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推しが死ぬ女とすぐ死ぬ推しと  作者: アザとー
その日、推しが死んだ
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2

 次に真由が目を覚ました時、世界はすっかり変わっていた。

 何かの比喩表現ではない。全く見知らぬ家の、全く見知らぬベッドの中に、真由は寝ていたのだ。

 天井を見上げれば漆喰塗りに細やかなフレスコ画を描いたもの、真由の感覚では『大聖堂』とかの天井に施されているレベルの細工である。

 ベッドは真由があと5人くらい寝られるほど広くて、布団は溺れそうなくらいフカフカしている。

 壁も漆喰で塗られ、シンプルな木枠のガラス窓がはめられたこれは、世間でいうところのいわゆるファンタジー世界の風景である。

 真由は酔いの醒め切らぬ頭を振りながら起き上がった。

「あー、まだガンガンする」

 かすれた声で呟く真由の目の前に、水の入ったコップが差し出された。それも今風の薄いガラスではなく、海の浅瀬のように曇った青みのある分厚いソーダガラス製のものだ。

 水を差し出しているのは燕尾服を着た見目麗しい青年であった。

「どうぞ、レモンを絞ってあるので、酔い覚ましに良ろしいかと」

 真由がハッと目を見開く。

「やばい、推せる」

 実は真由、執事に弱い。おまけにこの青年、真由の好みドストライクの黒髪クール系美青年である。

 なんといっても短く切りそろえた髪を丁寧に撫でつけてあるのがいい。清潔感もあり、理知的に見える。

 物腰柔らかく腰が低いのもいい。いかにも高貴な主人に使える格の高い執事という風情だ。

「でも、だめ、私はもう、誰も推さないって決めたんだから」

 フルフルと頭を振って拒絶する真由に、青年は優しく微笑みかける。

「なんのお話ですか、オスとか押さないとか」

「あ、いいえ、こっちの話」

「しかし、いきなり見知らぬ場所に連れてこられたのに、随分と落ち着いてらっしゃるのですね」

「え、だってこれ、夢でしょ?」

 青年の笑顔がわずかに曇り、少し困ったように眉がハの字に下がった。

「いいえ、夢ではございません」

「うそぉ、夢だよお、酔って寝たのがよくなかったのね、こんな生々しい夢を見るなんて」

「夢かどうか、確かめてみましょう。少々古典的な手ではありますが、失礼いたします」

 青年は細い指を伸べて真由の頬をつねった。

「痛い!」

「ね、夢ではございませんでしょう?」

「ゆ、夢じゃなければ、これ、なんなのよ」

「召喚です。私が召喚の陣と私の魔力でもって、あなた様を彼方の世界からお招きしたのです」

「え、待って、待って、異世界転生ってやつ? もしかして私、死んじゃった?」

「いいえ」

 彼は軽く片手を掲げて中空にくるりと円を描いた。そこに光が浮かび、複雑な模様をびっしりと書き込んだ円陣を成す。

「召喚の陣でございます。これであなたの世界との行き来が可能になります」

「つまり、異世界転移?」

「そういった細やかなことは私にはわかりかねます、が、もしもあなたが望むのならばいつでもあちらの世界へお帰りいただけます」

「じゃあ、帰して!」

「まあまあ、その前に私の話を聞いてはいただけないでしょうか」

「はなしって、なに?」

「なぜ、あなたを召喚したか、です」

 青年は真由に向かって実に柔らかい物腰で手を差し伸べた。

「どうぞこちらへ」

 真由が一瞬言葉を失ってフリーズしたのは、美しい青年がにこやかに手を差し出す姿が乙女ゲームのスチルのようだったから。

 しかし青年はいかに美しかろうとゲームの登場人物ではなく、その背景がいかに現実離れしていようとも、ここは空想の世界などではない。

「いかがなされました? まだお加減が?」

 青年の声に真由はハッと飛び起きてベッドから這い出した。

「いえ、大丈夫、あの、そんな、手を貸していただくなんて恐れ多い、です」

「そんなに緊張なさらなくても」

 青年は小さく微笑んで、真由のために部屋の扉を開けてくれた。

 部屋の天井の見事なフレスコ画や、執事がいることからおよその予想はしていたが、どうやらここは普通の家ではないらしい。

 廊下は遥か向こうまで、先が見えないほど長く続いている。その廊下には細かな柄を織り込んだ毛足の長い絨毯がびっしり敷き詰めてあって、いかにも『屋敷』といった風情である。

 真由は恐る恐る絨毯の上に足を踏み出した。

 青年は、そんな真由をみて「くくっ」と笑った。

「なぜそんなに怯えているんですか、ここにはあなたに害をなすものはいませんよ」

「い、いや、だって、こんな高そうな絨毯の上を歩くなんて……」

「面白いことをおっしゃいますね、絨毯は歩くためのものですよ」

 青年はさらに声を上げて笑う。この笑顔はヤバい、と真由は思った。

 黒髪だというだけで真面目そうに見えるというのに、おまけにこの青年はその黒髪を寝癖の一つもないように綺麗に撫で付けて、いかにも優秀な執事然とした風貌である。切れ長の目元は少し鋭く、薄い唇はともすれば酷薄な印象を受ける、いわゆる完璧なクール系キャラの特徴を全て兼ね備えているのである。

 その彼が無邪気に声を立てて笑う、そのギャップがたまらない。

「推せるわ……」

 真由の呟きに、青年が不思議そうな顔をした。

「『押す』のですか? 私を?」

 真由が慌てて両手を振る。

「ち、違うの、押すとか推すとかの話じゃなくてね……」

 この話題はできれば避けたい。真由は軽く咳払いをして話題を変える。

「ええ、えへん、それより、私をこの世界に召喚した理由を教えてくれるんでしょ?」

「そうでした、実はあなたに救っていただきたい方がいるのです」

「救うって、私、なんの力もないわよ?」

「いいえ、あなたはこちらとは異なる世界からこちらへいらしました。二つの世界は物質の構成すら異なる、つまりこちらとは全く違う元素で出来上がっているはずなのです」

「よくわかんないけど、元素が違うとなに?」

「こちらの世界へ顕現する際、元素の置き換えが起こります。例えばあなたの世界で炭素と呼ばれる元素はこちらではクロームストという同列異形の元素に変換されるのですが……」

「ご、ごめん、もっとわかりやすく」

「そうですね……あなたはこちらの人間と見た目的には全く変わらぬ姿ですが、元素レベルで異質な存在であるということです。特に違いがあるのは総魔力量ですね」

「ご、ごめん、もっともっとわかりやすく」

「もっとですか? そうですね……この世界の外からヒトを召喚すると、この世界のヒトよりも強い魔法が使えるようになります。私たちはいま、この世界のヒトでは使えないレベルの魔法を必要としている、だからあなたをこの世界に召喚したのです」

「うん、わかった。いや、わけわかんないけど、意味は理解した。つまり私に魔法を使わせたいのね」

「その通りでございます」

「でも、私、魔法なんて使えないし、使い方も知らないよ」

「それはおいおい、私めが教えて参りますので……あなたが思っているよりも魔法とは単純なものであり、特にあなたには回復の魔法を中心に覚えていただく予定ですので、詠唱も難しくはありません」

 異世界に召喚されるという受け入れ難い状況を真由がするりと受け入れたのは、彼女が隠れオタクとして普段からアニメに親しんでいるからだろう。真由はなにも迷うことなく答えた。

「つまり、私を回復術士にしたいのね」

「その通りでございます」

「この世界には、回復術士はいないの?」

「いえ、いますが……私たちが必要としているのはただの回復術士ではなく、死者をも蘇らせるほどの超回復術士なのです」

「なるほどね、だからこの世界の人ではない私を召喚したのね」

「察しが早くて何よりです」

 彼は一枚の扉の前で足を止めた。

「この中に、あなたを回復術士として召喚した理由があります。覚悟はよろしいですか?」

「なに、覚悟って、怖いなあ、もしかして中を見ちゃったら、もう帰れないとか?」

「いえいえ、あなたが望むならいつでも元の世界にお還しいたしますよ。こういったものは、当人同士の相性というものもありますから」

「なんだか、お見合いみたいなことを言うのね」

「そうですね、近しいかもしれません。何しろこれから長く共に旅をしていく仲間となれるかどうか、その顔合わせでございますから」

「待って、待って、じゃあ、中に誰かいるってこと?」

「はい、当家三十六代目当主、勇者ユーリウス様がおられます」

 ここまでの状況を冷静にするすると受け入れてきた真由も、勇者という言葉を聞いては流石にテンション爆上がりである。

「勇者⁈ 本物の勇者?」

「ええ」

「うわー、うわー、どうしよう、つまり、私、勇者パーティの一員として召喚されたってことよね!」

「ん、まあ、そういうことになりますね」

「えー、やっぱり勇者っていうくらいだから良き筋肉の健康派マッチョ?」

「あ、えー……」

「なによ、その歯切れの悪い返事は」

「ともかく、先に顔合わせと参りましょうか」

 彼は静かにドアを開いた。

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