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海賊王の娘と森の国の王子  作者: 権田 浩


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64.灰色狼(2)

 ドルイドの案内でエリアスは森を抜けた。石の隙間から雑多な草が生えているだけの荒野にざわざわと流れる一本の川、それを道しるべとしてドルイドの一団は北へ向う。目の前にそびえる巨大な山脈の始まりを思わせる緩い登り坂を進んでいくと、やがて川の上流に大きな立石が見えてきた。一つだけ天から落ちて来て地面に突き刺さったような岩が谷間の入口にあって、川を二股に分けている。〈灰色狼〉の本拠地の入口といえば、その大岩あたりが適当だろうとドルイドが言った。川岸に寄り集まって休憩していると、大岩の向こうからぬっと馬の長い鼻面が出てきて、次いで馬上にいる黒髪の男が現れた。ばしゃばしゃと水を蹴散らして馬首を巡らす。「来い。ただしお前だけだ。若いの」エリアスが指名されているのは明らかだ。六尺棒(クォータースタッフ)を突いて立ち上がり、男の馬を追う。


 谷の奥へと入るためには川の中を歩かねばならない。流れは緩く、深くもないため苦労はないが、これが唯一の入口ならば隠れ谷と言えるだろう。六尺棒(クォータースタッフ)を杖代わりに川から上がって渓谷を眺めたエリアスは、目の前の光景に一瞬緊張感を忘れて見入ってしまった。巨石が両岸に積み上げられたような、凹凸のある階段状の谷。家や畑や家畜小屋が段をなし、谷の両側をつなぐ橋が三つ渡してあった。それぞれの段差間は渡り板や、人工の坂道で行き来できるようにしてある。森や平地の集落しか知らないエリアスにとって、この立体構造はとても珍しかった。女性や子供の姿も当たり前のようにあって、建物の数から推測するに百人くらいは生活しているだろうこの集落に、野盗の根城という雰囲気はほとんど無い。要所にある柵は防衛用というより転落防止のためだろう。


「おい」男はエリアスの注意を引き、馬を巧みに操って急な坂道を上った。さらに板を上って一段上へ、橋を渡って反対側へ。ここまで馬を乗りこなす北方人は珍しく、感嘆せざるを得ない。眼下の川岸には馬の囲いもあって、仔馬もいる。


 反対側へ渡れる最後の橋の手前で男は馬から下り、エリアスを先導して一番奥にある丸太小屋へと向かった。「ここで待て」男に促されて室内に入る。四角いテーブルと椅子が四つあるだけの、がらんとした小さな部屋。奥へ続く扉が二つあって、どちらも閉まっている。背後で扉がバタンと閉められて、一瞬閉じ込められたかと慌てたが、仮にそうだとしても今更なんだというのだろう。落ち着け、と自分に言い聞かせながら椅子の一つに座って六尺棒(クォータースタッフ)を抱える。しばらく呆然としていたが、テーブルの上に残る黒い染みが血の跡のように見えてしまって気になり、においを確かめてほっとした。ソースか何かだ。血ではない。


 ここまでは上手く行っている。あとは〈灰色狼〉が話を信じるか否か。北方人から信用を得るにはとにかくビクビクしないことだ。エリアスは目を閉じてあらゆる事態を想定し、心を身構えさせた。まず自分を痛めつけてから話をさせることもあり得る。剣で脅されるだけならまだしも、どこかを刺すか斬るかして話し終えたら治療してやるとかいう展開さえ、あるかもしれない。たとえどうなっても、話す段になって恐れを見せてはならない。


 突然、入口の扉がバンと開いて黒髪の男が入って来た。間髪入れず残り二つの扉も開いて同じように男たちが入って来る。三人の屈強な男がエリアスを囲んで見下ろした。心構えをしていたエリアスは腰を上げずに胸を張って相手の出方を待つ。一人が手を伸ばして六尺棒(クォータースタッフ)を取り上げ、最後に奥の扉からのっそりと巨漢が入って来る。


 第一印象はブルンドだった。外見はソールヴ。嫌な思い出が不安を増長させる。今はやめてくれ、とエリアスは自分の心に懇願した。肩まである黒髪にも、雄牛のような鼻の下の髭にも、白い房が三割ほど混ざっている。目元は力強いが、瞳の奥にひょうきんな光を宿していて、それもソールヴを連想させた。胴回りもあの老人と同じくらいでっぷりしているが胸や肩はがっちりしていて逞しい。壮年の巨漢はドンとテーブルに手を付いて椅子を引き寄せ、エリアスの対面に座った。じっと瞳を覗き込む。目を逸らすな、とエリアスは自分を戒める。


「ドルイドには見えねぇな。名前は?」


「エリアスと言います」


「立派じゃねぇか。豪族みてぇだ」


「はい。僕はドルイドと行動を共にしていますがドルイドではありません。正嫡ではありませんが、父はアードリグのヨルゲンです」


 壮年の男は髭と肩を揺らした。周囲の男たちからもくっくと笑いが漏れる。


「面白れぇ。で、そのヨルゲンの息子がなんでドルイドといる。何しにこんな所へ来た」


「少し長くなりますが、全てお話しします。始まりは、〈血吸いヶ浜〉の戦いでした――」


 エリアスは本当に全てを話した。〈血吸いヶ浜〉の戦い、アウラとの出会い、二人の計画、ソールヴとブルンドのこと、その後の戦いと結末、そして四王の成立まで。窓の外は薄暗い白夜の空のままだが、もう夜になっている頃合いだろう。


「――そして、四王はその場でドルイドの排除を決めたそうです。もちろんこれには四王の成立を世に知らしめ、見せしめにするという意図もあるでしょう。僕と妻はファランティアのドラゴンと竜騎士の力を借りて、ドルイドと共に〈世界の果て山脈〉を越えて〈極北の地〉へと脱出しようとしています」


 エリアスを囲む男の一人が堪えきれないというふうに声を弾ませた。「すんげぇ作り話だ。ノウスが〈大地の館〉へ召し上げてもおかしくねぇや」


 壮年の巨漢が黙れというように手を払ったので、一同は笑いを飲み込んだ。「どうしてここに来たのか、まだ話してねぇだろ」


 ごくりと唾を飲んで乾いた喉を湿らす。「提案というか取引というか。同行しているドルイドは北方に残りたがっています。彼らを受け入れてもらえるなら、そちらで合流を希望する方を〈極北の地〉まで連れて行ってあげます」


「連れて行ってあげます、だとよ。なんで俺らが」さっきの男がまた声を弾ませた。黒髪の男の声音はより真剣だ。「ドルイド討伐軍だと? 敵を連れてきたのか?」


 壮年の巨漢――今やこの男が頭領なのは明らかだが――は、せり出した腹の上で太い腕を組み、あご髭を鷲掴みにした。「うろたえるな、トリスタン。どうせ、ここが見つかるのは時間の問題だった。王を名乗る他の連中とエドヴァルドが同盟を組んだってんなら、やつもケツの心配をしなくて済むってもんだ。本気で探しゃあすぐだぜ。俺たちは大きくなりすぎたし、ここに根を張りすぎた」


 その言葉にエリアスは目を丸くする。「それは……つまり、僕の話を信じてくれたのですね」


「……ああ、信じる」


「本気ですか!?」周囲の男たちが素っ頓狂な声を上げた。


「作り話にしては手が込んでるし、こいつがエドヴァルドやら四王やらの手下で俺たちを騙すために単身乗り込んできたような野郎に見えるか? さっきから必死に脚の震えを抑えて、ビビってるのを隠そうと必死じゃねぇか。こいつに死ぬ覚悟なんてねぇし、それに……」巨漢はエリアスの目を覗き込んだ。「帰るべき場所がある。そういう目だ。そうだろう?」


 エリアスは目を逸らさずにうなずいた。


「一つ聞かせてくれ。それならなぜ一人でここまで付いて来ちまったんだ。捨て身が過ぎねぇか。俺たちがお前を信じずに殺すかもしれねぇし、信じたら信じたで、お前を捕らえてヨルゲンに下るかもしれねぇだろう」


「殺すつもりならわざわざここまで連れてくる必要がありません。それに僕は交渉材料にもなりません。ヨルゲンがあなた方の要求を受け入れた場合、僕は偽物として処刑され、あなた方は四王の約定に従いエドヴァルド王に引き渡される。自ら首を差し出したりはしないでしょう?」


 巨漢は鼻で笑った。「ふん、それは自分を安心させるための理屈だな。答えになってねぇ」


 図星を指されて言葉に詰まる。しかしどのみち、エリアスにできるのは正直に話すことだけだ。「そう、ですね……一人で来たのは……理由は……僕は信じていたいのです」


「何をだ?」


「自分自身を。僕は自分で信じたことを疑わない強さが欲しい。世界中がそれを白だと言っても、黒だと思ったなら黒だと言える自分でありたいのです」


 巨漢は堪えきれないというふうに吹き出した。「ぶははっ、なるほどな。そりゃあ小僧の言い草だ。ただ意地を張ってるだけってことだぜ。はははっ」


 笑いながら壮年の巨漢は部屋を出て行った。他の男たちも続き、最後に黒髪の男が「お前はここから出るな」と言い残していった。


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