表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海賊王の娘と森の国の王子  作者: 権田 浩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/75

19.アウラの帰郷(1)

 トレグから提供されたスケイルズ船を男たちは早速調べ始めた。竜骨に歪み無し、ほぞ継ぎはしっかりしている、コーキングが必要な個所はない、タールは乾いている――カティヤも全く知らないわけではないものの、彼らに比べれば素人同然。手伝えることといえば荷物運びくらいだ。


 準備はてきぱきと進み、遅い日没が迫る中、船はトレグボルグを離れてゴルダー河の支流に出た。スケイルズ人にとっては陸で一夜を過ごすよりも船上のほうがずっと安心できるのだろう。浮き桟橋を離れて無愛想な少年が釣りをしていた中州島を通り過ぎたあたりから河幅はぐんぐん広がっていく。海と川が出会う河口付近は白っぽい波が立ち、独特の臭いがした。夏の〈鉄の海〉本来の深い青色になるまで、スケイルズ船は休まず櫂走を続ける。


 やがてトレグボルグが遠く波間に見える黒い大地の一部となった頃、アウラは漕ぎ手に櫂を上げさせた。濃い潮の香のする南風を帆が受けている。それはスケイルズ人にとって故郷の風であり、懐かしい香りだった。これまでむすっと不機嫌な顔ばかりだった彼らも笑みを見せる。


 ソールヴの農場からこれまで、アウラは船長のように振舞ってきた。スケイルズ人たちは彼女の指示に反抗こそしないものの、しぶしぶ従っているという感じだったが、ここまで安全に皆を率いて船まで調達し、こうして海上に出られたのは彼女のおかげだ。どんな頑固者でもそれを認めないわけにはいくまい。


 沈んだはずの太陽がしぶとく水平線に薄明を残す中、アウラが決めた順番に従って男たちは思い思いの姿勢で横になり始めた。実際にはもう深夜だ。やがて太陽は水平線を手放し、世界を星と月に譲り渡した。この時間帯の海は真っ暗で、ドラゴンの視力を借りなければ何も見えない。硬い床板と軋む船体だけがこの世に残された唯一確かなもののように暗闇の中を漂っている。もし潮騒と波の揺れが無かったら、船の外には虚無の空間が広がっていると言われても信じられるだろう。


 カティヤは舳先で船に身を任せながらスケイルズ人を見張っていた。足元で眠るアウラのすぅすぅという寝息と繰り返される波が、夢の中へと意識をさらっていこうとする。交代で寝ることになっているが、時間が来ても起こすつもりはなかった。ここまで来て一番安心しているのは誰あろう彼女だ。気を張って無理してきたのも知っている。


 白夜が近づいていなければとうに天上にあるはずの月が、やっと水平線から頭を出した。柔らかな光の帯が夜の波間に揺れ、孤独な船を微かに縁取る。当番の男が身動ぎし、スケイルズ人の一人が寝がえりをうった。カティヤは心中身構えたが、それ以上の動きはない。


 このままいけば明日の夜にはスケロイ島に到着する。エリアスと婚約したアウラを裏切り者と見做して夜の海に葬ろうとするなら機会は今夜しかない。竜騎士とドラゴンがアウラを守っているのはわかっているはずだからそのような暴挙に出るとは思いたくないが、そうなればカティヤはアウラを守るために戦うしかなくなる。もしそんな事になってしまったら、ファーンヴァースはどうするだろう。カティヤはちらりと反対側の舳先にいる灰色の影に目をやった。人間の姿をしたドラゴンは僅かな月明かりにも映える純白の毛髪をローブの中に隠して頭を垂れている。眠っているのか起きているのかは分からない。


 竜騎士になってからこれまで、諫めたり、小言を言ったり、警告したりはあってもファーンヴァースがカティヤの行動を強引に阻止したことは一度もなかった。彼は常にカティヤが望むものを与えてくれる。その背に乗って空を飛ぶ権利や、竜語魔法や、超人的な力や、一〇〇〇年だか二〇〇〇年だかで得た知識と経験などの――つまり、他人の気分や都合によって人生を侵されたり奪われたりしない〝力〟だ。その代償として彼女は自らの命を捧げた。それは比喩的な意味ではない。ドラゴンが死ねば竜騎士も死ぬが、竜騎士が死んでもドラゴンは健在である。これを不公平と思う者もいるだろう。しかし、自分の命さえ満足に全うできないこの世界でそれがなんだというのだ。


 カティヤは生涯を共にすることを決定づけられているドラゴンから目を逸らし、いまだ水平線から離れようとしない月を見つめてふと疑問に思った。それならどうしてドラゴンは人間を竜騎士にするのか。ドラゴンにとって背に乗せる人間が必要、とは思えない。


(まあ、そのうち暇な時にでもファーンヴァースに聞いてみるか。竜砦(ドラゴンキープ)に戻ってから……いやそれならブラウスクニースのほうがいい。彼女のほうが話しやすい)


 ファランティア王国の空に浮かぶ砦とその中で身を丸くした金竜の姿を思い浮かべながらカティヤは膝を抱えて顔を沈めた。もし反乱を企てている者がいるなら、隙を見せれば行動を起こすかもしれない。しかしそれは無意識の言い訳だった。疲労と暗闇と心地よい揺れが、あっという間に彼女を夢の世界へと連れ去った。


 はっとしてカティヤが顔を上げた時に見えたのは、日の出を前にして燃え立つ水平線と揺れるスケイルズ船。そしてスケイルズの男たちと、その向こうにいるファーンヴァース。足元ではアウラがすやすやと寝息を立てている。ほんの一瞬、目を閉じただけのはずなのに。


『ファーンヴァース?』


 心の中で呼びかけると、すぐに反応があった。『どうした?』


『あんた起きてたよね?』


『うむ』


 なら、なんで起こさないんだよ――と言いかけて止め、かわりに早朝の潮風を吸って大きなため息に変える。


『あたしが寝てる間、何も無かった?』


『何も無かった。何かあれば起こしていた。そうしなければ君は怒るだろう』


 ファーンヴァースと思念を交わしながら、背中を伸ばして両手を広げ、こわばった筋肉の痛みに顔をしかめる。鮮やかな青色に変わりつつある空を見れば、アウラを起こすはずの時間がとうに過ぎているのは明らかだ。それも、言い訳のしようがないほど。カティヤは覚悟を決めてから、アウラの肩を揺すって起こした。


 案の定、その日の午前中はアウラの機嫌が悪かった。カティヤが気を遣って交代の時間に起こさなかったのが原因だが、それでも彼女は船の指揮を執って、交代で食事をさせ、仕事を割り振り、詳しい者に陸地の形を見てもらいながら進路を定め、故郷のスケロイ島を目指した。彼女が不機嫌でいられなくなったのは、午後になって〈大海蛇の歯(サーペントトゥース)〉が見えるようになってからだ。


 〈大海蛇の歯(サーペントトゥース)〉は大小いくつもの岩礁がまるで歯のように並び立つ地形に付けられた名で、そこから北はスケイルズ諸島の領域と見做されている。しかし安心すべきではない。そこは熟練した船乗りでなければ越えられない難所なのだ。天に向かって伸びる牙のような形をした見上げるほど大きい二つの岩の間が最も広いが、一年中大渦が出来ていて通れない。他の岩の間は海面下に岩礁が潜んでいて、乗り上げれば簡単に座礁してしまう。船底を傷つけてしまったら、どの陸地にもたどり着けず沈没する危険性もあった。


 海鳥の糞で白く染まった岩々と、そこに住まう鳥たちの姿が見えたのは幸運だ。もう一つの危険が、今は無い事を意味しているからだ。〈大海蛇の歯(サーペントトゥース)〉には度々、シー・ハーピーが住み着く。その度にスケイルズ諸島の人々は船団を組んで、この不気味な魔獣を退治しなければならなかった。人間の女性によく似た胴体と頭部を持ちながら、その他の部分は猛禽類のそれであるこの魔獣は、見た目どおり死ぬ時には人間の女そっくりの悲鳴を上げる。その悲鳴を聞いてしまった者は子供を一人失う、と信じられていて、耳栓がなければ誰も戦おうとしない。いざとなればファーンヴァースと二人でシー・ハーピーを退治するつもりだったカティヤだが、その必要はないようだ。それならあとは邪魔をしないよう船の端で縮こまっているだけだ。


 アウラは〈大海蛇の歯(サーペントトゥース)〉を越えた経験のある船乗りを集めて意見を聞き、遠回りせずにこのまま通過すると宣言した。この時ばかりは一致団結しなければならない。船は大渦から右に四本目と五本目の牙の間を通り抜けるようだ。歪む海流に船の前後が流される。まっすぐに向かおうとするな、姿勢を維持しろ、海の男たちの激しい声が飛び交った。邪魔にならないよう船底で身を丸くするカティヤの頭上に〈大海蛇の歯(サーペントトゥース)〉の大牙が影を落とす。まるで塔のように大きい。夏の青空にくっきりと映える白い先端は、それが巨大なドラゴンの牙だと言われたら信じてしまいそうなほど圧倒的だが、実際には堆積した鳥の糞で、臭いも圧倒的だった。


 海鳥たちが無謀な挑戦者を応援しているかのように騒いでいる。船体と岩に当たって砕けた波しぶきがカティヤにさえ降りかかった。アウラが叫ぶ。「エスキル、合図は任せる!」


「直進! 合図待て! 引けぇ!」


「ヴェー、エックス、ハラー!」男たちは声を合わせてロープを引き、櫂を回す。


 船が見えない力に引き寄せられるような不吉な感覚の後、すぅ、と海面へ吸い付くようにして走った。安堵のため息が船員たちから漏れ、年長の男が若者に「よくやったな」と声をかける。それでカティヤにも〈大海蛇の歯(サーペントトゥース)〉を越えたのだとわかった。離れていく下顎しかない巨大な牙の列は、こちら側から見ればこの海を守っているようにも感じられる。人間の感覚など都合の良いものだなと思いながら姿勢を楽にしてアウラを見ると、男たちが「なかなかの船長ぶりでした」と彼女を称えていた。


 そうして難所を越えたアウラの船は順調に進み、白夜の長い夕暮れの中、スケイトルムのあるスケロイ島が見える距離までやって来た。


 スケロイ島は主要な一六の島々からなるスケイルズ諸島の中で、最も東に位置する最も大きな島だ。カティヤたちのいる南側から見ると岩崖が視界の端から端まで続き、まるで上陸を拒む壁のように見える。西日がそこにくっきりと影を作り出しているせいで、まるでノコギリの歯のようだ。島は西部に行くほど高く、その頂点はいつ噴煙を上げるか知れないスケイ山の頂。山は冷えて固まった溶岩と岩石だらけで、決して人の住みやすい環境ではない。そのため、スケイトルムの中心は山の麓から中央部の低地へと移りつつある。スケイトルムという名は本来、この天然の要塞の中に建てられた塔を指すものだった。場所さえ知っていれば、南側からでも岩山の合間にその先端を探せる。


 スケイルズ人にとって、この海は勝手知ったる我が家の庭。アウラが指示しなくとも、船は島の北側へと回り込むべく、東側を迂回する進路を取った。


 島の東側はでこぼこした地形で谷や沢もあり、所々にまっすぐ伸びる針葉樹の森が点在している。そこはかつてスケイルズ諸島で最も大きな森林だったが、木材目当てに伐採が進み、今では剥き出しの地面を晒している場所も多い。スケイルズ諸島で木材は貴重だ。多くの木材を持った者が多くの船と鉄の武器を手にする。ゆえに、この島を支配しようと豪族たちは相争い、結果として最も強き者が支配者となってきた。


 〝その全てを継承するのがお前だ、アウラ。お前は最も強き者に連なる女王となるのだ〟


 かつてエイリークはこんなふうに言っていた。きっとアウラはそれを誇らしく思い、そして相応しくあろうと努力したのだろう――。


 朱色に燃える太陽が水平線をじりじり焼きながら沈むのを拒んでいる間に、船は島の影の中を滑るように通過して北側に出た。島の北側は南側に比べれば上陸しやすい。ぐねぐねと入り組んだ海岸線は複雑だが小さな入り江は天然の港になるものもあるし、島の中央部は低地になっていて、そこへ引き寄せられた細長い入り江には砂浜もある。


 低地を眺めると、夕焼けの琥珀色とスケイ山の影で二色に分けられた草原を移動する白い点の集まりが見えた。放牧されていた羊たちが追い立てられて家へ帰っていくところだ。柵の向こうでは黄金色に燃えるライ麦が揺れている。農具を持った人の長い影はまるでこちらに手を振っているかのよう。


 こうした風景は、カティヤが島を離れた三年前と全く変わっていなかった。今まで思い出そうともしなかった島の住人たちに、少しの罪悪感を覚える。


 やがて船は細長い入り江へと進入して、その一番奥にある桟橋までやってきた。そこはスケロイ島最大の港で、三年前にカティヤとアウラが別れた場所でもある。桟橋にはニシン漁から戻った地元の船と(いくさ)のために集まった他島の船とか混在し、陸では樽詰めニシンや他の海産物、野菜、肉などが取引されている。


 そんな日常の光景を見てやっと、男たちは安心したらしい。ため息を漏らす者、歓声を上げる者、アウラに感謝する者など、様々な表情を見せる。アウラは船の舳先に立った。


「皆の協力に感謝する。こんな事は言いたくないけど、ソールヴの農場でわたしに従うと誓ったのは覚えてるよね。下船後はわたしと王の館まで来て欲しい。その後は王の判断に従う」


 不満の声を上げる者は一人もおらず、全員がうなずいた。彼らはエイリークに忠誠を誓っているのだから王の判断を仰ぐのは当然だが、アウラが期待しているような支援者となってくれるかまでは、その表情を見てもわからなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ