第三十六話:秋葉原へ
東京駅のホームに降り立った忠夫は、財布の中身を確認した。
(二万円か……足りるか?)
秋葉原、電気街。忠夫が向かったのは、玄人向けの電子部品専門店『ラジオデパート』の二階だった。
秋葉原、ラジオデパートの二階。
「日立のHM4864-2を八個。それと……国産のディレイライン、20ナノと40ナノを一個ずつ。あと、航空電子の丸ピンソケットを十一個分と、テフロン被覆の銀メッキ線を一ロールください」
店員の手が止まった。
「……おい坊主、丸ピンソケットに銀メッキ線だと?ミサイルの誘導装置か何かでも作る気か?子供が趣味で使うもんじゃねぇぞ」
「……接触不良やノイズでデータが化けるのを、部品のせいにしたくないんです。これは『実験』じゃなく、『証明』ですから‥‥それと領収書を」
忠夫は迷わず予算を使い切った。精密部品と銀メッキ線による信頼性。それこそが、後の特許係争でメーカーの技術者を屈服させる絶対条件だと知っていたからだ。
購入品
• HM4864-2(150ns)× 8個: 9,000円
• 専用ディレイライン(20ns/40ns)× 2個: 6,000円(高精度なタイミング生成の核)
• 航空電子製・丸ピンICソケット一式: 1,500円
• 両面ユニバーサル基板 & 銀メッキ配線材: 1,400円(高周波特性の追求)
• 16MHz水晶発振器 & 高品位パスコン: 1,500円
• 合計: 19400円
十九時、秋葉原駅。電気街のネオンが滲み始めていた。
滑り込んできた電車の車内で、忠夫は窓の外に流れる夜景を見つめながら、頭の中で配線図を反芻していた。
精密なディレイラインを二個。それは、信号をコンマ数ナノ秒単位で制御するための「時間の定規」だ。これでDRAMの宿命である「リフレッシュ」を、CPUから見えないタイミングに押し込む。
最初の夜は、地味で過酷な「配置」と「電源ライン」の構築に消えた。
忠夫は、将来のLSI化を見据え、チップ間の距離を最短にするレイアウトをミリ単位で決定していく。銀メッキ線を一本ずつ、ピンセットで直角に曲げ、基板の裏側に這わせる。
「……ふぅ、まだ電源とグランドだけか」
深夜一時。ようやくDRAM八個分の電源ラインが網目状のグリッドとして張り巡らされた。この「面」としての接地が、後に致命的なノイズを殺す鍵になる。
二日目の夜。アドレスバスとデータバス、そして心臓部である「ディレイライン」の配線に入る。
銀メッキ線は高周波特性に優れるが、テフロン被覆が硬く、剥くたびに指先に鋭い痛みが走る。
深夜二時。全配線を終え、最初の通電。
「……READY」
画面は出た。だが、メモリテストを開始した瞬間、画面が激しく明滅し、暴走した。
「……反射波か。くそっ、これでも足りないのか」
銀メッキ線の伝送速度が速すぎて、信号がチップの末端で跳ね返り、論理を乱している。現代のシミュレータなら一瞬で判明する問題だが、ここでは指先の感覚と、自作のロジックプローブだけが頼りだ。忠夫は全ての信号線に、数百度のハンダごてを当て直し、波形を整えるための終端処理を施した。
三日目の夜。忠夫の目は血走り、右手はピンセットの使いすぎで感覚が麻痺していた。
だが、その手つきは初日よりも研ぎ澄まされていた。
RASとCAS、そしてリフレッシュ要求のタイミング。
ディレイラインから出る信号を、わずか数ナノ秒単位で微調整していく。
「……ここだ。この『15ナノ秒の隙間』に、リフレッシュを叩き込む」
午前二時。三度目の起動。
画面には、一点の曇りもなく「PASS」の文字が、延々と流れ続けた。
「ノイズは……死んだ」
基板は、銀メッキ線が整然と並ぶ工芸品のような姿をしていた。
(……この配線の迷路、ノイズ対策、タイミング調整。これを全て1チップに集積する。外からはSRAM、中身はDRAM。……『擬似SRAM(PSRAM)』の誕生だ)
忠夫はハンダごてのスイッチを切り、重い瞼をこすり。
(……物理的な証明は終わった。……次は、特許だ)




