プロローグでしかない
売れない小説家にとって、本屋は神殿じゃない。処刑場だ。
漫画雑誌とカップ麺の入った袋をぶら下げて、俯いていた視線を僅かに上げる。
古い本屋だ。それに普段通らない道とはいえ、自宅から歩いて3分もかからない場所だ。
紙とインク、それと少しのカビの匂い。慣れ親しんだ匂いに吐き気がする。
入り口は開け放たれている。少し覗くと、決して広くない店内のカウンターで、年老いた店主が船を漕いでいる。
何かのネタにでもならないかと、カビ臭い店内に足を踏み入れる。
古い本ばかりだ。見たことも、聞いたこともない本ばかり。適当に1冊手にとってみるが、明らかに俺より年上の本だ。
ぱらぱらと頁をめくるが、古めかしい文体で何やら小難しいことが書かれている。正直、文字を目で追うだけで、内容など頭に入ってこなかった。
タイトルは、『空におもへば』か。
ふん、よくわからん。
だが物書きの端くれとしては、こう言う本も読んだほうがいいのだろうか。
いや、役には立つまい。理解されるとは思えんし、まず俺が理解できん。
あえて靴を鳴らして店内を歩いているが、店主は起きない。
はぁ、自然と起きてくれればよかったのだが。
仕方なくこちらから話しかける。
「なぁ、爺さん。なんかおすすめはないか?おーい」
「ふぉっ?」
「眠ってたところ悪いんだが、こいつらは売り物か?」
「なんだぁ、お客さんかい。――ああ、わしが昔読んだ本だ。好きなの持ってっとくれ」
ようやく爺さんが目を覚まして、話しかけた俺に驚いていた。そのまま心臓を止めてしまうのではないかと少しヒヤヒヤしたが、歳の割にはまともに喋る爺さんだ。
「値段が書いてない。いくらなんだ?」
「お前さんはその本をいくらで買いたいんだ?」
質問を質問で返されると腹が立つな。だがまともに読むこともできない本など、俺にとって価値などない。
「いや、この本が欲しいわけじゃないんだが……まぁ古いし、0円だな」
「お前さんがそう思うんなら、その本は0円だ」
本気で言ってんのかこの爺さん。まぁ確かに儲けようとして商売してるようには見えないが、妙に鼻につく言い方をする。
「その本は、欲しい人間が見たら、1000円でも2000円でも出すさ。だがお前さんには不要だな」
ふん、こんな古い本がそんな値段で売れるものかよ。
俺は本を棚に戻して、店内を見て回る。どの本も古いが埃はかぶっておらず、手入れはしっかりされているようだ。
2〜3冊手に取ってみるが、やはりどれも0円の本だ。今の俺には必要ないらしい。
「邪魔したな、爺さん。帰るわ」
「まて、雨が降る。少しここにいなさい」
「いや、いいよ。おれんちすぐそこだし」
「年寄りの言うことは聞いておけ、買ったばかりの本が雨で濡れるぞ」
爺さんは、コンビニ袋に入った漫画雑誌を指差す。
「その辺に座っとれ、茶でも入れてやろう」
「いや、いらねって、おーい」
ったく、暇なだけじゃねぇか。茶だけ一杯飲んだら帰ろう。そうしよう。
その辺にあった椅子を引き寄せて、腰を下ろす。
妙に硬い椅子だ。僅かに沈み込むのに、硬い。
立ち上がって座り心地の悪い椅子を見やる。
「んだこれ、本か」
ギシギシと唸る椅子に置いてあったのは重厚な本だった。ずいぶんと良い装丁の本だ。そして椅子と間違えるくらいにでかい。
「ほれ、飲め」
「あ、ああ。どうも」
茶を入れるっつってなかったか?ペットボトルじゃねーか。まぁいいけど。
「なぁ爺さん、この本何?」
俺は重い本を持ち上げてカウンターにどすんと乗せる。
皮の質感が生き物の肌のように生々しい。まだ生きているかのようだ。少し不気味だ。
「ああ、その本か、……わからん」
「わからんってなんだ?売り物じゃないのか?」
「ずいぶん前からうちにあるんだがなぁ、覚えとらん」
「ボケて忘れたのか?」
「そうかもしらんが、読んだ本は忘れねぇはずだ。だけどその本にゃ何も書いてねんだ、読みようがねぇ」
そう言って爺さんは、分厚い表紙をめくる。古い割には中は綺麗な紙だ。そして本当に何も書かれていない。書かれていた形跡もない。
「ほんとだ、何の本なんだこれ」
背表紙にもタイトルなどは書いておらず、裏表紙にももちろんない。
そもそもどっちが表紙なのかもわからない。
横書きの本なら逆側が表紙でもおかしくはないが。
それに、店主の爺さんがわからないと言うのだから、どうしようもない。
俺はペットボトルのお茶を開けて、口をつける。
そして、何も書かれてない本の頁をぱらぱらとめくってみる。
何かを書くためのものなんだろうか、自由に描くにしては少々もったいない気もするが。
「お前さん、よかったらその本持って帰ってくれんか?わしにはもう重たくて動かすのも嫌なんだ」
「いや俺だっていらねぇよ。ゴミ押し付けんなよ」
「そうか、でもお前さん、なんか書くんだろう?ちょうどいいじゃねぇか」
「いつ俺が物書きだって言ったよ?」
「ここに入ろうと思った人間はだいたいそうだ。古い本屋で、なんぞネタでも探しに来たんだろう?」
見てきたみたいに言いやがる。眠りこけてたくせに。伊達に歳は食ってねぇってか。
「物書きっていっても、駆け出しみたいなもんだし。そもそもパソコン使うから文字なんて書かねぇよ」
「ならそのカップ麺でも抑えたらどうだ」
「潰れるわ、無理に決まってんだろ」
「いいから持ってっとくれよ。装丁だけはしっかりした本だ、売れるかもしれんぞ?」
「ここに売りに来るかもしれねぇぞ?」
「そんなの買い取らんよ、文字の書いてない本なんざ、わしにとって0円だからな」
カカカと、喉が詰まったような声で笑う爺さん。お茶も飲み終わったし、そろそろ帰りたいんだが。仕方ない。
「わかったよ、持って帰るよ――あ、まてよ、まさかこの本、呪われてるとかじゃねぇよな?」
呪いのビデオをダビングして、誰かに押し付ける映画を見たことあるぞ。
「お前さんそんなの信じとるんか?」
「うるせぇ、とにかく今日、夢見が悪かったら突っ返しに来るからな」
「おう、また来い」
「もうこねぇよ」
ったく――雨、降らねぇじゃねーか。




