことに最初の戦いの場所から50メートルは離れていた。松明の灯りの下で、ようやく点のように仲間が見えるのだった。いくら戦いに夢中になっていたとはいえ、これほど奥まで進んでいたとは……。通路に累々と転がる死体をまたぎながら、仲間のところに戻ると、そこには賞賛の表情を隠さない顔が待っていた。自分ではどんな戦いぶりかわからなかったのだが、ヘリウムの剣士達の顔から尊敬を読みとり、あとで語りぐさとなる戦いをしたことを知った。だが、これはジョン・カーターと一緒だったからなしえたことで、私一人ならこの戦いは避けて通ったはずだ。大元帥が発する戦いのオーラのような迫力に自らも引きずられて、このように戦うことができたのだと戒めた。
出迎えたラング・ランドが私の腕を軽くたたいてくれたが、これがこの無口な友人のいつもの賞賛のやり方なのを知っていった。これがジョン・カーターの前になると、さっと姿勢を正すだけだ。ナティス・オカピーは軍隊の規律に縛られていないから、心に感じたことを正直に口に出した。
「あれだけのヴィザードの精鋭の剣士達を、二人で倒されてしまえるなんて……このバルスームに鬼神という者がいるとすれば、あなた方二人がそうに違いありません! お二方のような剣士が10名もいたなら、それだけで一国を滅ぼすことだって可能でしょう」
これはどの火星人女性にも言えることだが、戦闘以外の暗殺や殺戮の死体からは目をそむけるが、このように正式な戦闘?の結果の死体には臆すことがない。今のナティス・オカピーもそうで、まるでショーケースに並べられた宝石類を眺めるかのような、喜々とした目をしていた。
「この通路に並んでいる部屋の中には、番兵の配置からして、人質となった女性達が監禁されている可能性がある。一つずつ部屋を空けて確かめてみよう」
戦闘の高揚した気分をジョン・カーターが本来の方向に引き戻した。部屋の扉には、外から鍵がかけられていた。そこらかしこに転がる兵士の死体から、鍵を探すのは気分のいいものではなかった。血の海に転がる、腕や首が取れた者や、上を向いてうつろに眼窩を見開く死体などから、手分けして鍵の束を探し、集められた。
自分が剣を振るってこの死体を築いたにもかかわらず、興奮状態が冷めた今、死体に手を合わせないわけにはいかなかった。改めて数えてみると、死体の数は52体、扉の数は25ある。最初の部屋の扉をラング・ランドがあけることになった。大元帥と私は、敵の返り血で頭の上から足の先まで真っ赤に染まっていたから、いきなり見た者はびっくり仰天するだろうと考えたのだ。
鍵を回し、ノブをつかんだラング・ランドは、さっと勢いよく扉を通路側に開け放った。天井のラジウムランプが照らし出す室内は、豪奢なイスや調度品が置かれた見事な作りだったが、人の気配はなかった。地下牢の時のようにご自慢のテレパシーを使えばという声が出そうだが、監禁が数ヶ月、何年にもおよぶ牢と違って、この場合は人質の監禁が短時間しかない。多くの者は自分の思考に壁を作り上げ、殻に閉じこもっているため、外からはテレパシーが感じ取れないのだ。扉を開ける前には一応中から思考の波が放射されてないかと精神を集中しては見るが、何も感じ取れない。だが、それだけで部屋に人がいないと判断するのは危険だった。思わぬ敵が、息を潜めているかもしれないからだ。
空の部屋に落胆しながら、次の部屋へ向かうが、ここも空になっていた。ひょっとしてすべての部屋が無人なのではと思い始めた3番目の部屋で、我々は最初の成果を得た。人質となっていた、女性達5名を発見したのだ。扉を開けられてそこにラング・ランドの姿を見たときは無感情の彼女たちも、ナティス・オカピーを目にとめた瞬間すべてを悟ったようで、いままで押し殺していた、感情のうねりのままに抱き合って涙を流すのだった。
次の部屋にも、その次の部屋にも女性達が監禁されているのを発見したが、肝心のリア・ソリスとシス、デジャー・ソリスの姿はない。とうとう最後の部屋の扉が開かれるが、またも見知らぬ女性達ばかりだった。救い出された女性達は、バルスームの基準に照らし合わせてもとびっきりの美女ばかりで、彼女たちのハートを射止めるためなら、国同士が戦を起こしても不思議ではないほどの魅力を備えている。救いが来たと感涙にむせぶ娘達を見ながらも、私とジョン・カーターの心中は穏やかではなかった。
ヘリウムの王女とシスは、もぬけの部屋のどちらかに監禁されていたに違いない。我々がここに来る前に、どこかに連れ出されたのだ。地下神殿より外にでたと考えるのはばかげているから、この通路の先のどこかに違いない。
再び探索を始めようとして、困った問題にぶつかった。この助け出した200名あまりの美女達のことだ。この先どんな危険が待ちかまえているのかもしれない場所に、ぞろぞろと女性達をつれていくのは問題外だった。考えにあぐねているとナティス・オカピーが一つの提案をした。女性達は今までいた部屋に戻り、内側から鍵をかけて、再び救出の手はずが整うまで待機したらというものだった。どんなことがあっても扉を開けないように言い聞かせ、合い言葉として”我々はまだ生きている”が選ばれた。ただ一人、ナティス・オカピーだけは同行すると、がんとして譲らなかった。
2列縦隊となり、通路の奥の部分に足を踏み入れた我々の前に、二つの分岐点が現れた。床の上を調べて、何かの情報が得られないかと画策するも、得るものは何もない。こうなるとどちらを選んでも結局は同じことと諦め、右の通路に進むことになった。
図面で見た印象と違い、実際の地下神殿はありの巣のようにあちこちに伸びていることを知り、思ったよりも時間がかかりそうな不安を覚えた。この通路はずいぶんと長く感じられた。途中、通路を遮断するように二つの扉を開けるが、扉の向こうにはまっすぐに通路が続いているだけだった。なんのために途中に扉があったのか? その疑問はまもなく明らかになった。
二つ目の扉を過ぎるころから、床が黒く汚れているのが目に付きだした。進につれ、その黒いシミは濃くなり、しまいには床全部がシミ一色に染まっているようになってしまった。我々にその正体を教えてくれたのは、通路に漂う何とも言えない臭気だった。床のシミは血の乾いたあとに違いない。通路は両側に扉がたくさん並んでいる場所で終点になっていた。その扉自体は我々の背丈よりずっと高く、幅もかなりあるものばかりだった。部屋の主の正体は、扉を開けるまでもなく判明した。
いたるところから、火星肉食獣の低くうなる声が響いていた。おそらく、火星人類殲滅作戦の死体の掃除役にサ・バンが各地より集めた、大型肉食獣達だろう。各扉の下側には、人一人がかろうじてくぐり抜けられるような小さな蓋がついてるところから、ここから餌となる人間の死体を中に差し入れていたものと思われる。それが証拠に、蓋の前の床には何かを引きずったようなあとがついていた。
このことを確認した我々は、間違った選択をしたと知り、今来た通路を引き返した。長い通路にあった遮断するような扉は、これらの凶暴な肉食獣が逃げ出した場合の用心のためだったのだ。さっきの分岐点にたどり着き、方向を確認しながら、反対側に向かう。こちらには通路を遮断する扉の存在はなかった。
200メートルも進んだろうか? かすかな物音が聞こえるのに気がついた。なんの音だろうと必死に考えるが、やがてそれが大勢の人の喧噪なのだと気がついた。一度見た、あの地下ホールに違いない! ジョン・カーターが改めて皆に、音を立てないように注意を促す。そろりそろりと数メートル進んでは立ち止まり、耳を澄ます。そんな繰り返しが幾度となく続く。腰につるした長剣の握りを右手で押さえて、万が一にも音を立てないようにする。
聞こえてくる音は、今やはっきりと大勢の人声による騒音と判断がつけられる。T字路にぶつかりそこから右をうかがうと、数メートル先がホールに繋がっているのがわかった。左の方は、あとでわかったことなのだが、ヴィザードの権力者達の私室に繋がっていたのだ。
見張りの兵がいないことを確認して、私とジョン・カーターはT字路を右に進み、扉のない出口よりそっとホールをうかがった。ここから見たホールは奥行きが100メートルほどで、幅が50メートルぐらいに思える。天井の高さは低く、10メートルぐらいしかない。我々が覗き込んでいるところから反対側に、一回り大きいトンネルの入口が見えるが、そこが神殿の入口に違いないと思った。
銅鑼が2回鳴らされ、人々の話は静まった。右手の方に階段状に数メートル高くなった舞台があり、そこに一同の目が向けられた。そこには王座が設けられていて、数脚のいすが並べられている。その中央に座るのはサ・バンとサヴァル・コルダン! その両側に数名の女性達が座り、その後ろにも人質と見られる女性達が立っているのがみとめられる。あの中に、リア・ソリスとシスがいるに違いない! ホール全体は異様なまでに静まり返り、物音といえば、大勢の兵士達の呼吸音ぐらいだった。
おそらく1000名はくだらないと見られる兵士達は、緑色人と赤色人にわかれて舞台の下に整列している。あまりの静けさに、私は何とも言えない不安を感じていた。本来聞こえるはずの音がないような気がしてしょうがないのだが、それが何かわからない。そのことを考え続け、やっと不安の正体が分かったとき、私はぞっとした。神殿の入口を破壊するための、削岩作業の轟音がまったくしないのだ! いくら扉の岩が硬くとも、数メートルの厚みなら振動ぐらいは確実に伝わるはず。それがまったく聞き取れないのだった。
ジョン・カーターにそのことを身振り手振りで伝えると、彼もまた不安にかられた様子で、下唇をかみしめるのだった。ヘリウムの兵士達が、この扉を破ってホールに突入した気配はまったく感じられない。まさか、大気工場の第9光線放出が思惑道理にうまくいかずに、急激な気圧の変化を招いたのか?
私の脳裏には、薄くなった空気の中で削岩機を持つ男達が一人また一人と崩れるように倒れていく光景が、浮かんでいた。そして、最後の男が倒れたとき、地上には再び起きあがれる人間は残ってなかった。断じて、そのようなことはないと否定しながらも、扉の破壊作業が停止していることの説明は思い浮かばなかった。
一同が静まり返った後、おもむろにサ・バンがいすより立ち上がり、数歩前に前進した。
「イサスに選ばれし高貴な者達よ!」
両手を大きく左右に広げながら、一同を見渡すと、サ・バンの演説が始まった。
「ここに今おられる諸侯は、新たなバルスームの夜明けを約束された者達ばかりなのは、ご存じの通り。先ほどまで聞こえていた、神殿の扉を破ろうとする敵のあがきは終演した。サヴァル・コルダンの話からすると、外の連中はヘリウムの精鋭兵団と思われるが、その彼らでさえ、余の新生火星計画の前にはひれ伏すしかなかった。最後の一人が作業を諦めてから、もう1日ほどで外の世界から生きた人間は消え去ることだろう」
人質の女達のすすり泣きがホールに響いた。
「余は、新たな世界の父となり、最初の王となることだろう。最初にゾダンガをヴィザードの都にし、次がヘリウムを第2のヴィザードにしていく。そこで我々は子孫を増やしていく。用意された母となる女達は、バルスーム中から集められた完全な姿態を持つ美女ばかりだ。当然生まれ落ちる我が子らも、優勢的に優れた身体と頭脳の持ち主になる。想像してみるがいい!たくましい男達と美しい女ばかりの理想郷を!」
言葉を切った瞬間に、いっそう静けさが身にしみた。本当にサ・バンの思惑通りの世界になってしまうのだろうか? このような大勢に対して、我々10名ほどの手勢で何ができるのか?
突然耳元で大きな音がし、私は思わず飛び上がってしまった。しーんと静まり返る今の場面には、その音は前触れもなく起こった落雷に等しい効果があった。この大事な時に、あろうことかジョン・カーターが大きなくしゃみをしてしまったのだ!
何でこんな大事なときに!
思わず一瞬むっときてしまったが、怒っているどころの騒ぎではなくなっていた。サ・バンの演説を聞いていた手前の兵士達が、こちらが身を隠すこともできないうちに、すばやく振りむいたのだ! 一瞬、目と目があった。
「侵入者だ!」
その兵士は大声で警告の叫びを上げると、私たちを指し示した。それまで、あちこちきょろきょろしていた、その他大勢の兵士達の顔が一斉にこちらに向けられ、剣が抜き放たれた!
手前の集団はヴィザードの赤色人戦士がほとんどで、その向こうにサヴァル・コルダンに肩入れする勇猛な緑色人戦士達がいたが、これだけの数が一斉に押し寄せてきたら、いかに火星の大元帥ジョン・カーターといえども太刀打ちはできない。今来た通路を後退しても、いずれは行き止まりに突き当たってしまう。いさぎよく戦いここで死ぬか、いったん退却するかと悩んでいるうちに、さいぜんの兵士はすぐそこまで迫ってきていた。
「耳をふさいで!」
ナティス・オカピーが背後でささやいた。彼女の意図を一瞬で理解した我々は、剣を構えることなくすばやく耳を指でふさいだ。私から姿は見えなかったが、彼女が最初の部屋で披露した”歌”を歌い出すのがわかった。我々にもう一歩の距離まで迫っていたヴィザードの戦士は、突然金縛りにあったように立ち止まると、驚愕の表情を浮かべ、頭を両手で押さえて前に突っ伏した。
鏡のように穏やかな水面に、投げ込まれた石のように”歌”の効果は集団に広がっていった。まるで、この時のために全員が練習したかように手前から奥に、人が波のように倒れていくのは奇妙なものだった。
私も耳をふさいでいるとはいえ、激しい頭痛に襲われていた。そもそも聞こえない歌声だから、耳を指でふさぐだけでは、どのくらいの音が防げてるのかわからないのだ。だが、我慢できないほどではない。目の前で激しく身もだえしている集団は、次第に苦悶のうめきを上げるようになっていた。壇上を見ると、サ・バンやサヴァル・コルダンはもちろん、人質の女性達までが床にぐったり倒れているのが目に留まった。
これではいけないと、私がナティス・オカピーに頭を横に激しく振って合図すると、その口は閉じられ”歌”はとまった。おそるおそる耳から指を抜くが、頭の中で爆弾が破裂することはなく、聞こえるのは大勢の断末魔のようなうめき声ばかりだ。
「今のうちにあの壇の上まで行って、人質の身柄を確保するんだ!」
ジョン・カーターの叫びと同時に、我々は大勢の兵士達がのたうち回るホールに降りていった。人々が折り重なるように倒れていて、床も見えないほどだったが、かまわず身体を足で踏みつけながら進み続けた。”歌”の効果がどれほど持続するのかわからなかったし、回復には個人差も当然あるだろうから、ぐずぐずしてはいられなかった。倒れた者の中には、耳をふさいでいる者もおり、この攻撃がスレダーによる、耳には聞こえない音の攻撃であると、知られてしまったようだ。この状態が回復したら、先ほどのような”歌”の効果はとうてい期待できない。
死体ならともかく、生きて絶えずのたうっている身体を足場にしていくのは、至難の業だった。踏みつけた足に全体重を預けたとたんに動いたりするので、我々は数メートル進むのに何度もバランスを崩し、幾度も倒れた。それでもジョン・カーターと私は、最後の数歩を大きく跳躍し、壇上に飛び乗った。
そこは幅が25メートル、奥行きが10メートルほどの半円形で、舞台を思い起こさせる場所だった。我々の姿を目にとめたのだろうか、イスにぐったりしていたサ・バンとサヴァル・コルダンは、渾身の力を振り絞って、文字通り転がるように壇の左端に逃げていった。
今のうちに剣でけりを付けるかとも考えたが、それよりも人質の女性達の安全を確保するのが先だった。サ・バンの座っていたイスの隣には、首を力なくたれたリア・ソリスがいた。その隣のイスにはシスの姿もあった。私が迷うことなく最初に駆け寄ったのは、シスの方だった。ぐったりした彼女をイスより抱え上げ、壇の一番奥のかべぎわにそっと横たえた。ベールの下の顔は意識がないのか、無表情だった。優しく頬に指を触れ、それに反応してかすかに瞼がぴくっと動くのを確認し、安堵した。どうやら気を失っているだけのようだ。
次はリア・ソリスと思い、急いでとって返すと、そこにはすでにジョン・カーターがいて、彼女の様子を確かめるように、手で顔を上向かせようとしているのが見えた。彼に声をかけようとしたとき、大元帥がささやくのが聞こえた。
「遂に見つけたぞ! 私のプリンセス」
一瞬ジョン・カーターがなんのことを言ってるのか理解できなかったが、徐々にその言葉の意味が頭に浸透してくると、私が大きな勘違いをしていたことに気がついた。今まで、てっきりリア・ソリスと私が思いこんでいたのは、デジャー・ソリスだったのだ!
地球人と違って火星の女性は、数百年間も若い時代が続くのを忘れていたのだ。前にリア・ソリスも言っていたではないか。”いま二人が並んだら、どちらが娘かわからないでしょう”と。それに、ヘリウムの国民もあまりにも親子が似ているために、リア・ソリスのことを”ちっちゃなプリンセス”と、愛情を込めて呼んでいるということを。
ジョン・カーターとデジャー・ソリスが初めて出会ってから、もうすでに100年以上の年月が過ぎていたが、私から見た彼女は、いまだに20歳ぐらいにしか見えないのだった。
急いでそのほかの女性達を調べるが、リア・ソリスの姿は見つからない。これまでのことから、リア・ソリスが別のどこかに監禁されているとは考えにくい。結論としては、結局リア・ソリスはサ・バンの手に落ちてなかったのだ。私と別れたあとで、マーズ号でどこか見知らぬ土地にたどり着いたのだろう。あれから数カ月も経ち、未だに故郷のヘリウムにたどり着いてないのは気がかりだったが、今のような状況に彼女が居合わせていないことは、喜んでいいことだった。
ゾダンガの塔で見せた、リア・ソリスの当惑げな表情も、これで説明が付いた。私がリア・ソリスと思いこみ、呼びかけた相手は、デジャー・ソリスだったのだ。突然見も知らぬ男から、自分の娘の名前で呼びかけられたら、誰だって因惑する事だろう。
ジョン・カーターが、壊れやすい宝物のように、抱きかかえているデジャー・ソリスは、本当に美しいとしか言いようがなかった。私がバルスームに来て以来、これまで見た女性達の中では、リア・ソリスが一番かと思っていたのだが、母はそれ以上の神秘的なまでの美しさを持っていたのだ。 過去100年余り、彼女の美しさをめぐっては、幾多の大小諸国が、国そのものの存亡を賭けて戦いの道を選び、そして滅んでいった。火星の歴史を激しい戦乱の舞台に巻き込んだ、一つの大きな火種として、彼女の名前は火星の戦史に残ることになるだろう。
「デジャー・ソリスだったのですね。わたしは今の今までリア・ソリスとばかり思ってました」
彼女を大事そうに抱きかかえたジョン・カーターがそばに来たときに、私は話しかけた。その時、私の顔に落胆した表情を見たに違いない。彼はこう言った。
「今まで口に出さなかったが、君の話とデジャー・ソリスが失踪した状況から、ゾダンガに捕らわれているヘリウムの王女は、私のプリンセスに違いないとにらんでいた。リア・ソリスはしっかりした娘だ。今頃はきっとどこかで元気にいるはずだと信じている」
私たち二人で、残りの女性達を壇上の隅に運んでいる間に、残りも仲間の無事に到着していた。ラング・ランドがまっすぐナデレードの元に駆け寄るのが、視界の片隅に見えた。
「ナデレード、見事つとめを果たし終えてくれた!」
ラング・ランドの声が耳に入ってきた。わたしはその言葉を聞いて、今ひとつの謎の答えを得た。最初にヴィザードがリア・ソリスの飛行船を襲撃したとき、侍女のナデレードはラング・ランドの発案でリア・ソリスと身につけた物を互いに交換し、ヘリウム王女の替え玉として敵の目を欺く作戦を実行した。彼女はそのままサ・バンを騙し通したに違いないのだ。捕らわれた二人のヘリウム王女というのは、デジャー・ソリスとナデレードのことだったのだ。
ホール内の兵士達も徐々に”歌”の呪縛より解放されようとしていた。10名では、とても勝ち目はなかったが、運び込んだ女性達を守るように半円の陣を敷き、長剣を身構えて敵の再攻撃に備えた。その間にナティス・オカピーは、ぐったりした女性達の耳元で”回復”の歌を聞かせてまわっていた。
「ジョン・カーター! きっと助けに来てくれると思ってました」
背後でデジャー・ソリスが叫ぶのが聞こえた。振り向くと、シスがデジャー・ソリスの身体を支えるように、寄り添っているのが見えた。
「シス、もう大丈夫だ! きっとここから助け出してやるから心配するな」
私はそう言って、シスを安心させるようと親指を立てて見せたのだが、心の内ではここが自分達の死に場所になるだろうと確信していた。




