王国最後の王族
……彼女?
誰の事だと騎士団員たちの頭に浮かんだ疑問の答えは、すぐにやってきた。
パチンと指を鳴らしてパススに、給仕が頭を下げて扉に向かった。
つい先ほど、レットが出て行こうとしたばかりの入口の扉が恭しい手付きで開かれた。
「彼女が北の離宮へ幽閉されていたことを知り、迎えをやっていたのだ。諸兄等と共に迎えられて、良かった」
にこやかに、パススがその手を取る為に迎えに出る。
「…………ピリア王太子妃殿下」
副官が、そこに立っていた人の名前を呟く。
自身の名前を呼ばれたことに気が付いたのか、視線を向けた黒衣のドレスを身に着けた女性が、儚げに微笑む。
その健気で気丈な微笑みに、胸が射貫かれた気がした。
ピリア王太子妃の、その明るく物怖じしない快活な性格を、元王太子であるアルフェルト殿下は殊の外愛されていた。
二人が寄り添う時、その場にはいつも明るい笑顔が弾け、華やいだ空気に満ち溢れる。
舞踏会でアルフェルト殿下とふたりで踊る姿もそうだ。
流れるように美しい貴族のご令嬢のダンスと少し違っていて、心から楽しそうに踊るふたりは好ましかった。
ピリア王太子妃の魅力はその明るさにあると誰もが思っていた。
けれど今この場で、レットのみならずその副官も、側近も。この場にいたゲイル王国の騎士は皆、今すぐその細い肩を抱き寄せて、その身に起こった数々の不幸を取り除き、これから降り注ぐ全てのモノから守ると約束してやりたくて仕方が無かった。
小さな手を包み込み、何も心配することは無いのだと、涙で潤んだ瞳を間近で覗き込みたい。
華奢なうなじを隠すように小さく纏めてある、艶のある柔らかそうな栗色の髪に顔を埋め、その甘い香りを胸いっぱい吸い込みたい。
窶れて見えはする。だが、だからこその憂いを帯びた儚げな様子に、男たちの胸は不謹慎にもときめいた。
不幸にも死産であったと聞いているが、子を産んだことがあるなど信じられない。少女のような可憐な雰囲気を身に纏った麗しき王太子妃は、今や未亡人。独身なのだ。
「……ピリア王太子妃殿下。御無事で何よりです」
高貴な存在に対して、不謹慎な想像をしてしまった気拙さに声が喉に絡んだ。
それでも騎士らしく片膝を付き胸に片腕を当てて礼を取った。
「……皮肉にも、謹慎を受けていたことで、私一人が生き残りとなりました。こうして生き恥を晒しております」
レット達の、掠れた声による礼を皮肉に受け取ったのだろうか。気丈に答えたピリアだったが、最後の声は震えていた。
その大きな瞳に涙が潤んで溜まっていくのを、レット達は陶然と見上げる。
大恋愛の末に結ばれたアルフェルト殿下との恋の終わりが、あのような形で終わりになるなど、一体誰が想像しただろう。
婚約式も、結婚式も、ふたりは常に笑顔で寄り添っていた。
「本当にお似合いですこと」と誰もが納得し、祝福を贈っていた。
それが。
それを、心を壊されたアルフェルト殿下の乱心で、すべて壊された。
「いいえ、いいえ! ピリア殿下が御存命でいて下さったことに喜びを覚えないゲイル国民などおりませぬ」
ピリアの華奢な足元へ、ひれ伏さんばかりにレットが駆け寄った。
後ろに同じく跪いた面々も、心を同じくして大きく頷いた。
感動した様子のピリアが、彼等と目線を同じくするように床へと膝を突き、レットの手を取った。
そうして後ろで同じように跪いてピリアを見つめていたひとり一人と目線を合せて何度も小さく頷く。
「ありがとう。王国騎士団でも沢山の被害が出たそうですね。それでも、あなた方だけでも生き残ってくれたことを、とても嬉しく思います」
鼻先で香る女性らしい甘い香り。
淡いピンクの貝殻のような爪のついた小さくてほっそりとした白い指が握っているのは、レットの手だ。だが、視線を合わせて頷かれるだけで、彼等は皆、自分ひとりに対して王太子妃がその生存を喜んでくれたような気がして、心と身体が熱くなった。
「……勿体なき、お言葉」
熱に浮かされ、干上がったようにカラカラになった口でなんとか言葉を紡ぐ。
「この国の未来を繋ぐ為に。どうか私に、力を貸してくださいね」
じっと見つめられて訴えられれば、騎士たる者の務めとして、いや一個人、ひとりの男として、レット・ワート以下その側近一同は強く頷いたのだった。
その様子を、パススはじっと黙って観察していた。
黙ったままの唇は楽しそうに弧を描き、たまに堪え切れないというようにピクピクと小刻みに揺れる。
噴き出しそうになる度に、後ろに立つ給仕によって、さりげなく止められていたのだが、それに気が付く者はゲイル王国騎士団の中には誰もいなかった。
***
「そろそろ、感動の再会は終わっただろうか」
声に弾かれるように、ピリアは震えて立ち上がり、それを庇うようにレット以下騎士たちは王太子妃を背中へ庇うように取り囲んだ。
王城へ招き入れられた時も、晩餐室へ誘われた時も、アズノル側から剣を取り上げられることはなかった。
ゲイル王国の治安維持の為だという大義名分そのままに「我等はこの国を侵略に訪れた訳ではない。それを信じて貰おうとする側である故に、あなた方を疑ったりしない」そう言われてしまうと、レットの騎士としての誇りが、相手の言葉を穿って剣を持ち込むことを自らに許す気になれなかったのだ。
相手が空の手を差し出しているのに、握手を交わす手の反対の手で剣を握るなど騎士として恥ずべき行為だ。信義にもとる。
だから、勿論この場で戦う事になった時には、鍛え上げたこの身体だけが武器となる。
日々の鍛錬を怠った事は無い。
確かにこの数日は王都への移動に集中していた為、剣を振るうどころか手にすることすら無かった。
だが馬を駆るには筋力がいるのだ。十分鍛錬たり得る。
たとえ剣対素手の戦いとなろうとも、目の前の優男になど負ける気はしなかった。
睨まれている訳でもない、笑顔で闊達に告げられた言葉に、何故これほどの圧を感じるのかはわからない。
けれども腹の底に力を入れておかねば、勝手に足が後ろへと下がろうとするのを必死で止め置き睨み返した。
笑顔の睨み合い。
しかしそれは、柔らかな声が割って入ったことで終わりとなった。
「ありがとうございます。パスス殿下のお陰で、心強い方と再び会うことが叶いました」
頭を下げることなく、目を軽く伏せるのみで感謝を告げる。
パススがアズノルの王族であるならば、ピリアはゲイル王国の最後の王族だ。
頭を下げることはない。
けれども普通ならば、そんな建前は通らない。
絶対的な国力が同等ではなくなってしまったのだから。
それを軽やかに飛び越えて笑顔で返したピリアに、レットだけでなく一同が息を呑んだ。
「そうだろう、そうだろう。信のおける家臣というものは得難いものだ。大切にしなければならない」
ピリアの笑顔に毒気を抜かれたのか、パススから受ける圧が一気に霧散する。
その事にレットは安堵すると共に、改めてピリアという子爵令嬢でしかない少女が天才と名高いリタ・ゾールを退けてアルフェルト殿下の隣に相応しい令嬢として選ばれたのかを思い知った気がした。
――支えたいと思うと同時に、傅きたいと願ってしまう。
これこそが、正しき女性王族としての在り方なのだと心の底から震撼した。
「はい。彼等が支えてくれるならば、私は何でもできる、そう思います」
「……王族というのは孤独なものだ。茨の道を進むのならば、信じて共に進んでくれる臣下がいるということは幸いであるな」
にやぁ。
どこか粘度を感じる笑みを、パススは浮かべる。
その笑顔はまるで闇より這い出てきた地獄の使者のもののように、レットには見えた。
「そんな素晴らしい臣下に見守られてなら貴女はきっと幸せな美しい花嫁になれるだろう。ピリア・ゲイル殿下。ゲイル王国最後の王族である貴女をすぐ横で支える栄誉を、俺に与えて欲しい」




