後始末はこうなった
「……あ」
目を開ける。その感覚が有る。手を動かす。微かに動く感覚が有る。……どうやら俺は強く望んだからなのか、本当に神が居て願いを届けてくれたからなのか、自分の身体に戻って来られたらしい。
コンコン。
扉がノックされた直後に開いた。多分、俺からの返事なんてない、と考えておざなりにノックしたのだろう。入って来たのはセバス。俺が見ている事に気づいたのか、目を大きく瞠った。……意識を取り戻すとは思っていなかったんだろうな。
「だ、旦那様⁉︎」
年の割にかなり大きな声。俺は微かに出る声で応えた。
そこからは一応(ユーレから頼まれたからだろう)父上の主治医であるサーヤ殿に診てもらい、体力は落ちているものの大丈夫だろう(階段から落ちた直後の怪我は完治し、問題は頭の中だから様子見)という診断結果が得られ。少しずつ飲食をして身体をベッドから起こす事にして、体力回復を主に俺は1日を過ごす。
3日程のうちには、多分、ユーレの事を考えてリハビリに励んでいたからか、かなり回復していた。
……ちゃんと、ユーレの中に居た時の記憶は有る。
ユーレの中に居た、という事が夢か現かは、この際どうでもいい。大切なのは現状とこれから。ただ、俺が目覚めた事は知っているはずなのに、ユーレが顔を出すことは無い。この3日、一度も。それだけユーレの中で俺はどうでもいい存在なのだろう。
「セバス」
俺はベッドから出て通常の生活に戻りつつ有る。だから、この話になるのは自然な流れだろう……とセバスを呼んだ。
「はい」
「俺が寝ていた間、何もなかったか」
「……いつも通りでございます」
「なら、金を準備しておけ。カジノにツケが有るから払う」
当然、俺は寝ていただけに思われているわけだから、俺が急に自らの行いを悔やむのは可笑しいだろう、と事故前と同じ生活をしよう、と振る舞う。
「そ、それは」
「なんだ」
「その、カジノのツケは既に払いました」
俺は驚いた顔を作りセバスを見る。
「なんだ、気が利くな」
「わ、私めでは有りません……」
「お前じゃない? じゃあ誰だ」
「お、奥様です」
俺が不快になると思いながらも、事実を話すセバスに、俺は不快な顔をしてみせた。
「ユーレが? 何故だ」
「それは、その……」
「なんだ、言いたいことが有るなら言え!」
「ではっ!」
俺が苛立ちを見せながらセバスを脅す。これなら喋るだろう、と思ってのこと。そうしてセバスは意を決してユーレの中で見て来た事を全て話して来た。
「……ナナ・キラ・ノーラが来ていた?」
俺は初めて知ったような口調でセバスを見る。セバスは深く頷いてから、その心の内を吐き出した。
「正直、1人だけでしたら、貴族は愛人を持つもの、と私めも見て見ぬふりをしたでしょう。ましてや、こんな事を言いたくないですが、奥様は子を産めない身体になってしまわれた。女性でも後を継げる法が有るとはいえ、やはり当主は男性が多いものです。それを踏まえてみれば、男の子を産んでいる愛人の子を引き取ってその子を跡取りにした方がいい、そう思うのも仕方ない。
ですが。愛人が3人。それぞれが産んだ子も全員が男。こうなると誰の子を引き取っても争いになりますし、全員を引き取って育てるのは奥様の心情を考えれば酷でございましょう。私めもそこまで非情な事は申し上げられませんでした。そもそも、奥様は第二子を妊娠中に愛人に乗り込まれてその時のショックが元でお子は……そして子を産めない身体になられてしまったのです。
それなのに、その愛人達の誰かの子を引き取って育てる事など、いくら私めがこの家を守る執事であっても進言出来ませんでした。ですから奥様のお子であられるカーナ様を次期当主として私めは認めております。ただ、当主は旦那様。旦那様が愛人の子を跡取りにする、と仰るのならば、我等使用人一同も奥様もその言葉に従うでしょう」
セバスの言葉は本音だろう。だからこそ、俺が命じない限りはカーナを次期当主、として考えて接している、と。
「つまり、俺が何も言わないうちにカーナを跡取りとして考えている、と」
「お怒りならばお怒りで構いません。執事としては、愛人の子を引き取って跡継ぎにする方がいいと申すべきでしょう。しかし、1人の人間としての感情ならばカーナ様にお跡を継いで頂きたい、と。それに……大旦那様の様子を伺い、旦那様の代わりに小さいとはいえ領地を治め、愛人達や賭け事の後始末さえ行う。そんな奥様の願いがカーナ様を跡取りに据える事ならば、我等使用人一同、その願いが叶えられれば……と思っております」
セバスの静かだが引く気の無い想いに、俺は態とらしく溜め息をついた。
跡取りの事はそろそろ考える必要があって。ユーレの子であるカーナを跡取りにしよう、と漠然と考えていた。ユーレは口煩いがカーナはそれなりに可愛いと思っていたから。だが、どういうわけかユーレの中に入ってしまい、ユーレを通して様々な事を観て来て、ユーレの想いも知ってしまった今。
「跡継ぎはカーナだ」
「旦那様?」
「男だろうと女だろうと関係ない。カーナは妻であるユーレの子。愛人と妻ならば妻の方が立場が上だ。そうだろう」
「は、はい! 左様でございますな!」
俺の言葉にセバスが喜びの声を上げる。真面な事を言ったと思われているのだろう。ユーレとの距離は遠い。今から縮めようとしてもかなりの時を有するのは、遊び呆けていた俺でも解る。だからユーレとの関係を改善するより前にすべき事をしよう。
「先ずは、父上の容態を確認に行く。その後はユーレに愛人達のことを話し合う。まだ俺も本調子じゃないから、今はそれが最優先だ。ユーレと話し合ってから、愛人達と話し合う。今までユーレにやらせてた事を知らなかったとはいえ、小言しか言わないユーレが疎ましくて、愛人達も子どももカジノの借金も父上の事も仕事も何もかもやらせていた、というのは、いくら愚かな俺でも悪魔のような所業だ。
事故で寝ていたのに、部屋が綺麗だった。俺も身綺麗だった。という事は、ユーレの取り計らいなのだろう。こんな事にならないとユーレの行いに気づかなかった事は恥じるが、俺がするべき事をきちんとしないと、父上も安心出来ないし、カーナにも呆れられそうだ」
俺が仕方なさそうな口調でもそう言えば、セバスが「旦那様っ……」 と感激したような声で俺を呼ぶ。確かに事故前の俺とは何もかも違う発言だからな。
ユーレとの関係が改善するのか、はっきり言って俺も解らない。改善されないままの可能性もあるが、何はともあれ、先ずは俺がすべき事をする。
セバスに調整を付けてもらい、俺は執務室でユーレと向かい合っていた。真正面から見るユーレ。鏡越しでユーレの中から見た以上にこんなに窶れていたのか、と思う。それもこれも俺のせい。
「話、なに?」
話し合いたい、とセバスを通してユーレに頼んだ俺は、だが向かい合った途端に何から切り出せばいいのか解らず、ずっと沈黙していた。時が過ぎて行くばかり。痺れを切らしたのか、ユーレに口を開かせてしまった。
「ユーレ、俺が寝ていた間のこと、セバスから聞いた」
「……寝ていた間のこと」
ようやく切り出した俺の言葉をユーレが興味無さそうに繰り返す。
「父上の、様子を見に行った。あれだけ悪かった事を知らなくて、俺の代わりに面倒を見てくれていた、と聞いた。……ありがとう」
ユーレは少しだけ驚いたように目を大きくしたけれど「どう、いたしまして」 と呟いた。
「父上のこと、何度も話したかった、と、セバスが教えてくれた」
「……ええ、そうね。聞く耳を持ってくれなかったけれど」
「……すまなかった」
「別に」
いつの間にかユーレから視線を逸らしつつ、次の事を口にする。
「愛人達が子どもを連れて、金を貰いに来ていた、とも聞いた」
この話には、ユーレは何も返して来ない。俺はそのまま言葉を繋げる。
「俺が何もしなかった代わりに養育費を払っていた、と。彼女達は確かに俺の愛人で。子ども達も多分、俺の子なんだと思う。いきなり、愛人達に乗り込まれて子ども達を見せられて驚いたはずだ。……すまなかった。だけど。愛人達の子を認知しない。だからあの子達が俺の跡取りにはならない。跡継ぎは、カーナだ」
ここまで話すと、微かにユーレが息を吐き出した。愛人達の存在と子ども達の存在を認めてしまったから、跡継ぎに関して何を言われるのか、緊張していたのだろう。
愛人達の子を認知してしまうと跡取りの権利が生まれてしまう。だから、俺は認知をしない、と言った。そしてカーナを跡継ぎにする、とも言った。これでカーナの立場は確定した。
「カーナを跡継ぎにする、と文書にして城にも近いうちに提出する」
それをすれば受理されれば公的にもカーナが跡取りだと認められる。ユーレは今度こそ、本当に驚いたように俺を見た、と思う。俺はその視線に促されるように再びユーレを見て視線を合わせた。
「国にも認めてもらえる、と?」
「直ぐに文書を作成して王城に申請する」
「そう」
ホッとしたようにユーレが息を吐き出した。
「それから。叔父上から脅されていた、とも聞いた。カジノのツケの事で。カジノのツケ……借金も払ったと聞いた。その、金はどこから……」
「言っておきますけれど、もう、用立てられませんわ。残った金を寄越せ、などと仰っても無理ですからね」
「分かった。言わない。だが、金の出所は」
「わたしが成人を迎えた時に、本家から頂いた成人の祝いのための宝石を売りましたの。今まで……あなたの愛人達の子への養育費や義叔父様へのお金にお義父様の医者代、それから領民達や使用人達への賃金は、持っていたドレスや装飾品を売り払い、お金に換えました。もちろん、カーナの学費も。でも。カジノの借金なんて予想外の出費に対応出来る程は残っていなかったので、本家からの成人祝いの宝石を売り払いました」
「そう、なのか」
「あれを売りに出すという事は、それだけお金に困っている証にもなります。本家から頂いた物はかなり高価な宝石でして。本家は誰に何をあげたのか本家で管理している代物です。そして売りに出された店は本家に連絡するように、とも言われている高価な物。おそらく、もう本家は把握している頃でしょう。
何事も無ければ、代々子孫に受け継がれていく物として本家から頂くので。本家がどう動くか分かりませんが、場合によっては、わたしは本家の恥晒しとしてお咎めを受けます。本家から頂いた物を売りに出すという事は、お金に困っていると同時に本家の顔に泥を塗るという事。王城勤務の医官を輩出している本家の顔に、です」
俺はその恐ろしさに身震いする。咎められる可能性を指摘されるまで、そんな高価な物を成人祝いに与えるんだな……程度にしか思っていなかった。そんな、そんな事になるかもしれない可能性が有りながら、それでも、ユーレは借金を返してくれたのか……。
「それでも、借金を返してくれたのか」
「カーナのためです。カーナに借金を背負わせるなんて出来ません。わたしが咎められることとカーナが借金を背負うこと。どちらを取るかなんて解り切った事です」
ああ、そうか。
そうだ、ユーレはカーナの為なら愛人契約すらやろうとする女だった。だから本家から咎められる事も構わない、と売りに出したのだろう。
俺は……本当に浅はかだ。
「色々と……すまなかった」
俺はあまりにも情けなくて頭を下げるしか出来ない。きっとユーレには何一つ、響かない謝罪だろうけど。
「今更、ですね」
そう、今更だ。それでも俺は頭を下げた。許してもらうつもりは無い。謝ったのは自己満足なんだろう。だが、俺の中では決意表明。だから。
「ユーレ」
「なにか」
「少し、休んでくれないか」
「休む?」
俺がユーレの中から見て来た様々な事。その結果は、ユーレを休ませる、というもの。
「そうだ。俺の代わりに、父上の面倒を見て、仕事をして、領地と領民を守って、愛人達の存在を知らされ、子の存在も知らされ、叔父上に脅され、カジノの借金を払って……疲れただろう、と思う。
正直なところ、結婚当初は優しくて穏やかで可愛かったユーレが、いつの間にか、小言ばかりの口煩い女になって疎ましく思ってた。だから話し合いもしたくなかった。離婚を考えなかったのは、カーナが可愛かったからだ。
だが、階段上で揉み合いになって落ちた俺のことを気遣ってくれた。今までの事をセバスから聞いて、俺は大変な状況を知らなかった愚かさに気づいた。ユーレが、口煩くなっても仕方ないとも思う。
こうして向かい合ってみて、ユーレが随分と窶れてしまった事に、ようやく気づいた。今更なのは解る。ユーレは離婚したいのかもしれないが。俺は今、その気が無い。ユーレもこの数年の俺のせいで疲れているだろう。
だから、実家に帰るなり、何処かに旅行するなり、とにかく休養を取ってくれ。何処に行っても、何をしても良い。俺に怒る資格もアレコレ言う資格も無い。浮気されても、文句は言えないだろう。ただ」
「ただ」
「行き先は教えておいてくれ。ずっと仕事もせず、領地も領民も放置していて、きっと代官がなんとかしているから、何も言われないのだと勝手に思っていたから。ユーレが代わりをしていた、と知らなかったのは愚かだと解っている。
だから本当なら領地の事は気にするな、仕事は何とかする、と言いたいが。それを言える程、この数年の俺は仕事も領地も関わっていない。その為に解らない事をユーレに教えてもらう事になる。だから、帰って来なくてもいいから。連絡を取れるようにしておいて、くれないか」
俺が希うとユーレは目を瞬かせて、俺の言葉を処理しているようだ。
「離婚、は、考えてないわ。今のところ。カーナが跡を継げなくなると、困るし」
文書を城へ提出して受理されれば、離婚してもカーナが跡継ぎなのは変わらないが、俺が気分で愛人達の子の誰かを跡継ぎに変更する、とでも思っているのかも、しれない。
だが、それは口に出さない。
そんな事はしない、と言って離婚宣言されては敵わない。俺は離婚したくないし、ユーレもカーナの為とはいえ、今のところ離婚しない、と言ってくれるのなら。黙っていよう。
「そうか」
「何処に行っても何をしても良いのね?」
「構わない。定期的に連絡が取れれば。カーナが長期休みの時に2人で旅行しても良い。その金を出してやれなくて済まないが」
「別に、いいわ。仕事や領地について、わたしと連絡が取れれば良いのね?」
「ああ。それなら行き先を知らせなくてもいい」
「……そう。それなら、偶に帰って来るわ。2〜3ヶ月に1度くらい。それならいいでしょう?」
「俺は構わないが、帰って来る、のか? 帰って来て、くれる、のか?」
「お義父様の事も気になるし、領地や領民の事も気になるから」
「そう、か。それなら頼む」
俺が願うとユーレは頷いた。
ユーレが何をしようと何処へ行こうと、干渉しない。
その条件で俺はユーレを自由にした。少しでも楽になれば良い。それに、ユーレがもし、実家に帰るならば、宝石についても咎められる可能性が低くなるかもしれない。咎められる、と決まったわけでは無いし、ユーレの実家が本家と上手く話し合うかもしれないし。
アズロ伯爵の愛人の件もユーレが居なければ立ち消えになるだろう。
「一旦、実家に帰るわ。少し実家を手伝ってお金を稼いでから、何か考える」
ユーレは、簡単に荷物をまとめて、この家を出る時に、何も言わない、何も聞かない、と言った俺に、何故かそれだけ教えてくれた。俺に教えてくれるだけの情が、少しでもユーレの中に戻ってくれたのだろうか。
これからユーレと、どうなるのか、俺は解らない。多分、ユーレ自身も解らないのだろう。俺は俺の出来る事をして、ユーレが帰って来るのを待つだけだ。
今まではユーレが俺を待っていたのだから、今度は俺がユーレを待つ。
ただ、それだけのこと。
(了)
お読み頂きまして、ありがとうございました。
離婚すれば良いのに……と思われる方もいらっしゃるでしょうが、離婚は簡単にはいかない。それは現代でも変わらないと思います。
離婚経験のある人達から聞くとは無しに聞いた時に、印象に残ったのが。
離婚はパワーがいる。
でした。多くは語らなかったけれど、それだけは聞いたものです。それを踏まえると、ユーレは“現状維持”に必死で進むにしても戻るにしても“動く”事は出来ない。動くだけのパワーが、無い。
だからこそ、この後のスカラグとユーレがどうなるにしても、先ずはユーレが動くだけのパワーを蓄える事が必要なのではないか、と。彼女は今、パワーを蓄えるために充電期間だと思って下さい。
また、前話のあとがきにも記しましたが、解釈次第によっては、ユーレも不貞を働いたと言えるのであれば。どっちもどっちなのだと思います。




