第六十話:数字が語るもの
1983年、8月初旬。
任天堂本社。
外では蝉が途切れなく鳴いていた。
だが、社屋の中を満たしていたのは、夏とは別種の熱気だった。
営業部の会議室。
長机の上には、全国の問屋、百貨店、玩具店から届いた販売報告書が積み上げられている。
担当社員が資料を抱えたまま、声を張った。
「発売から二週間――」
紙がめくられる。
「ファミコン本体、累計販売数は七万台を突破しました」
室内がざわめいた。
「七万……」
「想定より速いぞ」
「地方の追加注文も増えてます」
別の社員が続ける。
「特にソフトは『ドンキーコング』が堅調。それに――」
一拍置く。
「『テトリス』の動きが予想以上です」
会議室の空気が変わった。
「テトリス?」
「あのパズルか」
「ええ。報告では、店頭のデモ機の前から人が途切れないそうです」
資料には、各地の販売店から寄せられた報告が並んでいた。
・子供が遊び始めると親が横で見続ける
・親が買い物を忘れて対戦を見ている
・店頭実演をきっかけに、本体とソフトを同時購入する客が増加
営業部長が腕を組んだ。
「本体を引っ張るのが、まさかパズルとはな……」
自社開発の看板タイトルを凌駕する勢いに、部長は驚きを隠せない様子で呟いた。
誰かが苦笑した。
「しかも、対戦が熱すぎてあちこちでケンカになっているそうです。負けた子が悔しくてコントローラーを離さないんだとか」
「……はは、そいつはいい。そこまで感情が動くゲームなら、本物の証拠だ」
室内に、安堵と興奮の入り混じった笑いが起きた。
その時、上座に座る天童がわずかに笑みを浮かべた。
手元の報告書を閉じ、低い声で言う。
「面白い。……まさかあの時、佐伯くんが言うとったことが本当になるとはな」
一同が静まり返る。
山内の脳裏に、あの日の忠夫の顔がよぎった。
「理屈抜きに、人を夢中にさせる。……今はそれだけで十分やろ」
その言葉には、かつて中学生の忠夫が示した「未来」を、自らの手で現実のものにした経営者の愉悦が混じっていた。
「増産体制に入れ。盆前に勢いを切らすな」
即座に数人が立ち上がり、工場や物流への連絡に走る。
◇
一週間が経つ頃には、店頭からファミコンが消え始めていた。
「え、もう無いの?」
「次の入荷はいつですか」
玩具店の主人は、額の汗をぬぐいながら同じ説明を繰り返す。
「盆前にはもう一度入るはずなんだけどね……」
店先のデモ機では、今日も子供たちが歓声を上げていた。
負けた子が悔しがり、勝った子が胸を張る。
その背後では、買い物帰りの母親や仕事帰りの男たちまで足を止め、画面を見つめている。
一九八三年、夏。
ファミコンは、玩具の枠を越え始めていた。
◇
夕方の佐伯家。
ジリリリリリ!――。
重々しい黒電話の音が鳴った。
「忠夫、電話出て」
「わかった」
「はい、佐伯です」
受話器の向こうから、丁寧だが興奮を抑えきれない男の声がした。
『突然のお電話失礼します。私、月刊マイコン編集部の中山ですが――』
一拍置いて、声が続く。
『“テトリス”を作られた佐伯技術研究所さんに、ぜひ取材をお願いしたいのですが』
忠夫の手が止まった。
世間の熱狂が、ついに自宅の電話線を伝ってきた。




