飛行魔法を会得せよ
懸案事項は沢山ある。それこそ山のように。
それでも彼女は、決められたスケジュールをこなさなくてはいけない。
「ひゃああ!? な、何? 何?」
「お嬢様! こらヘルメス、お嬢様にくっつくのはやめなさい」
パーティーの次の日。エルとクロードは四魔導の一人、リーザのいる森へと向かうため、馬の準備をしていた。
執事は今日も黒馬にまたがり、前に令嬢を乗せて森へと走るつもりでいたのだが、何やらおかしな状況になっている。
黒馬はエルに顔を近づけ、甘えるように口元を寄せようとしている。大きな馬に急に近づかれ、エルは驚いて飛び跳ねそうになっていた。
「まさか。ヘルメスが私以外に、これほどなつくとは」
「この子、ヘルメスって言うんだ。賢そう……でも怖い!」
前世の頃も、大きな動物は苦手だった彼女は、この場でもすぐにスキンシップは取れなかった。
好意的なことは嬉しい限りだが、エルは人見知りだけではなく、馬見知りでもあったようだ。
それでも、なんだかんだでクロードにリードしてもらい、馬に乗って彼女は森へと向かった。
彼女は昨日の夜、予習としてひたすら魔法の手引きを読書している。
だが、どうにも理解できたかは怪しいところであった。魔法というのは、どうやら科学や数学に近いものかもしれない。
(私、理系は苦手なんだよね。大丈夫かなぁ)
ヘルメス号の背に乗りながら、なんとなく不安な気持ちになってしまうエルであった。
◇
森に到着した二人は、馬から降りて呆然としていた。
リーザの家は真っ直ぐ進んだ先にある。ただ、今回は勝手がまるで違っていた。
「ねえ、お家……浮いてるね」
「……はい」
エルとクロードは、なぜか彼女の家が空に浮かんでいる光景を目の当たりにしたのである。
「お、おー! きたな」
そして屋根の上に座っている少女が、元気よくこちらに手を振ってきた。
「あれはもしや、リーザ様ではないでしょうか」
「え、ええ!? 先週会った時はお婆ちゃんだったよ?」
「ええ。ですが私の記憶では、彼女はもっとお若い方だったはずなのです。あの姿のように」
エルには何が何だか分からない。家のすぐ側までやってくると、エルフ耳の少女はニコニコ笑いながら、
「飛行魔法というのだ。カッコいいだろ?」
などと呑気なことを言いながら降りてきた。クルクルと回る家と一緒に。
赤い屋根の家が、元々あった場所にすっぽりとおさまった時、地鳴りがしてエルはよろけてしまう。
「ふわぁ!」
「お嬢様!」
「あ、だ、大丈夫!」
顔をあわせると、リーザは老婆の時より背が伸びていた。目線はエルより少しだけ低い程度だ。
「おはようございます。なんていうか、その。リーザ先生なんです……よね?」
「うむ。まああの姿は、世を忍ぶ仮の姿なのだ。さてエルよ、今回は早速だが魔法を覚えてもらう」
「は、はい。よろしくお願いします!」
何が何だか分からないが、リーザは話を進めてくるので、もう乗るしかなくなっている。
「今日お主に教えたい魔法は、ズバリさっきのやつだ。飛行魔法!」
「ひ、飛行魔法……ですか。でも、いきなりすっごく高等な感じが。私にできるでしょうか」
「できる! だって一昨日、もう浮かんでいたじゃないか」
令嬢はハッとしていた。確かに魔力の適性を調べられた時、彼女の体はいつしか浮かび上がっていたのだ。
(飛行魔法……まさかごく一部の魔法使いにしかできない超高等魔法を、初めから教えるというのか。これは前代未聞だ)
執事は一歩後ろに控え、ただ寡黙にしていたが、内心では驚愕していた。
飛行魔法を習得している者は、世界でも僅かしか存在しないと言われる。実際クロードは、リーザ以外に使用している者を目にしたことがない。
彼の中では、ファイアボールやアイスストームといった一般的な魔法から教えるものとばかり思っていた。
「飛行魔法ができるようになれば便利だぞ。その気になればいつでも邸を出て、広い世界に遊びに行ける」
「あ、確かに。窓からとか、普通に出れそう」
「お嬢様、それは困ります」
執事が嫌な予感に包まれていると、エルフ魔導は愉快に笑う。実際のところ、引きこもりになりがちなエルにとって、飛行魔法で外に出ていくのは敷居が高すぎる。
「大丈夫大丈夫。この娘は無断で遊び呆けたりはしないだろうよ。さあエル、まずは我について来い」
「は、はいっ」
リーザはそう言うと、この付近では一番背の高い大樹まで走って行った。慌ててついていくエルと、静かに後を追うクロード。何をするのか予想もついていない。
大樹の前にやってきた彼女は、ごく自然によじ登り始めた。エルもまたそれに倣うのだが、クロードは立ったまま、明後日の方向を向いていた。
「あれ? ジルフィスさん、来ないの?」
「はい。ここで待機しています」
令嬢は不思議に思っていたが、執事からすれば当然の配慮であった。
なにしろ普通に下から見上げると、スカートの中が見えてしまう。クロードは無表情でいたが、内心では動揺していた。
(お嬢様……なんと無防備な。しかしなんとお伝えするべきか)
彼が人知れず苦悩していることなど、エルは知る由もない。魔法のことだけで頭がいっぱいなのである。
「よーし。ここまで登れば大丈夫! エルはここに座れ。今から魔力を出しながら、飛行するまでの過程を見せてやるぞ。それを真似するんだ、いいな?」
「は、はい……」
簡単に言われたが、正直やり方がよく分かっていない。それでもやるしかないようだ。
「まずは内にある魔力を開放しながら、起動文字を思い浮かべる。魔法書の手引きに書いてあったやり方だけど、読んだか」
「はい。でも、どうしていいか分かってません」
「大丈夫だ。この大樹はな、魔力の使い方をある程度助けてくれる、希望の大樹と呼ばれている。以前はみんな、ここで魔力やら魔法やらを覚えたものだ」
「そ、そうなんですね! すごい」
素直に感動されて、リーザは嬉しくなったらしい。まるで無邪気な子供のように満面の笑みとなっていた。
「エルはやっぱりいいヤツだな! よっし、じゃあ始めるぞ。我のすることを見ているんだぞ」
エルフ魔法使いは、大樹の枝に足を放るように座り、静かに瞳を閉じた。
最初は何の変化もなかったが、少しずつその姿が変わってゆく。彼女の周りを、うっすらと新緑色の光が包んでいる。
やがて体全体が光だし、周囲には蛍の光を思わせる小さな輝きがいくつも浮かび出した。
そうしているうちに、彼女のお尻の少し下にある空間に、なんと光の魔法陣が現れた。
「わああ! 綺麗……」
「ふっふっふ。これで魔法が起動されたのだ。さて、ここから飛ぶぞ」
「きゃ!?」
エルフ魔法使いは瞼を開いて立ち上がると、そのまま体を空に放るようにした。エルはまるで飛び降りでもするような動きに、思わず悲鳴を漏らしてしまう。
しかし、リーザが大地に叩きつけられることはなかった。風に乗るかのように、少女の体が水平に飛んでいく。
そして大樹よりも高く飛び上がり、二人が見上げるなか、大空を自由に飛行していった。
「すごい。とっても素敵」
不思議かつ楽しそうな姿に、エルはすっかり心を奪われている。アニメやゲームでしか見たことがない、人が空を飛ぶ姿は優雅で感動的だ。
しばらくして、リーザはエルがいる枝の上に降りてきた。
「どうだ? なかなか面白そうだろー」
「は、はい! とっても」
「よし。じゃあ次はエルの番だ」
「わ、私ですか……」
急に緊張してきた少女は、チラリと地面に視線を移した。落ちたらどれだけ痛いのだろう、という不安からである。
だが、まったく予想もしていない状況がそこにはあった。
エルが落下するかもしれない地面の辺りに、ひたすら布などが敷かれていたのである。
クロードが大急ぎで、クッションになりそうなものを道具袋から取り出し、彼女の下に並べていた。
「ジルフィスさん!」
「お嬢様。一応の備えはしましたが、どうかお気をつけを」
「あ、ありがとう」
自分のためにここまでしてくれることに、エルはどんなに感謝しても足りない気持ちになる。
クロードは正面から熱い瞳を向けられ、戸惑いと共にまた明後日の方向を向いていた。
「ほほー。あの氷みたいだったクロードが、こんなに熱心に助けるとは。エルはめちゃくちゃ好かれているな」
「り、リーザ様!」
焦る執事を見て、令嬢は首を傾げる。エルフ先生は笑っていた。
「よし、じゃあやってみるが良い」
「はい! ……あ、はい」
思った以上に大きな声を出してしまい、少女は慌ててしまう。よくやる失敗だ。
それでも気を取りなおすと、まずは静かに瞳を閉じた。




