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 ほんとうならこのままゆっくりと朝まで眠るはず……だったのだが、夜中にふと、真由は目を覚ました。夢の中で規則正しい雨だれの音を聞いた気がして覚醒したのだが、どうやら雨は本当に降っているらしい。

 ワックス加工されたテントの上に、パツパツ、ポツポツと雨粒がはぜる音が聞こえる。

 都会育ちの真由は、こうしたテントで眠ることなど初めてだから、どうにも落ち着かない。

「お水が入ってきたりしないのかしら」

 テントの床はゴワゴワになるほどワックスを染み込ませた丈夫な帆布で、その心配はなさそうなのだが、それでもきちんとした家の床とは違う心もとなさが切ない。

 真由は、ここが自分の暮らしていた便利な『現代』ではなく、日常から遠く切り離された『異世界』であることを強く感じた。

 真由はどちらかといえば気楽な性質で、おまけにここ数日間はユーリウスの屋敷で大事な客人として客室を与えられていたのだから、雨風を気にするようなこともなかった。昼はセバスチャンがつきっきりで魔法の講義をしてくれたし、夜になればベッドに入るまで身の回りの世話をするためのメイドがついていたのだから孤独を感じることもなかった。

 しかし今、真由は明かり一つないテントの中で、たったひとりっきり……しかも雨足が強くなったのか、テントを叩く小さな音は絶え間ない。

 急に冷静な気持ちになって、真由は暗闇の中でつぶやいた。

「私、なんでこんな浮かれたことをしているんだろう……」

 元の世界に居れば、今頃の時間であれば……たっぷりと湯を張った浴槽に身を沈めてスマホで推しの二次創作サイト巡りでもしているだろうに……いま、真由は雨音しかない暗闇の中に投げ出されてひとりきり……。

 と、その時、雨音にまぎれてか細い声が聞こえた。

「真由さん、起きていますか、真由さん……」

 顔をあげると、分厚い帆布を透かしてぼんやりと明かりが見える。

「ユーリウスさん、ユーリウスさんなの?」

 表が雨であることを思い出して、真由は跳び起きた。そのまま簡易なカギを外して入り口を開けば、そこには傘をさしたユーリウスが立っている。彼が手にしたランプの光は暖かく見えた。

 ユーリウスが雨に濡れていないことにホッとして、真由はかすかに笑う。

「どうしたんですか、こんな夜中に」

 ユーリウスは困ったような顔でもじもじと身を揺する。

「あ、いえ……えっと……」

「具合でも悪くなったんです? 回復魔法、かけましょうか?」

「そうではないんですよ、ただ……」

「ただ?」

 ユーリウスは表情を隠そうとしたのだろうか、ぷいと横を向いた。

「ただ……あなたが泣いていないか心配だったから……」

 ランプの光は狭くって、彼の表情を照らしてはくれない。真由はかすかな焦燥を感じた。

「心配って……」

「だって、あなたは全く環境の違う異世界から来たばかりでしょう、なのに明かりのない夜にひとりきり……もしかして心細くはないのかと気になりまして……」

「私が起きていなかったら、どうするつもりだったの」

「それならそれで……あなたが幸せに眠っているなら、それでいいんです」

「ありがとう……ユーリウスさんって優しいのね」

 そっぽを向いたままの彼の耳が少しだけ赤いのは、ランプの中で燃える明かりが揺らいだせいだろうか……。

 それを確かめようと身を乗り出した真由の手に、ランプが押し付けられた。

「明かりです、使い方はわかりますか?」

「たぶん」

「私は……私だけじゃなくてセバスチャンも、すぐ隣にいます、大した用事じゃなくてもいいんです、もしも何かあったら、すぐに呼んでくださいね」

「ありがとうございます」

 言ってから真由は、これは少し他人行儀すぎたかと付け足した。

「あの、本当は少し寂しかったんです。だから、ユーリウスさんが来てくれてとても安心しました。だから……ありがとう」

 闇の中から、ユーリウスの優しい声が降る。

「眠れそうですか?」

「はい、ゆっくりと眠れそう」

「それは良かったです」

 雨をかき分けてユーリウスの手が延ばされる気配がした。しかしその手は、どこでとどまったのか、真由の頬に触れることはなかった。

 代わりに、飛び切り優しい言葉が聞こえた。

「おやすみなさい、良い夢を……」

 バツバツと傘に跳ねる雨の音が遠ざかってゆく。真由はその音に向かってつぶやいた。

「……おやすみなさい」

 なんだか不思議な感覚だ。遠ざかってゆく彼の背中にもうひとことだけ言葉をかけたいような、だけどその言葉が見つからないような……。

「なにこれ、今までの推しとは全然違う……」

 真由は生まれて初めて感じる感覚に戸惑っていた。

 今までの推しは画面の向こうにいて、自分とは全く違う世界にいた。指一本触れられない存在というやつである。

 しかしユーリウスは違う。もしもひとこと「さみしい」といえば、今遠ざかってゆく傘の音は振り向いて、もう一度ここへ来てくれるだろう。その時に自分から手を伸ばせば、あの血色の悪い頬に触れることもできる。

「やばい、なにこれ」

 キュンと胸を締め付けられるような気がして、真由はうずくまった。

「やばい、これ、ほんと、今までの推しと全然違う……心臓に悪いわ」

 それでも真由が彼を推すことは止めないだろう。

 ――だって、病弱な体をおしてまで他人を気遣う優しさって尊い。

 そう思いながら真由は、疼く胸元を強く、強く押さえた。


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