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推しが死ぬ女とすぐ死ぬ推しと  作者: アザとー
その日、推しが死んだ
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『BERカサブランカ』は小さな店である。

 小さな扉を開けるとこじんまりとしたカウンター席が、これは五人が座れば満席になってしまう。

 体を横にして通るほど狭い通路を通ってカウンター席を抜けると、おもちゃみたいに小さなテーブルセットが一つ、置いてある。ボックス席はここだけ。

 もっとも東京にはこのくらいの小さな店はごまんとある。だからカサブランカは特別な店ではなく、都内のどこにでもあるようなありふれた店なのだ。

 特別なことが一つだけあるとしたら、秋葉原から歩いて神田へ抜ける途中にあるという立地だろうか、この店の客には『隠れオタク』が多い。

 つまり普段はきちんとした社会人としてオタクっ気の欠片も見せずに神田から会社に向かい、会社帰りにちょいと足を延ばしてアキバの街をうろついた後、帰り道にあるこの店に立ち寄るわけだ。

 今日も店のカウンターにはOL風のきちんとしたスーツを着た女性が二人、アニ○イトで入手したらしき特典付きBがLする本を開いて楽しく談笑している最中であった。

 そこへドアを開けて新たに入ってきた客――これがこの物語の主人公、花咲真由である。

 彼女は憔悴しきっていた。紺色のタイトなスーツを着ているが、ジャケットのボタンはすべて外して、中に来た薄青色のシャツもよれよれである。いつもきちんとしている彼女にしては珍しいことだ。

 カウンターの中に居るマスターはもちろん、二人の女性も常連客であり、真由とは顔見知りだ。だから彼女の様子を一目見て、驚いた声をあげた。

「真由、どうしたの!」

 真由の方はメイクのはげかけた顔で弱弱しく笑う。

「推しが……」

「え?」

 真由の両眼から、大粒の涙がボロリとこぼれた。

「推しが……死んだ」


 推しという言葉がわからない人のためにちょっと解説――推しというのは他の人にもお勧めしたくなるくらい大好きな人のこと。

 大好きとはいっても恋人というわけじゃなく、例えばアイドルだったり、例えばアニメのキャラだったり、遠くから尊みを愛でる対象に対して使う言葉である。

 真由の推しは『バディ2030』という近未来ポリスアクションマンガの主人公……ではなく、その相棒を務める東條慎也という黒髪切れ長クールキャラ。

 つまり現実の誰かが死んだわけではなく、ただ漫画のキャラが今週の連載の中で殉職してしまったというだけの話なのだが。


 普通の人であれば「マンガのキャラが死んだくらいで」と笑い飛ばすところだろうが、ここはアキバに通う隠れオタクたちが集うバーなのだから、誰も真由のことを笑ったりはしなかった。

 むしろ自分の推しが死んだ日のことを――オタクであればだれでも、作品中で一番推しているキャラが死んでしまうという経験をしているものである――その時の感情を思い出して、真由を優しく店の中へ迎え入れた。

「献杯ということで、いっぱいおごるよ」

 そう声をかけてくれたのは、頭の禿げあがったマスターだ。

 真由はカウンター席に座ると、涙声で言った。

「じゃあ、彼が好きだったお酒を……ドライマティーニをお願い」

「ああ、いいともさ、いま作ってやるからさ」

 二人の女性客はBがLする漫画を閉じて、真由の隣に席を近づけた。

「なんていうか……ご愁傷さま」

「バディ2030だっけ、今週はまだ読んでないんだけど、東條、死んだの?」

 真由が涙をこらえて頷く。

「ええ、相棒を助けるために……燃え上がった山小屋に飛び込んで……壮絶な殉死だったわ」

「ま、まだ死んだって決まったわけじゃないんでしょ、ほら、あのマンガって、死んだと思わせて犯人を追い詰めるって作戦、前にやったじゃん」

「それがね……燃えおちた山小屋の中から発見された遺体を主人公が確認するシーンがあってね、相棒の印であるIDタグを大事に握りしめていて……間違いなく……『間違いなく慎二です』って主人公が……ううっ」

 真由がわっと声をあげて泣き出すから、二人の女性客はかける言葉に困って黙り込んだ。

 ここで、よせばいいのに、マスターが余計なひとことを。

「真由ちゃんさあ、高確率で推しが死ぬよね」

「そうなの、私、推しが死ぬ女なの!」

「てかさあ、真由ちゃん、主人公じゃなくってライバルキャラが好きじゃん、そのせいもあると思うんだよね」

 確かに主人公に対して執着を見せる、なおかつ主人公を深く理解しているライバルキャラというのは『身を挺して主人公をかばい、そして死ぬ』の代表だ。

「あとさあ、師匠キャラ? 主人公に思いを託して死んでいくみたいな、そういうパターンに良くハマるよね」

「だって、厳しいフリしていながら、本当は弟子をずっと見守っているとか、尊いじゃない」

「俺思うんだけどさ、そういうキャラ推さなきゃいいんじゃない?」

「そういうもんじゃないの! 推しっていうのは! 恋と一緒で、いつの間にか沼に落ちているものなの!」

 女性二人は、この奇妙なたとえがツボにはまったのか、大真面目な顔で大きく頷いた。

「わかる、わかるわぁ」

「真由ちゃん、今日は慎二の弔いよ、とことん付き合うから、とことんのもう!」

 こうして真由は二人を相手に『推しの思い出』を語りながら飲んだ。

 ここで足元が怪しくなるほど飲み倒したことを責めてはいけない。確かに他の人から見れば『漫画のキャラが死んだだけ』であるが、推しが死ぬというのは、現実の人間が死ぬのとはまた違った喪失感があるのだ。

 例えば『バディ2030』は、すでに半年間、連載が続いている。その間にアニメも一期作られた。キャラクターグッズも作られていて、真由は推しのグッズを血眼になって買い集めた。

 そこまで何かに傾倒するというのは一種の癒しである。漫画の世界に没入し、推しのことを考えている間は日常の苦労も悩みも忘れていられる。仕事で疲れて帰っても、家にずらりと並ぶ推しグッズを眺めていれば疲れも和らぐ。

 そこまで入れ込んでいたものが、ある日、突然すっぽりと喪失してしまう、それが『推しの死』というものである。

 その喪失感に喘ぎながら、真由は足元が怪しくなるほど飲み倒した。あまりに真由がフラフラしているものだから、マスターも二人の女性も心配して、タクシーを手配してくれた。

 真由がそのタクシーに乗ってようやく家に帰りついた時には、すでに日をまたいでいた。

 家賃四万円のボロアパート、ちゃちい鉄製の外階段を這うように上って二階に上がる。ドアのカギを開けるのに少してこずったのだけれど、ようやく、真由は自分の部屋に帰りついて上がり框にぺたんと座り込んだ。

「はあ……明日から、何を楽しみに生きていけばいいの……」

 下駄箱の上には『バディ2030』のミニキャラクターフィギュアがずらりと並べてある。愛しの慎二はいつでもその姿が拝めるようにと、他のキャラクターよりも手前に飾られていた。

「慎二……」

 その名を呼んで、真由は顔を覆って泣き崩れる。

 思えば真由の推し遍歴は不遇である。

 最初に好きになったキャラクターはロボットアニメのカッコイイベテランパイロット。彼は主人公のピンチを救うために自機ごと敵に体当たりして宇宙の藻屑となった。

 中学校の頃好きだったのは少女漫画の、ヒロインにひそかに思いを寄せる幼馴染くん。まさか少女漫画で人死には出ないだろうと舐めていたら、ヒロインに告白をしようと決意した矢先に事故であっさり死んでしまった。

 他にも……ともかく真由は『推しキャラが死ぬ女』なのだ。

「もう……もう、だれも推さない……」

 小さな声でつぶやいて、真由はバスルームへと向かった。

 あれだけ飲んだ後だから、吐く息だけではなく体臭までアルコール臭い。ともかく酒のにおいを洗い流したいとバスタブに湯を張る。

 その時、耳元で誰かがささやいたような気がした。

「おやおや、お酒を召し上がった後での入浴は、危険ですよ」

「だれ?」

 振り向いても、誰もいるわけがない。

「さすがに……飲みすぎたかな」

 真由はぐわんぐわんと音がするほど痛む頭を押さえてしゃがみ込んだ。

 そして……それっきり、意識を失ってしまったのだった。


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