第四十六話:産学連合の胎動
12月24日。冬休み初日。
世間がクリスマスの喧騒に包まれる中、忠夫は一人、本郷・東京大学の今川研究室のドアを叩いていた。
「失礼します、今川先生」
「……おお、佐伯君! 待っていたよ」
研究室の主、今川は、山積みの資料とコーヒーカップに囲まれながら、モニターに向かってキーボードを叩いていた。忠夫の声を聞くと、椅子を蹴るようにして立ち上がり、弾かれたように歩み寄ってきた。
「先生、お久しぶりです。まずは、山下さんを紹介していただいたお礼を言わせてください。ありがとうございました。おかげで、特許の包囲網は完璧に仕上がりました」
忠夫が丁寧に一礼すると、今川は照れくさそうに頭を掻きながらも、どこか誇らしげに言った。
「いや、いいんだ。それより、あの擬似SRAMはどうなったんだい? どこかのメーカーに持ち込むと言っていたが……」
今川は、はやる気持ちを抑えきれないといった様子で身を乗り出した。
「ええ。山下さんが東芝に持ち込みまして、無事契約できました」
忠夫が事もなげに答えると、今川は目を見開いた。
「それはすごい。東芝か……。なるほど、てっきり山下さんが昔勤めていたメーカーに持っていったかと思ったが」
「あそこ……ですか。最初に伺ったみたいなんですけど、どうやら『紛い物』だと門前払いされたみたいです」
忠夫は苦笑まじりに肩をすくめた。山下弁理士の古巣であり、当時の日本半導体業界で絶対的なシェアを誇る巨人。そのトップに拒絶されたという事実に、今川は一瞬絶句した。
「‥‥‥なるほど、それで競合の東芝に舵を切ったわけか」
「山下さんはプロですから。無理だと判断して、即座に東芝との交渉に切り替えたみたいです」
忠夫の言葉に、今川は声を上げて笑った。
「ははは! 流石山下さんだ。しかし、契約できたということは、東芝は擬似SRAMの価値を理解したということだな?」
「ええ。東芝は擬似SRAMに賭ける価値があると判断してくれたみたいです。今はまだ、彼らの設計センターでメインフレームが不眠不休のシミュレーションを回している段階でしょうが」
「なるほど、順調みたいだね。……実は、僕の方もやっと大学側からプロジェクトの承認が下りてね」
今川がいたずらっぽく笑いながら告げた言葉に、今度は忠夫が目を見開く番だった。
「大学側の承認……! それは、いよいよ本格的に動き出しますね」
「ああ。これまでは僕の個人的な研究の色が強かったが、これで『東京大学・今川研究室』の公的なプロジェクトとして予算も人も動かせる。年明けからは、他のメーカーへの呼びかけも正式に始めるつもりだ」
今川の声には、未来を拓く者特有の、静かな熱が宿っていた。
「‥‥来年が楽しみですね、先生。……1983年は、きっと面白い年になりますよ」
忠夫が静かな、しかし確信に満ちた声で告げると、今川は満足げに深く頷いた。




