11.フィニとカティヤ
昨日の今日でエリアスがまた向かって来ていると知ったフィニとアウラは慌てて準備をした。彼女が〈古き川の泉〉へ向かったのと入れ違いにエリアスが到着したので、フィニは彼女を探すふりをして時間稼ぎをしなければならなかった。
「あー、すみません。見当たらないですね。いつもの〈古き川の泉〉かも?」
「そうか。行ってみる」
エリアスは先日も同行していた背の低いずんぐり男をその場に残して泉へ向かった。なんとかなった、とため息をつきそうになってフィニは堪えた。すぐ隣にはエリアスの護衛らしき男が立っている。ちらりと横目に見ると、その視線に気付いたのかずんぐり男も反応して目が合った。黙って視線を逸らすのも気まずい。
「あの、えっと……付いて行かなくても?」
「来るなってんだから仕方ないでしょう。ここで待ちますよ」
ずんぐり男は前回同様に地面から露出した大樹の根に座った。腕を組んで文字通り丸くなる。話しかけるなという雰囲気だった。フィニは僅かに肩をすくめてその場を離れた。周囲には他のドルイドの目もあるので、男を見張っている必要はない。
大樹の根元まで戻り、洞穴に入ろうとしたところで太い幹の陰にカティヤがいるのに気付いた。ずんぐり男がこちらを見ていないのを確認してさっと駆け寄る。彼女は腕を組み、幹に背を預けたまま「魔法、間に合ったの?」と声をかけて来た。
「間に合った。でも、これからは常に準備しておいたほうがいいだろうな。あの王子いつ来るかわからないから」話しながらカティヤの隣に座り込む。「しかし一体どういうつもりなんだろう。まさかエルネッドの正体がバレてる、なんてことはないだろうし、何を企んでいるのやら……」
「企んでいるのはアウラのほうかもね」
「へっ?」と、フィニはカティヤを見上げた。
大樹の落とす影の中、フードを目深に被った彼女の表情は隠されている。冗談なのか、本当に何か計画があるのか。続く言葉を待っても、カティヤはそれ以上何も言わなかった。
「ところで、こんな所にいてもいいのか?」その問いには二つの意味がある。一つは、姿を見られたらまずいのではないか。もう一つは、アウラを見ていなくていいのか。カティヤはそれを察したらしい。
「大丈夫でしょ。今日はここを探りに来たわけじゃないみたいだし。アウラのほうはファーンヴァースが見てるし」
「昨日はあんなに心配していたのに、何かあったのか?」
彼女のそっけない言葉尻にフィニは思ったままを口に出してしまった。カティヤの足がフィニの上腕をばしっと叩く。「いてっ」と一応は抗議したが、実際にはそれほど痛くない。
「……アウラと会ったの、三年ぶりだったんだ。その三年の間に、あたしはファランティア王国に行って竜騎士になって色んなものを見たり聞いたりして学んだけど、あたしの中のアウラは別れた時のままだった。自分だけが三年間を過ごして帰って来たみたいに思ってたんだろうね。もちろんそんなわけないんだけど、アウラと話して、気付かされた。彼女には彼女の事情があって彼女の考えがある。もしかしたら昨日あの娘を救った時点であたしの役目は終わったのかもしれない。これ以上はお節介なだけかも」
「へぇ、意外――」またもや、思ったままを口にしそうになってフィニは自制した。
「何がよ?」
フードの奥から向けられる彼女の視線に圧力を感じて、仕方なく話す。「――いや、君ってもっと傍若無人ていうか、他人の事情はお構いなしでズカズカ入り込んでいく感じだと思っていたから」
また足が飛んでくるかと身構えたが、来なかった。
「……それ、あんたには言われたくないわ。普通、知り合ったばかりの相手にそういうこと言う?」
カティヤの口調は呆れたという感じで怒ってはいなかったので、フィニは少し安心した。怒らせるつもりはない。
「うん、まあ……コラン以外の人と話すのに慣れてなくて、つい……。コランなら何を言っても大丈夫だったからさ」
「そういや、そう言ってたね。ずっと二人きり? 両親は?」
フィニは灰色の髪を左右に振った。「わからない。生きているのか死んでいるのか、どこの誰なのかも。君と最初に会った場所の話、覚えているかい?」
「〈ドルイドの木〉だっけ。その木の洞の中にいる人はドルイドの助けを求めている、とか何とかの?」
「そうそう。俺はその洞に置き去りにされていたんだ。まだ物心ついてない赤ん坊の頃だから覚えてないけど。コランが俺を見つけて育ててくれた」
「それは運が良かったね」というカティヤの言葉は同情よりも驚きの色をまとっている。孤児はそれほど珍しくないが、森に捨てられて面倒を見てくれる人に拾われるのは珍しい。普通は野獣の餌になるか、自らも野獣のように生き延びるかだ。
「君のほうは……ああ、いや、ごめん。詮索する気はない」
また考え無しに口にしてしまって、フィニは自分の言葉を散らすように手を振った。カティヤは口元に手の甲を当て、肩を揺らせて小さく笑う。
「ふふ、やっと人との接し方を学び始めたみたいだね。まあ別にいいよ。秘密にするようなもんでもないし。あたしのほうは、もう物事がわかる年齢でさ――」カティヤは彼女の生い立ちを簡単に語った。
――カティヤはアード地方の森の中の小さな家に長女として生まれた。柵に囲まれた家、数匹の家畜、鳥小屋に畑、全てがこじんまりとしていたが一家が生活するぶんには何とかなっていた。獲物に恵まれたある年、一家は全員で市に出掛ける。そこはゴルダー河の支流の一つに面していてスケイルズ船が航行できるような川だったから、市にはスケイルズ人も来ていた。彼らが最初から略奪するつもりだったのか、取引に問題があってそうなったのかはカティヤにもわからない。ただその夜、襲撃は行われた。
スケイルズ人たちは市に火を放ち、人々を片っ端から殺していったという。そんな虐殺はめったにあるものではない。彼らを率いていたのがスケロイ島の島主にしてスケイルズ諸島の王たるエイリークの嫡子イヴァルで、その最初で最後の遠征になったことは無関係ではないだろう。
目の前で家族を殺され、焼け落ちた小屋の下敷きになろうとした時、カティヤはファーンヴァースによって救われた。
ファーンヴァースはイヴァルの遺体をエイリーク王のもとに届けて、その見返りとしてカティヤを養育するよう求めた。森の中に遺体を置き去りにされていたらイヴァルの魂は大地の神か客人の神に委ねられてしまう。大海の神を奉ずるスケイルズ人にとっては魂を救ったのも同然だから、相応の見返りといえよう。
そういうわけでカティヤはエイリーク王の養女となり、アウラとともに成長した――。
話を聞き終えて、フィニは疑問を口にする。「どうして、ファーンヴァースは君を助けたんだろう」
「あの夜のことはぼんやりしていて……よく思い出せないんだけど、彼が何か質問してあたしが答えた。それであたしに興味を持ったみたい。今でもいちいちあたしの考えを知りたがる。どうしてそうしようと思ったのか。なぜそうするのか。もう事あるごとに」
「ふーん、それって……君に恋した、ってこと?」
「はあ!?」
カティヤはずんぐり男に聞こえるのではないかというほど素っ頓狂な声を上げ、身体を折り曲げて「くっくっく……」と笑いを堪える。なんだか馬鹿にされているような気がしてフィニはむっとした。
「なんだよ、そんなにおかしいか?」
「ふふっ、いや、その発想は無かったなって……くく」
指で涙を拭いながら笑う彼女の表情は思っていたより幼くて可愛らしく――そこでフィニは顔を背けた。
「ごめん、ごめん、別に馬鹿にしてないよ、フィニ。ふふっ」
「好きなだけ笑えよ」
笑いを堪えて身体を揺らす彼女の気配を感じながら、フィニは赤面しただけで、今回ばかりは思ったことを口にしなかった。




