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騎士団長レット・ワート



 悔しくて。情けなくて。


 その無残な姿で磔にされている君主の足元に縋りついて泣くレットは、だからその男がすぐ傍まで来ていることに気がつきもしなかった。



「ゲイル王国騎士団長、レット・ワート卿か? 残念だ。私がこの王都へ来た時には、民の怒りが頂点に達した後で、王はこの姿にされていた」


 パスス・ヴァン・アズノル。敵国アズノルの王子を名乗るその男。


 レットの守る国境の砦を易々と突破し、闇に隠れて王都まで情報を運んできたレットよりも早く軍勢を動かした、不快な男。


 星の数ほどいると言われる敵国の王子の名前など知らない。けれども、確認を取るまでもなく、その燃えるような赤い髪と瞳、そして浅黒い肌の持ち主がアズノルの血を引いていることはすぐに判った。


「貴様かぁぁぁぁあぁっぁぁっ!」


 腰に佩いた剣を抜き、構えも取らずに上段から斬り掛かった。


 けれども、その剣はにっくき敵国の王子に手傷ひとつ負わせることもできないまま、割り込んできた男が両手に持った短剣二本により受け止められていた。


「噂以上の直情者だな。だが、嫌いではない」

 情けなくもレットの剣に反応できず、のうのうと男に背中で庇われながらもアズノルの王子パススの表情は変わらずにいて、飄々として呟く。

 思わずレットは怒鳴った。

「うるさい! 貴様に好かれても嬉しくない!」

「このっ」

 レットの剣を押さえている男が言い返してきた。

 酔っているとはいえ騎士団長でありゲイル王国で最高の剣の使い手として名高いレットの剣を防ぎきるとは、この男もかなりの使い手だ。ただし、騎士ではない。王族の影であろう。


 ぎりぎりと力比べのように剣を持つ手に力を籠める。


 拮抗していたように動かなかった剣は、じりじりとアズノルの不遜な王子の頬に近づいていった。


「よい。忠誠を誓った王がこのような形で命を失ったことすら知らずにいたのだ。盾として死ぬことの出来なかった騎士が、動揺するのは当然だろう」


 敵国の王子の放つ言葉の、ひと言ひと言がレットの胸に突き刺さる。


 その言葉の刃に胸を突き刺されたその一瞬の隙を見逃さなかった男に、レットは手にしていた剣を捩るようにして奪われた。


 空になった手を、じっと見つめる。


 そう。レットは間に合わなかったのだ。


 しかも、先ほどの言葉を信じるならば、王が命を失い、あのような姿を晒しているのは、この王子のした事ではないらしい。


 納得できない。しかし、納得するしかないらしい目の前にある事実に、レット・ワートは再び膝から頽れた。


 そのまま、どれくらい泣き叫んでいたのだろうか。

 

 近付いてきた副官に、宥めるように背中へ手を当てられたレットは、ようやく立ち直った。


 

「失礼致しました、アズノルの王子。……その、我が王は、本当に、民の怒りによってこの姿に?」


 見上げるその身体には頭部が無かった。


 すぐ横に、粗末な木製の台が置かれており、そこに朽ち果てるままに置かれている。

 もう何日も誰にも葬って貰えずに、このまま晒されているのだろう。すでに腐り出して腐汁が出て、腐敗臭が漂っている。


「あぁ。残念ながら、我が軍勢が辿り着いた時には、王都はもぬけの殻であった。そうしてこの広間はこの状態であった。遺骸を片付けるのは簡単だが、私には王とそれ以外を見分けることすら推測の域を出ない。それができるゲイル王国側の人間の到着を、待っていた」


 その言葉に、レットの足から力が抜ける。


 王が守り慈しんできた民から受けた迫害と、それを阻止できなかった不甲斐なさ。


 なにより目の前の主君の変わり果てた姿に、今更ながら胸の奥から何かがこみ上げてくるのを感じ、レットは慌てて顔を背けた。


 後ろに控えていた側近たちも、嗚咽を止められないようで、すすり泣く声が響く。



「もう日が暮れる。作業は明日以降にして、風呂でも浴びて落ち着いたら、まずは食事にしよう。食べねば気力も湧かない。これからどうするかも考えられぬだろう」





***



 そうして。促されるままに風呂を浴び、着替えを済ませた一行は、この晩餐室へと案内されたのだ。


 だがまさか、これほどまでにこの城の主が如き振る舞いをされるとは誰が考えただろう。



「この王城は、ゲイル王国のものです。アズノル国の王子とはいえ、異国の方。王都で起こった民の暴動を鎮めて下さった事には感謝すれども、ここまでの振る舞いを許す謂われはありますまい」


 あと一歩でこの晩餐室を後にできる。

 ひとり、戸口に立ったレット・ワートは、けれども張り裂けそうな思いを胸に、怒りを込めて振り返ると、ハッキリとした口調でそれを告げた。


 ハッキリ言って、悪手だろう。


 今のレットには、共に晩餐のテーブルを囲んだ片手で余るほどの仲間しかいない。


 けれどもそれは今この王城内に限って言えば、だ。

 近隣の領地を治める貴族の中には、王都で起こった暴動の犠牲にならなかった者も多い筈だ。

 私兵団を持つ有力貴族の力を集めれば、それなりに大きな力になる筈だ。


 ここで、異国、それも長年敵対していたアズノルの王子の力を借りる必要など、ない。


 王城内に備蓄されていた食材を勝手に使って飲み食いするまでは受け入れても、それを主として客としてゲイル王国の民である自分レット・ワートに振舞うような行いをされて、素直に礼を告げるなど真っ平だった。


 この城は、我らがゲイル王国のものだ。


 もし、王族の命がすべて途絶えてしまったというのなら、どんなに薄まってしまおうとも出来得る限り濃い血の持ち主を探し出し、王冠を被って頂くのみ。


 それがレット・ワート本人であるというならば、受けて立つ。


 王を守れなかった騎士として恥じる思いは確かにある。国を守る騎士団の長としてその務めを果たせなかった事は胸に重く忸怩たる思いもある。


 しかし、罪は罪としてその重きを背負いながら、地に墜ちたゲイル王国のこれからをも背負って行くことは吝かではない。


 それが必要とされているならば、一貴族として、生き残った者としての使命に生きようと思うのだ。


 だから。今、ここでレットがアズノルの王子に膝を付くことは無い。

 それだけは主張しておかねばならない。


「王族専用のこの晩餐室の上座、いやゲイル王国のこの王城内のどの部屋の上座であろうとも、その場に座るべき人間は、異国の王子ではない。貴方に、そこに座る資格はない」


 ゲイル王国騎士団長レット・ワートなら、その資格も覚悟もあるのだと。


「あぁ。これは失礼した」


 だが、今日あの悲惨な王城前広場で顔を合せてから一番の晴れやかな笑顔で謝罪を口にされて、レットは肩透かしを食らった気がした。

 

「この料理を作った者は私の部下である故に、その責任を請け負う者として、便宜上ここに座っただけなのだ。毒を入れられて走って逃げられては困るだろう? だからアズノルではホストは一番奥に座るのだが、この国とはマナーが違うのだな。失礼。勿論このゲイル王国の王城の、玉座に座るべき人間がちゃんといる事はわかっている」


 剣をもってわからせる必要があるかもしれないと緊張していたレットであったが、思いがけない笑顔で説明されて、拍子抜けした。

 国が違えばマナーも違って当然であるとは知っていても、体感したのは初めてだった。

 憤るまま席を立った自らの不明こそ恥じるべきだったと、顔が熱くなった。


「あ、あぁ、そうですか。ご理解いただけて幸いです」

 ぎくしゃくとぎこちない動きで立ったばかりの席に戻る。

 給仕の男だけでなく部下たちからまで冷たい視線を浴びながら、レットは誤魔化す様に笑いながら倒してしまった椅子を直す。

 そこへ腰かけ直そうとすレット・ワートに向けて、アズノルの王子が場を取りなすように言葉を繋ぐ。

「こちらこそ言葉が足りずに誤解させたようだ。実を言えば、食事の後に話を望んだ理由は、この件についてだったのだ」

 そこで一旦言葉を切ると、パススは手の中の杯をくるりと廻す。

 空気を含んで酒精が放つ華やかな香気を優雅な仕草で確認すると、唇を笑みの形に吊り上げた。


「……では、騎士団長殿も、すでにご理解を?」

 そういって確認したパススの雰囲気には、否と言わせぬ何かを感じさせた。

 ぞくりと感じる迫力に、目の前の男が王族なのだとその場にいた一同は感じさせた。


 だが、そんな有無をも言わせぬ迫力を感じたのはほんの一瞬のことで、すぐに先ほどまでの様な、にこやかな雰囲気に戻る。


 どうにしろ、どうやらアズノル側としてはこの国を乗っ取るつもりで来たのではなく、きちんとした礼節を以てゲイル王国の未来について力になるように進言しに

来たのだと

 

「えぇ、えぇ! 喜んでお受けしましょう。その覚悟も気概も、自分は持ち合わせているつもりです」


 興奮を胸に、レットが口早にそう答えると、目の前の王子が笑顔になる。


「そうですか。それはなによりの朗報です。きっと彼女も喜ぶでしょう」




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