14、神殿建設現場
完全に体が回復したと思えた頃、カルド・ソルバルは私を呼んだ。
「私はここをしばらく留守にしたい。そこで何だが、カイにゾダンガでの私の仕事を引き継いでもらいたいのだ。それに興味ある話だと思うから教えるが、ゾダンガのどこかに、ヘリウムの王女が囚われの身になってるらしいとの噂を耳にした。さあ、どうする?」
彼は聞くまでもない質問をした。私は翌日からカルド・ソルバルの指揮下の兵隊達を率いることになったが、その前に彼はこれを塗るようにと小さな瓶をおいていった。何かと尋ねると、
「捕まえた奴隷の血色が悪いときにこれを塗っておくと、高く売れるんだ。それに、その肌の色ではどこにいても目立ってしまい、動きがとれないぞ」
その瓶には赤い顔料をソートの油に溶かしたリキッドが入っていた。半信半疑のままシスに手伝ってもらって全身に塗ると、私は血色のよい赤色人の戦士に変身していた。
”ご主人様は、もうどこから見てもほれぼれするほどの赤色人の戦士におなりです。きっと、赤色人の女性達がほってはおきませんよ。”
鏡といえば、シスの持つ小さな手鏡しかなかったが、それで自分の変身ぶりを見て、びっくりした。まるっきり、シスの言うとおりだった。ほれぼれするほどの戦士かどうかはわからないが、一目で正体を見破られることはあるまい。ワフーンの族長の正装は、私には滑稽だった。運命のいたずらで私が倒してしまったアルイド・ナヴァスの持ち物を体につけなければならなかったのだが、肩当てのついた飾りの鎧は寸法をあわせるのに苦労したが、最後につけるあの干し手首の首飾りはやはり抵抗があった。
アルイド・ナヴァスが倒した族長の手首が3つ、それにアルイド・ナヴァスの手首が追加されて合計4つの勝利の手首の飾りがつくことになる。緑色人が身につければ、偉大な戦士の象徴としてさまになるのだろうが、私は緑色人の半分も身長がなかったので、首から下がったその不気味な装飾品は異様に大きく、滑稽なほどバランスが悪かった。でも我慢しなければならない。これがなかったら、カルド・ソルバル以外の緑色人で私を族長として認めてくれる者はいないはずなのだ。
彼のここでの仕事は、ゾダンガと建設中の神殿の間の街道の警備だった。ヴィザード国はゾダンガを陥落したあと、都の城壁の外に巨大な神殿の建設にかかった。周囲が3キロにもなるその建造物は、2年と1万人もの奴隷の労力を投入しても、まだやっと基礎の上に一階部分が姿を現したばかりだった。
毎日毎日、巨大な象のようなジティダールに引かれた、数百もの荷車が、建設用の巨大な切石を現場に搬入していた。このジティダールというのはマンモスに似ていて(本物のマンモスは残念ながら見たことはなかったが)、大きな図体のわりにはきわめておとなしい性格をしていた。肩のところにごつい引き具をかけられ、無用に飾り立てられた3輪の荷車を引かされていた。ジティダールの背中には緑色人の御者がまたがっていて、テレパシーでこの動物を誘導していた。荷車には、どこかの石切場で切り出された縦1メートル、横2メートルほどの四角い石が5個ほど積んである。
あとから知ったのだが、この石のつみおろしには、火星の第8光線を利用した浮揚タンクが使われていた。直径5メートルほどのバルーン状のタンクの下にフックと浮力制御のコントローラーが下がっていて、そこにワイヤーで石材をぶら下げるのだ。コントローラーのスイッチを調整すると、石材は浮力タンクの力で引き上げられて大人一人でも楽々移動が可能だった。
これほど高度な科学技術を持ちながら、セメントのような物を使わず、石のブロックで建造物を造るのだから火星人は不思議な生き物だった。
建設中の神殿より少し右に視線を向けると、火星の大気製造工場がすぐそばに見える。この建物は、高さが70メートル、広さは6平方キロにも及ぶ広大な建造物だ。今現在でも火星の大気はどんどん宇宙に逃げていっている。この大気工場がなかったら、火星上の生物はとうの昔に滅んでいるはずだった。
建物の屋上で太陽光線から分離された第9光線は、巨大なタンクに常時千年分蓄えられていて、そこから送り出されたのち電気的に処理される。それを20基の圧送ポンプが火星上に散らばる5つの空気センターに送りだし、そこから放出される際に宇宙のエーテルと接触することで空気が生じるのだ。赤色人が血のにじむような努力の果てに建造したこの工場も無知で血気盛んな緑色人にとっては、攻撃の対象になってしまうことがあり、外からの攻撃に対しては無敵の要塞だった。
石積みの外壁はアリ一匹はいる隙間もなく、その門を開けるには選ばれし者だけが知る、テレパシーの暗号照会が必要とされた。かつてこの工場のポンプが故障を起こして大気の製造がストップし、火星のすべての生命が危機にさらされたときのことをご記憶だろうか?
視線を神殿より左に戻すと、壮大なゾダンガの都がすぐそばに見えた。高い城壁でぐるりと周囲を囲んでる都市はバルスームでも珍しくはなかったが、その中に見える兵舎でさえ高さが100メートルもあり、そこから尖塔が7~80メートルも突き出ていた。一番高いものでは300メートルにもなり、かつては強大な国力を誇る象徴になっていた。艦隊のドックはさらに高い500メートルというけた外れの巨大な建造物で、様々な飛行艦や偵察用の高速艇が離発着していた。ここは民間用の発着場も兼用していた。その景観は火星の薄い大気をとおして遠方より見るとまるで、出来の悪いSF映画の未来都市のセットを思わせた。ゾダンガが空中都市と異名を誇るわけが分かった。
だが、ゾダンガはジョン・カーターと緑色人、ヘリウムの連合軍の前に一度滅ぼされている。その後は少数の人々が移り住んでいるだけだったが、ヴィザード国は短期間で火星のあちこちの都を手中にし、2年ほど前に遂にこの都市を我が物にしたのだった。今現在はこの都市をヴィザード国の首都に移行するための工事が大々的におこなれていた。
ジョン・カーターやヘリウムとて、黙ってみていたわけではなかったが、攻撃が前触れもなく大規模だったので、気がついたときには強大な軍事国家ができあがっていて、うかつに手を出せなくなっていた。現在も膠着状態のままだ。噂ではあの都市のどこかに、ヘリウムの王女がとらわれていると言う。
果たしてそれはリア・ソリスだろうか?
焦る心を抑えながら、やるべきことを先に済ますことにした。自分の家臣が大勢集まる場所に行くのに、まさか徒歩で出向く族長はいないのだ。
そこで、ねぐらにした建物の中庭に足を運び、杭につないである火星の馬のソートを一頭おもてに連れ出した。こいつらはご面相も怪物じみてるが、その性格も外観に似て、うっかり近づけないほど凶暴だ。さらに狭い中庭につなぎっぱなしのやつもいるので、ストレスがたまり、気が立っている。ジョン・カーターが手記に書いたようになだめようとするが、馬に関しては素人の悲しさで、なかなか理屈通りにはいかない。それでも、小一時間もすると私の言うことを聞くソートをようやく見つけることができた。
たずなの替わりとなる首に掛かったロープをを引きながら表の通りまで連れだし、鞍のない裸のままの背中にまたがる。サーク族のソートには、時により馬具をつける場面もあるのだが、ワフーン族の場合はあくまでも裸馬にまたがるのが正当なようだ。カルド・ソルバルに一通りは乗馬についても教わっていたので、何とか行きたいところに進ませることができた。緑色人で通りはごったがえしており、そこを縫うようにソートを進めていくのは冷や汗ものだったが、何とかバララックの町より郊外に出ることができた。
左にゾダンガの都を見ながら平原を快調に跳ばしていく。建設中の神殿に近づくにつれ、黄色いこけの平原は黒く枯れたように変色し、大きく陥没したようなところがあちこちに見受けられるようになり、その都度ソートを迂回させねばならなかった。たぶんこれは、ジティダールが引く荷車が、何度も同じところを通過したせいでこけが痛んだからと思われる。かなりの重量の石のブロックを積んだ荷車の車輪で幾度も踏まれては、さすがにこけも枯れてしまうのだろう。陥没や轍は、ひどいところでは1メートルも深さがあったので、馬が誤って足をおとしたら、乗ってる者は無事ではすまない。荷車の列もそれに気がつき、同じところを踏まないようにしていたが、神殿の近くではそうするわけもいかず、地面はひどい荒れようになっていた。至る所で車輪を陥没に落として、他のジティダールに助け出されてる荷車を目撃した。
途中でカルド・ソルバルの率いる中隊の場所を尋ね、ようやくたどり着いたのは町を出てから2時間後だった。急いで近づいてきた緑色人のパドワール(士官)に、この隊のドワール(隊長)を呼んでくるように命令する。はじめは同じ種族でない私の命令など無視されると思っていたが、さすがは強い者が法律の世界、私の命令を聞いたパドワールは寸瞬のためらいもなくドワールを探しに行った。
ソートをつないでおくのに都合のいい杭が近くにあったので、ロープを結び終えると、先ほどの緑色人が一人のドワールを伴って戻ってきた。彼の身なりで一番目を引いたのは、首から下げた干した手首を通す紐の色だった。私の紐は赤で、彼は白色だった。以前聞いた話では、皇帝の紐は赤と白のまだらで、その下に控える副首領の色は赤だった。そのほかの族長を名乗れない戦士達は皆、白と決まっていたのだ。そのドワールはひざまずくと口を開いた。
「第一ユータンのドワール、ネルス・ザンドロ参上いたしました。カルド・ソルバル様より、カイ様のことはうかがっております。どのような用件でしょうか?」
私は言葉を言う前に、建設現場となっている広大な土地を一回り眺めた。ここには600名近くのワフーンの族の第1から第5までのユータンが駐屯していた。そもそもユータンとはバルスーム語で100名編成の中隊のことを指している。それぞれに隊長がいて、普通パドワール(士官、少尉相当)が指揮をとっているが、例外として第一ユータンの隊長はドワール(将校、中尉相当)が指揮し、族長の直属の部下として、副官の任も兼ねていた。この場合、第一ユータンのドワール、ネルス・ザンドロは私の副官になる。
ワフーン族は一般的に粗暴な種族というイメージがあるが、力量により上下関係がはっきりしているときは、命令系統の伝達がきわめて安定していた。このあたりがタルス・タルカスの率いるサーク族とは、決定的に異なる点だった。サーク族の場合だと、命令に従うにしても、今は命令に従うが、次はどうなってるか分からないぞと言う具合に、上の座を狙っている意志を隠さない部下がほとんどだ。そこがサークの強さでもあり、弱さでもあったが。
駐屯地には半分ほどの緑色人戦士達がおもいおもいにたむろしていた。剣などの装備の手入れをする者や、遅い食事をしているもの、地面に寝ころんで睡眠をとってる者など、さまざまだ。騎士達の乗るソートは、数百頭が駐屯地の向こう側に集められているのが見える。カルド・ソルバルは第十ユータンまでを所有していたが、その残りの戦士達はバララックの廃都で控えており、10日間ごとに交代することになっていた。カルド・ソルバルが一時的に任せてくれたとはいえ、私はワフーンの1000名の戦士達が自由に動かせることになった。
「神殿建設において、この兵達の役割はどうなっている?」
「任についている兵の数はおよそ250ほど。おもに、あちこちから連れてきた奴隷達の脱走を見張ったり、ゾダンガまでの街道の警備をしております。これまでも脱走をはかろうとした奴隷の数は数え切れぬほどで、毎日のように15名ぐらいは捕まえている有様です。一度脱走をはかった者は髪の毛をナイフですり落としてしまいます。2度目は足の指を切り落とします。そのほうが走れなくなるため脱走の意志を押さえることができます。それでも脱走をはかる者は死刑です」
「どうしてすぐに斬り殺さないのだ?」
私は疑問を口にした。
「ヴィザードの皇帝は神殿の建設を第一優先にしているご様子。貴重な労働力を少しでも失いたくない考えから、このように奴隷に甘くしているのでしょう。ワフーン族から見るときわめて奇異でございますが」
突然、私の乗ってきたソートのびっくりしたようないななきが聞こえた。振り返った私がそこに見たのは、奇妙な老人の姿だった。背の曲がった、大変な高齢の男とおぼしき人物がそこに立っていた。火星に来て以来、赤色人自体、今まであまり見かけることもなかったし、はっきり老齢を重ねている人物を目の当たりにするのは、これが初めてだった。
頭髪はほとんどが白髪になっていたが、普段手入れをしていないためかバサバサになっていて、額が大きく後退していた。やけに太い眉毛も白くなっていたが、その下には小さな目が分厚い眼鏡を通して見えていた。顔はもちろん深い皺が刻まれていたが、日焼けした顔はまだ肌の艶もあり、健康そうだった。残念ながら、わめき散らすその口から見える歯は、ほんの数本しか残ってなかったが。身なりは腰布とベルトに剣をつるし、肩ベルトにはよく目につく紋章がついていた。詳しいことは分からなかったが、かなり階級の高い人物だということは、その紋章で薄々感じられた。数人の従者がその後ろに控え、いろいろな機械を携えていた。わけが分からないながらも何かに怒っていることは知れた。
「このうつけ者はどこの何奴だ!あれほどきつく言っておいたのに、またこの杭にソートを繋いでおくとは。今日という今日はゆるさん、犯人は即刻前に出てくるんじゃ!」
甲高いキーキーいう声でわめき立てるこの老人に、呆気にとられながらも、私は自分が無知からとんでもないへまをやらかしてしまったことを知ったが、怒りに駆られるその姿は恐れを抱くというより滑稽だった。何気なしにこの杭にソートを繋いでしまったが、この杭には別の目的があってここに打ち込まれたものらしい。杭の太さは10センチほどで、高さは120センチぐらいのきれいに磨かれたまっすぐの石柱だったが、よくよく見ると、なにもないこけの平原に一本だけ打ち込まれていて、近くに同じものは見あたらない。まずかったかなと思いつつ、老人に声をかけた。
「ワフーンの副首領のカイという者です。ソートを杭に繋いでしまったのは私ですが・・」
「ばかもの!聞いておらぬのか、そちは!?この杭は、神殿建設のための測量用の基準点となる、大切な印なのじゃ。これから数千個の石を積み上げるのに、基準点を狂わしてしまったらどうするつもりなのじゃ!」
えらい剣幕に、さすがに私もたじたじとなり、返す言葉がなかった。どうしていいか分からず黙っていると、老人はソートの綱をほどくと従者から奇怪な機械を奪うように受け取り、問題の杭の上にセットした。
その機械の基台がぴったり杭にはまり、カバーをはずすと中から測量の時に使う光学装置が姿を現した。あれやこれやスイッチを押しながら、短い望遠鏡のような物を覗き、建設中の神殿の石積みに向けた。何かを探しているようだったが、ようやく見つかったのかスコープの光軸を狂わさないようにそっと手を離した。そして、基台部分にある数列の数字が表示されるパネルを見つめた。もう一人の従者に大きな設計図の束を広げさせると、びっしり書き込まれた数値を照らし合わせていた。
「やれやれ、一時はどうなるかと思っていたが、幸いにも狂いは出ていないようだな。まったく、無知の馬鹿者どもが、何度口を酸っぱくして言って聞かせても、この測量基点の杭の重要さを分かろうとしないのじゃからな」
そこまで言って目の前にいる私のことを思いだしたらしく、再びキーキー叫びだした。
「いいか、100分の4ミリの測定精度なんじゃぞ! その基点が動いてしまったら、どうなると思うのじゃ? 神殿建設は、一般市民の家とはまったく次元が違っているのじゃぞ。知らないと思うからもう一度教えておくが、今積まれている石の一つ一つには、四隅に小さな反射球がついている。この測量器から発せられる細い第10光線がその反射球に当たって、この測量器に戻ってくる。その時に方角と高度などを測定し、同時に距離まで分かる仕組みになっているんじゃ。石組みには、建設が進むに連れて歪みという問題が必ず起こってくる。基礎に近いところの歪みは、プラスマイナス2ミリが限界じゃ。これを無視して石を積み続けていくと、必ず倒壊してしまうことになる。そこで、この機械で歪みを最小限に押さえるように修正を繰り返していくわけじゃ」
その後も老人の話は延々と続いたが、今ここでその話を繰り返しても退屈するだけだろう。要約すると、こういうことだった。なお、長さの単位としては火星の独特の単位が使われているが、わかりずらいとおもうので、地球の単位でこれからも説明を続けようと思う。
この老人はネスレスト・ホロヴァスといい、神殿建設の主任設計士だった。ジョン・カーターがゾダンガを滅ぼしたときの数少ない生き残りだったが、それ以前から皇帝家お抱えの重要な人物だった。ネスレスト・ホロヴァスが設計し実際に造った建造物は、ゾダンガの飛行艦の発着所を筆頭として、300~500メートルの高さにそびえていた。
気になる年齢は800歳までは数えていたが、それ以降はめんどくさくて数えていないとのことだったが、1000歳は越えていないはずだと言った。彼に付き添っている従者と思った数人は、建築設計の弟子達だった。頑固者のネスレスト・ホロヴァスは、若い頃は何もかも一人でやっていたが、齢には勝てず、体力面の衰えから不承不承弟子をとることにしたのはごく最近のことだという。
問題となった測量器順の杭は神殿の周囲に等間隔で8本設けられていて、地中部分の長さは6メートルにもなり、極めて高い精度を保つようになっていた。あらかじめ設計時に決められた段階に沿って、そのつど測量を行うようになっていた。石のブロックの外側四隅につけられる反射球は直径が5ミリにも満たないビーズ状の球体で、ミクロン単位に正確に研磨された、きわめて透明度の高いガラスのような物質でできていた。あまりの透明度の高さから、よく見ないと何もないように見えるほどだったが、火星の第10光線にはおもしろい反応を示す。球の表面を透過した第10光線は小さな球の中で入射角と正確に同じ方向に反射するのだ。
測量器から発射される第10光線はとぎれとぎれのパルス信号となっていて、ノイズを除去すると同時に、反射されて戻っていたときに正確に球体までの到達時間が算出されるようになっていた。分厚い設計図の束には神殿の詳細な設計図が描かれていたが、要所要所の箇所に理論的な距離と角度の数値が記入されていて、実際の建設具合により照らし合わせていたのだ。
「わしに残された時間は後わずかしかないのが分かっている。最近は目もかすんできて、眼鏡がないと設計図も読みにくくなってきている。ご先祖達のように、慈悲深いイサスの神の懐に抱かれる前に、なんとしてもこの神殿をつくりあげないとな」
イサスの神の正体は、ジョン・カーターが「火星の女神イサス」で暴露し、ほとんどのバルスーム人は信仰を捨てたのだが、この老人のようにがんとして聞きいれず、過去の価値観にしがみつく者も多かった。
「ところで、おまえさんは何者だったかいの?」
時折自分の世界に入り込んでしまうこの老人のペースにとまどいながらも、私は何とか会話についていくことができた。
「ワフーンの副首領カルド・ソルバルと同位の、カイという者でございます。今日から、この神殿建設現場で警備と、奴隷の脱走を見張ることになりました」
ホロヴァス老人は、緑色人でもない私がワフーン族の副首領と言うことで興味を引かれたらしく、ごつい眼鏡を手でずらしながら目をしばたたいた。
「なんとしたことか! ほほーほ! 赤色人でも華奢に思えるおまえさんが、このバルス-ムでも1、2の凶暴さで知られるワフーン族の副首領とな。こいつは驚いた!」
そこで私は今一度、放浪の戦士としてバルスームをさまよううちに、カルド・ソルバル率いる騎馬隊に遭遇し、族長の彼と素手で戦う羽目になり引き分けに終わったことを説明した。じっと聞き入っていたホロヴァス老人は話が終わるとつぶやいた。
「作り話にしても、ここまで大げさな話は今まで聞いたことがないのう。その細い腕であのカルド・ソルバルと互角に戦ったと言われるのか! ほほーほ! とても信じられん話じゃ。それなら、この機材が持ち上げられるかな?」
彼が指さした機材は、助手達が小さな荷車に載せて運んでいる、1メートル四方もある装置だった。両側に大きな可搬用の取っ手がついているところからすると、通常は二人以上で持ち運ぶものと思われた。軽く拳でこつこつたたいてみると、表面は金属のカバーで覆われていて、見た目以上に重そうだった。両の取っ手に手をかけ、腰を入れて持ち上げると、以外に簡単に持ち上がったので拍子抜けしてしまった。形からして持ちにくい代物だったが、私はその状態から持ちなおして、肩に担ぎ上げた。そのままホロヴァス老人の周りを悠然と闊歩すると、元の荷車に慎重に降ろした。
「こんな具合でよろしいでしょうか?」
老人の目は、分厚い眼鏡の中で大きく見開かれている。
「なんと、この機材は赤色人の大人3人分より重いはずじゃ! それを軽々と肩に担いでしまうとは、どんな筋肉をしているんじゃ! 目の前でこんなことを見せられては、お主の話を信じないわけにはいかないじゃろうな。わしはお主が気に入った! 名前は……ええと・・カイとかもうしたな。建設現場をもっとよく案内してやるからついてまいれ」
私が勝手について来るものと、決めつけてしまったホロヴァスの誘いをむげにもするわけにもいかず、しかたなくワフーンの戦士達の指揮は、副官のネルス・ザンドロに一任することにした。
私はホロヴァスと並んで歩きながら説明を聞き、その後ろに助手達が機材を荷車に積んでついてきた。神殿の周囲をまわりながら、先ほどと同じように7箇所の残りの基点から石の積み具合を測量すると、初めのところに戻っていた。それから彼は石の加工場に連れていってくれた。神殿本体は、現場の中心に位置する直径が100メートルほどの塔だったが、加工場はそのすぐ隣にあった。
老人が自慢げに話す内容からすると、この塔は最終的には1800メートルにも達する火星で一番の高さの建造物になるようだった。今はまだ、30メートルそこそこまでしか工事が進んでいなかったが、完成した暁には双子都市ヘリウムの赤と黄色の塔の高さを越え、地平線で隠れなければ数百キロの遠方からでも認めることができることだろう。
現在の進行度は3日間で石積み一段がやっとだったが、このままのペースで何事も問題が起きなければ、火星の暦で10年ほどで完成する見込みだった。石の加工場には500名ほどの奴隷達が強制労働させられていた。私の今までの体験から見る火星人の生活水準からすると、かけはなれて機械化された設備が多く、見る見るうちに加工された石のブロックができあがっていく。
まず運び込まれた切石を正確な寸法に切断して、次に熟練の職工による打音検査が行われていた。ビー玉ほどの金属球が先端に付いた棒で切断済みの切石をせわしなくたたきながら、耳で良品か不良品を判断していた。これで目に見えないひびなどを判断しているのだが、ミスを犯すことは100%ないと言うことだった。
検査に合格した石は、次に外側内側の2面を除いて、組み合わせ用の溝が掘られる。この溝を掘ることにより、積む上げたときに寸法通りに組みあがっていく。また、地震などの衝撃が塔に加わっても、ずれることもなくなる。
完成した石のブロックは、荷車での積み卸しに利用したのと同じ浮揚バルーンでつり下げられ、塔の上より垂直に下げられているロープをガイドにして、積み上げ階に運ばれる仕組みになっていた。
「わしが今でも不思議に思うのは、火星の第8光線が発見される以前に、どのような手段を使って高層の建物を作り上げたかということじゃ」
老人がそうつぶやくほど、第8光線の発見は画期的なものだったのだ。
ジティダールに引かれて来る荷車の荷物は、切り出された石だけではなかった。毎日膨大な量の食料が、この建設現場に運び込めれていたのだ。もちろんこれは2万人にもなる奴隷達やまわりの兵隊達の食料だったが、そのほかにもいろいろな資材が運び込まれていたのだった。
荷物を降ろした荷車は必ずしも空のまま帰るわけではなく、日々の過酷な労働で死亡した奴隷達の死体が、折り重なった哀れな状態のまま積まれているのが目に付いた。奴隷がまかり通る火星の世界にしても、この建設現場の労働環境は劣悪だった。とにかく水が貴重な世界なので、石の切り出し現場も、加工現場でも水を極力使用しないようにしているので、石の粉塵がすごいのだ。毎日、粉塵を吸い込んで作業をする奴隷達は、疲労と埃で肺をやられて次々に倒れて死んでいく。おまけに、マスクや布で鼻と口を覆っている様子もなかったので、ひとたまりもなかった。
この死体達は、ゾダンガの火葬場に運ばれて灰にされる運命にあった。土葬したり、そのまま放置したりすれば、バンスやその他の腐肉をあさる肉食獣を呼び寄せてしまうからだった。至る所にヴィザードの兵士の見張りがいて、奴隷が怠けないようにムチをふるっていた。哀れな奴隷達の姿を延々と見せられて、この状況を何とかできないかとも思ったが、今の私には無理な相談だった。
もし私がワフーンの皇帝の座に着いたとしても、ヴィザード国をただの一国でうち倒すことなど無理だ。何とかヘリウムと手を結ぶことができれば、うち破ることまではできないかも知れないが、この奴隷達を解放することぐらいはできるかも知れないが。その前にゾダンガのどこかに捕らわれてるかも知れない、ヘリウムの王女のことを何とかしないと……。夢想にふけっている私にホロヴァス老人がしきりに話しかけていた。
「……こんなことは邪道なんじゃ。神殿は天に向かって延びるもので、地下に作る必要はないのじゃ。地下に作るのは牢屋ときまっとる」
老人が憤慨して指し示す図面の箇所には、建設中の塔の下に広大な空間が描かれていた。外からはまったくその存在を知ることはできなかったが、巨大な地下神殿を建設中だったのである。バルスーム人のほとんどは地面の下を忌むべき所としていた。だから囚人を繋ぐ牢はほとんどのところが地下に設けてある。この地下神殿の存在は火星人の常識では考えられないこと。
図面の束を次々に開いていくと、神殿全体の上面図があった。この図面から判断すると、神殿はこれ一つではなく、大気製造工場を中心に5カ所進められていた。本格的な神殿はこれ一カ所だけだったが、残りは小さなほこらのような記念碑的な物だった。大気製造工場を中心に、正五角形の5カ所の神殿。これはいったい何を表すのだろうか?
「……・わしは生きているうちにヘリウムの二つの塔より高い塔を建設したいのじゃ。そうすれば、ネスレスト・ホロヴァスの名は未来永劫このバルスームでたたえられることになることじゃろう」
ヘリウムの名が出たことで私はホロヴァスに、かまを掛けてみた。
「そのとおり!この塔が完成するまではヘリウムの連中もうかつに手が出せまい。何しろこっちには人質がいるのですから」
何気なくつぶやいたように聞こえるか心配だったが、この際多少の冒険も必要だった。どんな思考の波も見逃すまいと精神を集中していた私の頭の中に、ほんの一瞬イメージが浮かんではすぐに消えた。
「今ヘリウム軍にこの塔を攻撃されたら、破壊されなかったとしても、積み上げた部分に歪みが生じてしまい、当初の計画通りの高さを得ることは不可能になるじゃろう。完成するまではサ・バンにこのままヘリウムの動きを封じておいてもらわんとな」
ホロヴァスはうまい具合に話を切り替えたが、火星に来てから授かった私のちゃちなテレパシー能力でも、彼が油断して、一瞬発したわずかなイメージだけで十分だった。
老人がそのあまりの美しさに感嘆した、囚われの美女の顔はリア・ソリスだったのだ!
同時に、宮殿で一番高い尖塔の、最上階のことを頭に浮かべていた。そうか! あそこかと、私は納得したが、その尖塔を見てホロヴァスに気取られないようにするのには、かなりの努力を必要とした。それに彼はもう一つのヒントも与えてくれた。今までカルド・ソルバルとの会話でも、ヴィザードの皇帝の名前が出たことはなかったが、今ここでサ・バンという新たな名前を聞くにおよんで、きっとこれがヴィザードの皇帝なのだろうと思い至った。
「ネスレスト・ホロヴァス殿、私はまだヴィザードの皇帝のお顔を拝んだことがないのです。このような姿でも、一応はワフーンの副首領の地位にある身。ぜひ一度謁見を申し込みたいと考えてるのですが……」
「あのサ・バンに会いたいとな! ほほーほ! わしは一度だけでたくさんじゃったが、望みならわしが会う手はずを整えておいてやろうかの。会う日取りはこちらでかってに決めるが、よいじゃろうな? うむ、わかった。ところで、皇帝に謁見するときは奇妙なしきたりがあるから注意してくれたまえ。お主に侍女はいるかの? 謁見の時には一緒に連れていって、身につけた剣や銃を紐で封印して、その侍女に持たせる決まりがある。たぶん、暗殺を恐れてのことだろうとは思うが、わしら古いバルスーム人には滑稽の限りじゃ」
ホロヴァスの約束を得ることができた私は、もう2時間ほど連れ回されたが、午後も遅くなってようやく解放された。
それからドワールのネルス・ザンドロに会った私は、たくさんの布を用意するようにと申しつけた。それから2、3日して、あわれな奴隷達は鼻と口を布で隠すことができるようになった。結果として、倒れる者が少なくなり、驚くほど能率が上がったのは言うまでもない。




