【閑話】宰相はその失策にまだ気付かない・1
アルフェルト乱心前のお話。
「くそっ。また……まただ。また日程を決めようとしたのに、流された」
この数年、好調続きであったゲイル王国の対外交渉が、此処のところ難航していた。
始まりは聖王国との会談中に、王弟でもある大公閣下が体調不良を理由に会談が中断した事であった。
なにより相手は王族である。その方が体調を崩したとあっては中断を受け入れざるを得なかった。
『お大事になさって下さい。順調に快復され、お会いできる日を楽しみにしております』と連絡を返した後に、「会談の日程に合わせて体調くらい整えておけ!」と陰で毒づく程度のことしかできなかった。
それ以降、どの国との会談に対しても、延期の通告がされてきた。
挙句、次が決まらない。
そうしてとうとう、以前に締結した交易条約の期限が切れてしまいそうなものが出てきてしまった。
選りにも選って、この延期続きが始まった因縁の相手である、聖王国との交易条約だ。
現在締結されている条約は、ゾール侯爵令嬢の最初の外交功績となったものであった。
一神教を国教とする聖王国。神の遣いであったという言い伝えのある王族達は、師としての知識に長け、霊薬とまで言われるほどの効能の高い薬の処方を独占している。
作り方どころか、作った薬すら門外不出といわれ、その治療を受けたければ、彼の国へ三顧の礼を以て入国の許可を取り、言われるがままの生活と投薬治療を受けるしかない。
『この大陸で治せぬ病は恋の病のみ』だと謳われるその治療に興味を持たない者はおらず、ゲイル王国もなんとかしてこの国との国交を得たいとあの手この手で交流を図っている所であった。
だが、そう思っているのはゲイル王国だけではない。
近隣諸国のみならず遠い国からも、その霊薬を求めて交流を望まれる聖王国の態度は頑なで、会談の機会を得ることすら難しい。
ようやく順番が巡ってきた彼の国との会談を和ませることができるのではないかと、語学に優れ聖王国の言葉をも操れると噂になっていた彼の令嬢を、会談前の顔合わせの場に連れて行ったのだ。
聖王国の言葉は難解で有名だ。
他国の者には発音も、文法も、すべてが習得することが難しく、通訳はいつも聖王国側が用意した者頼りとなる。
宰相自身も、挨拶を言うのがやっとだ。何度も練習を繰り返して今度こそと挑むが毎回裏で笑われている気がしていた。
だから、どれだけたどたどしくとも、難しいとされる聖王国の言葉で未来の王妃として少女が通訳なしで挨拶できたなら、いつもあの国の用意した通訳による通り一遍となりがちな会談の場へ、一石を投じることができるのではないかと思ったのだ。
だがまさか、あれほど流暢に会話が成立できるとは思わなかった。
その後はトントン拍子だった。
実際の会談の場においてもゾール侯爵令嬢の参加が許されたお陰で、ゲイル王国側の通訳として聖王国の霊薬がどれほど自国で必要とされているのかを訴えることができた。
彼の国の不安についても熱意をもって取り払うと約束ができ、取り扱いについても直接、薬師から説明を受けることができたのだ。
勿論、この一連の会談における裁量権を持っているのは宰相本人である。
ゾール侯爵令嬢は、通訳としてサポートしていたに過ぎない。一文一文、ジョークを加えた会話のちょっとした機微に関しても、そこに宰相自身の意志と判断があり、彼女はそれを聖王国の言葉に直して自分にきちんと確認を取りながら会話を肩替わりしただけだ。
侯爵令嬢には正しく通訳者としての才があったということだろう。
そうして、ついに門外不出と言われた霊薬をゲイル王国へと輸入する許可が出た。
それを切欠として、二国間における交易は盛んに行われるようになり、蜜月といっても差支えのない関係が築けてきたと思う。
聖王国との交易が開始されたと知り、他国からゲイル王国との国交や交易に関する会談の申し入れが増えた。
そうして、ゲイル王国の未来は約束されたものとなった。
正直、誰も彼もが、幼き通訳者リタ・ゾール侯爵令嬢の参列を望み、彼の令嬢との伝手を得る為に会談を申し込んでいるような態度であるのは頂けないと思っていたし、「このような美しく聡明な令嬢が未来の王妃となれば、ゲイル王国の行く末は安泰ですな」と褒められるのは微かな苛立ちを生む。
確かに彼の令嬢は通訳者としては高レベルなのだろうが、実際の会談における責任を持っているのは宰相自身だ。
そこについては誤解されたくなかったし、政治家としての矜持を傷つけられた気がした。
なによりも、未来の王妃ばかりが近隣諸国へ輝いて、肝心の王太子殿下が陰に隠されてしまうような扱いを受けているのが腹立たしかった。
なにが「こんなに美しく聡明な伴侶を得られる王太子殿下は果報者ですな」だ。
まるでアルフェルト殿下がどれほど役立たずでも、横で支える者がゾール侯爵令嬢であれば大丈夫だと言われているような、我が国の王族を、未来の国王陛下となられる王太子殿下を軽んじる言葉と、それに強く抗議することもなくさらりと流して終わるゾール侯爵令嬢に対する不快さが積み重なっていく。
ひとつの国だけではないのだ。どの国の代表も、口を揃えて彼の令嬢ばかりを褒め讃える。
これは危険だ、と思った。
たかが通訳を任されただけで、これほどまでに増長するような者では先が思いやられるというものだ。
だから、国王に国に対して令嬢の功績は内密にすることを進言した。
そうは言っても大袈裟なことではまったくない。ただ国内にそれと知らしめることをしないだけだ。
勿論他国との会談に参加はさせる。
なにより相手方から指名が入るのだ。学園の授業と同等レベルの学問は既に修めているという話であるし、なにより活きた外交を肌で感じることができるのだ。その場に参加できるだけでも感謝するべきだと、その時の宰相は自分の判断に満足した。




