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第1章 16 負けたくない

 俺は地面を踏みしめ、低い体勢のまま飛び出した。

 それに応じるようにリザードマンも双剣を握り、俺を待ち構える。


「ッ――!」


 呻き声を漏らしながら、素早く刃を走らせた。

 斬ったという手ごたえは微塵もなく、弾き返されたことで生じた金属音と痺れに顔をしかめる。


 畳みかけろ。

 相手に反撃の隙を与えるな。

 攻撃ができるうちに叩き込め。


「ふッ――! はァッ――!」


 過去の俺なら、もっと速く振れていることだろう。

 だが、今はそんなことを考えるべきではない。

 とにかく数で押すしか、今の俺にはできないのだから。


「ッ――!?」


 だが、リザードマンはそのわずかな間隙を縫って俺の横腹に鋭い蹴りを入れた。

 蹴り飛ばされた俺は瞬く間に壁に到達し、背中から激突した。

 点滅しながら揺れる視界に吐き気を催した俺は、剣を地面に突き刺して立ち上がる。


「か、はっ……」


 再び剣を構えようと柄を握ったが、リザードマンはそんな余裕すら与えてくれない。


 今度は鳩尾を殴打され、我慢していた吐しゃ物をぶちまける。

 早くも息を切らす俺は胸ぐらを掴まれ、反対方向へと投げ飛ばされた。


「ぐぁッ!」


 そして、地面に向かって殴り飛ばされた。


「はぁ……! はぁ……!」


 ものの、数十秒。

 ほとんど無傷だった俺は、一瞬にしてボロボロになった。

 全身が痛む中、笑う膝を叩いて何とか立ち上がる。


 タイマンなどではなく、ただの一方的な蹂躙。

 それも、リザードマンは俺への攻撃に一切武器を用いていない。

 こちらは全力で挑んだのに、本気のほの字も出していない状態のリザードマンとここまで差があるとは。


「……こりゃ、持たなそうだな」


 無意識にそんな言葉を漏らした俺は、不思議なことにその一言で奮い立った。


 何を弱気なことを言っているんだろう。

 過去の栄光だろうが関係ない。

 俺は、一度最強最悪の魔王を打ち滅ぼした勇者だ。

 こんなところで、ボスでもなんでもない敵にやられてたまるかって話だ。


 それに、


「死んだら、ルナに殺されちまうからな」


 口の端に溜まる血を吐き捨て、不敵に笑った。


 一歩、また一歩とリザードマンへ向かい、速度を上げる。

 今だけはすべての痛みを忘れて、ダンジョンを吹き抜ける涼しい風よりも速く。


 ――瞬刻過転(オーバードライブ)。


「――ッ!」


 アイアントロールとの戦いの時と同じように、速度を上げながら相手の注意を散らす。

 だが、


「ぁ――!」


 さっきもらったダメージが響いたせいか、足にひときわ強い痛みが走った。

 瞬刻過転の上限が来た時と似た痛み……ではないが、無理やりそう思い込み、


「あァァァッ!」


 喉を潰す覚悟で雄叫びを上げながら、剣を振りかぶる。

 そして、


「光の(ルミナ)――太刀(スラッシュ)ゥ――ッ!」


 振り抜いた剣は、リザードマンの肩口に突き刺さった。

 食い込んだまま抜けなくなったため、もう押し込むしかない。


 だが、


「なん、で……?」


 リザードマンは剣先を掴んで、肩に刺さった剣を抜く。

 そして俺を蹴り飛ばしたかと思えば、着地した俺の隣へその剣を投げつけた。


「何の……つもりだ……?」


 まったく意図がわからず、困惑を隠しきれない。

 やろうと思えば、今の数秒で俺のことを殺すチャンスなどいくらでもあったはずだ。

 それなのに、手のひらから血を流してまで剣を抜いて、俺を解放した。


 思えば、おかしな点はいくつもある。

 アザゼルアークのメンバーたちは、このリザードマンに壊滅させられた。

 しかし、誰ひとり殺されてはいなかった。


 ヴォルカンを背後から斬った時だって、双剣で心臓でも貫けば仕留められただろう。


 ――何を考えているんだ、このモンスターは。


 そろそろ、隙を見てこの場を脱する機会をうかがってもいい頃合いかもしれない。

 とはいえ、このボロボロの体では逃げ切れる気はしない。


 それなら、限界まで戦い抜く。

 かつて、ルナが目の前でそうしたように。


「……ッ!」


 もう一度地面を蹴り、堂々と双剣を構えているリザードマンへ向かって走る。

 光り輝く剣を手に、先ほどと同じような動きで剣を振りかざし、


「くッ……!」


 俺を捉えようと双剣を振り下ろしたリザードマン。

 その攻撃を、直前で身を捻って避ける。

 そして着地するまでの一瞬で、剣を水平に振り抜いた。


「っし!」


 光の太刀は剣筋をなぞり、ついにリザードマンの両脚を断ち切った。

 初めて苦悶の声を上げて、斬られた脚から崩れ落ちたリザードマン。

 さらなる一撃を入れようと、俺は一段と強く剣を握って後ろへと引いた。


「――ぇ」


 だが、一縷の希望は一瞬にも満たぬ間に潰えた。


 斬ったはずの両脚が、既に再生していたのだ。


 再生能力を持つモンスターなんて、聞いたことがない。

 無論まだダンジョンについての知見が浅いせいかもしれないが、少なくともそんなのは異世界にいた頃でも見たことがなかった。


 せっかく、一撃入れられたのに。

 少しでも勝てると思った自分が、可笑しくて笑えてしまう。


 まずい。

 そう思った時には、もう立ち上がることができなくなっていた。

 完全にスイッチが切れ、忘れていた痛みが束となって全身を蝕み始める。


 リザードマンの重い足音が、軋むように体に響く。

 せめて剣を握ろうとするも、力が入らず取り落としてしまった。


 負けたくない。

 もう二度と、敗北を味わいたくない。

 だが現に今、リザードマンに完全敗北しているじゃないか。


『死んだら、許さないから』


 何度も何度も、ルナの声が脳内に反響する。

 誰も欠けることなく、全員で生きて帰ると誓ったのに。


 まだ、戦える。

 意識があるうちは、手足がついているうちは、戦える。


 でも……


「……勝てない」


 そう思ったのは、このリザードマンが初めてだ。

 あの時――黒い怪物を前にした時は、そんなことを思うまでもなく殺されたから。


 戦うしかない。

 命が尽き果てるその時まで。


「かかってこいよ、化け物。最後まで、相手してやる」


 よろけながら立ち上がり、俺を見下ろしているリザードマンを睨み返す。

 剣先を向けた途端にリザードマンは腰を落とし、地面を抉るように蹴った。


「……ぁぇ?」


 腹をくくって、歯を食いしばったその瞬間だった。

 ダンジョンに吹く風よりもはるかに冷たい冷気が、全身を包み込んだ。



「――――凍刃(とうじん)・断絶(だんぜつ)」



 そしてルナが魔法を使う時と似たような駆動音とともに、巨大な氷の塊がリザードマンを襲った。

 リザードマンは声を上げる間もなく凍りつき、やがて動きが完全に停止した。


「大丈夫ですか?」

「――!」

「落ち着いてください。私は味方です」


 目の前に現れたのは、雪のように白い髪の女性冒険者。

 彼女の周りには小さな氷の結晶が舞っており、俺の震える吐息も白く染まっている。


「ちょっと、失礼します」

「えっ、ちょっ」


 何が起こったのか理解できない俺を、白い女性は軽々と担ぎ上げた。


「動けるにしろ動けないにしろ、この場に居座るのは危険です。

 氷で足止めはしていますが、あのクラスのモンスターが相手だとあまり長くは持ちません」


 白い女性は俺を肩の上に担いだまま、風のように速く走る。

 みるみるうちに遠ざかっていく、凍りついたリザードマンを見ながら、俺はようやく助かったのだと理解した。


「ありがとう、ございます……」

「話せるほどの力が残っているのは幸いですね。よく持ちこたえました」


 なぜか褒められた。

 ぶっちゃけ、もう動ける気はしないが。


 走り続けているうちに、あっという間に階段に辿り着いた。

 リザードマンと接敵したのは、階段からさほど遠いところではなかったのか。

 それなら、逃げずに戦っていてよかったのかもしれない。


「この階段を上がれば、十五階層……通称セーフティエリアです」

「あの……動けそうにないです」

「……。まあ、無理もないでしょう。

 それなら、このままセーフティエリアの救護施設まで送ります」


 何て親切な冒険者なのだろう。

 せめて、到着して別れるまでに名前だけでも聞いておきたい。


「その、あなたは……?」


 情けなく担がれたままそう尋ねると、白い女性はひと呼吸すら置かずに、


「シエルです」


 ただ、それだけ答えた。

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