表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
五十六歳の研究者、中学生から人生をやり直す  作者: 正宗


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

91/92

第九十一話:自分の道

夕食を終え、温かいお茶を飲んで一息ついていた居間で、忠夫は静かに口を開いた。


「父さん、母さん。話があるんだ」


新聞を広げようとしていた父が手を止め、顔を上げた。


「なんだ? 急に改まって」

台所で食器を片付けていた母も、居間へ戻ってくる。


忠夫は、二人を真っ直ぐに見据えた。


「……進路のことで、話したいことがあるんだ」


和雄は口元をわずかに緩めた。


「そうか。行きたい高校が決まったのか?」


忠夫は、ゆっくりと首を横に振った。


「……高校には行かない」


一瞬の静寂。


和雄の口元の緩みが、そのまま凍りついた。


和雄はしばらく息子の顔を見つめていたが、やがて困惑したように尋ねた。


「……高校に行かずどうする気だ?」


「今の研究を続けたいんだ。東芝との開発もある。高校へ通えば、どうしても時間は減るし、制約も増えるから」


「……時間と、制約だと?」


和雄の表情から困惑が消えた。


代わりに浮かんだのは怒りだった。


そして湯飲みを座卓に叩きつけるように置いた。中のお茶が激しく跳ねる。


「ふざけるな!」


和雄の怒鳴り声が、居間に響いた。


「お前が特許を取り、巨額の資産を作ったことは認める。だがな、ビジネスや研究なんていつどうなるか分からないんだぞ! すべてが紙切れになった時、お前を最後に守るのは『学歴』という社会の最低限の保証だ!」


「……だから代わりに大検を受けて、大学受験資格は得るつもりだよ」

忠夫は和雄の目から逸らさずに答えた。


「そういう問題じゃないのよ、忠夫!」

佳子が身を乗り出し、悲痛な声で訴えかけた。


「お金や資格のことなんてどうでもいいの。あなたはまだ十五歳なのよ。制服を着て、学校に通って、友達と笑い合う……そんな普通の青春を過ごしてほしいの。……なのに毎日、大人みたいな顔をして難しい図面ばかり見て……いつか忠夫がどこか遠くへ行っちゃいそうで、お母さん、怖いのよ」


佳子の目には、涙が滲んでいた。


忠夫は二人の顔を見た。


普通の青春、という言葉が胸の中で転がった。


高校へ行き、大学へ行く。それがどこへ続いていたかは、もう知っている。


忠夫は、静かに、だが確固たる声で言った。


「母さん。これが、僕の青春なんだ」


佳子が言葉を失った。


和雄はしばらく忠夫を睨み続けていた。


やがて低い声で言った。


「……本気なのか」


「本気だよ」


忠夫は迷わず答えた。

和雄の眉がぴくりと動く。


「高校生活は、人生に一度しかないものだ……それでもか?」


「それでもだよ」

忠夫は静かに答えた。


長い沈黙が居間を支配した。


和雄は、目の前に座る息子を食い入るように見つめていた。だが、その瞳に宿る決して揺るがない光に、やがてゆっくりと目を閉じた。


そして、体の中の空気をすべて吐き出すような、長く重いため息をついた。


「……勝手にしろ」


「あなた!」

佳子が弾かれたように声を上げるが、和雄はそれを手で制した。


そして、忠夫へ視線を真っ直ぐに向けた。


「だがな、忠夫。決めたからには全力でやれ。いいな」


忠夫は深く頷いた。


「わかった」


それを見た佳子は涙を拭い、震える声で言った。


「……体だけは大事にしなさい。忠夫」


「……ありがとう、父さん。母さん」


忠夫は畳に両手をつき、深く頭を下げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ