第六十一話:取材の日
1983年、8月10日。
佐伯家。
朝から蝉の声が絶え間なく続いていた。
居間の柱時計は、まもなく十時を指そうとしている。
先日の電話で約束した時間だった。
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ピンポーン。
玄関の呼び鈴が鳴る。
「来たか」
忠夫が立ち上がり、玄関へ向かった。
戸を開けると、紺のスーツ姿の男が深々と頭を下げる。
「月刊マイコン編集部の中山と申します。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
年の頃は三十前後。
肩から鞄を提げ、脇にはノートを抱えている。
「どうぞ、上がってください」
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居間に通されると、中山は座布団の上で姿勢を正した。
忠夫も向かいに座る。
「本日はお時間を取っていただきありがとうございます」
「いえ」
中山はノートを開き、表情を仕事のものへ切り替えた。
「早速ですが、現在ファミコン向けに展開されている“テトリス”について、少しお話を伺えればと思いまして」
一拍置き、柔らかく続ける。
「こちらは、以前弊誌で広告をご掲載いただいた作品ですよね」
忠夫は小さくうなずいた。
「ええ。あの頃はマイコン向けでした」
「やはりそうでしたか。編集部でも気づいた者がおりまして」
中山のペン先が走り始める。
◇
「販売店などを回って取材しておりますと、少し普通ではない話が出ていまして」
「普通ではない?」
「ええ。普通なら、目当ての商品が無ければ、別のゲーム機を買っていくものです」
中山はノートをめくった。
「ところが最近は違うそうです。
『ファミコンが入荷したら連絡してください』
『次に入った分を取り置きしてください』
そう言って帰る客が増えていると」
忠夫は黙って聞いていた。
「その理由の一つとして、“テトリス”の名前が何度も挙がっています」
「店頭のデモ機の前から人が途切れない。
見ていた人が、そのまま本体ごと買っていく。
子供だけでなく、大人まで順番待ちだそうです」
話を聞いていた佳子が、思わず声を上げた。
「そこまでなんですか?」
「ええ。正直、編集部でも驚いています」
中山は忠夫へ視線を戻した。
「佐伯さんご自身は、この人気の理由をどうお考えですか?」
忠夫は少し考え、静かに答えた。
「難しいことはしていません」
「はい」
「誰でもすぐ分かること。そして、もう一回だけと思って続けてしまうところ……でしょうか」
中山はノートから顔を上げた。
「……なるほど」
◇
その後も取材は続いた。
個人開発から法人化に至るまでの経緯。
マイコン版からファミコン版へ移した理由。
家庭用に合わせて手を加えた点。
発売直後の反響について――。
忠夫は質問ごとに、必要なことだけを簡潔に答えていく。
気づけば柱時計の短針は十一時を回っていた。
「……失礼、つい長居をしてしまいました」
中山は苦笑しながらノートを閉じる。
だが、その手を止め、最後に顔を上げた。
「最後に一つだけ」
忠夫が視線を向ける。
「この先の展望を、お聞かせください」
居間の空気が、わずかに変わった。
忠夫は少しだけ考え、静かに答えた。
「次に必要とされるものを作るだけです」
それ以上は語らなかった。
だが、その短い言葉の奥に、記者は妙な確信を感じていた。
この少年は、もう次を見ている。
◇
中山は立ち上がり、深く頭を下げた。
「今号は速報として数行になりますが、来月号では特集として、本日の取材内容を詳しくご紹介したいと考えております」
「こちらこそありがとうございました」
玄関先で見送ると、中山は何度も会釈しながら去っていった。
戸が閉まる。
忠夫は小さく呟いた。
「本当の勝負は、これからだ」
外では蝉が鳴き続けていた。
◇
1983年、夏。
一つのゲームが世間を騒がせるその裏で、
少年の視線は、すでに次へ向いていた。




