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後編 「救済」

 窓が開いている。そこから、ぼんやりと黄金色の光を放つ橋が、遥か遠くまで真っ直ぐに伸びている。その終点には橋と同じ色で、誰かを招き入れるように眩いばかりに光り輝く、巨大な門がある。いや、形状だけ見れば、門というよりは穴と言う方が相応しいか。


「さようなら……」


 私は光の門に向かって一言そう呟き、ドアを閉めた。心がざわつく。今までこんな事はなかったのに。やはり私は間違っていたのだろうか? こんな事をしても、無意味なだけなのだろうか?

 ……切り替えよう。いつ次のお客様が来るか分からない。お釣り用の通貨を用意して、金額設定もしなければいけない。それに、お子様用のメニューも、やはり作っておいた方が良さそうだ。私が子供は来てほしくないと願っても、それは叶わないのだから。

 そんな事を考えているうちに、スイングドアが開かれ、男の人が入店してきてしまった。こんなどんよりとした顔で迎えるわけにはいかない。私はすぐに笑顔に戻った。


「いらっしゃいませ~」


「……邪魔するぞ」


「お、お父さん!?」


 お客様だと思った男性は、私の父だった。父は入るなり、店全体の内装を見回した。コツコツと足音を鳴らしながらカウンターに近付き、そのままカウンター席に腰を下ろす。


「ふむ、なかなかいい店じゃないか」


「あ、ありがとう」


「せっかくだ。酒を1杯頂こうか」


 私は階段を早歩きで下り、カウンター内に戻った。確か父の好みはウォッカだったか。それの入った瓶を酒棚から引き抜き、グラスに氷を入れてから注いだ。


「どうぞ」


「うむ」


 父がグラスを受け取り、ゆっくりと味わうように飲み始める。仕事中だろうに、お酒なんて飲んでいいのかと思ったが、父が酔っ払っているところなんて見たことがないという事を思い出した。


「いきなり来るからビックリしたわ」


「そろそろ店が出来上がっている頃だと思ってな。様子を見に来たんだ。本当はもっと前から近くにいたんだが、若い夫婦が入っていくのが見えたから、邪魔しては悪いと思って待ってたんだよ」


「その少し前に、幼い女の子も来てたわ」


「知っている。もう送ったのだろう?」


「……ええ」


 再度父がグラスに口を付け、そのまま全部飲み干した。一息ついた父が私を見上げ、心の奥底まで射抜くような眼差しを向けてくる。父のことは好きだし尊敬もしているが、こうして向かい合うのは未だに苦手だ。


「墜落事故だった」


「え?」


「さっきの親子だよ。私はたまたま一部始終を見ていた。エンジントラブルがあったようで、機体は街のど真ん中に墜落、そして炎上。搭乗客の生存者は当然ゼロで、墜落地点付近にいた街の住民達も大勢死んだ。酷い有様だった」


「……」


 大方予想はついていた。若い親子3人が同時にこちら側へ来た時点で、乗り物の事故か何かだろうと。そしてマリンの父の話を聞く限り、飛行機には乗ったがワイアム島には到着しなかった。となると、もう墜落したとしか考えられなかったのだ。


「それにしても、まさか街中に落ちたなんてね。道理で、今日は『人』が多いわけだわ」


「そうだ。今店の外にいるのは、ほとんどがその犠牲者達だ。我々案内人は、速やかに彼らを導いてやらなければならない。それこそ文字通り、事務的にな。行き場を失った魂が消滅してしまう前に。だから、のんびりと彼らと話をしている暇はないのだ。前にもお前に言ったことだがな」


 咎めるような父の視線と口調。私は目を逸らしたくなるのを、ぐっと堪えた。目を逸らしてしまえば、自分が間違ったことをしていると認めてしまう気がしたからだ。


「あの親子の肉体は、墜落の衝撃でもはや原形を留めてすらいない。帰ろうにも魂の器がないのだ。冷たい言い方になるが、お前が今回やった事は無駄な努力だったという事になる」


「……でも、毎回無駄になるとは限らないわ」


 普段は父に口答えなどしない。しかし、私にもどうしても譲れない物はある


「死者の中には、あともう一踏ん張りで現世に帰る事が出来たはずの人も、きっと少なからずいるはずよ。現世にはこんな楽しい事がある。こんな美味しい食べ物がある。待っている人もいれば、やり残した事だってあるはず。それを思い出させれば、踏みとどまる人も中には出てくるかもしれないわ」


「前例はない。いわゆる仮死状態からの蘇生というのはあり得ない話ではないが、少なくとも魂がこちら側の世界に来てしまった時点でそれはほぼ絶望的だ」


 父は不機嫌そうにグラスに残った氷を口に流し込み、ガリガリと噛み砕いた。


「案内人の仕事は死者の蘇生ではない。この生と死の狭間の世界で漂う人間の魂を、死後の世界へ導くことだ。違うか?」


「……そうだけど」


 何も言い返せない。父は正論しか言っていないからだ。この店だって私がワガママを言って、父のコネで建てさせてもらったようなものだ。そうでなければ、こんな事が死神様に許されるはずがない。


「お前は案内人になるには優しすぎた。だから私は、お前が私と同じ案内人になると言いだした時、やるのならあくまで無感情に事務的にやれと念を押したのだ。死者に情がわいてしまうと、仕事がやりづらくなるだけだ。今のお前のようにな」


 見抜かれている。父は何もかもお見通しだ。店を出す許可を出したのも、どうせすぐに辛くなって止めると思っての事なのだろう。事実、あの親子は初めてのお客様としては、些かヘビー過ぎた。

 寿命で死んだのなら、私だっていちいち気に止めたりしない。しかし今まで何十億人もの魂と接してきて、さっきのマリン親子のように、どうしても死に納得できない者も大勢いたのだ。


 きっかけは今から約200年前に、サンディというマリンと同い年ぐらいの少女を送った時だ。送った後で、私は何となく思い立って現世までサンディの遺体を見に行った。

 遺体には大した外傷もなく、病魔に冒されているわけでもなかった。何で死んでしまったのか分からないぐらいに、サンディの遺体は綺麗だったのだ。

 サンディの両親は、サンディの棺に突っ伏して泣いていた。それを見た私の心を、罪悪感が襲った。それと同時に疑問も湧き起こる。

 私はいつも通りに送ってしまったが、私の対応次第では、サンディの命を救う事が出来たのではないだろうか? 毎回流れ作業のように死者達を死後の世界へ送ってしまっているが、本当にそれでいいのだろうか?

 その疑問は私の中でどんどん膨れあがり、店を出して死者と話す場を設ける事を思い立った。父にその事を話すと、最初はやはり当然の如く突っぱねられた。しかし諦めずに何度も何度もお願いする事で、ようやくここまでこぎ着けたのだ。それなのに、たった1度の失敗で諦めるなんて真っ平ごめんだ。


「もう少しだけ続けてみるわ。案内人が死者を救った事例はない。それなら、私が先駆者になれるかもしれない。そしたら、大発見よね?」


 私は少しだけおどけた口調で言った。父は呆れたように鼻から息を吐き出し、席を立った。


「仕事の途中だ。そろそろおいとまさせてもらう」


「そっか。心配かけてごめんね」


「私の事は気にせんでいい」


 父はそのまま出口の方へ歩を進め、スイングドアに手をかけたところで立ち止まり、こちらへ振り返った。


「死者を思うお前の気持ちをあまり否定したくはない。だから気の済むまでやるといい。ただし、このエリアはお前の担当区域なのだからな。あまりもたついて、他の案内人の手を煩わせることはするなよ」


「うん。分かってる」


 父はそれだけ言い残して店を出て行った。緊張が解けた私の体に、脱力感が襲いかかる。ちょっと怖いけど、私の事を第一に考えてくれているのだ。あれも1つの意見として、真摯に受け止めなければならない。

 私はスイングドア越しに店の外を見渡した。まるで宇宙のような真っ暗な空間の中で、今もなお大勢の死者の魂が当てもなく徘徊している。死ぬ直前に記憶している、自分の姿のままで。

 マリン親子のように、肉体も服も綺麗なままの魂は、即死した者の魂だ。逆に傷だらけで服もボロボロな魂は、痛みに悶え苦しみながら死んだ魂だと分かる。飛行機の墜落事故という大惨事なだけあって、目を背けたくなるような姿をしている魂も多い。一目で蘇生は不可能と分かるレベルの魂だ。

 それでも私は、おもてなしを止めるつもりはない。私がわざわざ店を開いたのは、蘇生を試みるためだけではない。旅立つ者達に、最期に少しでも安らぎを与えるためでもあるのだ。

 そして、いつかきっと出会えるはずだ。「お泊まり」ではなく、「お帰り」を選択してくれるお客様に。行き先を決めるのは、全てお客様の意思1つ。もしお客様があっちにどうしても帰りたいと言うのなら、私は案内人として喜んでご案内する。それが、私がこの店に定めた絶対のルールだ。


 20代の兄弟と思われる2人がこちらに気付き、近付いてきた。あれが2組目のお客様になりそうだ。さあ、気を取り直して接客の準備をしなければ。

 そういえば今更だが、店の名前を決めるのを忘れていた。別に名前を付けたからといって何かが起こるわけではない。しかし、どうせ付けるなら、何か願いのこもった名前がいい。私の願い……1人でも多くの命の救済。死者の蘇生。それなら……。

 考えている内に、兄弟がすぐそこまで来てしまっていた。もういい、これでいこう。店名を決めた私は、スイングドアを開けながら深くお辞儀をし、最高の営業スマイルを作った。


「いらっしゃいませ。宿屋兼酒場・リザレクションへようこそ!」





『Resurrection ~お泊まりですか?お帰りですか?~』


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