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「またこんな危ないことをして!」
ひときわ大きな怒声はユーリウスのものだ。普段はなよなよとか弱い彼が本当にこんな大きな声を出せるのかと真由が思うほどに、その声は大きい。
「わかっているのか、セバス、なぜ魔族領へ行った!」
テントの外で、真由は首をひねる。
(あれ? 魔王領ってすごく遠いんじゃないっけ?)
「君があまりに人間離れした魔法を使うから、屋敷の人間は君を疑っている」
(ああ、なるほど、理解理解、つまり魔法でビューンと魔族領ってところまで行ってきたのね)
今度はセバスチャンの声が聞こえた。ぷうっと頬を膨らませた様子が目に浮かぶような、少しすねた声。
「大丈夫だ、行商人に会ったということにしておいたし」
(いやいや、それ、めっちゃ嘘くさいって疑われてましたやん)
ついに、ユーリウスの深いため息が聞こえた。さらにはエッチな同人誌で聞きそうなセリフが。
「セバス、私は別に、怒っているわけじゃないんだ。ただ、君のことをとても心配しているだけなんだよ」
(知ってる! 私知ってる! これってセバスチャンさんが『俺の心配をしてくれたのか』……キュンって絆されちゃうパターン!)
しかし現実は同人誌にあらず、セバスチャンのガチギレ声が。
「なんだよ、心配って! 心配してるのは俺の方だよ!」
(ああっ、喧嘩は、喧嘩はダメぇ!)
真由は思わずダダッと駆け出し、テントの凛音入口布をめくった。それは無我夢中のうちの、無意識の行為であった。
「喧嘩はダメぇぇぇ!」
テントの中には無数の花が咲き乱れ、二人の美青年が花に埋れて立っている。その二人ともが……突然飛び込んできた真由の剣幕に驚いてキョトンと立ち尽くしていた。
真由の方は、自分が推しに対してこんなにも軽率であったのかと、やはり立ち尽くしている。
今までの推しは二次元世界ーーつまり画面の向こう側にいる架空の人間だったせいもあるが、例えば諍いが起きてもそれは「後から仲直りセッ○スをするための布石、むしろご馳走様です」みたいな尊みの感情しかわかなかった。
しかし今、実際に目の前にいる二人が言い争う声を聞いていると、こう……今までの推しには感じたことのない焦燥感が体の奥から湧き起こってきたのだ。
真由自身でさえ、その焦燥感の正体を知らない。だからトンチンカンなことを口走った。
「わ、私、ハピエン過激派だから!」
セバスチャンがふっと眉間を押さえて顔をしかめる。
「また難しいことを言いますね……」
ユーリウスの方はやや積極的に、真由に尋ねる。
「なんですか、そのハピエン過激派って」
「え、ええと……」
真由の方は言い訳のためにノリと勢いで言った言葉だ、深い含蓄などあろうはずもなく、それでも話の辻褄を合わせなくてはならないというピンチに陥ってしまった。
「つ、つまりですね、私、ハッピーエンドしか認めないんです、それもバッドエンドになったら暴れかねないくらいのアレなんです」
「あなたの望むハッピーエンドって、なんですか?」
「それは推しが仲良く手を取り合って、いつもニコニコ愛し合って暮らす世界を……」
「んん、待ってください、それ、もしかして私とセバスチャンが愛し合うってことですか?」
「ええ、そうですけど?」
ユーリウスはここで初めて、真由の言っていた『応援します』の意味を知った。
「つまりあなたは……私とセバスチャンの恋を応援すると?」
「はい、もちろん!」
「ええと……あなたのいた世界では同性同士で愛し合うのが普通なのですか?」
「あ、いえ、普通ではないです。ないですけど……」
「大丈夫、男女の愛が普通であっても、まれに同性を愛してしまう人のいることは承知しています。しかしこの世界ではそうした方は少数派ですし、私自身、恋愛の対象は女性なのですが?」
「あう、あう……わかっています、わかっているんですけど……」
返事に困って、ついに真由は黙り込んでしまった。
それを見たユーリウスは、深いため息とともに言葉を吐き出す。
「私が男らしくないからですか?」
「へ?」
「私が男らしかったならば、あなたも、まさか私をセバスチャンの恋人だなどと間違えなかったのでしょう」
青白い顔を深く伏せて、泣きそうなほどに震えた声。ユーリウスは深く深く傷ついている。
ここにきて真由はやっと、自分がどれほど罪深いことをしていたのか気づいた。
画面の向こうにいる架空の存在は、どれほどエグいエロ妄想のネタにしても傷つかない。だが実在する者は違う、自分が妄想のネタにされることに不快感を抱くかもしれないし、ユーリウスのように深く傷ついてしまうこともある。
真由は震えながら謝罪の言葉を口にした。
「ご……ごめんなさい、私、ちょっと浮かれすぎてた……」
ユーリウスはなにも答えない。深く顔を伏せたまま、身動ぎもしない。真由は言葉を続ける。
「あの、ユーリウスさんが女顔だからとか、全然思ってないです、むしろ私、ガチガチの男同士の絡みも好きじゃないけど、メス顔の受けってのもさほど好みじゃなくて……」
なんだか言えば言うほど言っていることが怪しくなる。これも腐女子の哀しい性。
「私的にはキレモノの美青年が陥落させられて彼氏の前でだけメス顔っていうのがめちゃくちゃ好みなんです!」
セバスチャンが大声を上げてまゆの言葉を遮った。
「マユさま!」
「な、なに?」
「そのくらいにしておいてください」
「え、なに、もしかして私、変なこと口走ってる?」
「それもですが、ユーリウスさまが……」
「ユーリウスさんが?」
「……死んでます」
「ええっ!」
振り向いた真由が見たものは、がっくりと首を垂れて座り込んだユーリウスの姿だった。その姿ーーまるで燃え尽きるまで戦ってリングの隅に座り込んだボクサーの如く白っちゃけて穏やかな顔をしている。
「ゆ、ユーリウスさん、ユーリウスさん!」
「まゆ様、揺すってはいけません、早く回復を!」
「あ、そ、そうか、高回復!」
ユーリウスがパチリと目を開けて顔を上げる。
「河原にいるおばあさんに、服を脱がされそうになりました」
それ、三途の川の河原なのでは……
セバスチャンがユーリウスの足元にひれ伏した。
「ともかく、この薬を飲んでください。その後でなら、どんな罰も受けますから」
「別に罰を与えたいわけじゃないよ、薬はもちろんいただくよ」
真由もおずおずと頭を下げる。
「あの、ごめんなさい、なんか、ともかく、ごめんなさい」
ユーリウスは、少し困った気持ちで真由を見た。